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キンダーランドとコルチャック先生










キンダーランド、こどもの国というプロジェクトは近年、子供達の社会教育を目的としてドイツ中多くの都市で展開されている。発祥を辿ればミュンヘン市のミニ・ミュンヘンに行き着くだろう。2003年頃から2年ごとにオリンピック競技場跡地という広いスペースで、学校の夏休み期間を含む2ヶ月間だけ発生する子供自治の町である。
この町を訪問することは一日でも可能だが、この町の自治体に参加するには、相当の日数と忍耐と経営手腕を要するらしい。この町で就職したいならまず職安を訪れなければならず、この町で自営業を営みたいのなら職業訓練所に通わなければならない。時には営業許可を正式に取らないで開業してしまう子供マフィアもいるらしいが、子供警察がめを光らせている。また営業許可を取得しても、規定の建築基準にそぐわない店作りをした場合は、裁判所行きともなる。そこでどのような判決が下されるかも、すべて子供達の手に委ねられている。この町では独自の通貨があり、商売がうまくいって巨額の富を築いたとしても、その財産はこの町で消費するしかない。首尾よくもうけた子供は家を建てることが出来る。家といってももちろん子供なら一度は試みるような庭先の樹の家に近いものだが、そのための大工もいる。施工主の希望をさらによく表現できる大工もいれば、駄目な大工もいる。駄目なら仕事が来ないから失業し、また職安を訪れて一からやり直し・・・

2ヶ月間に繰り広げられる巨大な構造を持つ子供の遊びかもしれない。しかし、このミニの町で失敗したり、破産したりする経験を持つ子供が、やがて大人になり本物のミュンヘンの町を闊歩するようになったら、と考えると、現在良好なミュンヘンの経済状態を維持する底力がどんどん増えるのかもしれないと想像してしまう。

地域通貨という概念がミニ・ミュンヘンの重要な要素になるのだが、自由経済主義の本来の意味を解き明かそうとした同じミュンヘン出身の作家、ミヒャエル・エンデがいる。彼の思想が日本で紹介された一時期、日本でも300もの地域通貨制度が生まれたらしい。ドイツでは、ギムナジウム学園祭システムにこの地域通貨が取り込まれた例を、私は実際にその場を訪問して確認したことがある。訪問者はまず学内銀行に行き、その場所の通貨に両替しなければならない。その学園祭で同僚の寛太氏の息子が焼き飯屋を経営することになした。必要な食材をあらかじめ市場(学内の)に届けていたところ、市場内の管理が最初から破綻をきたし、品不足が頻発した。子寛太は、即座に親寛太に連絡し、外部からの食材持込を手配して(特殊な食材や非常時には許可された)営業にこぎつけた。他の店はまごまごしているばかりで営業出来ず、焼き飯屋は大繁盛し大もうけした。この市場破綻の余波で早くも倒産した店の従業員を彼の店で雇うことにもなった。しかしもうけた地域通貨はその場でしか使えないから、忙しすぎて買い物にもいけない子寛太は、大統領の給料よりも多くの金を所有しながら、どうしようかと思ったそうだ。

ドイツでキンダーランドを言う時、このようにミュンヘン、ミヒャエル・エンデが連鎖反応的に思い出されるのだが、私はあるとき、キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、聞いた。

コルチャック先生といえば映画にもなったが、第二次大戦時代ユダヤ人の子供達と共にトレブリンカ強制収容所で生涯を終えたという、ホロコーストが語られる中で登場する人物である。そのダークな印象が強くて、とっさに、どのようにキンダーランドとコルチャック先生が結びつくのか聞き返すことを躊躇した。

今年11月日本人会の催しの中で、再びチャリティー企画を行った。タイトルはキンダーランド。支援の方向は昨年から続行している、石巻・渡波地区の『巻きっ子ドリプラ』。2011年津波から立ち直ろうとしている町の子供達が夢を語るプロジェクトの応援。昨年は参加者を子供に限定しないでチャリティーワークショップやバザーを行った。今回はさらに子供達の夢という部分で共通するように、こちらのチャリティーにも子供達が大いに楽しんで参加できるようにと、キンダーランドを雛形にしてプランしてみた。たった一日の催し、しかも始めての試みなので、さすがに地域通貨を取り入れることは出来なかったが、世話役を子供スタッフにお願いした。結果的に昨年のワークショップ参加者は多いときで5時間で30人前後だったが、今回のキンダーランドには4時間で60人以上の子供達がわんさかやって来て、大成功!

