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Markthalle oder                   マルクトハレ 又は・・・ Ⅱ









マルクトハレは2年前に大掛かりな改装がおこなわれました。雑居屋台の総元締めは建物の大家と20年契約を結んでいたのですが、契約更新に際して必要に迫られた改装は、人目につかない部分が主だったということです。第一は空調。旧来の10倍の空調力を備えました。ドイツも最近は夏の暑さを計算することが商業スペースにおいて避けられなくなってきました。関連して各スタンドごとにこれまでは必修だった排気(換気)口が消え、その代わりにUVCランプという高出力殺菌ランプが料理を照らしていることも、食べ物しか目に映らない人々には気付かれないところ。第二の変化は衛生面の管理。ホール面積の一部がそのためのスペースに変り、全スタンドの使用済み食器が返ってくるようになり、さらに食器道を通って一階上の洗い場で処理されます。また地下冷房装置付きの廃棄物ルームが設備されました。

この改装のためにマルクトハレの大家となっているポッペン&オルトマン印刷会社は280万ユーロを投資したそうです。ポッペン&オルトマン印刷会社は18世紀末に始まったフライブルクで最も古い新聞を印刷していました。この建物は記念建築物保護指定を受けていますから、改装は余計大変だったと思います。




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マルクトへの入り口全体を写そうとして見つけた彫り看板には『Freiburger Zeitung』 (フライブルク新聞)と書かれていました。




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このお肉もUVCランプが照らしているのね



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入り口近くの野菜・果物売り場。金曜と土曜の夜、この場所には ”野菜バー” と名付けられた喫煙者用のテーブルが設けられる。

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クレープとか

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メキシコ?とかブラジルとか・・・
色々の屋台が


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中央のシャンパンスタンドを取り囲み、料理を確保した客達は好きな場所に・・・



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こんな落ち着いた場所を見つけるのはマルクト通に違いない!




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マルクトを横切ってもう一つの入り口を出ると、そこは地ビール酒場。夏になると外のテラス席はいつも満員。









新規開店後も変わらないのは、ハレで確保した料理を隣のイタリアン酒場『オステリア』(ハレ内部からも行き来できる)やもう一つの出口側にあるビール酒場のテラス席に持ち込み可能なことです。メインストリートから直接入ってこれる凹みを独占するそのテラス席の場所、実はマルクトハレの歴史はその袋小路から始まっているのです。

フライブルクの最も古い新聞は1784年1月に第一号です。タイトルはFreiburgerではなFreyburgerでした。ポッペン&オルトマン社が印刷を担当するようになったのは1863年からでそのときには彫り文字の看板がFreiburgerになっています。それ以前もこの建物で印刷されていたのかあるいは別の場所だったかは残念ながらわかりません。フライブルガー新聞は1784年から1943年まで発行されていましたが、戦後1950年に新たに編集されるようになった地方紙バーディッシュ(バーデン)新聞に吸収され、その中にローカル記事のページとして 『Freiburger Zeitung』 のタイトルが現在まで残されています。ポッペン&オルトマン社は引き続き新聞全体の印刷を請け負っていたのでしょうか?昔々、あの37mほどの袋小路から夜中1時に、緑色の小型トラックが刷りたての新聞を積み込んで出発していったということです。

ポッペン&オルトマン印刷会社が1984年、商業団地に引っ越し、その小さな袋小路はトラックの出入りがなくなりひっそりとしいたのですが、土曜市がプランされました。最も古く最も大規模な聖堂広場の市場が目と鼻の先ですから、何か特色のある市場にということでグルメ嗜好のインターナショナルな・・・というコンセプトが計画され、1986年にオープン。珍しいものをつまみ食いできることからたちまち人気の場所となり、その路地はいつの間にか『食い物路地』と呼ばれるようになりました。

『食い物路地』が当たっている時、当の印刷所だった建物の中はまだもぬけの殻。1980年後半は土地価格が頂点に達していた頃。またフライブルク市の都市計画上、街中のその場所は住居と商業の混在地域として煩い規制があったようです。一度は『ハーモニー』がその場所を確保する計画もあったのですが、前出のような理由で物件を入手してからの採算が危ぶまれ、実現しませんでした。

