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新年早々






1月1日のフライブルク、近所を散歩して

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昔、私の子供時代ですが、季節の行事はすべてうきうきする遊びの一種であり、特に冬に起こることは、とても緊張感のある楽しいものとして覚えています。暮の大掃除! 朝からコタツは取り払われ、各部屋の障子も容赦なく開けられて、子供はぐだぐだしている場所を失い「おー、さみー、おー無情」とふるえながらも、埃を払った電灯の光や張り替えられた障子の白さ、取り出される正月用の器、そして搗き立ての餅を、きなこや海苔で巻いてほおばる特別の昼食と続けば、すっかり風の子になり家中を飛び回り始めるのでした。流石に親は風の子の扱いを知っています。新しい障子紙はどの柄にしようか?穴だけ塞ぐ形を何にしようか?と、さりげなく意見を求めて、作業に引きずりこみます。子供はうっかり桜の形は自分が切る!などと申し出て、気が付けば糊作りや父が張る障子紙を押さえる役など、すっかり丁稚の仕事にはまり込んでいるのでした。そのように歳の市にでかけ、神社へお正月様を取りに・・・ここで故郷の友人からの手紙を突然引用しますと『・・で、うおちゃんの「まえだまぎ」だけど、私の推測では、それは「まゆだまき」漢字で「繭玉木」では?小さい頃、毎年祖母が餅を丸くしてミズキの枝にくっつけていた光景を思い出します。私は、うおちゃんとは逆に、繭玉は餅でつくり、色気のない白いものだと思っていて、友達の家だったか、どこかの親戚の家だったかで、色とりどりのカラフルな繭玉をみてカルチャーショックを受けた記憶があります。』というように歳の市で既にカラフルな繭玉のついた枝振りの良い手ごろな大きさのミズキを選ぶのも、私には外せない任務でした。手紙のやり取りにあるように、私は一度友人の家で、白い餅だけの飾りを見て「渋い!」と感激し、翌年はなんとしてもそのようなお飾りを作ると言い張り、作業場所の約2㎡と自分の全身をべとべとにし、できた繭玉木は餅の汚れがついたようなみすぼらしいものでしたが、満足でした、うん。

こうして、家中が美しく、新しくなる嬉しさに加えて、事あるごとの特別ご飯と何よりも寒さの中でおこなわれる緊張感として思い出されるのです。

風の子の勢いは正月を迎えて、ますます盛んになっていきます。元旦の朝、新しい火をおこすまで、火の気のない部屋で着替えをすることも問題なし!その後に年に一度の出来事がいろいろ待っているのですから。

私の故郷、渡波には獅子舞がありました。それがだんだん近づいてくるはずです。各町内会で獅子頭を持っていましたから、微かに聞こえる笛や太鼓の音が自分の地域のものか、あるいは隣の地域のかを判断するのも子供の役目です。それはお正月の足音に聞こえました。今振り返って考えると、あの獅子舞を取り仕切るメンバーのコンビネーションは見事なものでした。まず親方が、(獅子舞の笛・太鼓や振り付けを伝承する大変な方だったと思います。)獅子の前にちゃんとやってくる。そして各家で杯を断ることもなく、時には獅子より真っ赤な顔をしながら、ご祝儀を受け取り忘れることもなく、獅子が我が家で舞い終わる前にちゃんと隣の家に座っている。楽師と舞手たちも同様に、遠くからの音色で獅子を登場させ、嵐と呼ばれるクライマックス(このとき獅子頭を持つ人は後ろ足の人に肩車されるので、子供の目にそれはもう巨大な獅子になる)の笛・太鼓は玄関先で鳴り響き、やがて楽師達が歩き出し、獅子は名残惜しそうに去っていく。
私は獅子舞のストーリーを子供心に『お正月のお祝いを言いにきた獅子が、お酒を勧められて、飲みすぎて暴れ、疲れて眠り込み、はっとわれに返って恥ずかしそうに帰っていくのね。』と解釈していたのですが、ヘルシンキからのフェリーの中で、渡波の獅子舞と全く同じ場面展開を、中国の獅子舞が演じたのを観てびっくりしました。そのことをきっかけに獅子舞のルーツなど調べると、二人立ち(蚊帳で作った巨大な胴体部分に前足と後足の2人が入る)や演じられるストーリーが、大陸から伝わった伎樂系と分類されているらしいです。何故中国大陸から渡ってきたものが、この東北の港町で受け継がれているのかと、不思議に感じました。

