通過地点から視察出発
2011年 01月 17日
今日もこの橋を通過しました。
帰り道なので余裕でカメラを取り出そうとしたら・・・忘れた!
実は前回、カメラの電池切れで2枚しか写せなかったので
今日は張り切っていたのに
あんまり天気の良い日曜日なので、一仕事終えた夕方また橋まで
4時半に出発、途中でどんどん陽が傾いてくる、間に合うかな
前回のモニュメントの反対側。両者とも町の中心に近いほうの橋の袂です。
裏側
それで牛さんと男
牛さんと女
これで4つの彫像が出揃いました
橋の下のドライザムは今日も速い流れです。
向こうにも橋が見えます
牛の橋から下に降りてみました
絵葉書と同じ位置から
頭上に鉄道が走る二つの橋を通り過ぎ
次は大学に通じる橋
そこも通過
次は町の中央どうりに通じる橋
そこから上に戻る頃には
街灯が灯り始め
橋の上はすっかり夕暮れ
さらに町の中心に達する頃には
すっかり夜の色です
橋の袂に到着したのが5時10分前
この地点で5時45分です。
帰り道なので余裕でカメラを取り出そうとしたら・・・忘れた!
実は前回、カメラの電池切れで2枚しか写せなかったので
今日は張り切っていたのに
あんまり天気の良い日曜日なので、一仕事終えた夕方また橋まで
4時半に出発、途中でどんどん陽が傾いてくる、間に合うかな
前回のモニュメントの反対側。両者とも町の中心に近いほうの橋の袂です。
裏側
それで牛さんと男
牛さんと女
これで4つの彫像が出揃いました
橋の下のドライザムは今日も速い流れです。
向こうにも橋が見えます
牛の橋から下に降りてみました
絵葉書と同じ位置から
頭上に鉄道が走る二つの橋を通り過ぎ
次は大学に通じる橋
そこも通過
次は町の中央どうりに通じる橋
そこから上に戻る頃には
街灯が灯り始め
橋の上はすっかり夕暮れ
さらに町の中心に達する頃には
すっかり夜の色です
橋の袂に到着したのが5時10分前
この地点で5時45分です。
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寛太
at 2011-01-17 09:00
x
ほっほーー
なんだか ワイン組合 金属鋳物鋳造組合 石工コンクリート組合 そして畜殺場の寄付でできたモニュメント???
こういう感じの像ははまだ東ドイツに残ってる気がするなー 本はギリシャ ローマなんだけどドイツ人が作るとやたら雰囲気が重く暗くなる
今日の夕暮れはこっちもきれいでした
なんだか ワイン組合 金属鋳物鋳造組合 石工コンクリート組合 そして畜殺場の寄付でできたモニュメント???
こういう感じの像ははまだ東ドイツに残ってる気がするなー 本はギリシャ ローマなんだけどドイツ人が作るとやたら雰囲気が重く暗くなる
今日の夕暮れはこっちもきれいでした
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すみません パソコンが ストライキです、送信できないのにコメントが4と表示されてます。 彫刻と橋 彫刻と噴水 中世を懐かしんでたのです。
女さかしゅうして 牛売りそこなう。と橋の無い川 それにしても フライブルグには一度 お邪魔しないと なりませんね。面白そうな街ですね
女さかしゅうして 牛売りそこなう。と橋の無い川 それにしても フライブルグには一度 お邪魔しないと なりませんね。面白そうな街ですね
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M野
at 2011-01-17 21:16
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ぽっぽー、今回は鳩がいない。
牛欲しさに必死に働く人と、牛飼いたちにも見えますね。
とよく見ると、初めのときと像の向きが違うような。そして写真で見ると量感豊かに感じたこの彫刻、実はかなり薄いのですね。牛がぺったんこ。下から見た写真で、同じ橋だと思わないで見過ごす所でした。ドイツだから重苦しいというより無理難題言われて無理くり作った結果のようにも思えます。
牛飼い男女が、中性的なのが気になる…
牛欲しさに必死に働く人と、牛飼いたちにも見えますね。
とよく見ると、初めのときと像の向きが違うような。そして写真で見ると量感豊かに感じたこの彫刻、実はかなり薄いのですね。牛がぺったんこ。下から見た写真で、同じ橋だと思わないで見過ごす所でした。ドイツだから重苦しいというより無理難題言われて無理くり作った結果のようにも思えます。
牛飼い男女が、中性的なのが気になる…
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寛太
