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Markthalle oder                   マルクトハレ 又は・・・ 新聞編







フライブルクのマルクトハレがかつて新聞を印刷していた場所だったと知ったのを切っ掛けに、大変なものが見つかりました。フライブルク大学図書館がそのふる~い新聞を150年分一挙にデジタル化し、ネット上で誰もが自由に閲覧できるよう提供しているのです。1784年1月3日発刊の第一号から読めますが、そのような古い時期のものは市の公文書館に保存されていたそうです。

そこで思い出したのですが映画館のハーモニーやマルクトハレがある、同じ通りにフライブルク市公文書館があったな~。

第一号には一体どんな記事があったのかと、思わず大学図書館のデジタルページをクリック。と・・・もちろんははは、それは鬚文字でした。しかしヒッタイトやサンスクリットほどのことはありません。置き換えていけばよいのですから、鬚文字リストなどがあれば現代綴りに直せます。ところがそうやって書き換えた文章を読む段になって躊躇します。「一体当時の人は何を考えて書いていたんだ・・・。」その辺は外国人の素人がおいそれと簡単に作業できない領域です。1700年代後半が、江戸時代だ!と思えば
なんとなく水戸黄門や大河ドラマのシーンになぞれるほど、この国の時代感覚を持ち合わせていないからです。


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第一号の新聞記事一ページ目。こんなにおおらかな割付でったのですね。1月3日土曜日の配信で、当時は週に一回のサイクルだったようです。




それではと紙をひらひらさせて、下のバイオリン工房へ侵入したり、隣のおばさんのところへいったりこの国の人に知恵を借りて読んでみました。

1784年1月3日号の新聞は12ページありました。残念ながら本物の紙面の大きさはわかりませんが、初めの3ページを割いて発刊の挨拶または年頭の言葉といった感じの「良い年を祈る」ということについて執拗に綴られています。良いということと、良く祈るというのは違う・・。他人の良いことを願うとき、習慣的に口からでまかせではなく、自分のことを願う気持ちで、他の感情を交えず(好き嫌いや社交辞令、ねたみなどの要因を含めず・・・)心から飛び出してくるものでなければ、本当に良いことを良く祈ることにはならないだろう・・・それが出来ないなら他人のために祈らないほうがいい・・・というようなことが3ページも。ややっこしい!「新聞第一号にこんなくどくど書いてあったら当時の人嫌にならなかったの?」と私。ドイツ人助っ人の意見を総合すると、まずその時代の風潮というものがあるのだよと。いわゆる啓蒙主義です。それまで宗教観のなかで日々の行いが司られていたところに、自然科学の発達によって全ての事柄の理由が分析されるようになっていた頃。この新聞代一号は言葉を執拗に分析し心理学、社会学的な要素を解き明かすことで読者の現代感覚を満たそうとしたのだと。なるほど!

たとえば魔女狩り。これは中世15世紀から17世紀をピークに18世紀までおこなわれていたところもあります。反対者もいたらしいですが民衆裁判によって、付き合いの少ない人、森の中に住む一人暮らしの老女(グリムの影響)、または村で最も美しい女性が、魔女・・・に違いないという理由だけで火あぶりの刑になっていた時代から、数名の知性を持つ人々(ガリレイ、ニュートン、デカルト)などが出てきて、自然科学究明という新しい追及のあり方が発生して、変化していった人々の意識。(中世をこんな簡単に解釈しては誤解を招くかもしれませんが・・・・)


その後のページは驚いたことに、オーストリア、ポルトガル、スペインの記事が続きます。フランス革命の直前であったその頃、もしヨーロッパ史に詳しかったら、この都市名を見ただけで何に関してアンテナが張られていたか予想できるかもしれませんが、その辺も文章が読めただけではどうにもならないところです。しかし私達の関心は「当時どうやって、外国のことをしらべたのかしら」郵便馬車が走ったのだろう。現地に特派員が居て定期的な通信が届けられた。「それには人件費がかかるでしょう?そんな余裕あったのかな当時の新聞発行人」まあ、それから商人がね・・・たとえば定期的にイタリア往復する商売人は頼まなくたって外国の見聞を持ってくるものさ。「外国の事情を伝えるという使命感があったのかしら」今のようなメディアの中にいたら、当時の人が知らせたいと思う気持ちを、確かに想像しかねるね。

