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路上にて





土曜日には多くの大道芸人たちが並ぶこと、シュトゥットガルトの中央駅から王宮広場まで伸びるメインストリートでも例外ではなく、その中で最も多くの観客が取り囲み、それゆえ最も広い場所を確保して技を見せているのはTruCruチーム。

2007年にシュトゥットガルトで結成されたTruCruはブレイクダンスの5世代目ということ。現在のメンバーは、大学生、写真アーティスト、体育専門学校出身者、鋳物職人、バレーダンサーと本業は多岐にわたっている。次の映像から誰がどの職業人かを探ってみるのも一興かも。







TruCru 5世代目という数え方は、1970年代ニューヨークに発生したストリートダンサーたちを一世代目としているのだろう。
そのいわゆるヒップホップ初代のブームがアメリカで沈滞しつつある80年初頭、ドイツメディアにブレイクダンサーの映像が突如流れ込むことになった。1981年、レーガン政権が始まり自由主義経済政策の一環として、社会保障費削減がアメリカで実施されたことは、ドイツ内で非常に関心を持たれたメディアテーマで、連日のようにテレビ報道されていた。この政策によるアフロアメリカン(アフリカ黒人系アメリカ人)やヒスパニック系移民たちへの影響はいかに、というのが報道の要だったので、ニュースの背景には必然的にニューヨーク・ブロンクスの情景が映し出され、そこにあったのが三大ヒップホップシーン、落書き、ラップ、そしてブレイクダンスだった。(音楽性としてDJテクニックが4つ目の要素として組み込まれている。)ニューヨーク・ブロンクスの路上に出現した彼らの目指していたものは、ラップのようなリズムと言葉遊びを肉体で表現すること。体の形、足の上げ方、手の振り方にも記号的な意味があったそうだ。ニューヨークの初代ヒップホップはブラックな文化を根源にしながら、トゥシューズも劇場も、キャンバスもアトリエも、楽器もスタジオも、さらに武器もない人々が、自分の肉体や声、公共の壁を使ってぎりぎり勝負に出た結果だった。

この情景に目を奪われた世代がヨーロッパ・・多分世界中で生まれたヒップホップ2世という事になるらしい。

1990年代になると、ヒップホップは単なる各都市の風景的な装いにとどまらず、落書き、ラップ、ブレイクダンスのそれぞれの分野から傑出した存在がイコンのように浮かび上がってきた。特に落書きがすごいことになり、バンクシ―(イギリス)、キース・へリング、バスキア(イギリス)などの落書きを、多くの美術館が競って展示するようになった。芸術という事になってしまった彼らの作品は、現在でも画商たちにとって、時には億の単位を生み出す商品であり続けている。






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バンクシ―作品 




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キース・へリング作品



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バスキア作品





ブレイクダンスの世界でも世界大会、世界チャンピオン、世界セッションという催しが次々発生した。現在のブレイクダンス5世達から選ばれる世界チャンピオンクルー(Crew=チーム)はもはやニューヨークとは関係なく、(ブレイクダンスなら韓国と現在は言われているそうだ。それにも関わらず!)なんとドイツのあるクルーがここ数年トップの座に座り続けている。しかもファイナルで対抗したのは、地図帳で確かめないとどこにあるかわからない国、アゼルバイジャンのクルー。そのメンバーはソロセッションの上位から3位までを占めるという強敵だったのだが、この技で勝ってしまったの?というドイツクルーの調子も是非見てほしい。この変容ぶりはもはやヒップホップではない?いや都市の文化、その地のアイデンティティーにかかわるものとしてヒップホップの流れを立派に受け継いでいる?












おまけ 左側がDDCクルー




・・
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by kokouozumi | 2016-09-04 07:10 | 人々 | Comments(0)

クリスマスの屋根が気になる







コルチャック先生の続きが来るはずですが、ヤヌシュ・コルチャック著の児童書を読み始めてしまったため、ちょっと時間が必要です。

そうしているうちに、どんどんクリスマスが近づいてきて
家やアトリエの猫達シーンもなんとなく、それらしい風景になってきたかな。

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やっぱり・・ついに今年もクリスマスマルクトに行ってみました。
そして、今年は屋根が気になりました。

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このお店は羊毛の室内履きを売っています。
普段は山の中で羊飼いをしながら、夜なべ仕事に作っているのかな?と想像させる屋根の装飾。
隣に羊小屋が出現!