三が日が過ぎても風の子の楽しみはまだまだ続きます。七草(種)がゆ・・最近では商店でセットになった食材を買えますが、昔東北の町では1月7日ごろお供え餅を水に溶かして、正月の餅とは一味違った食べ方をしました。そして寒さが益々厳しくなってきたころの、どんと祭の夜。夜空を照らす巨大な焚き火に、「今年一年元気で過ごせるように、良く火に当たるのですよ」といわれながら、体の前・後を十分に火にかざし温めたのでした。

故郷の友人は手紙の最後に、『7日は石巻地方の「どんと祭」でした。他の地方は14日だよね。どうして違うのかわかりますか?それは、又次回に。』と、結んでいるのでした。

風の子だった時の好奇心を再び取り出して、次のお便りを待っています。






歩けばどこかにぶどう畑のあるこの辺、南バーデンの一角を・・・首を横にしてみてね。
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Commented by 河西文彦 at 2010-01-10 07:15 x
濡れた土が掘り返されている風景、なんとなく「ブリキの太鼓」を思わせる悩ましさですね。でも 春先にもいつも感じるドイツの農村の土の
豊かさ。フランスにも似たような風景が在りました、それともデジャヴ?
Commented by tomato at 2010-01-10 16:23 x
久しぶりに風の子の気分になれて良かったですね。
渡波での昔のお正月の様子が手に取る様に分かりました・・・・

欧州はやはり冬は晴れることが少ないのかな。
日本のお正月とはだいぶ違う雰囲気です・・・・
Commented by 寛太 at 2010-01-10 17:43 x
そういえば 50年前 北海道にも獅子舞が来てたなー
地元の人たちだったんだろうか 屯田兵が運んだのか 本土から渡ったのか 渡波から出張したのか、、、、こわかったなー

記憶の底にしまわれたものを掘り起こしていく作業は 畑の土興しみたいで 脳を活性化させますね
でもこのごろ畑の土が固くなってきたみたいでなかなか掘り興せないのも事実
特にこの時期には 30年も日本に帰っていないので 冬の記憶がだいぶ消去されているようです

魚さんの読んで久しぶり 子供のころの日本の正月を少し思い出してます



Commented by 河西文彦 at 2010-01-11 01:19 x
文化(獅子舞)の伝播?北欧にも竜宮伝説や、羽衣伝説があるそうです。インカ マヤ  や、ナスカ地絵に見られる、飛行物体によるものか、玄界灘をわたった船か、三蔵法師のように足で??思うに(我思うに)登山のように、何段階にもキャンプを張って、一歩一歩頂上にたどり着いたのだと思う。それにしても 時間の流れはすごい。
Commented by うお at 2010-01-11 05:04 x
河西さん
畑の掘り返された濡れ土のある風景は確かに、とても魅力的に目に映るのですが、人間の深層心理を癒すものが土にはあるのかな。
春先、雪の間から土が覗いたとき「ああ、もう春が近い」とほっとします。ライン河の対岸フランス側もブドウ畑の多い、同じような風景が続くのかな。私は一度スペイン・バスク地方と隣接する辺りのフランスの景色がみたいです。デジャヴ?知らない言葉ですが視覚幻想とか??・・・

『ブリキの太鼓』にはドイツ庶民の昔の暮らしぶりが各シーンに見られて、なかなか面白い映画でしたね。
Commented by うお at 2010-01-11 05:32 x
Tomatoさん
風の子の気分いいですよ。子供時代にも色々な段階があるのですが、まだ紅白歌合戦をラジオで聞いていた頃、我が家にはまだ炉辺があって、そこで新年の火を起こしました。洋裁の得意なおばが縫った新品の服に着替えて迎えた正月の朝の新鮮さは、良く思い出します。

日本のようにピカピカの正月というわけにはいきませんね。今年の1日は霧の朝でした。2日から雪で今は景色が真っ白です。ドイツの中でも南のフライブルクあたりは、冬でも青空になることがありますが、北は暗いですね。
Commented by うお at 2010-01-11 05:59 x
寛太さん
北海道にも獅子が来ましたか。こわかったですよね。頭をかんでもらうと、その年健康になるといわれても、私は逃げまわっていました。そのくせ獅子舞の一団について廻る子供たちの一人で、何件もの家を覗きました。獅子は縁側からすっと家の中に入れるし、子供たちは縁側の外に並んで・・各家の正月飾りを背景に絶好の観劇ができる当時の家の作りでした。獅子舞が日本中にどう伝播したか調べたら面白いでしょうね。