そうこうするうちに『食い物路地』の常連客たちから声が上がりました。「屋根のあるところでつまみ食いがした~~い。毎日営業したら毎日食べに来るよ~~。」そこでソーセージ同盟(『食い物路地』出店者が組織した同盟)の代表が印刷会社と交渉し、ついに20年間の賃貸契約を結んだのでした。

フライブルクというドイツ辺境の町でも、1990年頃から忙しい勤め人が急いで昼食を食べるようになったのでしょうか。時代のスピード感にマッチしたのかもしれませんが、この町はもともと大学を中心とする空気が流れる土地です。学生や先生達が一緒に立ち寄れるようなスタンドカフェやスタンドバーの老舗が今も残っているのは、馴染みの・・お気に入りの場所を次世代へ伝えていく学生特有の伝統かもしれません。学生が待ち合わせに告げる場所はちょっと良い、ちょっと美味い、ちょっと雰囲気のあるところを選ぶものです。

戦後のフライブルク都市計画に従事されていた方から最も大事にしてきたコンセプトは『集いの場所』を街中に配置することだったと聞いたことがあります。その都市計画の成果で、そこに行けば誰かしらに会えるだろうと人々が集まってくるような広場が数箇所あります。設備も何もない、まるで円形劇場を囲む観客席風の石段があったりするような場所で、夏の真夜中若者達が群がって、ただおしゃべりしながら過ごしていたり・・・・
マルクトハレは建物の歴史と『食い物路地』に始まるグルメ嗜好を併せ持って、週日の昼食時は勤め人の、午後からはフライブルクオールドタイマーたち、夜は学生のと『集いの場所』になりえる要素があって、この町に似合っていたのかもしれません。

しかしマルクトハレが出来るとそこに人々が殺到したため露天の路地市場『食い物路地』はその後10年共存していたものの、ついに出店業者8組と営業許可に満たなくなり消滅しました。
(数年前、市議会でこの名前『食い物路地』が物議をかもし、市民の反対があったものの『マルティン路地』と改名が可決されました。)2年前新装開店後のマルクトハレ出店業者も3分の2が入れ替わりました。




ローカルな話にお付き合いいただきありがとうございました。
Commented by tomato at 2009-04-18 21:51 x
随分と楽しそうなところなんですね。
日本でもうまくやったら流行りそうだなあ。
市場が併設されているから、マルクト・・・なんでしょうか。
フライブルグは古来からドイツ領なんですか。
FreyがFreiに表記が変わるのはそのへんの関係かな。
いずれにしても歴史を感じます・・・・
Commented by うお at 2009-04-19 05:39 x
Tomatoさん
映画館の傍だったのでちょっと覗いてみたら、どんどん話が曲がっていきました。都市計画に尽力していた方の話まで思い出したしだいです。街中にマグネット力が織り込まれるのは、日本の地方都市いわれる過疎化現象と対照的ですね。歴史的な場所を親しみやすさに転換していく方法は、簡単に言及できないことですが、ちょっとやそっとで壊れない石の建造物にも負う所があるのでしょうね。

そうですね。もともと市場から発生したからマルクトが付くのでしょう。
日本の明治維新までと同じようにドイツ内も各領主によって統治されていた時代の方言がその土地の古い綴りに影響しているようです。この辺はアレマン語です。
Commented by M野 at 2009-04-21 21:29 x
 再開発問題は、大変な問題です。特に町中にこんな楽しい空間を作ろうとしたら、やはり土地代ですよね。これをクリアしたソーセージ同盟はすごいですね。
 ただどうやって市民も巻き込んだのでしょうが、コンセンサスをとったのでしょうか。
 フライブルクのみの話なのでしょうか。なにしろ環境配慮では世界最先端の都市ですから。
 ところでマルクトハレと言う言葉は、「市場の宮殿」という意味でしょうか。それとも「公共市場」なのでしょうか。辞典を調べずに図々しく聞くのですが。
Commented by glueck-ss at 2009-04-22 02:43
FreiburgにもMarkthalleがあったのですね。
どこの街観光に行っても、市場とマルクトハレ見学は大好き!!
大体どこも18時まで営業ですが、もう少し遅くまでやってくれれば
スペインのバル感覚で軽く食べて飲んでということも出来そうなのにな。