at 2011-01-17 23:31
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それぞれが気になるとこ違うんですなー
コンクリートうちの流し込みが適当というか よくぼうで突っつかないから線と空気が入っちゃってますよね うちの所長はこれにはうるさかった 打ちっぱなしに線入れるなって
男性はともかく 女性のほう胸はぺったりだし色気ないなーって思ってました 同感です
牛がぺったんこなのは 基型を立体で作らず 平面のレリーフで作ったからでしょうね 作業工程が見えるようでうれしいご指摘ですよM野さん
コンクリートうちの流し込みが適当というか よくぼうで突っつかないから線と空気が入っちゃってますよね うちの所長はこれにはうるさかった 打ちっぱなしに線入れるなって
男性はともかく 女性のほう胸はぺったりだし色気ないなーって思ってました 同感です
牛がぺったんこなのは 基型を立体で作らず 平面のレリーフで作ったからでしょうね 作業工程が見えるようでうれしいご指摘ですよM野さん
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うお
at 2011-01-18 07:39
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河西さん
パソコンストライキは内輪で起こっているみたいですね。こちらには1通しか入っていません。大丈夫ですよ。
『女さかしゅうして 牛売りそこなう』といういわゆる男社会が通用し、男女の差別があった時代に『橋の無い川』という社会差別も生まれていますね。なにか1つに序列をつけてしまうと、とどまることがない。サッチャー、クリントン、メルケルと・・牛を売る女が登場しても、DNAの戦いが結論を出しても、まだ夢見る男たち!
フライブルクのドライザムは地図で数えたら20以上の橋がありました。橋を行きつ戻りつしながらこの土地の人々は生活していることになります。ただ昔ほどドライザムの流れが、地域差を分け隔てしていない現在です。
パソコンストライキは内輪で起こっているみたいですね。こちらには1通しか入っていません。大丈夫ですよ。
『女さかしゅうして 牛売りそこなう』といういわゆる男社会が通用し、男女の差別があった時代に『橋の無い川』という社会差別も生まれていますね。なにか1つに序列をつけてしまうと、とどまることがない。サッチャー、クリントン、メルケルと・・牛を売る女が登場しても、DNAの戦いが結論を出しても、まだ夢見る男たち!
フライブルクのドライザムは地図で数えたら20以上の橋がありました。橋を行きつ戻りつしながらこの土地の人々は生活していることになります。ただ昔ほどドライザムの流れが、地域差を分け隔てしていない現在です。
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うお
at 2011-01-18 08:06
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M野さん
ほっほー、ぽっポー・・て何ですか?合言葉?これで金庫の扉でも開くのでしょうか。
はとは牛さんや大変なお仕事をしている人たちと遊んでいましたが、夕方になって「いけない!早くお手紙配達しなくちゃ」と飛んでいきました。
この彫像の台座の縦幅2mありますね。実際の牛の幅はどんなもんでしょう。薄っぺらにみえるとしたら私の写真のせいです。
それと牛の喉元あたりの厚み表現がネックかな。いつも通りすがりに眺めて、牛の量感を感じる彫像ですよ。
「あら凛々しい男性」と思ったら女性で、「美しい人」と思ったら男性だったりすることしばしばではありますが、制作過程で雛形共有してなかった?とうふふ思います。
ほっほー、ぽっポー・・て何ですか?合言葉?これで金庫の扉でも開くのでしょうか。
はとは牛さんや大変なお仕事をしている人たちと遊んでいましたが、夕方になって「いけない!早くお手紙配達しなくちゃ」と飛んでいきました。
この彫像の台座の縦幅2mありますね。実際の牛の幅はどんなもんでしょう。薄っぺらにみえるとしたら私の写真のせいです。
それと牛の喉元あたりの厚み表現がネックかな。いつも通りすがりに眺めて、牛の量感を感じる彫像ですよ。
「あら凛々しい男性」と思ったら女性で、「美しい人」と思ったら男性だったりすることしばしばではありますが、制作過程で雛形共有してなかった?とうふふ思います。
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うお
