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ジョナサン・リテル  ホムスノート

10月27日
ついに初雪。みぞれ模様でほとんど積もらない。








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『ル・モンド紙(フランスの日刊紙)の仕事として、ジョナサン・リテルはレバノンからシリアに侵入取材した。既に1ヶ月のシリア滞在を実行しているカメラマンと共に、彼がコンタクトする情報提供者の同行によって自由シリア軍の拠点ホムスへ入り、約2週間の取材日記を2冊のノートに書き続けた。』

いくつかの新聞記事のためにメモしたこの2冊のノート全文がそのまま出版されることになった。7月はじめにまず電子書籍として英語版、ドイツ語版が発売されると、ドイツのさまざまなメディアでもこの本の紹介記事が幾つも出た。そのうちの一つを目にして、私が本屋さんに注文したのは7月末。新聞等で紹介された本は大抵翌日届くはずで、本屋さんも「明日取りに来て」といってから「あらっ!ちょっと待って、この本は8月末に出版予定です。一ヵ月後にしか届きませんが・・・」というような状況。

なぜ、ジョナサン・リテルの本がこのようにセンセーショナルに出版以前から取り上げられるのか?それはこの著者の衝撃的なデビュー作に因る。

日本語タイトル『慈しみの女神たち』(2006年出版)は匿名で出版社に持ち込まれ、すごいということになり、無名作家の作品ゆえ、出版社の宣伝キャンペーンはなかったが、読者の口コミによる評判でベストセラーとなり、同年フランスの文学賞二つを受賞してしまった。授賞式の会場へリテルは現れなかった。文学賞は作品が受賞するもので、必ずしも作者が姿を現す必要はない、というのがリテルの考え。

しかしリテルにはもう1つの顔がある。人道救援組織 Action contre la faim のスタッフとして、コソボ紛争からチェチェイン、グルジア、コンゴなど(1993から2001年まで)多くの戦闘地域で働いている。2008年のグルジア5日間戦争の際も、戦闘地域を旅した日記からまとめた記事がル・モンド紙とドイツのDie Zeit紙に掲載されている。
今回のホムスノートから抜粋した内容が、かなり長い記事として同様に上記2紙に掲載された。

チュニジアから始まった『アラブの春』がエジプト、リビアへと飛び火していく最中に、日本では地震・津波さらに原発事故が加わって、他の国に目を向ける状況ではなくなった。ドイツの報道でも2011年の前半は特に、日本の被災状況から国内の原発施設の見直し点検、原発ゼロ宣言そしてエネルギー問題というテーマが目に付くのみ。

気が付いたらシリアが・・・、というのが今年2012年になって誰もが感じた驚きではなかったか。そしてなぜ?どうして?そんなにシリア紛争が長引き、エスカレートしていくのか、という疑問に対する回答をみんなが探り始めた頃、リテルのホムスノートだった。ジョナサン・リテルに、この紛争の行方を聞かなければ!と、どの記事もそのようなニュアンスがあった。

インタヴューに対するリトルの受け答えは非常に明快でわかりやすかった。だから私まで、その『ホムスノート』を注文するに至ったのだが。

まずアラブ諸国のイメージとして、民族やら宗教やら、それに手ごわい聖戦のテロリストたちが登場するに違いないと、計り知れない複雑な背景をイメージしていたのだが、

(シュピーゲル2012年7月のインタビューから)
リトル:
紛争の始まりは宗教や民族の争いではなく、経済と社会から起因するもの、労働者階級の、省みられない自分たちの生活に対する不満からだった。アサド大統領の転倒が、彼ら不満者たちの、はじめの目的ではなかった。彼らは曖昧な民主化の草案ではなく、公正さを望んでいた。しかしアサド政府はまず、宗教や民族的な争いというカードを持ち出し、スンニー派ではない他の少数民族、アラビア人、イスマイル派、ドルーズ派回教徒、キリスト教をひとつに溶かし込もうとしていた。アサド政府が社会改革への道を選択したなら、この反乱ははじめの段階で簡単に抑えることが出来ただろう。

今はもう生死をかける戦いになってしまった。
政府軍と情報機関は反乱を完全に鎮圧するには、十分な力を持たない。脱走兵が増え続けていることがそれを物語る。しかし反乱側も外部からの助けなしに勝利できるほどの力を持たない。私は基本的にペシミストなので、聖戦の戦士たちが近辺から集まってくることも、可能性以上の起こりえることと考えるが、それは非常に良くない終わり方だろう。最悪の事態は、長い消耗戦の末に国土がまったく荒廃することだ。

アサドと彼の取り巻きたちは、最後の逃げ道としてシリアの細分化を考えているのではないか。かつてのレバノンと同じ絵だ。(70年~80年のレバノン紛争によって、首都のベイルートが宗派地域に分断され、無人地帯となった。) 

