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物語はあるか








ホームセンターの駐車場で見つけた、あの車は物語で囲まれていました。描いたのは
何歳ぐらいの女性だったのだろう?物語を携えて、その物語を描写しながら生活している姿勢を、しばし考えてしまいました。車を目撃した同僚の寛太氏と、あのおばあちゃんを探してきて、お皿に絵付けしてもらったらどんなことになるだろうという話にまで発展しながら、ふと私達はあのおばあちゃんのように物語を携えているだろうか?と。

私達がそんな会話の中で、無言になり空虚を見つめた隙に、同居猫2匹はすかさずそのタイミングを捉えて、テーブルの上の皿に残るクリームとかバターとかパン屑の余韻に手を伸ばします。おっと待った!そう簡単に躾けを忘れる甘い飼い主ではないのよ。皿に延ばした手ごと抱きかかえられたメリーは、まるで瞑想にふけるブッタのような半眼の目で、「えっ、私は今何をしました?私はただ宙に手を伸ばしただけなのに、・・・」今ここに物語があるとしたら、ストーリーを次々生み出す彼女らの存在そのものに違いないと、爆笑。

そしてこの秋には、ケン・フォレットとジェフリー・アーチャーの物語を続けざまに文庫本で合わせて13冊読んでしまいました。両者とも20世紀を時代背景として物語を展開させています。ケン・フォレットの7冊は20世紀三部作のうち二部までのもので、先ごろ三部の完結編が出たばかりです。さすがに40人ものスタッフを抱えるフォレット事務所は英語版出版と同日にドイツ語版を出しています。(これはまだ読んでいない)
内容がドイツ東西の壁が築かれてから、壁崩壊までの年代ということで、早くもドイツでは、この三部目がベストセラーの1位になり、本屋さんでは英語版、ドイツ語版が山積みされています。一方ジェフリー・アーチャーの6冊もクリフトン年代記なる長編シリーズの三部までで、やはり先ごろ続きの第4部が世に出ましたが、こちらはまだ英語版のみです。

ストーリーテラーとかページテラーという、いかに読者の読む速度をアップさせる物語展開を創出しているかは、この両作家に言えることで、そうでなかったら私もこの10月の2週間に13冊(正確にはケン・フォレットの旧作3冊も読み返したので16冊)を読み下すことが無かったでしょう。

さてその後、それぞれの続編はどうなるのかと、両者のホームページを覗いてみると。
ケン・フォレットは16分のビデオインタビューの中で、20世紀三部作の核心をまじめに語っています。20世紀という時代が果たして読者の興味になりえるかと、疑問に思いながら構想していくうちに、20世紀にはそれ以前の時代にはなかったほど多くの人々が暴力の中で命を亡くしたこと。体制との戦い、女性の戦い、スペイン戦争そして二つの世界大戦。それらが過ぎ去ってさらに東西の冷戦。第三部の完結編は、彼らが何のために戦い続けたのかをタイトルにしているのですが、その物語を追い続けたケン・フォレットはビデオの最後で、嫌いだったニクソン大統領に対する認識を新たにした、と語っているところが隠し味かもしれません。

対決するジェフリー・アーチャーのページがまた傑作。彼のブログ記事というのがあるのですが、朝起きてすぐ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーランキングに目を通す、というような記載があります。クリフトン年代記の中でも、ベストセラー15位に入らない本の運命を説明している箇所もあり、そのような作中に実体験的ストーリーが紛れ込んでいるようなところに、同じイギリス作家としてケン・フォレットへの対抗意識が見えてくるようで、私は楽しめました。ケン・フォレットが教科書に出てくるような歴史上の出来事の中で、フィクションの人物像を自由に操り、今までに無い歴史を見せるプロフェッショナルなら、ジェフリー・アーチャーは自らの波乱万丈な人生から、幾つもの物語を語ってみせるという対決だろうか。アーチャーはこの長編シリーズを五部のサッチャー登場あたりで締めくくろうとしたが、どうしても主人公にあと30年活躍して欲しくなり最終的に七部まで続いてしまうらしい。

ケン・フォレット、ジェフリー・アーチャー、そりに車に描いているおばあさん。10月は物語を生み出し続けている人々に圧倒されつづけて。



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我が家のストーリーテラーたち










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by kokouozumi | 2014-10-20 06:35 | 人々 | Comments(0)

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