キンダーランドというタイトルを拝借して、子供達のパワーを目の当たりにした時、ふとキンダーランドについて語った人が、帰り際、駅のホームで「その発端はコルチャック先生にある・・」と言い残したことを、今なら追いかけてもよいかな、と思った。

続く





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あのお客様、5歳以下の踏み切り場所は3つ前の青い線ですが・・・




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やっぱりそこから、いきますか?おっとそう振りかぶって・・・投げますか






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いけ~~~








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おや、的の中は空っぽ・・・あのお客様、もう営業は終了しているようですが・・・
えっ、もう一回挑戦されますか・・・










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by kokouozumi | 2014-12-07 06:00 | 人々 | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ 2 応援され続けて









私が巻きっ子ドリプラのコメンター役を務めることになったのは、Stuttgart日本人会の代理人として。

海外在住日本人の多くの方々が、個人としてまたは団体として、そのように何かしらの支援活動を継続されているのではないかと想像します。Stuttgart日本人会は3・11から1年、2年が過ぎて、支援活動は一過性のことなのか?さらにどのように続けるべきか、という岐路に立っていたとき、被災地の子供達が自らの夢を語るという、巻きっ子ドリプラ応援を決定しました。

それから1年の間、そのドリームプラン・プレゼンテーション計画が進行していく様子を関連FBサイトで傍観していた・・ということは、支援活動を続けようという決定によってもたらされた役得だったと思います。プレゼンターの募集、応募が少なく枠を広げて再募集。5人の子供達が決まってくる。その辺までは大丈夫かな?とはらはらしていたのですが、そこからの後半戦展開が鮮やかでした。他の町でのドリプラを子供達や実行委員会メンバーが一緒に見学。プロ野球選手になりたい子はバッティングセンターに行く。モデルになりたい子は浜辺で波を背景にポーズを取ってみる。漁師になりたい子は実際の漁師さんと刺し網体験。ピアニストになりたい子のお母さんがバックミュージックの伴奏を。大工になりたい子は設計図を描いたり、建築家の事務所を訪問。これって・・・それぞれのプレゼンテーションに必要なシーンかもしれませんが、同時に子供達は夢に向かって第一歩を踏み出しているではないですか。あるお母さんは、「こんなに子どもの夢を真剣に考えたことって今まで無かったかもしれないわ」と思い。あるお父さんはモデルさんの歩く練習のため、地面に竹で矩形を作ってしまう。子供達が夢を語る場面を設定したことで、次第に周りの大人が熱くなっていく・・・そんな様子を傍観していた遠くStuttgartの私たちも距離を忘れて熱くなり、もう誰が応援されているのか、応援しているのか、わからなくなってきました。




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1年後、5人の小学生がいよいよ発表する会場に向かって、渡波小学校の校庭を横切っていました。連なる教室はきれいに修復が完了しています。1年前に見つけた、破壊された校舎前面を覆う花とメッセージが描きこまれた板パネルは取り外され、代わってそれぞれの教室前に花壇ができており、クリサンセマムという名の花が咲き始めています。
花の壁画パネルがなければ荒涼として寒々しかった、昨年の校庭を思い出すと、何処にでも咲いているようなこの花がなぜかとても貴重な彩りとして、印象的です。



5人の発表は立派でした。PC操作を支援するスタッフによってまとめられた映像は、5人が夢に向かって動き出した様子を伝えます。コメンターの一人として隣に座っていた声楽家の女性は、青空応援団の演舞に、このまじめさが良いとつぶやき、思わず彼女の横顔をみつめてしまうと、近頃はなんでもおちゃらけで流してしまう傾向があるから・・・とささやきました。

5人の子供達はドリプラに応募した日から、それぞれの中にある何かの芽を少しづつ伸ばし続けてきたのかも知れません。そして直接、間接に応援してきた大人たちの中にも、
何かが芽生えていった1年間でした。実行委員長の菊地さんは、これだけ多くの有難うを言い続けたことはなかった、と表現していました。わたしたちはみんな、あの何処にでも咲いているようなクリサンセマムのように、どこかの土地に平凡な生活を送りながら、心に何かが芽生えることを喜んでいる。生物学上それは当然のまじめな喜びなのかな。






最後に渡波に伝わる伝統芸能、獅子風流塾(ししまいと読む)の様子をよろしかったら御覧ください。
塾長の近藤さんと保存会の5名が現在3歳から高校生までの30人に技能を指導しています。






