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新年早々  ドイツでは

1月6日。クリスマス飾りはその日まで、さあさあ日常に戻って!と市のゴミカレンダーにはその後の2週間に地域ごとの『もみの木』回収日が定められていたりします。寛太ブログによるとトラックが鈴を鳴らしながら集めに来たとのことですが、私はもみの木を用意したことが無いので回収の様子もついぞ知らないでいました。1月6日はしかし、クリスマスから正月へと続いた休暇気分の最後の日と片付けてはいけない・・・私が最初に体験したときは面食らった・・キリスト教文化における大事な行事があります。

玄関先で呼び鈴がなり、休日なのに何事?とドアから顔を出した私の目の前に、子供たちがずらり。「*+@-%&&していいですか?」咄嗟のことに何を要求されたのか、あるいはしたいのかわからないまま、そこは日本人だから思わず「やー」と答えます。
すると子供たちはいっせいに!元気よく歌いだしました。さすがに私も、それがわらべ歌ではなく賛美歌の一種であることはわかりました。「おー、なにかこれは聖なるおこないに違いない。これは一つお賽銭・・じゃなかった・・門付け芸人へのご祝儀・・というのとも違う・・けど何かせねば」と、歌を熱心に聴いている風を装いながら、頭の中ではこの子供たちのアクションに対する正しいこちらの対応というものを、大急ぎで判断していました。「ちょっと待ってね」と言い残し家の中に飛んで帰り、財布の中身からこれくらいかな?とコインを掴み、また戻ろうとして「まてよ!子供子供・・お菓子お菓子」と思いつき、台所中のヨーロッパの子供が食べられそうなもの(昆布飴は駄目だな)をかき集め。玄関先に舞い戻る頃になって、異邦人があたふたしている様子に、外に待つ子供たちの目にも、戸惑の色が伺えました。「あれ、こんな場面でお菓子を渡して良いものか?」しかし手にしているものを見られた以上渡さない訳にはいかない・・。後ろの子がにゅ~と、これまで集めたお菓子で膨らんだ袋を差し出したときには、ほっとしました。子供たちの中で、一番背の高い子が「*+:+@します」と言いながら、チョーク取り出し玄関の上になにやら書き付け、子供団は去っていきました。暗号のような書き込みを解読することも忘れ、神聖な出来事が無事終わったらしいことに安堵しながら部屋に戻り、「ああ、このことだったのか」と以前見たある写真を思い出しました。




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初めてのドイツで、世話になった若いドイツ女性の部屋にあった写真。星を持つ子供時代の彼女と、冠のほかに演劇にでも出演するような衣装を身にまとった3人の男の子が写っていました。彼女は自分の兄弟がそろって、その役をおおせつかったと誇らしげに説明していました。それはこの日の役目だったのね。

冠をつけた3人は、東方の3賢者。新約聖書にある東の国で光る星を見つけ、神の子が誕生したことを確認するためにやって来た3人の賢者(博士)の話は、キリスト誕生のシーンとして多くの人が知っています。しかしキリスト誕生は12月25日。なぜ1月6日にこの3人が?

昔昔、キリスト教でも重要な日としてキリストの命日やその後の復活の日が祭日とされていました。キリスト誕生の日ははっきりわからなかったのですが、聖母マリア受胎を旧約聖書の天地創造、第一日とあわせて3月25日と考え(光を造り、昼と夜を分けた-の解釈を昼と夜の長さが同じ春分の日と考えた)それから9ヵ月後の12月25日を誕生日とする説と、キリスト死亡の日4月6日と受胎を同じ日として、その9ヵ月後1月6日が誕生日説と、2説がやがて言われるようになります。

西暦300年を過ぎるころ、キリストの誕生日が12月25日と結びつくようになったのは、当時まだ新しい宗教であったキリスト教は信者も少なく、従来の宗教・風習の中で大事にされている日との同化が意図されたのも理由の一つだったようです。(太陽崇拝のゾロアスター教では、冬至の12月25日に夜の長さが最も長くなり、その後だんだん昼が長くなることを重要視していた。)