at 2011-01-18 08:15
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寛太さん
この4つのモニュメントは何か共通の基本構造から、はめ込み絵みたいに制作したのではないかと思いました。基本形が共通していません?一番最初に出てきた彫像が中央に円形を描きその回りにねじり構造があるので、他とは違った印象と影の効果で量感を感じます。
コンクリート製法のことはわからないのですが、もしかしたら中を空洞にするため、共通の基本形体が必要だったのでしょうか。
いわゆる、中型と外型のある鋳込みのような流し込みだと、突っつきが思うように出来ないのかも。
この4つのモニュメントは何か共通の基本構造から、はめ込み絵みたいに制作したのではないかと思いました。基本形が共通していません?一番最初に出てきた彫像が中央に円形を描きその回りにねじり構造があるので、他とは違った印象と影の効果で量感を感じます。
コンクリート製法のことはわからないのですが、もしかしたら中を空洞にするため、共通の基本形体が必要だったのでしょうか。
いわゆる、中型と外型のある鋳込みのような流し込みだと、突っつきが思うように出来ないのかも。
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うお
at 2011-01-18 08:24
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寛太さん
そうね、「労働せよ!」的モニュメント東ドイツにあったら取り壊されそうですが、フライブルクだと珍しがられて見逃されそうですね。
私のよく通る道沿いには、あの巨大蛇口とホースとか日々目にして、嫌になる類のモニュメントが少ないように思うのですが、その辺ちょっと、意識して動いてみようかな。
そうね、「労働せよ!」的モニュメント東ドイツにあったら取り壊されそうですが、フライブルクだと珍しがられて見逃されそうですね。
私のよく通る道沿いには、あの巨大蛇口とホースとか日々目にして、嫌になる類のモニュメントが少ないように思うのですが、その辺ちょっと、意識して動いてみようかな。
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M野
at 2011-01-19 19:54
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前回の彫像の上に止まっている鳩が面白くって、ぽっぽーー
写真の取り方ではなく、橋の下からの写真から推察されるのは、最大幅が2mとすれば奥行きは1.5m程度だと思いますよ。
そこで更に推察。石橋のときにはスピードが遅かった。そこで橋内側からよく見えるように彫像は制作された。現在の牛像は今と違い橋に向かって左右対称、人物が橋を向くように出来ていた。これは絵はがきからも類推される。フライブルグ側の工人の造形もそうだったと思います。これを架け替えにあわせて90度ひっくり返したのが今の姿なのでは無いのでしょうか。それは自動車のスピードにあわせた彫像の見せ方だったと思います。
薄っぺらいから特にそうなったとも言えます。
次に寛太さんはコンクリート鋳造彫刻と考えていますが、これは砂岩の可能性は無いのでしょうか。石の層の出来方や、苔が脈に入る加減がコンクリートには無いものを写真から見ています。ただこの辺りの時代、新進の技術をわざわざ使う事がある、形を作る時間を無視するような、そんなのがあるのでよくわからないのです。ぜひご高説を。
牛像にある白い部分がなぜ出来たのかが気になっています。
写真の取り方ではなく、橋の下からの写真から推察されるのは、最大幅が2mとすれば奥行きは1.5m程度だと思いますよ。
そこで更に推察。石橋のときにはスピードが遅かった。そこで橋内側からよく見えるように彫像は制作された。現在の牛像は今と違い橋に向かって左右対称、人物が橋を向くように出来ていた。これは絵はがきからも類推される。フライブルグ側の工人の造形もそうだったと思います。これを架け替えにあわせて90度ひっくり返したのが今の姿なのでは無いのでしょうか。それは自動車のスピードにあわせた彫像の見せ方だったと思います。
薄っぺらいから特にそうなったとも言えます。
次に寛太さんはコンクリート鋳造彫刻と考えていますが、これは砂岩の可能性は無いのでしょうか。石の層の出来方や、苔が脈に入る加減がコンクリートには無いものを写真から見ています。ただこの辺りの時代、新進の技術をわざわざ使う事がある、形を作る時間を無視するような、そんなのがあるのでよくわからないのです。ぜひご高説を。