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こんなのもある





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あんなのもある
というのは序の口で






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白熊がじゃれている






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白い世界・・・
だけど派手だ







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全体像はこうなっています





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この楽師さんも、Stuttgartマルクトの顔です。
今年は暖かいのに、なんだか元気なさそう
楽器の仕掛けの調子が悪いのか、ときどき音が止まってしまう
それで、困っているのかな




町の景色とともに
メリークリスマス
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by kokouozumi | 2014-12-23 08:41 | 独逸 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生










キンダーランド、こどもの国というプロジェクトは近年、子供達の社会教育を目的としてドイツ中多くの都市で展開されている。発祥を辿ればミュンヘン市のミニ・ミュンヘンに行き着くだろう。2003年頃から2年ごとにオリンピック競技場跡地という広いスペースで、学校の夏休み期間を含む2ヶ月間だけ発生する子供自治の町である。
この町を訪問することは一日でも可能だが、この町の自治体に参加するには、相当の日数と忍耐と経営手腕を要するらしい。この町で就職したいならまず職安を訪れなければならず、この町で自営業を営みたいのなら職業訓練所に通わなければならない。時には営業許可を正式に取らないで開業してしまう子供マフィアもいるらしいが、子供警察がめを光らせている。また営業許可を取得しても、規定の建築基準にそぐわない店作りをした場合は、裁判所行きともなる。そこでどのような判決が下されるかも、すべて子供達の手に委ねられている。この町では独自の通貨があり、商売がうまくいって巨額の富を築いたとしても、その財産はこの町で消費するしかない。首尾よくもうけた子供は家を建てることが出来る。家といってももちろん子供なら一度は試みるような庭先の樹の家に近いものだが、そのための大工もいる。施工主の希望をさらによく表現できる大工もいれば、駄目な大工もいる。駄目なら仕事が来ないから失業し、また職安を訪れて一からやり直し・・・

2ヶ月間に繰り広げられる巨大な構造を持つ子供の遊びかもしれない。しかし、このミニの町で失敗したり、破産したりする経験を持つ子供が、やがて大人になり本物のミュンヘンの町を闊歩するようになったら、と考えると、現在良好なミュンヘンの経済状態を維持する底力がどんどん増えるのかもしれないと想像してしまう。

地域通貨という概念がミニ・ミュンヘンの重要な要素になるのだが、自由経済主義の本来の意味を解き明かそうとした同じミュンヘン出身の作家、ミヒャエル・エンデがいる。彼の思想が日本で紹介された一時期、日本でも300もの地域通貨制度が生まれたらしい。ドイツでは、ギムナジウム学園祭システムにこの地域通貨が取り込まれた例を、私は実際にその場を訪問して確認したことがある。訪問者はまず学内銀行に行き、その場所の通貨に両替しなければならない。その学園祭で同僚の寛太氏の息子が焼き飯屋を経営することになした。必要な食材をあらかじめ市場(学内の)に届けていたところ、市場内の管理が最初から破綻をきたし、品不足が頻発した。子寛太は、即座に親寛太に連絡し、外部からの食材持込を手配して(特殊な食材や非常時には許可された)営業にこぎつけた。他の店はまごまごしているばかりで営業出来ず、焼き飯屋は大繁盛し大もうけした。この市場破綻の余波で早くも倒産した店の従業員を彼の店で雇うことにもなった。しかしもうけた地域通貨はその場でしか使えないから、忙しすぎて買い物にもいけない子寛太は、大統領の給料よりも多くの金を所有しながら、どうしようかと思ったそうだ。

ドイツでキンダーランドを言う時、このようにミュンヘン、ミヒャエル・エンデが連鎖反応的に思い出されるのだが、私はあるとき、キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、聞いた。