前奏のあと、獅子の登場を告げる口上をのべるのが近藤塾長かな。その後のリズムとメロディは、子供の頃獅子舞の追っかけをしていた私にとって、とても懐かしい。近藤さんは震災前20もの獅子頭を集めていたとのことです。ドリプラ会場には、このビデオと同じように3頭の獅子が登場しました。
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by kokouozumi | 2014-04-25 03:58 | 人々 | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ その1 応援団








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2011年震災直後の渡波小学校です
海から3Km(5~600mでした)ぐらい離れたこの校舎1階は波が貫通
この学校の裏手に立っていた私の実家も床上2m弱の浸水

小学校はその後間閉校して補修のみで再び利用できるのかまたは取り壊しになるか、市の調査を待つことになりました。その間子供達は他の学校に間借りして勉強していました。




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他の学校に通いながら、地元の小学校が気になる子供達
彼らの気持ちを察した学習塾の先生が
子供達と一緒に、学校の1階部分をふさいでいる板塀に花の絵を次々描いていきました。

私は昨年の帰郷時にこの絵を見つけたことから
巻きっ子ドリプラの計画も知ることになりました。





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2014年3月29日。ドリプラ開催日に訪れた渡波小学校は美しくよみがえっていました。
幸い1階部分の修復だけでしたが、3年後の今年3月末に再開校です。





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私がこの学校に通っていた時、校門の脇、松ノ木の下には
あの勤勉な子供を代表する二ノ宮金次郎の像があったはず・・・

ありました!今も校門脇の松の木下に








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子供達と一緒に、花の壁画を描いた学習塾の先生
彼が今回の巻きっ子ドリプラを企画・演出・実行した菊地さんです
当日の朝、最後のリハーサル中のプレゼンターの子供達と菊地さん









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そして舞台の下には、この一団が控えていました。


ドリプラの開幕は石巻市長の祝辞
そして実行委員長、菊地さんの挨拶があったはずです

しかしコメンターとして参加することになった私は
会場に入って初めて、5分というコメント時間を知り
えっ!プレゼンター10分に対して5分も話すの!!
と、うろたえる余り、祝辞も挨拶もろくに耳にはいらない
5分のしゃべりの構成をどうしようかと
もちろんプレゼンを聞かなければどうにもならないのに
展開を予想しまくっていました。


そこに突然始まったのが、青空応援団
宮城県のさまざまな応援団OBが集まる一団です。



いや~~
これで、すっきりしました
プレゼンターよりもコメンターのほうが応援されたかもしれません。


巻きっ子ドリプラのお話は
私のブログでは良くあることですが
さまざまな映像を拝借しながら
続けていくことにします

















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by kokouozumi | 2014-04-13 06:23 | 人々 | Comments(0)

ドイツに戻っています










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10日余りの日本滞在を終えて、ドイツに戻っています。
滞在最後はいつものように東京の定宿に宿泊して、近くのデパートや本屋をうろうろするのですが
今回も・・・やっぱり日本のキャラクター文化の健在ぶりに遭遇しました。
高島屋1階のショーケースです。

舞い戻ったドイツではちょっとした猫騒動がありました。
それより、巻きっ子子ドリプラの報告もまだでしたね。

仕事は始めていますが、頭がなんだか働いていない。それを言うと、時差ぼけでも、今に始まったことでもなでしょうと四方八方から声が聞こえてくるのは気のせい・・・。

まずはキティーちゃんとともに、帰還のご挨拶にて
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by kokouozumi | 2014-04-11 05:00 | | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ 3月29日








郷里 石巻市渡波の小学校が3年を経て再び開校されます
そのことを祝して巻きっ子ドリームプラン プレゼンテーション が行われます。


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ポスターの中にいる5人のプレゼンテーターは・・・

津田晃太郎くん 渡波小学校6年生

晃太郎くんは漁師になりたいと夢を語ってくれました。
晃太郎くんは「カツオ」が大好きだそうです。
特に「戻りカツオ」は格別だと語ってくれました。
美味しい魚をたくさん捕って、多くの人に食べてもらいたい。
そのために、高校で勉強して航海士の資格を習得するそうです。
そんな彼は先日、地元漁師さんの計らいで刺し網漁に行ってきました。
私も同船したのですが、とても楽しかったですよ。

今、漁業離れが続いている港町で、若い子が漁業を目指してくれることは、とてもうれしいことです。
ここ石巻は古くからの漁師町。
復興と漁業は切っても切っても離せるものではありません。
彼らのような子どもたちによって、また素晴らしい石巻に生まれ変わることを楽しみにしています。