牛像にある白い部分がなぜ出来たのかが気になっています。
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寛太
at 2011-01-20 01:32
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前回この工事を請け負ったのがフライブルクのコンクリートの草分け業者と魚さんが書いていたので 他は考えもしませんでしたが ふーむ
あっしにはコンクリートにしか見えませんが、、、
石にしては(素材にもよりますが)線が甘くみえます
今度行ったら近くで見てきますね
あっしにはコンクリートにしか見えませんが、、、
石にしては(素材にもよりますが)線が甘くみえます
今度行ったら近くで見てきますね
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うお
at 2011-01-20 07:24
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M野さん、寛太さん
いつも私の書き込みが遅くなりごめんなさい。
え~と、1970年に橋が架け替えられて、彫像だけが「細いコンクリートの柱の上に90ど向きを変えて置かれた・・」という説明を初めに見つけたときは、では1912年の橋はコンクリートではなかったのかと思ったのですが、
コンクリート専門の建設会社のことをあとから見つけ、その中で
1912年の彫像と橋はコンクリート製だったことが判りました。牛が畜殺場にひかれていく場面ということも、その会社の説明にありました。工人も農業にかかわる仕事の場面らしいのですが、何をしているところ?というのはまだ不明です。
絵葉書の色がどれだけ本物に近いのか疑問ですが、橋の色が結構白っぽいですよね。現在の縞模様は汚れ、あるいは汚れにくい場所、酸性雨が当たらない場所?なども原因かもしれません。
昔と今の交通速度の違いから向きが変わったという推測なるほどと思いました。ドライザムの両サイドは片側2車線の道路が互い違いに走り、橋によって交差していますから、街中のどこに入り込むか、または街中から何処へ出たいかを知っているフライブルク市民にとっては、標識以上に目立つ牛橋の存在かもしれませんね。
いつも私の書き込みが遅くなりごめんなさい。
え~と、1970年に橋が架け替えられて、彫像だけが「細いコンクリートの柱の上に90ど向きを変えて置かれた・・」という説明を初めに見つけたときは、では1912年の橋はコンクリートではなかったのかと思ったのですが、
コンクリート専門の建設会社のことをあとから見つけ、その中で
1912年の彫像と橋はコンクリート製だったことが判りました。牛が畜殺場にひかれていく場面ということも、その会社の説明にありました。工人も農業にかかわる仕事の場面らしいのですが、何をしているところ?というのはまだ不明です。
絵葉書の色がどれだけ本物に近いのか疑問ですが、橋の色が結構白っぽいですよね。現在の縞模様は汚れ、あるいは汚れにくい場所、酸性雨が当たらない場所?なども原因かもしれません。
昔と今の交通速度の違いから向きが変わったという推測なるほどと思いました。ドライザムの両サイドは片側2車線の道路が互い違いに走り、橋によって交差していますから、街中のどこに入り込むか、または街中から何処へ出たいかを知っているフライブルク市民にとっては、標識以上に目立つ牛橋の存在かもしれませんね。
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M野
at 2011-01-20 21:30
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コンクリート製でしたか。今一瞬頭の中でメンドクサイという言葉が出てきました。だって塑像を作って形を取って、コンクリート(この場合はモルタルというべきかもしれない。砂利を含んでいないだろうから)を流し込むのですから手間暇かかってるでしょう。
石を切り出して運んで彫って、のほうが当時ではコストが安いように思えるのですが。やっぱり新進の技術だからでしょうか。
層の出来方は、一回に流し込むモルタルの量が少なかった事と、硬化するのを待ってモルタルを継ぎ足したため分離層が残った事、回数を重ねて鋳造した結果モルタルのロットむらがあったことでしょうか。
恐ろしい考えですが、もしかすると小手で作られた?チョい塗って固まった所でチョイ塗って?