そんな風にローカル新聞をローカルにわいわい読んだのでした。

このフライブルガー新聞、最後の発刊は1943年2月。その頃はナチスの内容コントロールによって新聞が次々休業に追い込まれていきました。代わってナチス党新聞が8割以上の印刷部数を占めるようになりましたが、それでも約600種の新聞が生き残っていた・・・。





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フライブルガー新聞最後の年1943年の誌面。かなり現在の新聞に近い割付になっていますが、デジタル化されたサイトから内容を読みとることが、逆に辛くなります。このタイトル部分にぼやけてはいますが、印刷所の所在ポッペン&オルトマンの名前が読み取れます。






1944年にはアメリカ軍進入により一時的にナチスのコントロールを受けない新聞が一紙登場。しかし1945年には連合軍によってドイツ新聞は一切禁止となり、ソビエト軍接収地域から『ベルリン新聞』一紙のみが許可されていた。
1949年ドイツ憲法が効力を持つに至り、その第5章に『報道の自由』が謳われて、連合軍の新聞コントロールがなくなり、嘗ての出版業者が元の仕事に戻ってきた。それから新聞ブームが始まる。

フライブルク市でも1950年、新たに始まったバーディッシュ新聞はこの町の二つの出版社が嘗てのフランクフルト新聞編集者を招いて立ち上げています。
私の新聞解読を助けてくれた読者達は、結構この古い新聞を面白がり、記念に第一号が欲しいわ!ということで、私のプリンターは一瞬『Freyburger Zeitung』の印刷所になったのでありました。
Commented by M野 at 2009-04-27 21:53 x
イタリック体のアルファベットがいかに偉大な発明なのか。ベネチアでこのころ発明されているのですが。まだドイツでは普及していなかったのですね。
 ところでドイツと言えば、世界で初めての写真入り雑誌や新聞はドイツが初めて、といわれています。なんでなんでしょうね。
Commented by 河西文彦 at 2009-04-28 12:04 x
ベルリンの郊外に シュパンダウ という いわばベルリンのベッドタウンみたいな町が在ります、小さな町ですが 土地独自の新聞を発行しており 自分たちは ベルリンとは 違うと言う自負 が在り自分たちの 独自の新聞を持っていることが 自慢でした。今もあるかなー?
西部劇にも 各地に それぞれ新聞を作る人たちが活躍するのを 描いていてまさに「ペンは剣より強し」と言うところです。今の日本の ジャーナリスト とは一味 違います。 いわば昔の大学とレジャーランドかした今の大学との違いみたいなものかな。 テレビの レポーターキャスター  なんて  みんな吉本出身かと思うほど だもんね。
Commented by うお at 2009-04-29 06:54 x
M野さん
イタリック体はイタリア産だったのかと!!。言われてみると文字どうりですね・・・、それにしても陸続きのヨーロッパで文字の共通性が素早く広がらなかったのは面白いですね。昔ドイツ人に1920年頃まで鬚文字だったと聞きましたが、第二次大戦まで使われていたという話もあります。
フライブルク新聞の1900年度はもう大分イタリック体に近いですが、段落の始まりは飾り文字です。グーテンベルクが印刷機を作ったときの活字にこだわった歴史でしょうか?ドイツの代表新聞はいまだにタイトルが鬚文字だったり、長い間一面トップに写真を使わなかったそうですが、現在では一面トップにカラー写真です。それでも内容の深さは変わらず読むのに(私の場合)集中力が要ります。
日本の大手新聞と違ってドイツの代表紙の読者数は少ない・・・。反対に写真とゴシップ記事の大衆紙が販売力を持つようですが、新聞の権威に対抗するものもドイツで生まれたのかしら。大衆紙は大抵スーパーのレジ横にあるので、並んで待つ間最新ゴシップねたになっている人物の顔写真など眺めて退屈しませんよ。
Commented by うお at 2009-04-29 07:41 x
河西さん
ベルリンのシャルロッテンブルクに近い区域ですね(今調べたばかりですが。)世界に知名度の高い都市ですが実際に住んでみないと知らないことが山のようにありますね。シュパンダウの新聞が一体どんな調子だったのかと思ってしまいます。

