5月10日 燃やされた書籍
2008年 05月 11日
小さい頃、家には本が一杯ありました。
雛人形を飾るひな壇も一部は本を積み重ねて、作ったように覚えています。
誰が持ち込んだ習慣か分かりませんが、家族のそれぞれに本箱がありました。
私が始めて持った本箱は、父の日曜大工による蜜柑箱の一遍が無いようなとても、単純なものでしたが、自分の持ち物として「チビクロサンボのお散歩」や「雪の女王」を並べて満足していました。そのうち姉達から本箱のお下がりがきて少しづつ大きくなり隙間ができるようになると、そこに何を並べたいかと、思うようになりました。姉の本箱にある「怪盗ルパン」シリーズが渋そうだなとか、伯父の「太平洋一人ぼっち」も「15少年漂流記」よりミステリアスで惹かれたし、祖母の「主婦の友」も大人っぽいなと・・・それは読みたいというより、あくまでも私の本箱に並べたいと思って、他人の書棚を物色していたのでした。
小さい頃のちょっとした環境が物欲を形成するのでしょうか。家族の中で一番年下だった私は、いつも姉達や大人のように、渋くかっこよく本箱を充実させたいと思っていた訳で、ですから読書家というより、本を並べたがり屋だったように思います。読もうと思って、積み上げるいわゆる「積読」ともちょっと違うような気がします。
しかし学生時代、休日の過ごし方に「本屋さんに行く」というのがありました。これは全天候型で半日は遊べました。だんだん背表紙のタイトルを読んだだけで自分の好みかそうでないか、判断できるようになりました。本を買わなくても全く面白い遊びでした。
それがドイツに来て、遊べなくなりました。まず背表紙の文字が読めない、意味が判らない。本屋さんにはあまり行かなくなりました。
今日、2008年5月10日、ラジオから今日は本が燃やされた日というニュースが聞こえてきました。それはヒットラー政権下の1933年5月10日のことらしいです。5月10日にベルリンで始まり、ほかの都市でも。ラジオではさらにその時、ユダヤ系の、それにドイツ的ではない思想として燃やされた本の著者の名前を並べています。ベンヤミン、ブレヒト、ハイネ、カフカ・・知っている作家の名前しか聞き取れません。そのうちフライブルクのある人の名前が耳に入ってきました。「?」「そうか、あそこか、久々にいってみようか」
土曜日の町中は突然の好天気続きで、にぎわっていましたが、ここは相変わらず落ち着いています。ラジオで耳にした名前はこの本屋店主の苗字でした。
本屋の名前は「WETZSTEIN」砥石の意味です。何かほかにメタファーがあるのかも知れません。一見マニアックで近づきがたい雰囲気ですが、私にとっては有難いことに美術書もあるので、何度か立ち寄るうちにほかの書籍も眺めるようになり、少しづつ「ドイツの本屋さん嫌い!」病が治ってきました。
店主にラジオニュースのことを話したら、「ああ、このことでしょう」と一冊のほんの前に連れていかれました。臙脂の表紙に金文字で「燃やされた本」の意味のタイトルが入っています。その時手にとって見ることを遠慮しました。後から「別に構わなかったのに」とも思いました。
毎年、この時期に読書マラソンという朗読会を全国でおこなうのだそうです。一ヶ所での朗読会は普通の長さでも、全国の合計がマラソンの長さということだそうです。Wetzsteinでも、毎年5月に朗読会を企画しているのでした。
ここにはいわゆる新刊書というものは置いてないですが、決して豪華本ばかりと言うのでもありません。しかし奥のほうにいくと、売っているのか飾ってあるだけか分からない古そうなものが並んでいます。そんな本棚の一角に、ギュンター・グラスと思える人形が、胸にポッカリ穴を開けていました。
何年も前からこの斜めの本が気になっています。まだある!それとも何冊もあるの?
