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レンバッハ美術館の物語



ミュンヘン・レンバッハ美術館は2009年から改築のために閉館していた。増え続ける訪問者に対応できるよう、エントランス部分の増築が改築理由の一つだった。




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私も再び開館することを心待ちにしていた一人で、4年間の工事を終了し、今年5月の再オープンから約1ヶ月後、ミュンヘンでの仕事途中に、美術館閉館時間が17時ならぎりぎりの15時に、とにかく館内を一目見るだけでもと訪れたそこは、3つのチケット売り場とも、このような行列で30分ほど並ぶことになった。ミュンヘン市が管理する美術館は最近20時まで開館時間を延長するようになったので、15時は午後の訪問者ピーク時だったようだが、確かにこの美術館は人気があるらしい。

チケットを求めて並ぶ人々の背景にある黄土色の壁が、旧美術館建物の一部であり、増築はその旧外壁を内側に取り込むという方法で行われた。その黄土色の建物が美術館の名前に冠せられたレンバッハ氏の邸宅であり、改築前は表門をくぐり、庭園を横切って、画家であり貴族であったレーンバッハ氏がアントワープ・ルーベンスの家を真似したかったという支柱のある円形張り出しのバルコンから入るのだから、見学前からなかなか優雅な気分になれる美術館だった。そしてフランツ・レンバッハ自ら4000点も描いたという作品の一部と彼のコレクションの間をさ迷う内に、突如グループ『青い騎士』たちの作品群の部屋が出現するのだった。

増築後、黄土色の建物の一部を覆うゴールドのエントランスからは、『青い騎士』の部屋へ直接向かう裏道が堂々と用意されている。かつては階段踊り場に待機していた係り員がいちいち訪問者に示していたルートが、エントランス上方に一目瞭然の表示として掲げられている。多くの人々はそちらへ流れる。『青い騎士』が人気なのだろうか。彼らの作品群が持ち込まれたことによって、このレンバッハ美術館の知名度は世界的になった。だがそうなった経緯に潜むある男と女の出会い、二人の画家の遭遇から始まる物語に、あるいは人々の関心があるのかもしれない。

1877年ベルリン生まれのガブリエレ・ミュンター(Gabriele Münter)は1897年、二十歳になって、当時女子の方向としては稀有の絵画技法を学び始める。女性が芸術家としての道を究めることは難しかったはずだが、女流芸術家協会という門戸はすでに用意されてたいた。日本では明治というこの時代の女性たちを考えると、マイナーかもしれないが私は芸大出身女性漫画家、一関圭の作品を思い出してしまう。彼女はその時代に医者や画家へと、自分の道を求める女性たちを描いていた。
ドイツのミュンターさんもそのように、当時を突っ走った女性だったのだろうか。
デュッセルドルフ、コブレンツ、そしてミュンヘンへと学ぶ場所を移動し、それは受け入れてもらえる絵画学校を遍歴しながらということだが、絵画修行を積み重ね、やがて運命的な出会い、カンディンスキーが教鞭を取る絵画教室に所属する。
*1902年のこと、ミュンター25歳、カンディンスキー36歳、カンディンスキーがロシアでのキャリアを捨てて(弁護士)絵の道に入ったのは30歳になってから。画家としてのキャリアは殆ど同じ年数なのだが・・・
カンディンスキー率いる夏季講習という写真がある。彼の傍には女生徒ばかり写っているのだが、進歩的な教師であったカンディンスキーは女性たちにもきっちりと、芸術の本質を伝えようとしていた。彼の指導はミュンターにとって、画家としての道を切り開く大いなる力だった。いつの間にか個人的指導者のような彼に付き従ってミュンヘンからオランダ、イタリア、フランス、北アフリカまでも制作旅行を共にしている。
1909年、ミュンターはミュンヘンからアルプス山脈に近づいた、山の麓にある田舎町、ムルナウに小さな家を購入する。旅行の日々からミュンヘン近郊に制作基地となる場所を求めたのはカンディンスキーの意向でもある。

その家のことを私はフライブルクに住んでいた時、大家さんから聞いた。大家さんはガラス絵を描く人だったが、黒い森地方に伝わるガラス絵イコンは、基を辿るとロシアイコンにつながるということから、「カンディンスキーのガラス絵がそこにあるのだよ。しかし彼のガラス絵はバイエルンの農民芸術からの影響だが・・・」という話が忘れられず、いつか行ってみたいと願っていた家で、数年前にその機会を得た。

