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Haus Antjes アンティエの家

久しぶりにアンティエの家を訊ねた。フライブルクの街中にある。










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ベルリン生まれのアンティエはおしゃれで姉御肌の女性です。

私がフライブルクに着たばかりの頃、ある生地屋さんのショウウィンドウに置かれたダチョウの卵のようなごろんとした作品が気になっていた。その年、岩手県藤沢町の『縄文野焼き祭り』という催しに誰かドイツ人陶芸家のゲストを連れてきてという話に私は悩んでしまった。文化庁とか文部省とかのお墨付き肩書きが何も無い私を信用して、日本までついてくる人がいるだろうか?それに東京でも京都でも、ヨーロッパの陶芸家なら誰でも知っている益子でもない藤沢町という未知の場所に行きたがる人がいるだろうか??

当時、唯一陶芸関係で相談できそうなドイツ人に話したら、「アンティエを紹介しよう。彼女がいけるかどうかは判らないが、良い作品を作っている」・・・それがダチョウの卵の作者だと知り、私は彼女を是非日本に連れて行きたいと思い、実現した。

以来、彼女の仕事場で制作させてもらったり、自分の家のように出入りできたのは、アンティエがシングルマザーで一人娘と二人暮らしの気楽さからでもあり、彼女の類稀な包容力のためでもある。

ベルリン時代の思い出に、「ある日から東側の友人が学校に来なくなった」など壁ができた当時の話が突然出てくることもある。が、そんな状況をあーだこーだ分析するような話には決して発展しない。造形学校に通う前の当時から彼女の頭の中は、おしゃれと創造的なアイデアで一杯だったのだと思う。彼女との約15年の付き合いで、最も良く話したのは制作についてだったな、と今日改めて思い返す。










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彼女の家の特徴はこのような天窓が各部屋にあること。15年間その光の微妙な効果は変化ないが、家の中の様子は初めがどうだったか思い出せないくらい、始終変化してきた。趣味が大工仕事と模様替えだとしても、女二人でいとも簡単にやり遂げてしまう。

彼女の制作も同様で次々変わっていく。だから彼女の作風や趣味を紹介するのではなく、とりあえず今日訪れたときはこのようだった・・・としかいえない。




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台所には最近作っているらしい曲がった器が置かれている






家の中のメインスペースは50㎡ほどの裁縫アトリエ
そこは娘さんキムのエリア。
15年前、アンティエが日本へ行くとき、初めて母親がそんなに遠くへ行ってしまうと涙ぐんでいたキム。今では仕事場以外に小さな洋服店を持つまでになった。アンティエのおばあちゃんが仕立物屋でアンティエも洋裁の腕が立つ。それをキムが受け継いだ。

オイローパパーク(南バーデンの巨大遊園地)のショウに使う衣装を手がけたことから、そこがスポンサーになり、来月ファッションショーがある。その準備になにやら話し込んでいるキムとグラフィックデザイナー
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これは秘密の新作?それとも直し?


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キムの初めてのショウは、彼女が20歳の頃だったと思う。アンティエの家は面白い構造で表のギャラリー(所有者は別の人)とつながっている。裁縫室のある2階スペースからギャラリー内部の空間へ真っ直ぐ通路が走っている。その頃私は既に何度もその家に出入りしていたにも関わらず、玄関横のもう一つのドアを開けると、別世界のようにギャラリーの裏口が開いていることに驚いた。初めてのショウはモデル達がキムの裁縫室からその通路を通って、ギャラリー内の舞台へ真っ直ぐ歩いていった。70㎡ほどのギャラリーには立ったままでしか見物できないほどの人々で埋まった。義務教育の後、職業訓練学校やましてやパリに修行に行くでもなく、ひたすら家で縫い物をしていた彼女がどうしてこれだけの人を集められたのだろう?後で知ったのだが、ディスコが宣伝の場になった。それにモデルだってたちまち集まった。ディスコクイーンでもありミスフライブルクに選ばれたギムナジウムの学生が、キムの服を着て踊り、彼女の服はたちまちセクシーの代名詞となった。ショウの中にそんな余興を上手に配置する、キムにはファッションデザイナーに必要なセンスをアレンジする能力があった。それに彼女のセンスに人が集まってくる。私だってボタン付けを手伝った。なんてボタンの多い服だ!と内心うんざりしながら・・・
それから10年。何度目のショウになるのかな?


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部屋の中に、こんなシーンがあるのもアンティエの家





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丸い作品は紙製。数年前電気窯の熱線が駄目になり、張替え資金ができるまで、アンティエは紙で制作をしていた。紙はもともと彼女の扱いなれた素材で版画から紙粘土細工まで幅が広い。それにしても彼女の制作開拓の歴史、変化の連続には経済難がいつも一役買っているところが面白い。負けないアンティエです。

いつか、きちんと彼女の作品を紹介しなければと、思いつつ・・・。
Commented by seedsbook at 2009-09-17 17:24 x
天窓が各部屋にあるなんて憧れでもあります。
どんどん変化してゆく家。とても面白いイメージが浮かび上がります。
我が家は集合住宅なので穴はあけられないので残念。笑
部屋の模様替えは度々しますが、それも最近は少なくなったかな。
紙で作った作品が可愛らしい。素材に愛着があるように感じます。
私の身に馴染む素材といったら何でしょうか。。。紙や木になるのかな。。。私はマテリアルにはこだわらないので何でも使います。
この数枚の写真から、きりっとしてやさしい空気が感じられました。
Commented by kokouozumi at 2009-09-18 05:22
seedsbookさん
アンティエとキムは親子というより、共同生活をする制作者同士で、住空間を制作意欲に結びつける変革をやらかしている感があります。そうなると母と娘という女性のセンスの結束は強力なものが有ります。

私もアンティエの作った紙粘土をいじったことが有り、止められなくなりそうでした。しかしそれほど使いやすい紙粘土の調合にいたる、彼女の開発力にも驚きました。紙粘土そのものがプロフェッショナルな質感をたたえているのですよ。

突然お邪魔して、四方にカメラを向けると、どれも絵になるシーンが写っています。きりっとしてやさしいとおっしゃるとおり、この家の緊張感は心地よいものです。

天窓からの光にはやさしさがあります。
Commented by 河西文彦 at 2009-09-18 05:37 x
アンチェ(テイエ)と言う名前は実在していたのですね、私のベルリン友人の娘がアンチェと呼ばれていたのをこれはニックネームかと思っていました。
又 ベルリンで私が働いていた フランスレストランのオーナーは
ハンガリーから逃げてきた音楽家で、彼女は彼のこと「アンチェ」と呼んでいました。懐かしい響きの名前です。
Commented by うお at 2009-09-19 03:51 x
河西さんにも
アンティエという名のお知り合いがいたのですね。私がドイツに来てほんとの最初に知り合った方の名前だったので、私にとってはあまりにも馴染みのもので、その発生など考えるに至らなかったのですが、河西さんのコメントでWikiを見たら、なるほど本来女性名だけど、男性にも使われているとか、聖書に出てくるマリアの母親アナから変化しオランダ・フランスの言語圏に発生たとかありました。私はベルリンの人のことよく知りませんが、彼女には南バーデン気質じゃないなーと、よく感じます。
by kokouozumi | 2009-09-17 06:07 | 美術 | Comments(4)

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