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2017 年 晩夏









シュバルツバルトのほぼ中央に位置する町で、毎年このころに開催される陶芸祭を見学するため久々にフライブルクを拠点に何日か過ごしました。陶芸祭見学の後はこれもかなり久しぶりにバーセルまで足を延ばし、二つの美術館を訪れました。
かつてフライブルクに住んでいた頃、良く訪れた場所を巡り歩いたわけですが、バーセルからの戻り道、なんだかあんまり懐かしくも、満足もしていない自分に気づいてしまいます。
違う町で重ねてきた年月のせいなのか、陶芸祭でもバーセルの美術館でも、何か過去を探っているだけのような、今みている時点で楽しんでいないような感じです。何のためにわざわざやってきたのかなあ。
晩夏とはいえまだ陽は長く、夕方はフライブルクの街で知っている場所へと散歩に出てしまう事になります。それで最後は夕食のためにどこかのレストランに入ろうと思っていたのですが、フライブルク滞在を満喫しているとも言えない中途半端な気持ちで、さほど空腹でもなく、こんな時は超中途半端なもの、例えばポンフリ(フライドポテト)、中途半端な気持ちにポンフリといういい加減な言葉が良く似合うというわけで、ポンフリにワインという取り合わせが可能な場所と言ったら、やっぱりあそこです!!ハーモニーのレストラン。ハーモニーは映画館の事ですが、映画を観る前か後に立ち寄るレストランでは、軽くポンフリに一杯が許されるのでは、と勝手な解釈ですが。
・・というわけでハーモニーのレストランをどんどこ奥に入り込んでみたら、ちょうどサッカーの試合を大画面でやっていました。こんなのをぼんやり眺めていれば一人客の手持ち無沙汰がごまかせるな、ということで大画面スクリーンが良く見える場所に座りました。反対側には若い女性がやはり一人で熱心にサッカーを見ています。良し仲間がいるぞ!が、しかし数分後、彼女には仲間がぞろぞろ現れました。しかも席を移動してスクリーンのど真ん中、つまり私のすぐ横にその学生と思しき団体は陣取ったのです。何ですかこの団体は??映画研究会、これか何か話題の映画を観ようという魂胆ですか?手持無沙汰にそんな詮索をしていると、私の前に、僕の席はここです!という感じですたすたやってきた人が座る。とにかく暇だからそんな観察をしているうちにサッカーの試合は終わってしまって、お~~なんとタートオルト(Tatort)が始まりました。日本のテレビ番組の何に例えたらいいのかとっさにわかりませんがドイツでは40年以上続いている番組です。あれっ、団体若者たちもすたすたやってきた方も、なんだかスクリーンを見つめる感じが半端ではないぞ。素早くオーダーを済ませ、熱心にテレビを観る体制になっています。
「えっ、ここ映画館ですけど、テレビを観てていいのですか。いや私もタートオルトはこれまで正式に見たことが無かったので・・みてしまおうかな・・」

映画館レストランで、テレビを観る人々がそんな風に編成されてしまったわけです。
タートオルト=事件現場という番組なのですが、初めて熱心に見てしまったら、なかなかひねりあり複数事情が交差したりの一筋縄ではいかないストーリー展開でした。そして1時間の放映が終わると、学生グループも一人の観客も、私も、フ~~と言ってレストランを後にする具合で、ほんとにみんな、映画館でテレビを観た夕べになったのでした。

何かこの出来事で、私は久々のフライブルク滞在に満足することが出来たのでした。


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ハーモニー



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みんなでテレビ鑑賞





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フライブルク旧市街はなんと言っても市電の線路が・・






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そして・・












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by kokouozumi | 2017-09-11 06:11 | 人々 | Comments(2)

猫物語 映像編










パンクはついに帰ってこない。
飼い主二人はといえば、外出から戻ると、パンクがひょっこり玄関先に座っているのではないかと、一瞬玄関先をくじを引くような気持ちで見つめてしまう。逆に外に出る時はドアを開けた途端に車の下からパンクがおずおずと這い出してくるのではないかと、路上駐車している車の下の気配を探してしまう。そしてパンクがぴょんと飛び乗ってくることを、いつか姿が現れるかもしれないという一抹の期待を持ちながら、時々窓に目をやってしまう・・・、それは自由に外出させていたパンクの帰りがいつもより遅いとき、そうして待っていた習慣であり、これまではそのうちのどれかの登場の仕方で、彼は帰ってきていた。寂しいことに今回はそのような登場がついにない。

