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復活祭ですが、海その2

今日からドイツは復活祭の連休に入ります。キリストが十字架にかけられてから、三日後によみがえったことを祝うキリスト教の祭日ですが、そこにグレゴリオ歴とかユリウス暦とか、よく判らんのですが、天文学が加わり毎年祝日の日が移動します。ちなみに昨年は4月8日、今年は3月23日の日曜日、来年は4月12日です。

ドイツの春は黄色から始まるといわれています。白い雪景色の中に何時の頃から連翹の黄が目に付くようになり、復活祭のころは「復活祭の鐘」と呼ばれる黄色のラッパ水仙が、庭先や公園に次々花開くことになります。復活祭が春を実感する季節の節目でもあることは、日本のお彼岸に似ています。

17日はお彼岸の入り日ですと…このブログを覗いてくださった郷里の同級生からお便りがありました。「…始め渡波の風景とは思えなかった。ゆっくり見るとそれは船だまり、それに『つんしょ』だとわかってきた…」
復活祭ですが、海その2_d0132988_4423418.jpg『つんしょ』?テトラポットを沈める場所、沈所が訛って『つんしょ』と呼ばれるようになったのでは..と。しらなかった~。つんしょ、つんしょとつぶやいていると、だんだん懐かしくなってきました。郷里独特の語感があります。そう思ったらこの言葉に詰まっているものが一挙に頭の中に流れてきました。






「つんしょ」を突端に向かわず、逆戻りすると浜に続いています。
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その浜は長浜と呼ばれて、昔は文字通り広い砂浜から遠浅の太平洋の海が続く、絶好の海水浴場でした。私もまだ小学校に入る前から浜に通いました。家から浜までは子供が歩いて15分?か20分。家から水着になって、最初の水着は腰にひらひらのついた真っ赤な、まるで金魚のようなのでしたが、金魚になりきって、ぞうりをぺたぺたさせながら歩きました。母か叔母、祖母が必ず付き添いについてきましたが、日傘をさし、麦茶の入った水筒やちょっとしたおやつの入った籠を下げた彼女達の姿を想像すると、今も楽しさがこみ上げてきます。

その様に女性陣の付き添いは優雅なものでしたが、彼女達の都合がつかないとき、男達、父や祖父、伯父がついてくる場合もありました。その場合の思い出はちょっと喜劇的です。

砂浜の一角に日傘をさして坐っている女性達と違って、彼らは一緒に泳ぎます。まず父、この人は水に入ると、ツイスト踊りを始める。「おー何してる!父」とあっけに取られる私の目の前に、父は器用に足の指で捕まえた蛤を、誇らしげに掲げてみせる。「…」。

次に祖父、この人はスポーツ万能を自負する人だから、孫の付き添いという立場を忘れて、自分の技に没頭する。鼻を摘まんで、海の中に潜ったと思うと、孫が待てど暮らせど、たとえおぼれてしまっても、なかなか現れない。孫は祖父の捜索に忙しく、海水浴どころでなくなる。

そして伯父、これがまた付き添われたものにとって、たいへんな存在だった。何せ水泳部出身。だから姪っ子の扱いもそののりで来る。ゴムボートに乗せてくれるのはいい、だけど何でそれを沖でひっくり返すかね?波の中に投げ飛ばす、その他の鍛えでたらふく塩水をのんで、厳しい海水浴終了後、母だったら絶対に許さない「海の家」の掻き氷を食べさせてくれる。罪の意識も混じって、複雑においしいと思いながら氷水をすする私の頭の上で「あっ!きた!」と伯父は叫ぶ。何事かと伯父の視線を追うと…町で一番の美女N子嬢がやっぱり姪っ子を連れて、波打ち際を歩いている。もう一度伯父に視線を戻した時、既に伯父はさっき着替えたばかりの洋服を脱ぎ捨てながら、「一人で帰りなさいね」と言い残し、ぴょンぴょンはねていく後姿がありました。

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つんしょの突端と対岸の半島が、海を区切って、狭い通路となり出入りする船の玄関先になっていました。
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つんしょから内側は湾になっていて、漁港がありその横に漁から帰ってきた船の並ぶのが「船だまり」です。この名称も「つんしょ」同様、なつかしい響きがあります。。前回の「船だまり」写真、奥に写っていた白い橋の向うは万石浦という名の湾で、牡蠣だなが並ぶ場所です。

郷里で写した写真をやっとPCに取り込んでみたら、無意識にシャッターを切っていたつもりなのに私の思い出した事の舞台背景がちゃんと写っているではないですか。
Commented by 寛太 at 2008-03-23 07:47 x
景色を見て思い出を語れるなんてうらやましいな
自分の育った武蔵野の雑木林は跡形もなくなって住宅になってました

海やっぱりいいなー
本気で窯場 海辺に移すこと考えようかなー
でも いい年こいて 窯ほったらかしで町一番の美女追っかけてるかもね~
Commented by kokouozumi at 2008-03-24 06:50
広かった浜は無くなったものの、この海岸が埋め立てられることはないでしょね。春を書いたら、とんでもない寒気団が現在ドイツに居座って、へーリンゲン村も大変ですね。そちらの村一番の美人は?なんて探すと、猪のD子嬢とか猫のMちゃんの顔が浮かんできたり!!

Commented by 河西文彦 at 2008-03-27 06:10 x
もういくつ寝ると、同級会ところで、同級会と同窓会 使い分けてるの?
俺は同窓会には出たこと無いよ、同級会だけ。先日メールで「懐かしがってるのは 河西君だけかもよ?」って来たぞ。
Commented at 2008-03-27 06:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kokouozumi at 2008-03-27 06:54
私、ごっちゃにしていたかも!!河西さん
同窓は学校全体。クラス会は担任を囲んで、、それでその学年のが同級会ね。約45人のクラスが当時8クラスもあったから、350人以上!!
名簿を見ると大体の名前を記憶していますが、話したことのあるのはそのうち何人かな。遊んだことのあるのは…

河西さんも楽しみですね。
初めての修学旅行は会津若松でした。みんな、白虎隊記念館で木刀をお土産に買っていました。許されてるお小遣いで買えるのはそれくらいしかなくって。私は祖母に湯のみを買った。はは当時からその気があった。
Commented by 河西文彦 at 2008-03-27 20:57 x
そういうのを、「おばあちゃん子」と言うの!木刀 寛太さんから貰ったので毎朝(ほぼ?)素振りしています。白虎隊の城一回だけ行ったことあります「コンクリート製??」そこより以北に行ったことが無し。
Commented by tarutaru at 2008-03-31 14:03 x
『つんしょ』のコンクリートは本来、海の風景には合わないかもしれないね。砂浜がない海なんて許せない!
テトラポット自体の形は美しいし好きな形でもあるんだけど・・・
今の子供にとっての海には砂浜がないのでしょう。アサリやハマグリがかわいそうだし。今年は養殖アサリをしっかり食べさせてもらいました。
Commented by うお at 2008-04-05 09:41 x
Taruさんただいま!

砂浜は本当に少なくなりましたね。周囲の漁港を整備したりで、海流が変わったのが影響している、聞きました。

海辺の人々にとっては、チリ地震津波以降、コンクリート製のがっちりした防波堤がとってもたのもしいものに感じられるでしょうね。でも、昔土の土手を超えて砂浜に走り出すのが、どんなにワクワクしたか…

しまった、今回の帰郷でアサリ・ハマグリを食べ忘れた!
by kokouozumi | 2008-03-22 06:26 | Comments(8)

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