コルチャック先生といえば映画にもなったが、第二次大戦時代ユダヤ人の子供達と共にトレブリンカ強制収容所で生涯を終えたという、ホロコーストが語られる中で登場する人物である。そのダークな印象が強くて、とっさに、どのようにキンダーランドとコルチャック先生が結びつくのか聞き返すことを躊躇した。

今年11月日本人会の催しの中で、再びチャリティー企画を行った。タイトルはキンダーランド。支援の方向は昨年から続行している、石巻・渡波地区の『巻きっ子ドリプラ』。2011年津波から立ち直ろうとしている町の子供達が夢を語るプロジェクトの応援。昨年は参加者を子供に限定しないでチャリティーワークショップやバザーを行った。今回はさらに子供達の夢という部分で共通するように、こちらのチャリティーにも子供達が大いに楽しんで参加できるようにと、キンダーランドを雛形にしてプランしてみた。たった一日の催し、しかも始めての試みなので、さすがに地域通貨を取り入れることは出来なかったが、世話役を子供スタッフにお願いした。結果的に昨年のワークショップ参加者は多いときで5時間で30人前後だったが、今回のキンダーランドには4時間で60人以上の子供達がわんさかやって来て、大成功!

キンダーランドというタイトルを拝借して、子供達のパワーを目の当たりにした時、ふとキンダーランドについて語った人が、帰り際、駅のホームで「その発端はコルチャック先生にある・・」と言い残したことを、今なら追いかけてもよいかな、と思った。

続く





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あのお客様、5歳以下の踏み切り場所は3つ前の青い線ですが・・・




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やっぱりそこから、いきますか?おっとそう振りかぶって・・・投げますか






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いけ~~~








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おや、的の中は空っぽ・・・あのお客様、もう営業は終了しているようですが・・・
えっ、もう一回挑戦されますか・・・










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by kokouozumi | 2014-12-07 06:00 | 人々 | Comments(0)

作品 その2





もうすぐ10月。冬の準備や冬の前にやるべきこととか、いろいろなことをもう後回しに出来なくなった。木の柵や戸に保護ペンキを塗らなければ。そのペンキを探しにホームセンターへ出かけ、ついでに薪も買い込む。買い物を積み込んでの帰りがけ、こんな作品に出くわした。



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鶏小屋のある庭からは廃墟が眺められる。鶏小屋にはちゃんと鶏専用の入り口が開いている。一匹の雄鶏がいかにもうるさそうに鳴いているようなのはペーターソンとフィンドスの話を思い出す。私はペーターソンとフィンドスの動画でこの鶏小屋のつくりを知ることになったのだが、この町に引っ越したら、昔農家だったらしい造りの家が多く残っていて、そのような家の中庭にある納屋には隅のほうに必ず小さな鶏専用の出入り口が残っている。



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作品はある物体の周りをぐるりと取り囲んで描かれている。
このキツネさんの左右を見ればその物体がなにかばればれだが・・・






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柔らかな白とグレーの陰影でやさしく描かれている羊が2匹。単純そうでなかなか丁寧な描きこみの、この部分から作品が始まったのではないかしら。







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羊や牛達の牧場と反対側には、のどかという言葉に対して理想的な家が。もちろん犬も猫も住んでいなければ。





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しかしこのワン君、遠目にはおとなしそうに見えるのに、玄関の注意書きをよく読むと、「噛み付く犬に注意」ということだ。






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鶏と羊と牛と犬と猫・・・は見かけたが、人間は一人も描かれていない・・・
しかしこの場所にもかつては領主が居て、領主の館が高台に聳えていた。さてこの館から建築様式を探り出し、この場所が何処なのかを割り出すことが出来る人は?
それが出来たら、絵の作者がこの車に乗って何処に行きたいのか、分かるだろう。








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制作者をちらりと見かけた。小柄なおばあさんだった。









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助手席側のバックミュラーに描く、ペンキを買いに来たのだろうか?
一体どのくらいの時間をかけて、この絵は描き続けられたのだろう?
どんな場所で?
おばあさんはさっさと買い物に行ってしまった。車の周りをひとまわりしながら絵を追いかけていると、聞いてみたいことが次々思いついて、おばあちゃん早く帰ってこないかな、とホームセンターの入り口につい目を向けてしまった。