1月6日はキリストの誕生というより、誕生の場に贈り物を携えてきた3賢者が重要な意味を持ち、彼らの日となり、12世紀頃からこの日は三人の聖なる王の日と呼ばれるようになった。この三人の王は悪魔や災害、病気から守ってくれるということになり、旅人や巡礼者の守護者として、多くの旅館がベツレヘムの星とともに、その姿を奉るようになる。16世紀に星の歌い手がこの日に登場する。その後17世紀、18世紀には役所がこの風習を禁止していた?(貧しい家庭の子供たちがこの日、単独で家々を廻り、歌って施しを受けていたということからか。)

星の歌い手は20世紀中頃から、別の形で復活しました。歌い手はやはり子供たちですが、彼らは自分のためではなく、世界中の貧しい子供や発展途上国の子供達の未来のために歌うようになりました。そして訪れた家々に神の祝福を記し募金を集めます。

玄関の上にチョークで書き込まれるのは
20*C+M+B*10
という暗号のような印。左右の数字はその年の年号とわかりますが、C+M+Bは三賢者の頭文字と同じながら、その人々を表しているのではなく、キリストがこの家を祝福するという意味だそうです。教会を中心とするこの子供達の募金活動はドイツ内の約12000の自治体でおこなわれ、2005年以降は毎年合計4千万ユーロ近くを集めています。ちなみに今年2010年の募金はセネガルへ、2009年はコロンビア、その前はペルーの子供達にと、その年ごとに行き先が決められています。

ドイツに長く住んでいるうちに、『陽の沈む土地』の行事にもまた、馴染んできます。特に12月のクリスマスを境に1月、2月のもっとも冬厳しい時を過ごしながら陽はどんどん長くなっていき、すっかり春めいた頃にやってくるのが聖木曜日(キリスト最後の晩餐)から始まる復活祭休暇の日々。そして初夏の最もみんなが遊びに行きたくなる5月末から6月初めのキリスト昇天から聖霊降臨、聖体祭の日々。復活祭はグレゴリオ暦とかユリウス暦といった天文学的な理由で、毎年日にちが違うので、毎年カレンダーを事前に確認することも習慣となりましたが、異教徒にとってそれらの行事は季節感のようなものであり、宗教的な意味をはっきり知らないまま、便乗して休日を楽しませていただきますと、うやむやな気分がしないでもありませんでした。

しかし子供達が歌っていた意味がわかり、1月6日は私もちょっぴり参加できる日になりました。




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Commented by 河西文彦 at 2010-01-19 13:21 x
46人の盗賊たちのためか?と思っていて、25年 バイエルンに越してきて
ずーーーっと 「これは何の数字」と大家さんに聞いても分からなかった不思議な ドアへの書付!やっと 意味が分かった。従兄弟に 「文ちゃんは
洞察力が乏しい」と」言われて 、その従兄弟も昨年12月亡くなった。今年の お布施?は ハイチ 行きかな?もうじき 春です。
Commented by M野 at 2010-01-19 20:20 x
いやーよくわかります。日本にいるとキリスト教ってクリスマス祝って毎週日曜日に教会にゆくだけと思いがちですが、もういろんな行事があるようですね。近所にハリストス正教会があるのですが、特別ゴージャスな鐘の鳴らしかたをする時が割とあって、そう言う時は聖なんたらの日の様です。
最近プロテスタントの教義を少し勉強しようとしているのですが、あまりにも会派が多くて、もう分けが分かりません。土曜日が安息日っていう派もある様ですし。地域性もありますし。
しかし、クリスマスにサンタ(異教の行事ですよね)がくっついても、原理主義の人も文句言わないのは、そもそもキリストの誕生日がハッキリしていなかったからなのですね。それで復活祭のほうが盛り上がると言うことなんですね。
少し理解できました。
Commented by うお at 2010-01-20 07:19 x
河西さん
そうね、アリババの手下が付けていった印のようだと、初め思いましたよ。隣近所の方々はあまりにも習慣化しているのか、深く考えない・・・というか、何故かと私のような外国人が考えるベーシックなことは、考える必要がないと思っているのかな?私は仏教や神道の何を知っているかと、問われると困ってしまいます。