ちなみにFRAのMarkthalleには日本の包丁研ぎ屋があります。
Commented by 河西文彦 at 2009-04-22 06:08 x
屋根のある 飲み屋横丁! ここの町に「インターナショナル インビスプラッツ」計画 していたのですが 資金難のため挫折しました、
フライブルグのマルクトハレの 詳しい写真 ありませんか。
世界には 美味しい インビス が一杯在ります、香港あたりの 水上マーケット みたいに (屋根の下で) 手軽な料金で世界中のスナック が食べられたら いいな! 飲茶 ラーメン やきとり タコス
ピロシキ  ケバブ  ピッツア  USW  楽しい 広場(屋根つき) になると思いますよ。
Commented by うお at 2009-04-23 06:51 x
M野さん
マルクトハレが市場宮殿であってもよいかと、私も辞書なしで思います。ドイツ語のHalleは屋根のある場所と解釈されますが、露天から屋根のある場所に移行する時、そこが宮殿であるという言語感覚があってもいいよね、と思います。

マルクト(市場)は新旧取り混ぜた色々な発生でヨーロッパの町々に存在しているのでしょう。郊外型の巨大買い物ゾーンに人の集まるのが当然になっている傾向の中で、街中の活性化が現実感を持っているのは、長期間のコンセプトをもった都市計画が反映されていると思います。その中でマルクトハレのみならず、多方面で市民の同意を得る努力はあったはずです。
環境都市とうたわれるフライブルクは何の変哲もない街じゃないと、よく聞かれるのですが、普通のところの住みやすさがいいと思います。それもまた宮殿のようなものです。
Commented by うお at 2009-04-23 07:08 x
glueckさんも
市場が好きですか。旅行した場所で市場に遭遇すると余計なものを(持ち歩くのに邪魔になるものを)買わないようにする我慢が要りますね。
新装開店したフライブルクのハレは木曜から土曜までは24時まで営業です。スペインのバルは居酒屋の代名詞のようですが、元をたどると同じところに行き着くのかな。

シュトットガルトのマルクトハレも大規模でクラッシックでおもしろいですね。市電の操作場だった場所と聞きましたが、昔市電の後ろに農家の行商荷車をそのまま乗せて移動させる車両があったと知り、それぞれの町の市場の歴史は興味深いと思いました。

これからも旅先で楽しい市場見学の機会がありますように!
Commented by うお at 2009-04-23 07:34 x
河西さん
おー、計画の張本人だったのですか。実際問題となるととても難しそうですね。フライブルクの報道写真にも全体がよく写っているものを見つけられませんでした。何か見つけたらお知らせします。
インビスのある風景はわくわくしますね。香港の水上マーケット!名前を聞いただけでも楽しそうですね。ドイツであまりないのがピロシキ、ラーメンですよね。ピロシキも餃子ルーツでしょうかね。
Commented by KasaiF at 2009-04-24 13:08
スパゲッテイ マカロニ も 中国の 麺 が 元 と言われています。 火薬にしろ 中国人(昔の?)は偉大ですね! 纏足 や 文化革命 は 感心しないけれど。
そういえば スマップ の草薙 剛 が 夜中に公園で 泥酔の上
全裸で 騒いだとかで 公然わいせつ? で逮捕。 昼間の銀座でなら 公然 とも 言えるけどね、、、 夜中に 公園での全裸 (もちろん騒いだことはいかん)なんか  可愛いもんだと思うけどね。
CMは降ろされる は そこらじゅうで バッシング されるは  ちょっと きついね。 キリスト さんが  娼婦に向かって石を投げる民衆に向かって 本当に自分たちは この女を 裁くほど潔癖なのか?と聞いたら  ひとりひとり 石を置いて 立ち去ったとか。
人の 悪事には 目くじら立てる 民衆!  やだね   河西
Commented by うお at 2009-04-27 06:11 x
遅い返信は・・・字を大きくしてごまかす!のがここでは通用しませんが窯焚きしていました。その件は後日報告を。中国の歴史はやっぱり古いですね。大きい国、多い国民 、そのような国の成り立ちを理解する側も現代という刹那的な判断では駄目なのかもしれませんね。
by kokouozumi | 2009-04-15 05:22 | Comments(10)

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