いつか又この車とおばあさんに会えるかもしれないという楽しみが出来た。

この町に引っ越してからそろそろ1年。
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by kokouozumi | 2014-09-26 07:23 | 美術 | Comments(0)

ななずまい














WMの夏ですが、今年も猫と飛行機雲を呉須(ごす)描きした風鈴を作っていました。昨年に引き続き第2回2015年の『巻きっ子ドリプラ』を応援するStuttgart日本人会、夏祭りチャリティーワークショップの準備です。郷里石巻・渡波出身の私は、チャリティーコーナーを仕切らせてもらいました。しかし夏祭りで、本当に大変だったのは私以外のお手伝いスタッフ。バザーの売り子さん、風鈴キットをビーズや糸で組み立てのフォロー、折り紙指導、昨年のワークショップで万華鏡にトライした親子3人、今回は指導役に。昨年同様夏の風物詩、ヨーヨー釣りを担当してくださったお母さんと傍でおとなしく待っていた幼子。総勢12人の応援部隊が一日中のお付き合いくださいました。

それからもう一組の応援団。この日、東北支援という共通点から、オイリュトミーの研修者達が東北の踊りを披露してくださると、事前に聞いていました。Stuttgartはシュタイナー学校が、確かいち早くできた場所柄、オイリュトミーを学んでいる外国からの留学生が多いはずです。東京の賢治シュタイナー学園出身者という若者の何人かに、私はこの町に来てから出会っていました。宮沢賢治の世界観・精神性がルドルフ・シュタイナーの提唱する精神と繋がっている、という教育理念の学校です。

そして夏祭りに彼らが登場したら、あれっ!袴の上は派手な女物の着物というこの装束・・なんだか知っているような・・いつ?どこで?と記憶を辿り、岩手県一関市千厩町でみたお神楽の衣装が、確かこのような着付けだったのではと思い当たりました。



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1997年。まだデジタルカメラを持たず、写真屋さんで焼いてもらった写真です。岩手県の藤沢町の野焼き祭りに何度もドイツの陶芸家を引き連れて参加していましたが、この年は近くの千厩町で野焼きスタッフの一人がお神楽を舞うというので、偵察に行ったときのものです。この写真から17年も経てしかもStuttgartで垣間見たのは、『七頭舞(ななずまい)』という・・やはり岩手の踊りでした。

『七頭舞』は7つの道具をそれぞれ2人が持って踊るということだが、7組の登場の仕方は儀礼的で、これは武官坂上田村麻呂の時代ではないですか?とまずイメージしてみました。しかし舞台に14人が揃い円舞になると、相撲力士の土俵入りのように膝を折ったまま、跳躍しながらそのリズムで手にした道具(大太刀や長い飾り棒)を動かす、さらに飛び跳ねながら回転する、といった動きは、足腰を常日頃鍛えている騎馬民族系のものではないですか?モンゴルに似たような民俗芸能ないですか?と思ってしまう。そうなると田村麻呂というよりはアテルイか・・。

勝手なイメージはそれくらいにして、七頭舞(正確には中野七頭舞)を調べてみると、江戸末期から明治に移行する頃、黒森神楽(岩手)の神楽太夫だった人が作りあげたということです。岩手県には神楽舞が400種以上も分類されるらしいが、黒森神楽は法印(山伏)が何ヶ月も巡業しながら舞っていた神楽が起源のようです。私が千厩で見た神楽も、その黒森神楽に含まれるということですから、衣装の類似になったのかな?それに足腰の強そうな踊りは、騎馬民族に限らず、山中で修行した山伏の技ということになるのでしょうか?そういえば歌舞伎の中で弁慶が似たような六法を踏んでいたし。

山伏の巡業、つまり門付けということになると、獅子舞にも関係してきます。中国獅子舞の動作と渡波獅子舞のそれが同じ展開をしていたと、前にも書きましたが、民俗芸能あるいは郷土芸能というものは、思いがけず広い範囲にわたる情報を含んでいるようです。岩手・黒森にも宮城・渡波にもその情報が集まるなにかしらのポイントがいつの時にかあったのかもしれません。

そして、今回オイリュトミーという要素も加わって、東北の復興を願う舞い方たちに出会えたことを喜びながら、Stuttgartでの支援活動をさらに展開していきたいものです。

WMはそろそろ決勝戦です。ドイツが勝ち残ってくると、6月13日、あの心理マジシャンが書き残したWM勝者予想が気になります。発表されるのかな?