Buchhandlung zum Wetzstein
このサイトで書店の様子が見られます。写真用に特別演出したわけではなく、いつも店内はきれいですよ。
雛人形を飾るひな壇も一部は本を積み重ねて、作ったように覚えています。
誰が持ち込んだ習慣か分かりませんが、家族のそれぞれに本箱がありました。
私が始めて持った本箱は、父の日曜大工による蜜柑箱の一遍が無いようなとても、単純なものでしたが、自分の持ち物として「チビクロサンボのお散歩」や「雪の女王」を並べて満足していました。そのうち姉達から本箱のお下がりがきて少しづつ大きくなり隙間ができるようになると、そこに何を並べたいかと、思うようになりました。姉の本箱にある「怪盗ルパン」シリーズが渋そうだなとか、伯父の「太平洋一人ぼっち」も「15少年漂流記」よりミステリアスで惹かれたし、祖母の「主婦の友」も大人っぽいなと・・・それは読みたいというより、あくまでも私の本箱に並べたいと思って、他人の書棚を物色していたのでした。
小さい頃のちょっとした環境が物欲を形成するのでしょうか。家族の中で一番年下だった私は、いつも姉達や大人のように、渋くかっこよく本箱を充実させたいと思っていた訳で、ですから読書家というより、本を並べたがり屋だったように思います。読もうと思って、積み上げるいわゆる「積読」ともちょっと違うような気がします。
しかし学生時代、休日の過ごし方に「本屋さんに行く」というのがありました。これは全天候型で半日は遊べました。だんだん背表紙のタイトルを読んだだけで自分の好みかそうでないか、判断できるようになりました。本を買わなくても全く面白い遊びでした。
それがドイツに来て、遊べなくなりました。まず背表紙の文字が読めない、意味が判らない。本屋さんにはあまり行かなくなりました。
今日、2008年5月10日、ラジオから今日は本が燃やされた日というニュースが聞こえてきました。それはヒットラー政権下の1933年5月10日のことらしいです。5月10日にベルリンで始まり、ほかの都市でも。ラジオではさらにその時、ユダヤ系の、それにドイツ的ではない思想として燃やされた本の著者の名前を並べています。ベンヤミン、ブレヒト、ハイネ、カフカ・・知っている作家の名前しか聞き取れません。そのうちフライブルクのある人の名前が耳に入ってきました。「?」「そうか、あそこか、久々にいってみようか」
土曜日の町中は突然の好天気続きで、にぎわっていましたが、ここは相変わらず落ち着いています。ラジオで耳にした名前はこの本屋店主の苗字でした。
本屋の名前は「WETZSTEIN」砥石の意味です。何かほかにメタファーがあるのかも知れません。一見マニアックで近づきがたい雰囲気ですが、私にとっては有難いことに美術書もあるので、何度か立ち寄るうちにほかの書籍も眺めるようになり、少しづつ「ドイツの本屋さん嫌い!」病が治ってきました。
店主にラジオニュースのことを話したら、「ああ、このことでしょう」と一冊のほんの前に連れていかれました。臙脂の表紙に金文字で「燃やされた本」の意味のタイトルが入っています。その時手にとって見ることを遠慮しました。後から「別に構わなかったのに」とも思いました。
毎年、この時期に読書マラソンという朗読会を全国でおこなうのだそうです。一ヶ所での朗読会は普通の長さでも、全国の合計がマラソンの長さということだそうです。Wetzsteinでも、毎年5月に朗読会を企画しているのでした。
ここにはいわゆる新刊書というものは置いてないですが、決して豪華本ばかりと言うのでもありません。しかし奥のほうにいくと、売っているのか飾ってあるだけか分からない古そうなものが並んでいます。そんな本棚の一角に、ギュンター・グラスと思える人形が、胸にポッカリ穴を開けていました。
何年も前からこの斜めの本が気になっています。まだある!それとも何冊もあるの?