Taruさん元気だといいですね。
Commented by うお at 2010-01-20 07:51 x
M野さん
昔、ヨーロッパの人々は誕生カードのほかに、名前の日カードを友人知人に送ったようです。(蚤の市でそのカードを見つけました)それがハリスと教会で派手に鐘のなる聖人の日と関係あるのでしょうね。
プロテスタントの会派の多さにはほんとびっくりします。勉強だとしても!教会の外観でいきたいかどうかを決めて、そこがたまたま何会だった・・に任せるしかないような。聖書に関しても、今回省略しましたがルター新約何年度版のマタイかルカの福音かまで、明確にしないと、話にならない・・・のかも知れません。ローマ関連ではユリアヌスが12月25日説を強調した一人です。宗教と歴史、その関連人物を縦横に行きつもどりつしできたら面白いでしょうね。
Commented by 寛太 at 2010-01-20 20:15 x
30年近くこの地に住んでいても知らないこと一杯あります
魚さんのブログはなかなか勉強になりますなー
教会関連知識は ほとんど無に近く 異邦人 を実感します
ただ そろそろ どこに埋めてもらうかを考えると キリストさんともお近づきになったほうがいいのかもしれませんな アハハ
休みの意味も知らず しかも休みなんか関係なく 働いている貧乏職人に 神のご加護あれ! と言ってもだめですかねー
でもまじめに キリスト教の博愛精神を基盤にした公共の意識と行動 どこぞの政治家とのあまりのギャップ ハイチにすっ飛んでいく政治家なんて日本には何百年たっても生まれないんじゃないかなー 寂しいね
自分の中でも 神戸 スマトラ 中国 ハイチ と相次ぐ悲惨な災害に麻痺していってしまう感覚が怖いです 今週末の日本人会新年会には私の提案で募金箱を用意しました
Commented by tomato at 2010-01-20 23:20 x
1/6のこの風習は初めて知りました。
アメリカでは経験したこと、ありません。
というか、その日あたりはいつも旅行に出かけていたんで・・・・
 
私は小学生の間はボーイスカウトにいましたから、
募金や慈善活動は当たり前だったんですが、
そんなことでもしていないと、この日本では当たり前ではないんですね。
まあ、キリスト教の全てがいい、というわけでもないのですが、
募金とか寄付なんかは、社会全体の制度として、
もう少し発展してもいいんじゃないかなあ、と・・・・
Commented by kokouozumi at 2010-01-21 07:36
寛太さん
こちらに来て直ぐの頃、外国に来てまず感じるのは、自分がいかに日本のことを知らないかだよね~、などと語学学校でみんなと話していたものです。知らないことが多いですね。
最近、何処で耳にしたか読んだか忘れましたが、12月31日は12月25日と1月6日のちょうど真ん中だから大事・・・て。そんなあ、なんか変だな?それに以前から1月6日の意味がよくわからなかったので、良い機会と調べると、思いがけず世界の子供達のための子供のアクションについても知ることになりました。学童時代どこかに天災があると直後に学校で募金活動がありましたね。日本人会の募金箱のように、急遽募金活動が様々なところでおこなわれていると思います。ちりも積もれば・・ですね。
Commented by kokouozumi at 2010-01-21 07:38
Tomatoさん
ボーイスカウト団員でしたか!それですばしっこく・・いえ足が早くなったのかな。上の返信に書いたように、学童時代、募金にはよく参加しましたが、親から何がしかのお金をもらって、右から左に募金しただけっだたような。昨年末Tomatoさんのところで話題になったケーキ八分の一や、ドイツの子供はスーパー袋詰め手伝いで得た駄賃など、何か自らのアクションで稼ぎ出すということが大事ですね。まさにボーイスカウトの体験はそのような精神が培われるのでしょうか。