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ななずまいを舞った人々
Stuttgart日本人会広報 出口撮影



 

シュタイナー施設、スイス・ドルナッハでの賢治シュタイナー学園公演『中野七頭舞』
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by kokouozumi | 2014-07-12 07:10 | 人々 | Comments(0)

庭の展示会









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昨年10月から住み始めた家の中庭で展示会をしました。






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この家の佇まいは背景として、とても面白い要素がいたるところにあります。
作品を無視して、その辺を捉えようとした場面ばかりになりました。










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しかし・・・この展示会の間に生まれた傑作もあります。










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展示会の2週間前から、この家に住み始めたちび猫姉妹
パンクの故郷へーリンゲン村からやってきました。
名前はメリーとジェーン
そう、いつまでも君を忘れないよと歌われているメリー・ジェーン
それはパンクへの思いもこめて

このちび猫たちを見せてくださいとやってくる近所の子供達3人
あのパンクの家を作った3人です
一番下の女の子が描いたメリーとジェーン
部屋のテーブルの上の植木鉢、暖炉、イス・・・そのの中で子供達は
猫を遊ばせようと、こんどは特別の紐を作ってきてきました。

彼女の記憶する情景

メリー・ジェーン、良かったね!あなたたちを愛する人がいっぱいそばにいて
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by kokouozumi | 2014-06-23 06:59 | 陶芸 | Comments(0)

猫物語 映像編










パンクはついに帰ってこない。
飼い主二人はといえば、外出から戻ると、パンクがひょっこり玄関先に座っているのではないかと、一瞬玄関先をくじを引くような気持ちで見つめてしまう。逆に外に出る時はドアを開けた途端に車の下からパンクがおずおずと這い出してくるのではないかと、路上駐車している車の下の気配を探してしまう。そしてパンクがぴょんと飛び乗ってくることを、いつか姿が現れるかもしれないという一抹の期待を持ちながら、時々窓に目をやってしまう・・・、それは自由に外出させていたパンクの帰りがいつもより遅いとき、そうして待っていた習慣であり、これまではそのうちのどれかの登場の仕方で、彼は帰ってきていた。寂しいことに今回はそのような登場がついにない。

近所の人々やいつも工房の前の道を通っていた人々が、一様に残念がってくださる。お世話になっていた動物病院に連絡をしたら、もしかしたら誰かがこの病院に連れてくることもあるかもしれないから、すぐにあきらめないで待ちましょう、との応対だった。

希望を持ち続けるのがいいのか、きっぱり諦めたほうがいいのか分からないが、どちらにしてもパンクの不在は、これからしばらくの間生活の中の空洞となって、その虚無感を追い出すよう飼い主は自分で自分のネジを巻き続けていくしかないだろう。

飼い主二人は寂しさを紛らわせるために、思いつく限りの食べたいものを考えては、料理している。食べながらGPSを着けて置けばよかったとか、猫一匹いなくなって寂しいと思うなら、また猫を飼って紛らわせるしかないかとか、おっちょこちょいのパンクは、今頃まだ死ぬには早かったと気が付いているのではないかとか、取り留めの無いことを話している。そして・・・自分たちの仕事に集中せよということかな、と最後には思う。

寛太氏が8年間制作を続けていたへーリンゲンの工房でパンクは生まれた。新しい生命が工房で誕生したことはとても良い兆候であると、周囲のみんなから喜ばれた。

それから今日までさらに6年が過ぎてきたのだが、それはパンクにとっても飼い主にとっても、住処を次々に変えていくことになる、激動の年月だった。母猫も弟もいなくなり、一匹になったが、どの場所でもたちまち周りの人々を癒す存在として、人気者だった。