カンディンスキーはムルナウでその土地に伝わる農民芸術、家の家具に絵を描いてしまう風習に狂喜して、ミュンターと共に家の壁や家具にペインティングしてしまう。さらに彼らを訪れた画家仲間のヤウレンスキーが、その村の居酒屋で農民たちのガラス絵を発見した。ガラス絵はまず黒い線描によって対象物の形を分け、その中に明確な色彩が与えられ、絵全体がそれぞれの形に区分けされはっきりとした色彩によって輝きを持つ。ガラス絵のこの印象が、彼らの絵画技法に対する新たな研磨につながり、カンディンスキーやミュンターの画家仲間をマグネットのように結びつけ、フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、ハインリッヒ・カンペンドンクなどが、彼らの絵の中に新たな色彩の輝きというテーマを求め始める。

ミュンターにとって、ムルナウの家は、彼女の絵画的発想を刺激する場所に他ならなかっただろう。その場所にある自然から拾う色彩、その場所に住む人々の精神的よりどころ、それを捉えるパートナー、カンディンスキーの解説。カンディンスキーはその家に集まる仲間と共に『青い騎士』という新しい集まりを発足させた。その頃のクレーの日記に次のような記載を見つけた。
「・・カンディンスキー、この男は人をひきつける魅力に溢れている。1ブロック隣に住んでいる。・・・このロシア人の絵は対象のない、奇怪きわまる画だ。・・
カンディンスキーは、芸術家の新しい集まりを作ろうとしている。近所の酒場で偶然出会ってから、私は親しく付き合っているが、つきあえば、つきあうほど、彼にますます深い信頼感を寄せるようになる。彼は平凡な男ではなく、並外れて明晰な頭脳の持ち主なのだ。・・・私は『青い騎士』の仲間に入った。」

ミュンターもカンディンスキーという教師であり、パートナーである人間の傍で培われていた。その温床はしかし時代に押し流されてしまう。カンディンスキーは1915年、革命のロシアに消え去って後、ミュンターの元へは二度と戻ることが無かった。当時ロシアとドイツとの関係は怪しく、ロシア人のドイツ入国が許可されなくなり、ミュンターはスカンジナビアに出向いて、カンディンスキーとの再会の機会を待っていた1917年、彼がロシアで結婚したことを知った。

それから10年、ミュンターが失意のうつ病を克服して、再び制作に向かい始めた頃、カンディンスキーから、ムルナウに全部放り出して行った彼の作品返却を求められ、1年近く法的な争いをすることとなる。
*カンディンスキーから自分の作品の返却を求められたのは1922年、法的な結論が出たのは1926年。その間に法的な争いとなった年数はわからない。
結果的に大作の数枚を返しただけで、殆どの作品は彼女の元に残るが、それはある金銭的な代償というよりも、むしろミュンターのほうが家賃を払い続けてミュンヘンの倉庫に保管するなど、負担を背負いながらも、守るべきものを確保したということだった。さらに第二次大戦直前にはナチスの目から逃れるべく、当時ミュンターの新たな伴侶であった、美術史家のアイヒナー氏とともにムルナウの地下室に隠し持つことになった。戦時中ミュンターはアイヒナー氏と共にその家でひっそりと暮らしていた。

戦後50年代になって、アイヒナー氏はレンバッハ美術館館長と知り合いになる。それからさらに5年の歳月が過ぎ去った時、美術館長は初めてムルナウの家の地下室に案内される。翌年1957年、80歳の誕生日を機にミュンターは大事に隠し持っていたカンディンスキー90点を含む、『青い騎士』たちの作品と自分の作品、カンディンスキーの書簡や写真をレンバッハ美術館(ミュンヘン市)に寄贈した。それだけで終わらずアイヒナー氏と共名の基金を美術館長に託し、ガブリエレ・ミュンターが亡くなった4年後の1966年からその基金は活動権をもち、ミュンターが残した大いなる遺産(作品群)を基に、ミュンターとカンディンスキー及び青い騎士メンバーの画家たちに関する研究が続けられている。

蛇足だが、カンディンスキーはバウハウスの指導者として再びドイツに暮らしながら、ミュンヘン、ムルナウを再訪することはなかった。また戦前にその土地で制作した自分の作品を再び目にすることも無かったし、当時の友人たちとの交流も途絶えてしまった。しかし同じくバウハウスの教師となったクレーと再会し、昔の仲間ヤウレンスキーにファイニンガーを加えて、1924年デッサウにて『青の4人』を結成した。







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by kokouozumi | 2013-06-09 02:39 | 美術 | Comments(0)

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