オバマという若い大統領が、みんなが動かなければ・・と、政治だけでなく奉仕活動も率先しておこなう姿が報道されましたが、あれを観てかっこいいと子供達は思うかもしれません。ここは一つ親も、じいちゃんも、ばあちゃんも活動せねば、ですね。
Commented by 河西文彦 at 2010-01-22 05:45 x
ボーイスカウト!未だ有るんですね?子供の頃 お金持ちの子供だけが入れる 物だと思っていました。徴兵の無い今 子供は全員ボーイスカウト二入れて アウトドア(生き残り術)訓練してあげたい物です。子供より」自分でも種を見ても何の種か分からない、コンパスだけでは西も東も分からない。
星空を見て方角 天候をみて欲しい、便利すぎる今の世界よ左様なら。
Commented by うお at 2010-01-22 07:20 x
河西さん
再度コメントありがとうございます。ハイチで多くの人が刻々と命をなくしている状況下で、死に方の話は重すぎると、私の勝手な判断で消しました。私もかなり自意識や感情の強い人間ですね。生後間もない赤ちゃんが無傷で助かったというニュースに、世界中がきっと喝采したことでしょう。多くの悲しみの中で一つでも喜びが見つかるのは救いです。

ボーイスカウトはイギリスの退職軍人が書いた「斥候の仕方」が発端だったなんて驚きですね。昔の人・・私の母はブラウニー団(ガールスカウトのような)に所属していたようですが、アウトドア生き残り術を私は伝授されませんでした。高野や砂漠どころか近所の森でも夜になったら遭難しそうです。猫は「人間って樹にも昇れないし、ジャンプもできないし、何てのろま!」って、思っているかもしれませんね。

デジャヴに関連する本、届きました。ありがとう!!楽しみに読ませていただきます。お店からの帰り道、星を探してくださいね。
Commented by 寛太 at 2010-01-22 07:45 x
ドイツに住んでいて感心する公共の意識の根底にあるものは 貧しさの感覚ではないかなと思うんです キリスト教云々よりも 貧しさが優しい助け合いの心 を生んでる気がするんです

何もしょっちゅう使うものじゃなかったら共同で持っていればいい
持っている人がいれば借りればいい その代わり人が持っていないものもってたら貸してあげる ものだけじゃないよ 力だって貸してあげられる
そんな時代が日本にもあったのに
もちろんドイツでもどんどん消えていっているけどね 

貧しいという表現は極端かもしれないけれど ドイツ人のように質素に生きていると 最低限これだけは生きていくためにほしいものがある ということが分かってくる 子供にでもね 
それがまったくないことに対して びしびし痛みがはっきり分かるんじゃないかなー
形だけの募金運動じゃなく 本当に困っている人の痛みが分かる募金運動 いつまでもそんな心を持った3人の王様に歌ってもらえるといいね 
Commented by kokouozumi at 2010-01-23 06:08
寛太さん
冬至の説明が間違っていたので、今頃直したところです。(汗)
昔昔、人々はみんな、何かを作っていてそれを物々交換するところから地域の社会性が生まれて、助け合うことが当然だったのかもしれません。世界中のことが瞬時に伝えられる現在は、複雑な社会構造でもあり、一体グローバルな救済がどのように機能しているか市井の人間には判りにくいですね。

確かにドイツの一般家庭は質素で、こちらに来て直ぐ感じたのは、「ドイツの子供達は何て素朴なんだろう」でした。その子供達に1月6日(地域によっては12月中におこなわれる)の活動の機会ができたのは、キリスト教組織の勝利かもしれません。今週のフライブルク市報には、Sternsingerの成果(募金総額)が出ていましたが、子供達からの提案で、あの御菓子もすべて発送されるということです。活動することによって、救済対象国の子供達の事情も学ぶでしょうし、(それによって確かにひしひしと感じるでしょうし)もっと何かしたいという気持ちがエスカレートするのではないかと。そのことを子供と同じように素朴に捉えたいと思います。
Commented by 河西文彦 at 2010-01-23 07:20 x
貧しい と言う言葉今こそ 見直す時かと思う!清貧と言うように、すがすがしささえ感じられる。今の日本は「小沢一郎」に象徴されるように、金が有り生活は「超」便利で そのくせ 他人なんかかかわった居られない !中学の時 習った「エンゲル係数」って今は言わないのかな?収入のなん%を食費が占めるか?今の日本人の 食費の割合は すごいんじゃないのかな これって 味方によると 貧乏なのかな?
Commented by M野 at 2010-01-23 20:53 x
貧乏という言い方には留保したいと思います。ただドイツ文化資産の芳醇さを感じています。今回のブログはとても参考になりました。キリスト教ルター派が多いと思われますが、宗教戦争もあるのでしょうが、二つの降誕祭を曖昧にしてるのに、歴史を感じます。
Commented by うお at 2010-01-24 07:41 x
河西さん
・・・お答えするには、私の考えの幅が狭すぎます。恐れ入ります。