寄席では落語家が枕に滑稽な政治批判を話すことがありますが、現在のメディアが殆どその寄席状況・・・かもしれません。タレントの顔や話し方でニュースにひきつけようという作戦かも知れませんが冗談交じりでなければ興味を持てないというのも悲しいですね。
西部劇の中の新聞発行者を語るのは、さすが河西さん。今度聞かせてくださいね。
Commented by tomato at 2009-04-29 08:26 x
テレビやラジオが普及するまでの情報とは、まさにこの新聞だったわけです。
レベルが低くて申し訳ありませんが、
最初の、とか、週に1回とか聞くと、
自分たちが小中学生のとき発行した、
子ども新聞とか学級新聞とかを思い起こさせます。
あ~でもない、こ~でもないと議論して、
夢いっぱいの記事や挿絵をつくりましたねえ。
きっとこの新聞も、未来に夢を膨らませて作ったんじゃないかなあ・・・・
Commented by うお at 2009-04-30 04:56 x
Tomatoさんは
学級新聞とか子ども新聞を編集した覚えがあるのですか。私は壁新聞です。グループごとに記事を集めたのですが、私のいたグループは取材力がなくて記事が集まらない・・・そこで私が挿絵、4こま漫画を描きまくり大衆紙みたいな絵新聞にした覚えがあります。

この新聞の第一号を気にしたのも、以前ジャーナリストから、元来新聞は
ローカルなものであると伺ったことがあるからです。『良く祈る』という冒頭の記事はTomatoさんが指摘するように未来社会への夢が込められていると思います。さらにチェコのユダヤ人収容所で14歳の男の子が編集した新聞。その中では「誰かインクが染みない紙を持っていませんか」と紙のスポンサーを募る広告文が載っていたり。新聞を辿ると、夢や希望をみんなで読もうということも出発点だったと気付かされます。
Commented by M野 at 2009-04-30 21:43 x
 すいません。間違っていました。イタリック体の発明は15世紀末でした。
Commented by うお at 2009-05-01 06:57 x
M野さん
ありがとうございます。私もフラクトゥールというドイツ文字(ひげ文字)のことをヴィキで読みました。字体一つとってもこの国の色々な流れがあって面白かったです。
実は昨晩、猫ママのミルクがたった一匹出産しました。父親はパンクと同じらしく、ヘアスタイルがこれまたパンクっぽいのが出てきました。私はダンボール箱の産屋を準備したぐらいですが、ついつい覗きに行ってしまう今日一日でした。
Commented by M野 at 2009-05-10 20:41 x
そうすると子猫の名前は、ロックですね。
Commented by tarutaru at 2009-05-11 10:51 x
ご無沙汰してしまいました。
ブログの方すっかりパワーダウンしてしまいました。
そのうち再開したいと思っています。

ねこがねこをうんだんだって?
みんなにかわいがられて幸せな猫たちですね
同期会、賑やかになりそうですね
参加できなくて残念。
Commented by うお at 2009-05-12 07:23 x
M野さん
正解!です。もうロックちゃん以外ないですね。ヘアスタイルはだんだん真ん中分けの福助みたいになってきました。武蔵というより小次郎ねと・・既にそう呼んでいる人も居ます。ミルクママは二回目のお産で子育ても気楽そうにやってます。
Commented by うお at 2009-05-12 07:32 x
Taruさん
おー、隣のブログが動くのを首をなが~~くして楽しみにしていますよ。展覧会初日まで今が踏ん張り時ですね。私はいつもその頃にへばってしまうのよね。頑張ってください。

そうなんです。馬でも生まれたら乗馬生活者になれたのですが。
「人間は猫のペット」とちらほら聞きますが、出産となるとそんな甘いもんじゃないです。もう猫のベビーシッターはたまた奴隷です。ベットはとられるし・・・。今日なんか、猫ママが一日家出して、私はおろおろ、赤ちゃんはあくびしていましたが。
by kokouozumi | 2009-04-24 03:23 | Comments(12)

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