Buchhandlung zum Wetzstein
このサイトで書店の様子が見られます。写真用に特別演出したわけではなく、いつも店内はきれいですよ。
うおさん、こんにちは。
私も本は好きです。本屋や図書館なら、何時間でも時間がつぶせます。
でも、洋書は正直とっつきにくかった。
2年間の米国留学時代も、本屋は小さな美術館といった感じでした。
日本のように、表紙である程度の内容がわかることは、
こちらでも皆無でしたし、
中をパラパラめくっても、挿絵の一つもないので、
そのまま書架へ・・・・
でも、美術書や写真集などは、本当に見事なものがありましたから、
そちらのコーナーに入り浸っていた、というわけです。
うおさんも最初はそうだった、と知って安心しました。
日本人は直截的な表音文字には弱いんでしょうが、
感覚的に表意文字を理解する高い文化を持つことに
誇りを持っている次第です・・・・
ナチスの焚書は、インディ・ジョーンズの映画に出てきたやつでしょうか・・・・
私も本は好きです。本屋や図書館なら、何時間でも時間がつぶせます。
でも、洋書は正直とっつきにくかった。
2年間の米国留学時代も、本屋は小さな美術館といった感じでした。
日本のように、表紙である程度の内容がわかることは、
こちらでも皆無でしたし、
中をパラパラめくっても、挿絵の一つもないので、
そのまま書架へ・・・・
でも、美術書や写真集などは、本当に見事なものがありましたから、
そちらのコーナーに入り浸っていた、というわけです。
うおさんも最初はそうだった、と知って安心しました。
日本人は直截的な表音文字には弱いんでしょうが、
感覚的に表意文字を理解する高い文化を持つことに
誇りを持っている次第です・・・・
ナチスの焚書は、インディ・ジョーンズの映画に出てきたやつでしょうか・・・・
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kokouozumi at 2008-05-12 03:49
Tomatoさん
本屋さんの棚を右から左にさ~と眺めて、どんな本が並んでいたか分かってしまう。それが表意文字を理解してなせる技なんですね。
いまだにドイツ語のタイトルから中身を発想できないですよ。ただいざ読むとなると、単語一語づつの意味を頭の中で正確な日本語に置き換えようとして、内容がよくわかるような気がします。
私の場合、頭に作業を一杯やらせないと駄目だってことかもしれません。
違う形で読書をまた楽しんでいます。昨日は歴史の中の出来事を通し、本を考える日と思い、その日にふさわしい場所を尋ねることが出来、ブログに載せたら、本が好きな方からのコメントがあって、嬉しいです。
本屋さんで聞いたのですが、ブレヒトはその日「本を燃やすなら私を燃やせ」とナチス党首に手紙を書いたり、そのことを
ナチスの焚書というのですね。正しい表現を教えていただきました。インディ・ジョーンズの映画に?いろいろ興味深い話をご存知ですね。
これからも楽しみにしていますね。
本屋さんの棚を右から左にさ~と眺めて、どんな本が並んでいたか分かってしまう。それが表意文字を理解してなせる技なんですね。
いまだにドイツ語のタイトルから中身を発想できないですよ。ただいざ読むとなると、単語一語づつの意味を頭の中で正確な日本語に置き換えようとして、内容がよくわかるような気がします。
私の場合、頭に作業を一杯やらせないと駄目だってことかもしれません。
違う形で読書をまた楽しんでいます。昨日は歴史の中の出来事を通し、本を考える日と思い、その日にふさわしい場所を尋ねることが出来、ブログに載せたら、本が好きな方からのコメントがあって、嬉しいです。
本屋さんで聞いたのですが、ブレヒトはその日「本を燃やすなら私を燃やせ」とナチス党首に手紙を書いたり、そのことを
ナチスの焚書というのですね。正しい表現を教えていただきました。インディ・ジョーンズの映画に?いろいろ興味深い話をご存知ですね。
これからも楽しみにしていますね。
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kokouozumi at 2008-05-16 08:04
えんしょを焚書されたのですか
Tarutaruさん、それからTomatoさん、先のコメントで書いたブレヒトのエピソード、聞いたとき意味がよくわからなかったのです。どうもそれは、燃やす本のリストに自分のものが抜けていたのを発見してのことだそうです。
さてTarutaru家の焚書ですが、「本を燃やしてもとうちゃんの頭の中に真実が残っている・・」と、家族がかぎつけたら!!