その時間を、人間の言葉で解説するよりも、パンク自身の姿としてメモしておこう。




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2008年 ミルクママの一人っ子として誕生 




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5秒止まれ体操のしつけ中。




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目の炎症を起こす



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それでも元気に陶芸教室参加!みんなの靴下をかじりまわる



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さらにテーブルの上でみんなの仕事を観察




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遊びつかれて


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ミルクママと一緒にフライブルクにやってくる。まもなく弟ロックが生まれる



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家族三匹で寛太新工房のオープニングに参加




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ひとりになったね



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2010年2歳の冬


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エヒターディンゲンの日々、ブラッシングが大好き



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2012年 夏




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2014年4月
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by kokouozumi | 2014-05-30 08:07 | | Comments(0)

暖かな今年の1月











今年1月6日の最高気温は確か12℃。1999年の1月6日は17℃だったと、その日のラジオでは冬の日の暖かさを比べていた。薪ストーブ生活初心者にとって、とても親切な今年の冬だが、雪が少なくてスキーには危険らしい。F1ランナーのシューマッハやメルケル首相のスキー事故は、例年に無く少ない雪が災いしたかと、巷では言われている。



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良い天気の朝、ストーブの準備が終わって、散歩に出た
何組ものワンコちゃんたちがやっぱり散歩








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昨夜は久々氷点下になったので、朝の光景はいたるところに霜








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12月から毎日のように天気予報のサイトを覗くようになったのは、自転車生活者としての心得として、いつから市電の定期券を買うべきか判断するためだった。毎日定時出勤の身だったので、始めは12月から2月までは電車利用と覚悟していたが、毎朝電車の窓から平行して走る自転車道を眺めていると、除雪されている箇所がかなり多いことに気がついた。自転車で怖いのは朝の雪道で、前夜に冷え込むとアイスバーン状態になっている。帰宅時、夕方の雪は怖くない。午後から降り始めた雪はふわふわだし、午後7時までは一旦溶けた雪が凍ってしまうことは無いフライブルクという暖かい場所の事情があった。そうなると大胆になって、天気予報で翌日の気温と雪の降る時間、さらに除雪されていない箇所はどこか覚えておけば、冬の間も自転車で動けると思うようになった。私の利用していた天気予報のページは、朝・昼・晩・夜の時間帯で天候が予想されているので、その数値を見ていると、いつも走る道の状態がシュミレーションされるようになった。危ない場所が事前にわかっていれば大丈夫。しかしそんな判断で雪道を甘く見て乗り廻し、自転車を一冬で錆び付かせてしまった。除雪のために撒く塩の影響だった。

Stuttgartに引っ越してからも、冬の天気予報は欠かせない。電車通勤の時は乗換駅で待つ間に、その日どれだけ寒いか、そんな日がどれだけ続くか、予報を見ながらため息をついていた。通勤移動の必要がなくなった今はストーブ生活者として予報に気をつけている。マイナス気温が続く場合、家の水周りを守るため地下のストーブ焚きという作業が加わるのだが、今のところそれが必修という場面がまだ無い。日本の実家で冬を過ごす場合も水周り管理は冬の大事な留意点だった。寝る前に外の水道栓を閉めて、家の中ではどこかの蛇口を開け、家屋内の水道管に水が溜まっていない状態にするのが冬の、特に寒い時期の日課だった。大抵は宵っ張りの私の仕事だった。

Stuttgartで生活するようになって、雪の無いアイスバーン路面の怖さを体験するようになった。朝10時までの霜降り道に要注意。フライブルクでは雪のない道にこれほど危険性を感じなかったから、やはり暖かな土地だったのだと今思う。天気予報の読み取り方も細かくなって早朝のマイナス気温を見のがさないようにしなければ。

