引越し完了 2013
2013年 10月 18日
新しい家での通信が可能になりました。
1ヶ月前テレコム(電話会社)に引越しの連絡をした際に、顧客番号、現住所、引越し先住所を伝えると、対応者はたちどころに双方の家の回線状態がわかってしまうらしい。「引っ越す先の回線はまだ解約されていません。しかも他の電話会社が入っています」やれやれ面倒なことだな・・とぼんやりしていると、電話の向こうでは「貴方のために特別チームを組織します。貴方は前の住人をご存知ですか?」前の住人・・ああシュテファンのことか、「え~と、名前は知っていますが、姓のほうはなんだったかな?」「xxさんです。」なんだ、他社と契約していた住人の名前まで判るんだ・・・。
結局シュテファンは引っ越す際にちゃんと解約をして、しかも外国に住むと伝えたにもかかわらず、契約期間がまだ数ヶ月残っているという理由で即時解約不可能だったという事情が、本人と直接連絡を取って判りました。
電話回線がつながるのは荷物を運び込んだ翌日。その日、特別チームとかの一団ではなく、たった一人の担当技師がやってきました。部屋の中の電話差込口と地下の配線盤になにやら計器を当て、それから10分ほど路上の箱(何の箱?)を調べに行って帰るなり「OK」の一言でルーターを接続。それだけで、スタンバイしていた私のパソコン上に接続マーク。今回はまったく私の出番が無い!というのは10年以上前初めてルーターなるものを装備した際には、テレコム職員(もちろん独逸人)が日本語バージョンのPCにルーターを認識させるために、彼がやりたい操作を代行しなければならず、2年前の引越しでは、電話で指示を聞きながら一人で操作することになりました。今回はもしもの場合のトラブルに対応する専門技師が派遣されたおかげで、楽な通信再開でした。
さて、引越し先ですが・・・初めてその家に案内された時、気になったのがこの地下室。
正確には地下2階部分というべきか、地下室にある木製の扉を開けるとさらに数段降りた場所。すっかり地中にもぐった位置のはずなのに、なぜか小さな窓が付いている。巨大なワイン樽が二つ並んで置かれ、ドイツの古い家によく見られる、地下の自家製果実酒倉らしいが、今では大家さんのジャガイモが保存されている。小さな窓が気になった。単なる窪みとしての用途なら、壁に続いて塗りこめてしまえばいいものを、なぜわざわざガラスがはめ込まれているのだろう?その向こう側は土に埋もれているようだが、実は何かの際、叩き割ればこの空間に空気が流れこむようになっているのだろうか?猫ならともかく人間が抜け出すには小さすぎる。「ここは戦争中空襲があると、家族が避難所にも使っていた」と案内人の説明。
この家の建築は1922年。第一次大戦直後に一市民がいざとなったら避難部屋になるよう酒蔵を設備したのだろうか?調べてみると確かに第一次大戦後、防空連盟というような組織が出来、雑誌を発行して民間人へ防空に関する提案をしたり、民家が防空手段を設備する場合、公的な補助が受けられる・・・という情報も提供していたらしい。が、補助金制度が効力を持つのは1927年以降のこと。1922年建設の家に防空を考えた設備をするのは早すぎる?
大家さんとジャガイモの話をした。あそこの保存状態は完璧なのだそうだ。「昔、冷蔵庫が無かった時代だから、そのような地下に埋もれた部屋を食料保存に利用した。外気に影響されない常温食料保管室ということ。当時はパンも各家庭で焼き、そこに保存していた。」さらに大家さんの説明によると、第一次大戦中の大問題は食糧難だったから、戦争直後に建築されたこの家にとっても、食料の保存が第一条件だった、ということだ。
だがやっぱり、あの小さな窓がいったい何か疑問は残る。ガラス戸の向こう側がレンガなのか、なになのか良く見えず、ガラスを割ってみたいと、一瞬思ってしまうような。
by kokouozumi
| 2013-10-18 07:00
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