Commented by うお at 2010-01-24 08:07 x
M野さん
ありがとうございます。
今回のテーマで、思いがけずキリスト教の発端のようなところに出会い、私もなにかドイツ文化の入り口にやっと近づいた感じがします。
Commented by 寛太 at 2010-01-24 10:19 x
貧しいからといってエンゲル係数が低いとは限りませんね 収入が減っても最低限かかる食費は減らせませんよね 私なんかその例で貧しいからいろいろ買えなくて食費のみが支出の大半を占めてますもん
質素というのは貧しいんではなく たとえばいいものを買って大事に長く使う 壊れてもすぐ新しいものを買わず直してまた使う そういう心持だと思います マイスター制度が確立していたころの物作りの心意気 それに対する尊敬や愛情の念 農業の身近さと食べ物とののかかわり方 その根底にある宗教心 ここにはまだそんなものが残ってるんでしょうね

今日たまたま教会関係の方と話す機会があってこういう募金活動について話しました たとえば今回のようなハイチの場合 特別に通達がすぐ回ってくるそうです そういう組織も教会ならではのものですね
正直日本で暮らした30年の間 ベルマーク 以外募金にやそれにかかわることやったことがなかった

なかなか奥が深いテーマですね
Commented by うお at 2010-01-25 07:31 x
寛太さん

今回たった一日のキリスト教上の行事を追いかけて、様々な感想とともにドイツの根底にあるものへ思いをめぐらせていただき、嬉しいです。

今日ある知人から、「しまいこんでいる器を取り出してみたいと思う心は、日本人にしか判らないわよね」とお聞きして、それぞれの場所の独自の奥の深さ・・・を感じているところです。

Commented by seedsbook at 2010-01-27 16:57 x
うおさんのブログはコメント欄も充実してとても勉強になります。
こちらでは募金、救済活動の呼びかけが色々な方面から起こり、それがどんどん進んでゆきますね。
或るGesamtschuleでプロジェクトをした時、私が大荷物を持って汗だくしていると、6級くらいの生徒達が数人すばやく寄ってきてお手伝いしましょう!といってくれました。手伝おうかどうしようか。。。と考える間も無く間髪いれずに出てくるこの態度。。キリスト教の博愛精神の教えの賜物なのか?と思ったものです。もちろんそれだけではないでしょうが。。。
私の友人が言っていた事ですが、カテシズムを徹底的に教え込まれた世代の人は特に、困った人に手を差しのべる。。。差し伸べなければ無ければいけないという観念が深く植え付けられて、それが逆に辛くなることもある。。。と。
色々考えさせられます。
Commented by うお at 2010-01-28 06:44 x
seedsbook さん
は~いその通り。間違いを訂正していただいたり、私がよくわかっていない話の筋を、コメンター同志が拾ってつなげてくださったり、私のブログはコメント欄が絶対面白いです。

今回のテーマにseedsbookさんからも、更なるドイツ事情の厚味を作っていただきました。

ほんとに間髪入れない助けは、公共の場で多いですね。逆に家の中ではこちらからお願いするまで、手を出さないのは個人主義なのかな。他人の場所では勝手に動かないというような。