それにしても、渡波町全体で、相当数の獅子頭を持っていたなんて、豊な時代でした。
Commented by うお at 2010-01-11 06:20 x
河西さん、ふたたび
世界各地の伝説の類似性は、宇宙人説に行き着くほど不思議なものですね。遠く隔てられた場所で同じような発想があったのは、自然に対する畏敬の念などが精神性(文化)の基にあったのかな。

中国かインドかの獅子(ライオン踊り)が日本に広がる際、どれ一つ同じスタイルが無いほど、各地で多様な獅子舞があるようですが、昔は獅子頭を彫る職人さんも多かったのかと想像します。

それが半世紀で、今は昔の話になってしまう・・・そのとおり、時間の流れはすごい。
Commented by 寛太 at 2010-01-11 07:07 x
北海道開拓時に日本全国から人が集まり獅子舞の形態としては、全国の獅子舞の形が確認できるそうです さらに調査していきますと実に富山からの獅子舞伝承の多いことが確認できます
そういえば富山の薬売りも来ていたんで 彼らの冬のバイトだったかもしれないね
今日は断食中なんで お正月の食べ物を思い出すとめっちゃつらい!!
思い出すの止めるってできないよー
Commented by 寛太 at 2010-01-11 15:59 x
ついでに富山の薬売り探索したらこんなのにぶつかったので私のブログに載せておきます
食べ物については 55年前の札幌郊外の官舎生活 貧しかったようで正月らしい正月料理も作れなかったと 今電話で母親に聞きました 記憶がないのではなく食べてなかった アハハ
Commented by 寛太 at 2010-01-11 16:20 x
ついでのついでで 富山の薬売り調べてて 懸場帳 というのがあった
ここにはお客で回る家庭の家族構成から 健康状態までデーターがきっちり書かれていた あの広い北海道これがあったから (またはこの力を借りて)獅子舞が回ったと推測してもおかしくないんじゃないかな だから富山の獅子舞が多い!!
Commented by M野 at 2010-01-11 17:57 x
青森出身なのですが、青森には獅子舞はなかったような。北海道にあるとはうらやましい。盛岡にも無いような…。
権現さんという、獅子そっくりのはありますけど。正月ではそれはやらないし。なんか文化レベルが低いのかな。貧乏ってのはあり得ますね。それとも青森は獅子舞やってる最中に雪で埋もれて圧死するから出来ないとか、盛岡は凍って滑って怪我をするから出来なくて無いのか。こっちかな。
Commented by seedsbook at 2010-01-11 20:14 x
うおさんの語りは実に上手い。。。と思います。
私もうおさんの記憶の中のお正月を体験できるかのようです。
私は生まれは東京なのですが、子供の頃に獅子舞はやってきました。
写真の景色の中にあるベンチ。。。教会のベンチでしょうか?
物語が生まれそうですね。
Commented by 寛太 at 2010-01-12 03:49 x
M野さん 東北地方の獅子舞は、鹿踊りを総称して獅子舞と呼ぶ地域もあるようですね 確か盛岡当たりだったかなー 中3の修学旅行で見た記憶があるのですが 7,8人で太鼓抱えて なんか背中からシュッと2本出てたような、、、鹿子舞っていいません?
どうも 岩手や青森で鹿子舞のあるところには獅子舞が来てないようですね 実はこれも北海道に渡ってますよ どっかで小さいころ見た記憶があります
うーーん魚さんのブログは記憶蘇りのパワーがある!!
Commented by うお at 2010-01-12 07:32 x
寛太さん
次々思い出したり、調査したり、お母様にまで取材していただきありがとう!2年ぐらい前に日本へ帰国した際、吉永小百合主演のNHKドラマで北海道の屯田兵時代を観ましたが、明治維新のころだったかな。それから100年、北海道はまだまだ厳しい土地だったのですね。私が5歳ぐらいまでの渡波だって食糧事情はどうだったか?よく聞かされたのは母乳の代わりにかぼちゃの汁を飲んで育ったとか。覚えてなくて幸いの時代に育った私たちですね。

富山の薬売りと獅子舞伝達の線が浮上しましたか。こんなの見つけた・・・はいはいシャカとそちらに訪問・・・なるほど紙風船ですね。私は昨年7月に郷里滞在中、図らずも富山の薬売りさんとお会いしました。ずっと不在だった私の家に誰かが帰っていると、他の訪問先でキャッチしたというのですから、すごいです。懸場帳 の存在うなずけます。時代が時代だったら隠密業も確かに。
Commented by うお at 2010-01-12 07:47 x
寛太さん、つづきです。
伊賀・丹波の陶工はのろし代わりに窯を焚いたといわれています。お屋敷に出入りできる組みひも業もその辺の在から発生しています。薬売りもなかなか怪しげですが、私が会った人は口を割らなかった(爆笑)