阿部莉子ちゃん 万石浦小学校5年生

莉子ちゃんの夢はモデルになること。
ファッション雑誌をみてモデルになる夢を持ったそうです。
「どんなモデルになりたいの?」
って聞いてみました。すると
「世界を代表するモデルではなく、身近なモデル。
読者に夢を与えられるようなモデルさんになりたい」
と話していました。
実は莉子ちゃん、モデルを目指すようになってからは
ウォーキングやポージングの練習をしています。
家では、姿勢をものすごく注意しながら生活をしています。
そうそう、頭に本を乗せて歩いたりと。
努力しているんですね。


澁谷伊吹くん 鹿妻小学校4年生

伊吹くんの夢は大工さんになること
震災による津波で、大好きだったおばあちゃんの家が流されてしまいました。
伊吹くんは、そのおばあちゃんに新しい家を建ててあげたい。と話してくれました。
大きくて、家族みんなが集まれるようなおうちだそうです。
次はお母さんに家を建ててあげるそうです。
ちなみに、私の家も建ててくれるそうです(^_^)
最後は、世界中で家がなくて困っている人に家を建てに行くそうです。
昨年、フィリピンが大災害に見舞われました。
自分たちと同じく家を失った人のところへ行くそうです。
凄いですね。

今、伊吹くんは家の設計などにも興味を持ち
PCを操って、家の設計を行っています。
当日は、彼の設計した図面を見るのが楽しみですね。




勝又瑞羚(みれい)くん 万石浦小学校3年生
今回の巻っ子ドリプラでは最年少のプレゼンターです。

私たちからは「みーくん」と呼ばれています。

みーくんは、3年前少年野球のチームに入団することを楽しみにしていました。
しかしその直前、東日本大震災が起こったのです。
津波により、多くの野球道具を失いましたが、全国の皆さんから届けられたボールやバットで何とか練習を始めたそうです。
とは言え当時は練習場としていたグラウンドには仮設住宅が建ち、練習会場も満足に確保できない毎日だったそうです。
そんな中、災害支援にきてくれた多くのプロ野球選手に勇気と希望をもらったそうです。
「プロ野球選手になって全国の子どもたちに野球道具を贈りたい。野球を通じて夢と勇気を与えたい」と語っていました。



勝又梨乃ちゃん 万石浦小学校5年生
ピアニストになりたい

梨乃ちゃんの夢はピアニストになること。
お母さんがピアノを弾いていたことで興味をもちピアノを弾き始めたそうです。
一生懸命練習して出場したコンクールでは、結果を出せずに挫折しかけたこともあったそうです。
しかし、あるピアニストとの出会いから、
「音楽は人を楽しませてくれる」と気が付いたそうです。
自分も人を楽しませるようなピアニストになりたい。
そう思うようになった梨乃ちゃんは、これまで以上に練習をして夢の実現に向かってがんばっています。
当日は梨乃ちゃんの生演奏が聞けるかも(^_^)








上記のプレゼンテーターを紹介するのは実行委員長の菊地康宏 さん
菊地さんが語る『巻きっ子ドリプラ』計画の発端




私は明日、渡波に向けて飛びます。
今、トランクのパッキング中
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by kokouozumi | 2014-03-25 06:34 | 人々 | Comments(0)

あれから三年





今日一日、ラジオを聴いていて、何度も耳にしたフレーズが
あれから三年・・・






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あれから、三年
それは私の仕事にも言えることです。

18年も住んでいたフライブルクから引っ越したのが2011年4月
今となっては、その後どんな状況で現在につながってきたのか
いちいちを言ってみても、仕方が無いものです。

とりあえず、写真のような仕事が新作です。
角鉢を伏せて、乾かしているのではありません。
四角のお皿です。
思いっきり遊ばせてもらいました。

この上に何かを盛りたい料理人がいるのです。
その事に3年の時間の経過が いえるかもしれません。

Stuttgartでは器つくりに専念しようとおもい
それは、器を作り続ける日々のタイトルで紹介したとおりですが
そうやっているうちに、こんな仕事も舞い込んできました。
写真はまだ柔らかいうちに、壁を組み立てながら表面のニュアンスをつけたところです。

1日おいて、土の固さが増したところで、しっかり接着します。
接着といっても基本は水と土です。

今日3月11日に
この器に使う釉薬を作ったり、試しがけをしたり
同僚が風邪でダウンしたので
一人、仕事場の友、ラジオを聴きながら作業していました。

そこで耳にしたのが
あれから3年のフレーズ。
ラジオの面白さは、毎時のニュースで同じ言葉が繰り返されつつ
徐々に内容が添加されていくことです。

福島の事故から3年
ドイツでは2020年までに原発全停止を
しかし、その後原発廃棄物をどうする?
セラフィールドでは50年代に閉鎖されてから、いまだに廃墟として施設は残されたまま
廃棄物処理場が世界中の何処になるのか決まらないうちから
テロリストから狙われたら怖い・・・ので
その施設の構造研究だけは進められている・・