この像は99歳ですか。コンクリート製だと思うとかなりの長生きです。
石を切り出して運んで彫って、のほうが当時ではコストが安いように思えるのですが。やっぱり新進の技術だからでしょうか。
層の出来方は、一回に流し込むモルタルの量が少なかった事と、硬化するのを待ってモルタルを継ぎ足したため分離層が残った事、回数を重ねて鋳造した結果モルタルのロットむらがあったことでしょうか。
恐ろしい考えですが、もしかすると小手で作られた?チョい塗って固まった所でチョイ塗って?
この像は99歳ですか。コンクリート製だと思うとかなりの長生きです。
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うお
at 2011-01-21 07:30
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M野さん
石からコンクリートに移行したのは構造上の新しさということでしょうか。この橋は塑像という装飾要素もコンクリートで作ってしまえというあたり、コンクリート技術の草分け会社による邁進だったのか・・・と今回の話題から考えさせられます。
コテの仕上げはありえると思います。、型から起こしたらしい甘い稜線と、明確な深く切り込まれた形とが混在しています。部分的に後から手をいれたのかと思えます。ただ後から表面を漆喰で塗りこめることなく、コンクリートの時間差のある仕事がきれいな一体感をもつ表面を作るのかどうか?技術的なことに無知なため断言できません。
99歳というと、いずれ崩れ落ちるようなことがあるのかな。そこで一瞬思い出すのが、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』私が記憶しているストーリーの最後は、王子のために働き、南国に行きそびれたツバメが死んだとき、金箔を剥がされた王子の像も崩れ落ちてしまう・・・のでした。
あの鳩たちはまさか、そんな使命を受けていたわけではないよね。ルビーもサファイアの目もはじめからなかった・・。
石からコンクリートに移行したのは構造上の新しさということでしょうか。この橋は塑像という装飾要素もコンクリートで作ってしまえというあたり、コンクリート技術の草分け会社による邁進だったのか・・・と今回の話題から考えさせられます。
コテの仕上げはありえると思います。、型から起こしたらしい甘い稜線と、明確な深く切り込まれた形とが混在しています。部分的に後から手をいれたのかと思えます。ただ後から表面を漆喰で塗りこめることなく、コンクリートの時間差のある仕事がきれいな一体感をもつ表面を作るのかどうか?技術的なことに無知なため断言できません。
99歳というと、いずれ崩れ落ちるようなことがあるのかな。そこで一瞬思い出すのが、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』私が記憶しているストーリーの最後は、王子のために働き、南国に行きそびれたツバメが死んだとき、金箔を剥がされた王子の像も崩れ落ちてしまう・・・のでした。
あの鳩たちはまさか、そんな使命を受けていたわけではないよね。ルビーもサファイアの目もはじめからなかった・・。
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寛太
at 2011-01-21 07:42
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どのようなコンクリートの流し込み作業だったか想像つきませんが 層のでき方から 1回の量がさほど多くないことがM野さんのご指摘どおりわかりますね 亀裂のように入っているところはお昼の休憩時間かな
かなり時間の差がありますね
こんな大きな像だって 大きなバケツさえあれば高いところにでも簡単に作れます ってなコンクリート業者の宣伝文句が聞こえてくるようですな
時間的には彫るほうがずっと手間暇かかると思うけど、、、
99年確かに持ちましたねー 今のうちもう一度型取っておいて 崩れかかったらまた流し込めばいいんじゃないかな
かなり時間の差がありますね