しかし白状したことによると、農作業の暇なときに、他国(他の地方)へ行き、普段とは違った食べ物に接するのは、とても魅力的で現在まで続いている。行き先の縄張りがあって、渡波に来ている人が急に次は北海道というわけには行かないそうです。それにやっぱり懸場帳ですよ。訪れる先の事情をよく知っているから、お年寄りのカウンセリングみたいなこともできるらしいです。そんな縁で薬売りさんを待っている人も居る。宿泊場所や食事の提供だってあるでしょう。薬売りはお礼に獅子舞披露。お正月、あそこのお得意さんで舞ってきましょう・・・と、十分想像できます。

ちなみに有田の陶磁史をまとめた薬売りさんがいます。
Commented by うお at 2010-01-12 08:09 x
seedsbookさん
おー、江戸の獅子舞風景は水戸黄門や当山の金さんなどに威勢よく登場しますね。あれ小町姿のseedsbookさんがいる。お正月の風景は誰の心にも印象深く残っているのですね。それが私の語りを補足してくださるのです。ベンチによく気がついてくださいました。あそこに座ると架空の誰かに、昔話をしたくなります。
Commented by うお at 2010-01-12 08:24 x
M野さん
青森、盛岡・・・そうか獅子舞が途中で遭難しそうですね。渡波は1月1日に雪ということが、少なかった。親方も楽師も舞手もみんな、とび職人のような軽装でした。獅子舞の追っかけをやっていた私は暗くなると家にもどり、夕飯を食べながらまだ笛・太鼓の音を聴いていたものです。北上川河口の石巻から米が九州まで運ばれていたので、獅子舞の輸入ルートが考えられますが、旧石巻市内ではあまりなかったような。青森はむしろ京文化が入っていたのでは。十三湖あたりにその痕跡があると聞きましたが。

日本の文化が集まったらしい北海道代表、寛太さん突っ込みますね。鹿子舞どうです?獅子に似た権現さんって?なまはげとも違うのですか?
Commented by 河西文彦 at 2010-01-12 14:08 x
寛太さん!良かった (悟るの神)が実在しなくてね。考えていること他の人に わかったら大変、俺なんかいきなり 女性に びんた をくらっちゃいます。 また 戦争もすぐ起きるはず。寛太さん 想像は(創造)自由です、
20歳の時 羽田東急で食べた747グラムのステーキの話聞きたい?
Commented by M野 at 2010-01-13 01:28 x
すいませんここで寛太さんに。一番問題なのは見たことが無いのですよ。鹿踊りを正月で。獅子舞も、私は。
修学旅行は正月では無いですね。そこで見たことと正月行事とは関係が無いと思います。
その上で、門付け芸としての獅子舞なり鹿舞いなり調べていただく方向で。
Commented by うお at 2010-01-13 06:05 x
M野さん、寛太さん
M野さん、ドイツ組みの正月+修学旅行質問で、ホスト役の私まで入り乱れまして、ごめんなさいね。にもかかわらず門付け芸という、なかなかなヒントをいただきありがとう。寛太さん、北海道に渡った文化、とっても面白いので、又聞かせてくださいね。

私がヨーロッパのフェリー上で、渡波の獅子舞と同じ場面に出会ったときはびっくりしたし、ほんとに嬉しかったです。それが無かったらこの正月風景も思い出すことが無かったかもしれません。記憶がよみがえるときは、何かのきっかけになりますね。ところで中国獅子舞のストーリーは『春爛漫のとき、蝶々に誘われて出てきた獅子が・・・』と私が考えていたものとは全く違っていました。渡波のストーリーを今度の機会に聞いておきましょう。
Commented by うお at 2010-01-13 06:09 x
河西さん
もう、お店が始まっているのですね。お仕事が終わった頃の開放感とともに書いてくださったのかな。またいずれ、お会いできましたら、ステーキの話お聞かせください。あっ、これは寛太さんへの問い合わせでしたね。御免なさい、直接連絡してください。
Commented by 河西文彦 at 2010-01-17 13:51 x
今朝柔らかな 雪が降っています、たるたる さんおげんきですか?
by kokouozumi | 2010-01-08 17:46 | Comments(23)

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by kokouozumi