廃棄物処理のコストを考えたら
世界中で新しい原子力発電所をあきらめて
再生エネルギー施設に投資したほうが経済的であると

4年目のころには、しっかり計算されたデータが出てくるかもしれない

そして、私の仕事はどんなことになっているかな・・・
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by kokouozumi | 2014-03-12 07:47 | 人々 | Comments(1)

立体万華鏡







昨日の日曜日はついに第一アドベントの日を迎え、大事な日曜礼拝なので、ご近所の教会でもさまざまな音楽家がアクセントを形作ったようです。これは工房や最近私が引越しした家の大家さん家族から聞いた話しで、工房の大家さんはクラシック音楽、私の大家さん(工房の大家さんの娘さん)はポップ系ですが、昨日は両者とも違う教会で演奏していました。

ワンテンポはずしてしまいましたが、第一アドベントに相応しい映像はこれでしょう。
立方体万華鏡の内部をカメラが覗いたものです。


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美大同級生の作品(本人山崎氏の映像より)






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(園田氏 写真)
ワークショップでは自作の箱にタイトルも考えるのですが・・・
『ハレルヤ』
どうして!!こんなタイトルが思い浮かぶの!!すごっ







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(園田氏 写真)

で、その『ハレルヤ』作品。お友達同士男の子二人の共作








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(園田氏 写真)
こちらはモダンな赤と白・・・しかし・・・
この赤と白、鮪の乗っかった鮨ではと、限りなく思えてくる。
タイトルは『大晦日』
ご両親様、大晦日には彼に鮪鮨を万華鏡内に見えるだけ、振舞ってください!
とつぜん、近眼の親にならないでくださいよ。






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(園田氏 写真)

こちらは、そのお姉さん作
タイトルは『クリスマスの森』
一見、兄弟の感性は似ているようで、意図は全く違う・・・







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(園田氏 写真)

そのお母さん作
朝・昼・晩を描いている
にぎやかだけど、こんなに静かな時間は、この箱の中にしかないのよね?





この立方体万華鏡、最近では3D万華鏡ともネーミングされましたが、1970年代後半に、私の美大時代の同級生が1年次の課題制作に提出した作品が起源となっています。
その課題は『増殖する形』というものでした・・・確か。現在も過去においても怠け者だった私は、自分がどんな作品を提出したか全然覚えていないのですが、記憶に残っているのは、電球をいくつかぶら下げて遅れて講評会にやって来た一人が、この電球を部屋に吊るしてモーツアルトの音楽を聞いていると、音が部屋中に増殖するといって、みんなを煙に巻いたことと、この鏡ボックスの中に形を増殖させた作品です。後者は当時の教授の絶賛を得て、同級生一同その箱を覗いて、彼の頭の構造が我々よりも数段優れていることに、素直に感嘆したものです。裏面塗装を点または線で剥がした6面の鏡で構築された立方体の内部には、その塗装を剥がされた部分から光が差し込み、線や点の形が鏡張りの内部に何処までも増殖していくという考えです。

その作品は雑誌に取り上げられたり、販売もされるようになって、多くの人の目に触れることとなりましたが、この作品を目にしたある化学物理学者が、この作品を考えたのは誰だ!と追求したお陰で、独逸のぼんくら同級生も、かつての課題優秀作品が今、ユニバーサルアートとして、世界中で紹介されている経緯を知ることとなりました。

その科学物理学者の園田氏はリチウム電池の研究では世界で何本かの指に入る方で、世界中を駆け回っている。その分野のすごさは私にとって計り知れないものですが、もっとすごいのは立体万華鏡作りをそのいく先々、つまり世界中でワークショップしていることです。ワークショップの展開はホスピスの子供達にも・・ということになり、彼らに許された制作時間や扱うことの可能な軽さを求めて、素材キットの開発に着手されたのです。ガラス版は紙のように薄い樹脂ミラーが探し出され、裏面塗料を削る作業も小型ルーターを利用することになりました。

その素材研究によって、とても扱いが簡単になったキットを利用して、Stuttgart日本人会行事の一環としてチャリティーワークショップを行い、生まれたのが上記の作品です。チャリティーの目的は、郷里渡波の子供達が対象でした。その辺の背景や園田氏の活動を、このように駆け足の説明で今回は省略してしまい、申し訳ない限りですが、また機会を捉えて話しを続行させていきたく、お許しを。
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by kokouozumi | 2013-12-03 08:23 | 美術 | Comments(0)