もう1つかなり信頼の置ける注意報は、家の前の融氷雪剤撒き状況を知ること。私の住まいの前と工房の前は、同じ大家さんが管理しているのだが、冬場の道路安全対策は、隣人のペンキ屋さんに依頼している。ペンキ屋という職業はもしかしたら温度にすごく敏感なのでは、と思うのだが、なんとなく気になる朝、表の道路を見て、彼が既にその類の塩撒きしているようだったら、その日の午前中は要注意!と、最近わかってきた。
しかしこの融氷雪剤、少なく見積もっても94%は塩・・・らしい。

毎年11月頃から、この融氷雪剤はスーパーでも山積みに売られているし、雪の多い年、玄関先の階段に撒いておこうかと買いに行ったら品切れという事態もあったから、大量に消費されているらしい。フライブルクの自転車道路でも、早朝から除雪されているように見受けられる道路は、実は頻繁にこの融氷雪剤が撒かれていたのではないかと思う。塩が自転車を錆びさせてしまうという出来事から10年の歳月が流れているが、この融氷雪剤は果たして環境に安全なまでに開発が進んでいるのだろうかと、疑問に思いつつも家の前の通りが滑らず歩けることはありがたい。公共道路の交差点など滑ったら危ない場所には、冬の間よく大粒の砂が撒かれている。つまり融氷雪剤の使用を極力控えようとしているようだ。

滑らない靴を履け!自転車をやたら乗り回すな!そういった自己防衛意識が薄れつつあるかもしれないと、暖かい1月に思ったこと。







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この道は農道。トラクターが通って当たり前、しかし私は手袋をはずしたり、自転車を脇によけたりしているうちに、トラクターは遠ざかってしまった。
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by kokouozumi | 2014-01-16 06:47 | 独逸 | Comments(0)

はしっています










第三アドベントを過ぎても、まだ走り回っています。

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窯出しの日に配達へ走ることは、よくあって、届け先に到着して器が詰め込まれた段ボール箱を持ったら、ほかほか暖かい・・なんてこともしばしば。

今回は2箇所の窯だし、底をあたり(ヤスリをかけること) 荷造りして出発するころにはもう夕方でした。

12月にしては陽光が明るく、いつまでも暮れない日でした。







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搬入口に到着








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人々は階段を上って入り口に向かいますが
搬入者は台車が入るエレベーターで上に向かいます。

1件の搬入が終了すると、ほっとします。
窯場の中も、ものが無くなってすっきりです。









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今回の搬入先はマルクト広場に面しているので、今の時期はクリスマスマーケットで、にぎやかです。
独逸の人々は、この時期になると、やおら北方民族化して、マルクトを取り囲む飲食店では、外の席に座って食事する人のほうが多いくらい。








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次は大晦日の特別メニューに使う器が待たれているので
まだ  はしります
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by kokouozumi | 2013-12-19 07:35 | 陶芸 | Comments(0)

器を作り続ける日々








Stuttgartに移って2年が過ぎるのだが、毎日毎日いろいろな器を作り続けてきた。陶芸家の一面として文句ない暮らしだが、一体どんなものを生み出してきたのか振り返る暇も無い多様な注文に埋没した日々とも言える。

最近ある注文主のレストランで、われら工房出身の器たちが並んでいるのを見つけた!
注文主のレストランオーナーはベトナムからのボートピープル2世。11年間チャイニーズレストランで働きながら、自分の店の資金を貯めた。彼の店はベトナム料理ということだが、シェフは日本で鮨を学んだベトナム人と、最近の流行のフランス料理に日本食材を取り入れた路線を実践する独逸人の二本立て。

オーナーは緑が嫌い・・・ということで、赤と黒が主旋律になった。間違えればキッチになるそのテーマを大小の器にバランスして配置する仕事はすごく苦労したが、すごく面白かった。

ここに集まる器は、黒・赤メインを固める脇役たち。黒・赤の周りに結局、白と赤と黒が配置されるのだが、白の釉薬に工夫した。

器の世界は、注文主と作り手のやり取りで、ある景色ができてくる。今この脇役たちにほっとしている作り手がいる。
 



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by kokouozumi | 2013-09-10 06:00 | 陶芸 | Comments(14)


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