100万都市(60万から120万と人口ははっきりしない)Homs(ホムス)は現大統領の父親の政権時代にも反抗が起こった場所。それは悲惨な敗北の結果に終わった。今その時の反乱者の息子たちが、40年前に父親が担った、死ぬ覚悟の戦いを受け継いでいる。  :






アサド政権の最後の砦はTartous(タルトス)になるのだろうか、既にダマスカスナンバーの高級車の群れが、その町へ集まり始めているという。(やはり今年7月の他の記事から)




『ホムスノート』は240ページほどの小型本だが、私は仕事場へ往復する電車の中しか読む時間がなく、1ヶ月かかって読んだ。疲労してくる精神状態が発熱や咳となって、日々のメモを続けるリテルを苦しめるが、読んでいるほうも後半は次第に疲れてくる。

リテルは2月2日、ホムスを離れ、またベイルートに戻る。数日間、着の身着のままの状態だが、着替える間も惜しんで、最後のメモを書き続ける。ベイルートから飛行機が飛び立ってしまえば、もうホムスのことは過去のことになってしまう。自分はそのようにホムスから逃れることが出来るが、あの場所に留まり続ける時間と人々が過去のことになってしまう前にと、書き続けられたノートだった。






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ホムスノートには一枚の写真も使われていない。これはインタビュー記事に掲載されていたもの。
Commented by 河西文彦 at 2012-10-28 14:03 x
戦場写真と言えばキャパ 死か思い浮かばない 古い人間にとって あれから半世紀以上たっても地球上に戦争の絶えない 状況に 吃驚。
あちこちで戦闘が有りながら パラレルに 存在するのが平和です・。
浜の真砂と五右衛門が言ったと通り 悪事も戦争もなくならないのが現実  悲しいね。
Commented by うお at 2012-10-29 09:53 x
河西さん
そちらは初雪ありましたか?
こちら、昨日の夜にも降り続け、今朝は窓の外が白くなっていていました。紅葉した樹木と雪が一緒の景色はあまり見たことがないね、とみんなで話しています。それにしても先週の日曜日が20度以上の陽気でしたから、落差激しいです。

戦争を知らない子供達!と高らかにうたって育ったはずなのに、気が付けば戦争だらけです。
いつだったか、ニュースでどこかの戦争を伝えているテレビ画面を、母と一緒に眺めていたことがありました。戦争を知っている母が、老いてもこんな場面を見ていることが、かわいそうだと感じたものです。

電車の中でホムスのドキュメントを読む・・自分の姿は平和そのものですが、ノーベル平和賞を受けたEUユニオンにとりあえず感謝かな。
Commented by 河西文彦 at 2012-10-30 04:04 x
実際の終戦も戦後のごたごたも(東京の)みたことがない!けれど貧しさを通して追体験をしている、今では それが懐かしくさえ感じられるのはどういうことか? あのころはみんな(ほとんどの日本人)が貧しかった。喉元過ぎれば熱さを忘れる!と言うことか?世の中悪いことも有れば良いこともあるって事かな物事ザッハリッヒだけでは考えられない。
Commented by うお at 2012-10-31 08:50 x
河西さん
日本の昭和が、今となってはとても豊かな時代に思い出されるのは、確かに貧しさに裏打ちされた平和だったかもしれません。何しろこれまでなかったものが、次々生活の中にもたらされたのですから。初めて電球ではなく蛍光灯が灯った部屋の都会的な明るさ、テレビの入った茶の間、水道のある風呂場。物以上に周りの人々が一緒に喜べるという暖かさがありました。増えることをよしとする、まさにプラス思考。

今は飽食、溢れる物さらに過剰な情報(といわれていますが)のなかで、人々が一緒に喜ぶことは難しい。通信の距離感もあるしね。

ジョナサン・リテルのホムスノートは、過剰な情報の中で、人道に反する判断が歴史を作っていくことへの反論だと思います。
単純に公正な世の中を求める声、不満に対してシリア政府は抑圧という答えしか出さなかった。その背後にはどんな複雑な理由があるのかわからない。世界のその国にやらせておけば、という見方。その判断を証明するものは何なのか?そうしているうちに多くの人々が死んでいく。

Commented by うお at 2012-10-31 08:54 x
続き

外部では多くの情報から仮説を立てて判断する。内部に侵入して事実を見ようとするジャーナリストは、その仮説証明をむしろ次々消去して、ほんとに苦しめられているのは誰か、なにかを明らかにする使命があるのではないか。

そのマイナス方法を世に伝えることは、難しいかな。
マイナスの時代を知っている、私たちなら・・。
by kokouozumi | 2012-10-28 06:27 | Comments(5)

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by kokouozumi