危ない!Tarutaru燃やされるぞ~。
Tarutaruさん、それからTomatoさん、先のコメントで書いたブレヒトのエピソード、聞いたとき意味がよくわからなかったのです。どうもそれは、燃やす本のリストに自分のものが抜けていたのを発見してのことだそうです。
さてTarutaru家の焚書ですが、「本を燃やしてもとうちゃんの頭の中に真実が残っている・・」と、家族がかぎつけたら!!
危ない!Tarutaru燃やされるぞ~。
中学生のとき 亡き父の本棚に在った「その後の武蔵」「野菊の墓」
を読んだ、高校生になったら国語の先生が「もう 君達くらいになったら、読まなくちゃ!」と言うのが「野菊のごとき君なれば」だった、
中学で読んだ おいらは ませていたのかな?
を読んだ、高校生になったら国語の先生が「もう 君達くらいになったら、読まなくちゃ!」と言うのが「野菊のごとき君なれば」だった、
中学で読んだ おいらは ませていたのかな?
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kokouozumi at 2008-05-18 05:57
手に取るだけでなく、読んでみたのは大人っぽいですよ。
逆に誰かに似合った本を選んであげるのは難しいですね。
小中学校のころ、夏休み読書感想文の宿題があり、おまけに課題図書というのが用意されていましたね。あれは厄介なものだったのですが、今でも思い出されるのは、「銀色ラッコの涙」。そのとき感激して読める本に遭遇するのはまったく「当り」くじを引くようなものかな。
もうひとつ私のとって大事なことを思い出したのですが、家族の中で唯一、父は本箱を持っていなかった。でも読むのはうまかった。本だけじゃなく、百人一首それに読経。そして父の残したものは、庭のつつじと芍薬、牡鹿半島の桜並木・・・でした。
逆に誰かに似合った本を選んであげるのは難しいですね。
小中学校のころ、夏休み読書感想文の宿題があり、おまけに課題図書というのが用意されていましたね。あれは厄介なものだったのですが、今でも思い出されるのは、「銀色ラッコの涙」。そのとき感激して読める本に遭遇するのはまったく「当り」くじを引くようなものかな。
もうひとつ私のとって大事なことを思い出したのですが、家族の中で唯一、父は本箱を持っていなかった。でも読むのはうまかった。本だけじゃなく、百人一首それに読経。そして父の残したものは、庭のつつじと芍薬、牡鹿半島の桜並木・・・でした。
中学に入って最初の理科の授業、理科の先生が「狼王ロボ」と言う本を読んでくれた、たぶんシートンの動物記からだったと思う。そのことで理科と畔上先生が好きになった。次の理科の時間は茶臼山へ桜を見につれていってくれた、花弁の研究???生物しかだめな 生徒だった、物理も化学も電気も しびれるだけのだめ生徒だった。
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kokouozumi at 2008-05-23 06:23
河西さんも、本に関する思い出がいっぱいあるのね。
「狼王ロボ」は私もすきだったな。
「狼王ロボ」は私もすきだったな。
作家の人には 申し訳ないけれど、この夏帰省したら「ブックオフ」行脚をする予定です、本が好きなのに 「けちって」ごめんなさい。
さかもと未明の「ローマ帝国」 寛太 さん うおさん が教えてくれた近所の「ケルト人博物館」から俄然 興味持ちました、
塩野七海 さん にも 挑戦します、おもろいおばさんでんな。
さかもと未明の「ローマ帝国」 寛太 さん うおさん が教えてくれた近所の「ケルト人博物館」から俄然 興味持ちました、
塩野七海 さん にも 挑戦します、おもろいおばさんでんな。
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kokouozumi at 2008-06-23 00:45
帰郷が楽しみですね。ローマやケルトの話、又教えてください。
by kokouozumi
| 2008-05-11 07:35
|
Comments(10)