近所の人々やいつも工房の前の道を通っていた人々が、一様に残念がってくださる。お世話になっていた動物病院に連絡をしたら、もしかしたら誰かがこの病院に連れてくることもあるかもしれないから、すぐにあきらめないで待ちましょう、との応対だった。

希望を持ち続けるのがいいのか、きっぱり諦めたほうがいいのか分からないが、どちらにしてもパンクの不在は、これからしばらくの間生活の中の空洞となって、その虚無感を追い出すよう飼い主は自分で自分のネジを巻き続けていくしかないだろう。

飼い主二人は寂しさを紛らわせるために、思いつく限りの食べたいものを考えては、料理している。食べながらGPSを着けて置けばよかったとか、猫一匹いなくなって寂しいと思うなら、また猫を飼って紛らわせるしかないかとか、おっちょこちょいのパンクは、今頃まだ死ぬには早かったと気が付いているのではないかとか、取り留めの無いことを話している。そして・・・自分たちの仕事に集中せよということかな、と最後には思う。

寛太氏が8年間制作を続けていたへーリンゲンの工房でパンクは生まれた。新しい生命が工房で誕生したことはとても良い兆候であると、周囲のみんなから喜ばれた。

それから今日までさらに6年が過ぎてきたのだが、それはパンクにとっても飼い主にとっても、住処を次々に変えていくことになる、激動の年月だった。母猫も弟もいなくなり、一匹になったが、どの場所でもたちまち周りの人々を癒す存在として、人気者だった。

その時間を、人間の言葉で解説するよりも、パンク自身の姿としてメモしておこう。




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2008年 ミルクママの一人っ子として誕生 




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5秒止まれ体操のしつけ中。




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目の炎症を起こす



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それでも元気に陶芸教室参加!みんなの靴下をかじりまわる



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さらにテーブルの上でみんなの仕事を観察




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遊びつかれて


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ミルクママと一緒にフライブルクにやってくる。まもなく弟ロックが生まれる



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家族三匹で寛太新工房のオープニングに参加




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ひとりになったね



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2010年2歳の冬


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エヒターディンゲンの日々、ブラッシングが大好き



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2012年 夏




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2014年4月
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by kokouozumi | 2014-05-30 08:07 | | Comments(0)

新作は・・







陶芸家のIka(イカ)さんのアトリエはフライブルク市旧市街地の、1460年に建築された集合住宅1階にある。通りに面している2つの窓からすっかり見通せるアトリエの、しかも窓際に轆轤場がある。彼女はそこで40年間、通行人の目の中で仕事をしてきた。正確には前半の20年間、アトリエは向かい側の建物にあった。そこも現在のアトリエと同じような2つの窓が通りに面していて、仕事ぶりを覗くことができた。

その辺一帯は戦火を逃れた場所なのか古い家が多く残り、1階部分はそのように大きな窓を持つ商家風の佇まいとして連なり、現在でもフライブルク観光のスポットになっている。






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イカさんの販売リストには購買者の住所として、ベルリンやハンブルクなど遠くの地名が載っていると、いつか聞いたことがある。昔からシュバルツバルト山岳地帯へ休養・保養でやってくる人々にとって、フライブルク市内の観光は格好のプログラムとなり、何か気に入った店や場所があれば滞在中に何度も山から下りてきて足を向けるようなことが起こっただろう。これは『シュバルツバルト』という郷土の歴史展・解説の中でも言及されたことで、絵葉書や地名入りマグカップといった小さな売り上げ以上に、町の工芸は観光客による大きな買い物によって支えられてきた、ということだ。

大きな窓から覗き見た内部で営まれている光景は、毎日その前を通りすがる誰かの人生をも動かす作用がある。私を最初にIkaさんのアトリエへ連れて行ったのは、Staufen陶芸美術館の管理人さんだった。その人はIkaさんのアトリエに近いギムナジウムに通っていたので、ティーンエージャーの数年間、毎日彼女の仕事を覗きながら通学していた。それは毎日の楽しみであり、次第に陶芸に魅せられたというほどの大きなものへと膨れ上がっていった。その管理人さんが美術館の休館日にIkaさんのアトリエへ案内してくれた。しかしその時間はIkaさんの昼休み時間だった。後から気がついたのだが、何年も毎日その場所を通りすがっていた人間が、昼休み時間を把握していなかったはずは無いだろう。つまり彼は、自分とIkaさんとの関係の中ではなく、私とIkaさんの出会いを作るべきだと、考えていたのではなかろうか。「ごめん、今は開いていないので、後でまた来てみたら」と、確かその時言ったのだった。