宗教観に根づいた観念を持ち続ける世代の人のお話は興味深いです。
私は語学学校時代、タイのずっと若いクラスメートが、毎日私の鞄を運ぼうとする・・・。親から「年上の人を助けなさい」と教え込まれたからだそうです・・・あはは。今の世の中、社会性というものが何処にあるのか、自分はどんな社会と絆を持っているのか、情報過多ななかで逆に不明瞭になっているようだな。そんなことを感じながら周りの人々、このコメント欄でもお話していきたいものです。
Commented by 河西文彦 at 2010-01-28 14:03 x
ドイツに住んで 数年たって 帰省をしたとき、新宿の駅構内で 車椅子のひとが 階段の下で 困っていたとき 「お手伝いしましょうか」と上まで持ち上げた。昔の自分では考えられない行動だった! 多分ドイツに多い 障害者を見ていたせいかも?ほんと 此方では障害者の人」がどんどん外に出ているから。違和感が無いのかも
Commented by 寛太 at 2010-01-28 18:09 x
考えさせられるテーマなんでたびたび登場ですみません
ヨーロッパは社会福祉が日本よりずっと整っているのが原因という人もいます
日本人は自分のことは自分で何とかするという意識が高い いい意味ではいつまでも元気であろうとする意欲があるといえるだろうが 反対に弱者を見捨てる可能性もある
実際自分の老後を考えて 今もし余剰金があれば寄付より貯めておこうと考えてしまう 日本が貯蓄大国なのはご承知のとおり
歴史を振り返っても 侍以外の大半の国民は支配者たちが自分たちを守ってくれるなんて考えていなかった 
7人の侍のラストシーン にもそんなテーマがでてきますよね
助け合おうという気持ちがまったくないわけではない ただその社会性の単位が小さい 小さく小さくまとまろうとする 家族 学校 隣近所 町内会 親戚 村 そこから次へ出て行こうとしない
子供に 知らない人と口聞いてはいけない ってこっちでは教えないとか



Commented by うお at 2010-01-29 07:16 x
河西さん、寛太さん
まとめて返信で失礼。何しろ今日は慌しかったのです。3日前からロックが吐いてばかり・・(またロック問題です)ついに今日またお医者さんへ。ロックが猫バックに入れられると、兄弟愛に燃えているパンクがバックにしがみつき、「僕のロックをどうするの?」といわんばかりだし、自転車の後をとことこ追いかけてくる。雪道だからこちらもパンクを引き離せない・・・幸いにも(今日はね)ワン君がやってきたところで、なんとかパンクを巻いて・・。レントゲンをとられた結果、原因は巨大ガス??注射のほかに、液体薬(多分下剤)を家で1時間おきに何回も飲ませよ、ということでなんとかあと一回で薬はなくなりそうです。

遅れを取り戻そうと、夜も仕事していたのですが、いつも聞いているSWR、今晩の特集はなんと『寄付の心構え』について。ドイツ募金協議会(そんなのあるんだ)代表と心理学・神学博士の話の合間に一般聴衆の電話参加を交えての番組でした。世の中の多くの人々が、このコメント欄で話しているように、ハイチへの募金を機会に、募金をするかしないかという課題をそれぞれ真剣に考えているのですね
Commented by うお at 2010-01-29 07:31 x
続きです。
『知り合いに病人がいて、まずそちらを助けたい』『津波のときグループで募金をしたがそのお金がどうなったか・・・』『世の中の酷いことが少しでもよくなることを祈るつもりで、1ユーロでも募金する』と電話からの声が伝えます。

ドイツ募金協議会はもちろん、ハイチのような事態で機能するわけですが1993年設立と新しい組織です。これまでの募金総額の約半分は動物救済のためだったそうです。

人と人とのかかわりの中で、助けるという気持ちが有りながら、どうやって、何処まで助けるかは、現代人にとってある課題ですね。それは自分の中に根ざす隣人愛あるいは博愛の精神を振り返ることだし、もっと大きく社会の制度(Tomatoさんのコメントにあった)を知る機会でもあります。それからそれぞれの国の社会の成り立ちを知ることにも。しかし小さな付き合い、家族、隣近所、地域の中に優しさがあることも、忘れてはいけないと、私は思います。