こんな大きな像だって 大きなバケツさえあれば高いところにでも簡単に作れます ってなコンクリート業者の宣伝文句が聞こえてくるようですな
時間的には彫るほうがずっと手間暇かかると思うけど、、、
99年確かに持ちましたねー 今のうちもう一度型取っておいて 崩れかかったらまた流し込めばいいんじゃないかな
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M野
at 2011-01-21 19:22
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本当にこのコンクリートの流し込み作業は不思議ですね。型は上下逆で鋳込んでいったのでしょうか。型が丈夫だったらこれが一番現実的なのですが。一番考えにくくて現実にはこれかと思うのは、ざっくりと塑像をを作ってそれを薄くスライスしその形に合わせた板を何枚も作り、コテでモルタルを重ねて行き、固まったあたりで型を外して削って仕上げをしたのかなと。この像には鉄筋が入っていればこのやり方しか無いのかなと思います。
そういえばタコのパウル君の記念碑が出来たらしいですね。写真で見ましたが、ちょっとリアル過ぎて、これはこれでドイツ的なのかなと。
そういえばタコのパウル君の記念碑が出来たらしいですね。写真で見ましたが、ちょっとリアル過ぎて、これはこれでドイツ的なのかなと。
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うお
at 2011-01-22 04:22
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M野さん
建築物のコンクリート流し込みは、その場所にそのものが残されるのですから上下逆というわけにはいかない。彫像の場合はどうかというと、始めの精巧な彫像から、上下どころか左右前後あらゆる方向から型抜きしやすいパーツに分けて外型が作られ、コンクリートが流し込まれたら、左右前後あらゆる方向の型が取り外される・・のでしょう。これはブロンズ像の時代からおこなわれている方法です。ただ流し込むものが石膏なのか、ブロンズなのか、コンクリート(モルタル)なのかによって、型との剥離材が選択されたのでしょう。この剥離材が効いていないと型と中味が一体化してしまう災難が起こります。
この型鋳込みの方法は『幸福の王子』のような彫像が13世紀に登場した時点で確立されていたのですね。原作では王子の崩れた鉄の破片は、心無い市民によって又溶かされちがうものが形作られたとのことです。ただ鉛の心臓だけは天使がゴミ箱から拾い神に届けた。・・パウル君のこころも密かに天使ゴミ箱から拾っているのかもしれません。
彫像、形というものに何を見るかということ、あるいは制作者が何をこめるかということの陰で多くの心臓がゴミ箱に・・・?
建築物のコンクリート流し込みは、その場所にそのものが残されるのですから上下逆というわけにはいかない。彫像の場合はどうかというと、始めの精巧な彫像から、上下どころか左右前後あらゆる方向から型抜きしやすいパーツに分けて外型が作られ、コンクリートが流し込まれたら、左右前後あらゆる方向の型が取り外される・・のでしょう。これはブロンズ像の時代からおこなわれている方法です。ただ流し込むものが石膏なのか、ブロンズなのか、コンクリート(モルタル)なのかによって、型との剥離材が選択されたのでしょう。この剥離材が効いていないと型と中味が一体化してしまう災難が起こります。
この型鋳込みの方法は『幸福の王子』のような彫像が13世紀に登場した時点で確立されていたのですね。原作では王子の崩れた鉄の破片は、心無い市民によって又溶かされちがうものが形作られたとのことです。ただ鉛の心臓だけは天使がゴミ箱から拾い神に届けた。・・パウル君のこころも密かに天使ゴミ箱から拾っているのかもしれません。
彫像、形というものに何を見るかということ、あるいは制作者が何をこめるかということの陰で多くの心臓がゴミ箱に・・・?
by kokouozumi
| 2011-01-17 06:21
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