管理人さんはしかし、自ら陶芸家になるつもりは毛頭無かった。管理人として陶芸美術館に住むというすばらしい環境を返上して、一度挫折した大学の美術史の勉強に戻り、やっぱり陶芸をテーマに博士論文を仕上げた。その内容は美術館という場所も、美術史家という立場の人々も、ある時なぜか一気に陶芸に目を向け、持ち上げたが、その後は?という陶芸史(最後までまだ読んでいない)。



先日、久しぶりにIkaさんと会った。その前に彼女と会ったのは3年前の私がフライブルクを離れる頃だったかな。「20年も住んでいれば友達が一杯出来たでしょう。何でその場所を離れるの?」と、彼女はその時言った。

1926年生まれ、今年87歳になるIkaさんの陶歴は60年。40年間、フライブルクの工房を維持してきた彼女の活動は、良い時代に制作してきましたね、と他人が簡単に言ってしまいたくなるのと違う、彼女本人にしか知りえない人生だったのだろう。
今思うと、3年前彼女が私に言った送別の言葉も、その人生からふと出てきたものに違いない。その時の彼女は元気に歩いていたが、今は何かにすがらないと歩けないし、アトリエに続く住居にも住めなくなって、ホームから通っている。最近は鳥を眺めているのが楽しいそうで、新作は鳥を作っている。





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by kokouozumi | 2013-09-22 05:23 | 陶芸 | Comments(0)

フランクフルト中央駅



車で西に500kmのデュッセルドルフ市へ仕事のために移動。帰り道はフランクフルトから電車に乗り換え、パンクの留守番する工房へその日のうちに帰ります。





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電車が40分遅れたので、ドーム屋根の下に広がる駅の様子をゆっくり眺めていると、日本からはじめてフランクフルト空港に降り立ち、初めの印象的な光景がこの駅だったことを思い出します。端頭駅独特の広がりに、ドイツの駅は巨大なのだと、その印象を写し取るには何処を捉えればいいのかと思いつつ、シャッターを押し続けたはずですが、デジタルカメラの普及していなかった時代のことで、何本もの当時のフィルムは現像されないままうやむやに消滅。その後まもなくフランクフルト空港に空港駅が開通して、中央駅を通過することなく自分の目指す都市へ移動できるようになりました。
 
かつて、私が利用していた東京の駅にも端頭駅がありました。小田急線・新宿駅と昔々の上野駅です。「故郷の訛りなつかし停車場の、人ごみの中にそを聴きにゆく」石川啄木が上野駅でこの詩を作ったと学校で習い、いつの間にか「故郷の訛りなつかし上野駅」と勝手に作り変えて覚えてしまった詩です。上野駅は東北人にとっての中央駅でした。
上野駅構内で訛る限りは、詩に歌われる情緒となりますが、そのエリアを越え山手線の中で訛ってしまった私から、姉は知らぬ人間のように離れていったものです。

学生時代に利用した小田急線・新宿駅は、そのような端頭駅の情緒や旅情とは違うものとして思い出されます。何しろ学生時代はいつも慌てていました。それは20代の年頃なら・・いえ、それは東京の生活だったら普通の行動だったのかもしれません。改札を通過する際、頭上にある電光掲示板から、番線と電車の種類(急行とか普通とか)と出発時間を瞬時に検討し、どのホームに走りこめば最も早く、自分の住む町に到着できるかの問題が優先でした。