さてロックに最後の薬・・・
Commented by 河西文彦 at 2010-01-29 14:08 x
寄付 募金に関して自分は、自分にとって「余剰」の分をしたい、と考えているけれど。むかし読んだ話に、山の中に迷い込んだ老人に親切な動物たちが それぞれ食べ物を集めてきてあげるのだけれど、見つけられなかった 兎は
焚き火の中に飛び込んで「自分を食べて!」と言うのです、突然老人は 神様になって 兎のなきがらを抱いて空に戻って行く、、自分を犠牲にしてまでの 寄付、募金? はつらいです。
Commented by M野 at 2010-01-29 20:51 x
寄付って言うのは共同体意識から発生するものらしいです。他に名誉とかもありますが、その名誉付けをする共同体が無ければ意味をなさないわけです。
Commented by M野 at 2010-01-29 20:52 x
特にセム人系の宗教ではこれが顕著な様です。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教ですね。これらは強固な共同体を作ります。その奉仕として寄付や喜捨があるわけです。なぜそうなったのかといえば、それぞれは当初マイナーな宗教だったから、なのです。マイナーだから教えを残すために、共同体を作り相互扶助してきたのです。キリスト教ではもともと死海文書の流派だったらしく、僧院に篭るタイプだったようですが、その生活様式が反映しているとも考えられます。イスラムははじめっから戦争のなかで生まれています。そこでの共同体としての意識がコーランの中に息づいています。
Commented by M野 at 2010-01-29 21:02 x
私はここで簡単に言います。共同体のはしっこにも無いと思う人は寄付や喜捨はするべきでは無い。それはどこに住んでいても。
盛岡での事例ですが、八幡のお祭りがあります。やはり寄付をねだるのですが、自営業者にはかなりつらいものがある様です。なにしろ10台以上で、自分の町内だから1000円出したら、横の情報網で全部の山車が必ず来る。そうすると横並びで売り上げが飛びかねない。喜捨にも限度があるわけで。
この仏教説話は、この上で違う話だと考えています。キリスト教社会では全く許されない話なのです。自殺ですから。混同してはいけないことです。ここではドイツにおけるキリスト教行事とそれに附随する話なのですから。
さて盛岡の八幡の祭りですが、いっぱい払う人の所に花丸をチョークで道路にかかれます。そこに全部の山車が群がるのですが、門付けなので断れません。
この話では門にチョークで書くのは、払った人だと示していることかと考えました。あとはこなくていい。正しい行いをしたのだから。
Commented by M野 at 2010-01-29 21:16 x
文字数間違えて、コメント数記録突破。ごめんなさい。
私が今回学んで事は、キリストの誕生日はふたつ説があること。プロテスタントでも分かれていること。クリスマスツリーは特別なゴミということ。あとは読み返します。
Commented by うお at 2010-01-30 06:02 x
河西さん
このウサギの話、聞いたことがあるけど、何処の国の話だったか?と思っていたら、M野さんに教えてもらいました。今回の話としては、以下M野さんへの返信で。
Commented by うお at 2010-01-30 06:32 x
M野さんの
まとまった内容で、昨日ラジオで聞いたことや、以前読んだことがつながってきました。アナウンサーが『兄弟であることの課題』と表現したのですが、M野さんの共同体の中での名誉・・で思い出したのが、中世の兄弟団。それがヨーロッパ(ドイツ)におけるお金を媒体とした社会の始まりと考えられますが・・最も名誉ある兄弟団は寄付や喜捨を目的とする集まりだった。
心理学・神学博士の話にエゴイストという発言があったのも今、理解できたのですが、名誉が関わってくると決して人のためばかりではなく、自分の感情、気分のためといえますね。またアナウンサーが「何が道徳的に命ずるのか」との質問に、イマヌエル・カントと進化論が出てきました。カントは判りません。進化論のほうは、自然災害に対する生物的な反応らしい・・・。
などなど、不思議なほどばらばらだったものがつながりました。
Commented by うお at 2010-01-30 06:53 x
M野さん
プロテスタントに関して、本文の中で、あえて不明にしていたところが有ります。この日に子供達の活動は、カトリック教会だけでなく、プロテスタント教会でも組織していると私の知る限りです。
ドイツの休日は州によっては休みにならない場合もあり、1月6日もそうです。いまだにカトリックが根強い州かどうかに関わるかもしれません。プロテスタントでも誕生日が二つ説かどうか?はっきりしたこと、現時点では判りません。
by kokouozumi | 2010-01-19 10:09 | Comments(32)

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by kokouozumi