キャラクター文化はなんといっても










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日本へ帰国するたびに、びっくりさせられるのがキャラクターの拡散かもしれない。
たとえば、バスの中から見つけた道路工事現場を隔てるガードの愛嬌あるキャラクターたち。仙台・石巻間をこれまで何十年も利用していた電車は、あの震災以来まだ全線復旧していないので、バスを利用することになったが、仙台駅前を出発してすぐこのケロガード遭遇した。工事現場を通過する際、一時停止や減速を求められるドライバーのイライラを和らげるためにと、2007年頃北海道で始まったらしいゆるキャラガード。

しかし郷里、渡波の町を歩き、特に海沿いの道路で次々このキャラクターガードを見かけたときには、工事現場を隔てる和みとしてよりも、記憶している場所とその変容を隔てる表示のように思えて、一瞬ドキリとした。 が、このようなアイデアに行き着くほど、キャラクター文化は日本の独創でダントツ世界のトップを独走しているという思いがセンチメンタルな気分を押さえ込んでしまう。

日本のキャラクター市場はアニメも含めて4兆円の巨大産業に成長しているらしい。
他の産業との割合はどうなのだろうと、細かい詮索をする前にドイツ日常の中でもその一端は感じられる。

ポケモン、特にピカチュウ、ガンダム、さらにはトトロ、ドラエモン、ハローキティなどはドイツの子供達の口から自然に出てくる単語であり、子供達が陶芸教室で作りたいものベスト10もそのキャラクターがまず並ぶ。駅構内の本屋などでは漫画コーナーが広がりつつある。スーパーマンやバットマンを脇に押しのけて中央に並ぶのはドラゴンボールシリーズ。そして同じく日本のソフトタッチな漫画がその両サイドを固める。その横でアメリカンコミックスのアクション画法はすっかり古典になってしい、漫画の歴史書的に置かれている感じがする。翻訳物の日本漫画を読んだことから、日本語や日本文化に興味を持ったという何人もの独逸人若者にこれまで出会ってきた。各場面のせりふが日本語の下にドイツ語訳を入れた本もあり、対応して字を覚えてしまうらしい。

日本のキャラクター文化は日本に滞在する機会を得たドイツ人にとってもインパクトがあったようで、日本滞在経験を持つ独逸人デザイナーの捉え方として「日本のキャラクター51」というのがシュピーゲル誌に取り上げられている。51という数は日本のひらがな51字にあやかったものだが、カルタ遊びのように、あ、い、う、え、お、の文字でキャラクターを探しているわけではない。受験生、コスプレ、忍者、芸者、痴漢、オタク、暴走族、駅員などをおんなじ形態の中に服装を変えただけで、表現している。
「日本社会に見られるいくつかの典型的な人々や社会現象を陳列することによって、楽しい日本へのアプローチです」ということだが、独逸人の考えるキャラクターの意味がそもそも日本のキャラ文化と違う。



日本国内で今白熱しているのは、各県のマスコットキャラクターだろう。くまモンなんて熊本物産の売り上げ30億に貢献しているというし、それだけの成果があるから、マスコットたちの地位も向上して県職員という肩書きまである。さらになんと!あの伝統あるテディ・ベアを生んだドイツ・シュタイフから1500体限定のくまモンぬいぐるみが発売されて、5秒で売り切れたそうだ。ebayでは既にアメリカ経由で2体のくまモンが2倍から3倍の値段で出てきている。

シュタイフ社が日本との提携に踏み切ったのは2011年だった。ドイツでは日本との友好150周年ということで企画が目白押しに計画されている時に、あの震災が起こった。シュタイフ社も日本復興を願って何かをしたかったようだ。その年9月になでしこが女子ワールドカップで優勝。ピンクのなでしこ・テディ・ベアが生まれた。

1つのキャラクターマスコットはデザイン力と、積極的なのりの気分によって、どれだけの道が開けるか、くまモンストーリーからうかがい知ることが出来る。
未来のロボット化時代にも、日本では楽しいキャラクターを生み続け、人間とロボットの間に和みを関与させることが出来るかもしれない。












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私にとって
郷里渡波のキャラクターは
これなんだけど






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by kokouozumi | 2013-05-23 06:24 | 人々 | Comments(22)

