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陶芸家の記憶






春を見つけるには、良い地図や優秀なナビを備えた車で走らなくとも、目を部屋中に走らせてみると  部屋の隅に蜘蛛の巣が気になりだしたら、それは春の光のなせるわざ。なんだかあわてて掃除しようかな、と思ったらそれが春との遭遇。

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この作品はスウェーデンの陶芸家、アストリット・アンダーバークさん作。日本で制作しているとき、このイメージは何処から出てくるの?と率直に質問したら、スウェーデン人の心には神話の世界があるのよ・・と彼女も極当然のように答えた。私はこの作品を譲り受けて、ドイツに持ち帰った。

アストリットさんと出会ったのは、ボーンホルムというバルト海の真ん中、スウェーデンとドイツの間に浮かぶデンマーク領の島。その島へ旅したのはドイツに来たばかりで、語学学校の寮に住んでいた頃。東西統一後、マイセン磁器は東ドイツの産業として、唯一生き残っているのはなぜか?そんな疑問を耳にしたが、当時の私には東ドイツの経済や産業を追跡するような感覚も、語学力もなく、マイセン磁器にとって肝心の磁器土はどこにあるの?と素朴に考えてみた。錬金術師がお城に幽閉されて、当時金と同じくらい価値のあったポーセラン(磁器土)を生み出すよう命令されたという、マイセン磁器発祥の物語は有名な話だが、『宇宙の秘薬』もしくは『賢者の石』を作り出さなければ別の工房、つまり拷問室行きだった、その錬金術師の話まで遡ることはよそう。マイセン磁器の主要成分カオリンはゼルブ(ローゼンタール発祥の地)から運ばれたらしいというので、その町に行ったこともある。その町でボーンホルム島という名を耳にした。そこのカオリンがマイセンやデンマークのロイヤル・コペンハーゲンで使われた・・・。

それだけの話でボーンホルム島へ行ってみたくなる理由は十分だった。しかし、その島に渡るべくドイツ北東の町サスニッツ(Sassnitz)までたどり着いたら、もう磁器土とかカオリンとか、どうでもよくなった。

語学学校のあるフライブルクはドイツ南西のはずれで、そこからドイツ北東のはずれサスニッツまで一体電車で何時間の旅だったのか?今となっては思い出せないが悠長な旅の末にたどり着き、その日はそこで一泊。翌日ボーンホルム行きのフェリーは、朝の便も昼の便もなくて夜中の22時出発とわかった!さらに、国際線フェリーの発着所は宇宙ステーションとは望まないけれど、エアポート並みのインターナショナルな対応、つまり24時間出入りできることが当然と思っていた。砂浜を歩いてたどり着いたサスニッツのそこは、発着所と思える家屋のドアが開かない。浜辺を通りかかった漁業従事者風の人から、船の出発2時間前まではその中に入れないと教えられた。ということは夜の8時まで・・・それまでどうすればいいのよ?貧乏旅行とバックパッカーを信条とする私は、重いリュックを呪いながら、陽のあるうちも、夕暮れも、日暮れても、ひたすら浜辺をうろうろしていた。しかし次の場所への移動に必要なこの時間待ち状態はボーンホルム島の中で、さらに何度も経験することになった。

もうポーセランなんてどうでもいい気分で、次の町まで一体何時間かかるのか、ということばかり心配しながらうろついていた時、島に住むたった一人の日本人女性に出会い、その方の案内でアストリッドさんの工房に。天井の高い工房の上半分は書架が取り囲んでいた。中2階のそこは作家であるご主人の仕事場と聞いたが、その姿は見かけなかった。ご夫婦はスウェーデンで暮らし、二人の子供達が独立したとき、ご主人の希望でボーンホルム島に移り住んだ。ご主人はシェークスピアに没頭し、アストリッドさんは土の動物を作りはじめた、と静かに説明する女性だった。