地図








私の生家は渡波駅の目の前にあった。その駅を通過するのは石巻―渡波―女川を結ぶ
石巻線のみ。私の家は駅舎を出て左手、プラットホームの向かい側に並ぶ家々の一番始まりのところだった。駅舎から右手はプラットホームのスペースが無い分、家々は線路際ぎりぎりのところから、線路を背にして並んでいた。駅から出て、視線をまっすぐ伸ばすと橋が見えた。その下を流れているのは太平洋の水。地図の中では石巻線は殆ど海沿いを走っているようにしか見えない。

小学校に行く前の私の日課は、駅に面する窓辺に踏み台を置いて上り、目の前で展開する貨車の天井から氷と魚を投げ込む作業を、飽きもせず眺めていることだった。そのリズミカルな掛け声とシャベルの音は毎日のように聞こえていた。当時の駅には貨物用のホームがあり隣接してホーム側が片側開きになった魚を保管する大きな倉庫があった。

幼い私の印象では、駅はディーゼルカーに乗る人々以上に、貨車に積み込まれる魚のためにあるようなもので、今思えばそれは、町の漁業状況を目撃していたことになる。学校に入学して窓辺の私の日課はなくなり、その後の経緯、駅の魚倉庫に空の木箱が積み重ねられたまま放置されていた時期やその倉庫もなくなってしまったのはいつからか、覚えていない。

物心付いてから小学校に入るまでずっと、家族の中で唯一渡波出身である祖母と私は、一日中一緒に居たはずだが、祖母から海に関する話を聞いたのかどうか、これも記憶に無い。それでも駅の光景や、船の入港を伝える市場のサイレン、それに風と共に流れてくるにおいで、私は魚町の真っ只中にいた。

小学校4年か5年生になって、思いがけずクラスのあまり遊んだことも無かった女の子から誕生会に呼ばれた。たしか船主の娘だったと思う。「これが子供の誕生会の・・」と思うほど豪華な食事に舞い上がり、大宴会場のようにその料理が並ぶ部屋の、神棚の長く立派なことに驚き、遊んだ船具のある納屋の巨大さに、面食らった。その日は雨だったが十分かくれんぼを堪能できた。私は子供心に、海にかかわる生活がこれほど、なにかゆったりした豊かさを内包していることを感じた。それは部屋を横切る神棚の印象だった。

私の家は漁業と関係が無かったが、海のそばでの生活には違いなく、新鮮な魚をいつでも食べることが出来るという恩恵とともに海の怖さも知っていた。海水浴場に歩いていけたが、東北の浜で泳げる時期は短かった。8月のお盆のころには土用波という大波になるので、もう泳げなかった。隣家の船長の奥さんは夕方いつもラジオの前に立って、船の針路を告げる有線放送を聴いていた。私がまだ小学生のうちに、その船長は海で亡くなり、家族は引っ越していった。

だから誕生会に呼ばれた女の子の家で、正月でもないのに美しく飾ってある神棚を見た時、日々の生活が祈りと共に執り行われていることをすぐに理解できた。そこには女の子と学校で共有する秩序とは違った世界があった。祈ることを背景に持った彼女やその家族の生活が、とてもまぶしく感じられた

昨年3月以来、私は何度か同級生たちとの通信をしながら子供時代のこの感覚を思い出していた。子供ながらに祈りながら自然に服従せざるをおえないと知っているその土地の空気を感じていたのだと思う。今もその土地には私にそのような精神世界を伝えた人々が居る。その土地の地図は、精神地図というものがあるとしたなら、さらに色濃い書き込みが続けられていくのだろう。彼らなら叩かれてなお、人間が作り出せない自然の豊かさをますます感じているのではないか。

私の勝手な想像はこれくらいにして、その土地の確かな話がある。

 ☆ 確かな話
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by kokouozumi | 2012-03-13 07:12 | 人々 | Comments(21)

新年早々






1月1日のフライブルク、近所を散歩して

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昔、私の子供時代ですが、季節の行事はすべてうきうきする遊びの一種であり、特に冬に起こることは、とても緊張感のある楽しいものとして覚えています。暮の大掃除! 朝からコタツは取り払われ、各部屋の障子も容赦なく開けられて、子供はぐだぐだしている場所を失い「おー、さみー、おー無情」とふるえながらも、埃を払った電灯の光や張り替えられた障子の白さ、取り出される正月用の器、そして搗き立ての餅を、きなこや海苔で巻いてほおばる特別の昼食と続けば、すっかり風の子になり家中を飛び回り始めるのでした。流石に親は風の子の扱いを知っています。新しい障子紙はどの柄にしようか?穴だけ塞ぐ形を何にしようか?と、さりげなく意見を求めて、作業に引きずりこみます。子供はうっかり桜の形は自分が切る!などと申し出て、気が付けば糊作りや父が張る障子紙を押さえる役など、すっかり丁稚の仕事にはまり込んでいるのでした。そのように歳の市にでかけ、神社へお正月様を取りに・・・ここで故郷の友人からの手紙を突然引用しますと『・・で、うおちゃんの「まえだまぎ」だけど、私の推測では、それは「まゆだまき」漢字で「繭玉木」では?小さい頃、毎年祖母が餅を丸くしてミズキの枝にくっつけていた光景を思い出します。私は、うおちゃんとは逆に、繭玉は餅でつくり、色気のない白いものだと思っていて、友達の家だったか、どこかの親戚の家だったかで、色とりどりのカラフルな繭玉をみてカルチャーショックを受けた記憶があります。』というように歳の市で既にカラフルな繭玉のついた枝振りの良い手ごろな大きさのミズキを選ぶのも、私には外せない任務でした。手紙のやり取りにあるように、私は一度友人の家で、白い餅だけの飾りを見て「渋い!」と感激し、翌年はなんとしてもそのようなお飾りを作ると言い張り、作業場所の約2㎡と自分の全身をべとべとにし、できた繭玉木は餅の汚れがついたようなみすぼらしいものでしたが、満足でした、うん。

こうして、家中が美しく、新しくなる嬉しさに加えて、事あるごとの特別ご飯と何よりも寒さの中でおこなわれる緊張感として思い出されるのです。

風の子の勢いは正月を迎えて、ますます盛んになっていきます。元旦の朝、新しい火をおこすまで、火の気のない部屋で着替えをすることも問題なし!その後に年に一度の出来事がいろいろ待っているのですから。

私の故郷、渡波には獅子舞がありました。それがだんだん近づいてくるはずです。各町内会で獅子頭を持っていましたから、微かに聞こえる笛や太鼓の音が自分の地域のものか、あるいは隣の地域のかを判断するのも子供の役目です。それはお正月の足音に聞こえました。今振り返って考えると、あの獅子舞を取り仕切るメンバーのコンビネーションは見事なものでした。まず親方が、(獅子舞の笛・太鼓や振り付けを伝承する大変な方だったと思います。)獅子の前にちゃんとやってくる。そして各家で杯を断ることもなく、時には獅子より真っ赤な顔をしながら、ご祝儀を受け取り忘れることもなく、獅子が我が家で舞い終わる前にちゃんと隣の家に座っている。楽師と舞手たちも同様に、遠くからの音色で獅子を登場させ、嵐と呼ばれるクライマックス(このとき獅子頭を持つ人は後ろ足の人に肩車されるので、子供の目にそれはもう巨大な獅子になる)の笛・太鼓は玄関先で鳴り響き、やがて楽師達が歩き出し、獅子は名残惜しそうに去っていく。
私は獅子舞のストーリーを子供心に『お正月のお祝いを言いにきた獅子が、お酒を勧められて、飲みすぎて暴れ、疲れて眠り込み、はっとわれに返って恥ずかしそうに帰っていくのね。』と解釈していたのですが、ヘルシンキからのフェリーの中で、渡波の獅子舞と全く同じ場面展開を、中国の獅子舞が演じたのを観てびっくりしました。そのことをきっかけに獅子舞のルーツなど調べると、二人立ち(蚊帳で作った巨大な胴体部分に前足と後足の2人が入る)や演じられるストーリーが、大陸から伝わった伎樂系と分類されているらしいです。何故中国大陸から渡ってきたものが、この東北の港町で受け継がれているのかと、不思議に感じました。

三が日が過ぎても風の子の楽しみはまだまだ続きます。七草(種)がゆ・・最近では商店でセットになった食材を買えますが、昔東北の町では1月7日ごろお供え餅を水に溶かして、正月の餅とは一味違った食べ方をしました。そして寒さが益々厳しくなってきたころの、どんと祭の夜。夜空を照らす巨大な焚き火に、「今年一年元気で過ごせるように、良く火に当たるのですよ」といわれながら、体の前・後を十分に火にかざし温めたのでした。

故郷の友人は手紙の最後に、『7日は石巻地方の「どんと祭」でした。他の地方は14日だよね。どうして違うのかわかりますか?それは、又次回に。』と、結んでいるのでした。

風の子だった時の好奇心を再び取り出して、次のお便りを待っています。






歩けばどこかにぶどう畑のあるこの辺、南バーデンの一角を・・・首を横にしてみてね。
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by kokouozumi | 2010-01-08 17:46 | Comments(23)


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