翌年、岩手県・藤沢町の野焼き祭りゲストをヨーロッパから、という3度目の要請を受け、アストリッドさんに打診した。70歳に近い年齢ゆえという、丁寧な断りの手紙を受け取った。

野焼きという方法を突然試すことは、プロの陶芸家にとって意外に難しいものである。自分の窯や釉薬を使わず、土の形だけを、低温の炎に任せてみると、高温焼成や独自の釉薬とともに切磋琢磨されてきた完成度の高いプロの形は、インパクトを失う場合もある。アストリッドさんの動物は、荒々しい土だけになってむしろ魅力を増すのではと、予想した打診だったので、残念だった。

1週間後、ボーンホルム島に住む日本人女性から連絡が入った。アストリッドさんがご主人と共にやってきて、やはり日本へ行くべきと考え直したとのこと。

コペンハーゲン空港で待ち合わせて、成田に飛んだ。
藤沢町で、一週間以内という短い制作が始まると、土が良くわからないといいながら、彼女は土から離れなかった。昼休み、気がついたら彼女は玉蜀黍を先からかじっている。アストリッドさん玉蜀黍は粒だけ食べたほうがいいよ。彼女の歯を心配するより、放心するほどの集中力に恐れ入った。そして3日目ぐらいに土が判ってきたと嬉しそうだった。最終日、無事焼きあがったアストリッドさんの犬を見て、池田万寿夫が『僕も犬を飼っています』と話しかけたが、英語のドッグが理解できなかった。ドイツ語でフントといってみたがダメだった。みんなでワンワンと啼いてみた。彼女だけがきょとんとしていた。彼女は土の犬に集中しすぎて、疲れ果てていた。

私が譲り受けた作品は、アストリッドさんが藤沢の土を理解した楽しさで、さっと作ってしまったものだ。スウェーデン人の心にある神話の世界をこんなに自由自在に土へ移し変えてしまった。

日本から持ち帰ったこの作品を、私はなぜか、台所や工房の片隅という目立たない場所へ置いてしまう。毎年光が変わる春、ある陶芸家に記憶されたものが、ここにある・・・と思い出している。









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アストリッドさんの犬は、今も藤沢の陶芸家の家で、番犬のように・・・
Commented by M野 at 2013-03-20 02:26 x
おお、なんと懐かしい。フィヨルドで吠えるオオカミの作品ですね。うおさんの所にいっていたのですか。

実はアンティエさんの残した藤沢町の犬ですが、今でもいます。ただ確か今は屋内犬になっていますが、以前は軒下ですが屋外に置かれていました。
東北なので、寒暖の差が激しく野焼き作品はあっという間に風化するものなのですが、アンティエの犬は風化せずに生き残っています。
確か焼成温度が少し高いように焚かれていたと思いますが、実はこれ結構凄い事です。作りがとっても良いと言う事ですよね。

さてうおさん。フィヨルドに吠えるオオカミに蜘蛛の糸がたれていますよ。彼の孤独はまぎれたのでしょうか。
Commented by うお at 2013-03-20 07:29 x
M野さん
この犬いいですよね。室内犬になって大事にされているらしいこと、嬉しいです。以前、だれか酔っ払ったお客様がこの犬に躓いた・・・という危ない話も聞きました。

実物の犬とほぼ同じ大きさのこの犬を、制作終了から数日以内に野焼きまでこぎつけるため、素焼きは必修だけど、電気窯では危険。そこで遠野の野焼き大家Kさんが呼ばれて、トタンの上で藁焼きをしたのではなかったかな?野焼きを取り仕切る藤沢町の人々が、一つ一つの作品に、経験を生かした配慮のある対策を、これまた非常な楽しみとして行っていたと思います。彼女の藤沢土に向かう情熱がそのように生き残ってきたのですね。

フィヨルドに吠えるオオカミは、今も孤独に吼えていますが、ずっと私に見つめられていることも、知っています。
by kokouozumi | 2013-03-18 06:24 | 陶芸 | Comments(2)

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