ところで訛りに関して、東西南北の路線が交差するフランクフルト中央駅では、各地の訛りが聞こえるのかというと(それを聞き分けたら外国人としてすごいと思うのですが)
以前フライブルクから乗り込んだ電車の中である証言に出くわしました。乗り込んだICE(特急)の車両は既に一人の乗客が座るコンパートメントでした。そこにフライブルクから私ともう一人が乗り込みました。3人は別に会話をすることも無く、それぞれの過ごし方で座っていたのですが、次の駅カールスルーエを前にフランクフルト到着時間が遅れるというアナウンスが入った時、フライブルクの前から乗り込んでいた一人が「またか!私はいつもこの電車を利用するが、フランクフルトで乗り換える電車に、3回に一度は乗り遅れる」と、嘆いています。それをなだめるようにもう一人が嘆いている彼と会話を始めたのですが、そのうち「貴方はスイス人ですか?標準ドイツ語ですね。」と聞きました。返事は「スイス人ですが、フライブルクから標準ドイツ語に切り替えます」でした。私はしばらく、この二人の会話の意味を考え込んでしまいました。特急ICEのフライブルクより前に停車するのは、チューリッヒまたはバーセルとスイスの駅。先客はそのどちらかから乗り込んでいたはず。彼が列車の遅れを嘆いた言葉は、私にも理解できたから標準ドイツ語。確かにスイス・ドイツ語だったら、私には全く理解できないほどの訛りがあったはず。このスイス人のように、いつもドイツを駆け抜けて仕事していると、ドイツに入ったら標準ドイツ語にするということか。







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遅れた電車を待つ間、ホームをビアホールに仮想してしまう達人たち






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大きな駅には必ずある、本屋さんの前に来ました。
時間つぶしのつもりで中をぶらぶらしていると、ベストセラーコーナーに昨年10月に地上39Kmからジャンプしたフェリックス・バウムガルトナーの本を見つけ、帰りの電車の中では、早朝からの移動の疲れを忘れて楽しませてもらいました。

レッドブル・ストラトスミッションは5年の準備期間を要したのですが、3年目にバウムガルトナーは一度このミッションを投げ出そうとしたことがあります。原因はあの宇宙服のような圧力服と顔を覆ってしまうヘルメット。それを着装して10kmからのテストジャンプを目前に逃げ出してしまうのです。58年前にこの装備で31kmからジャンプしているキティンガーはエア・ホースの戦闘機パイロットでしたから、息ができない状態で、体の動きをコントロールすることなんか当たり前。しかしベース・ジャンプのバウムガルトナーはTシャツにジーンズ、時にはウェットスーツぐらいの全く自由な格好で経歴を積んできましたから、圧力服の中にいたら何も出来ないという恐怖感を持ってしまうのです。それをどうやって克服したかの話から、この本は始まるのですが、
スポーツ心理学者のサポートということになります。恐怖によるパニックが起こるのは、実際の肉体的制約からではなく、頭で作り出されたものだ、ということを本人が納得するに至る、心理学者との会話をしながらの訓練が始まります。

ストラトスは自由落下の最長距離記録ですが、バウムガルトナーはベース・ジャンプの最短距離記録も持っています。リオ・デ・ジャネイロのキリスト像からの落下です。これは海抜700mのところに立つ像ということで、ベースジャンパーにとっては難関ではないと思われたのですが、現場に乗り込んでみると像の足元、27m下には展望台が張り出していました。27mを人間が落下する速度は2,5秒。その前にパラシュートが開かなければ展望台に激突です。これ以上はこれからこの本を読む人の楽しみを奪うことになるので、伏せておきましょう。007の映画ぐらい面白い本ですよ。
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by kokouozumi | 2013-07-05 06:50 | 人々 | Comments(0)

夏 2012

フライブルクから友人が子供達を連れてやってきました。







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弟は 初めてお習字を



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兄は4回目の陶器制作に

今日焼くの?

・・・それは無理だよ




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キャベツにまじって りんごが咲いてる・・








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パンクは

帰らないで!と

必死でタイヤにブレーキ

また   きてね
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by kokouozumi | 2012-08-06 03:43 | 人々 | Comments(6)

秋・・・・新しい街で





新しいカバーと、タイトルと、本文中の写真を総合すると
ステンドグラスがあるのは、新しい街のたまねぎ教会の中か?と
想像されると思いますが


ステンドグラスはフライブルクのアウグスティナ博物館のもの
今回は新旧取り混ぜ、ごっちゃごっちゃの更新となりました。


ヴェスターヴァルトの窯焚きから帰ると、引越しが待っていました。
引越しだけでなく、半年の間に思うように片付けられなかったさまざまな雑用も

そして電車で仕事場に通う毎日

その合間にフライブルクに戻って
友人が企画する展覧会『黒い森』展の最終日に飛び込みました。
黒い森の産業はガラス製造と切り離せないところがあり、、その影響で近辺各地の教会ステンドグラスにも美しい色ガラスを使いこなすテクニックが、どんどん発達したようです。

かつて森の話を読んだ時
森を真っ先に荒らしたのは、直接人間ではなく、人間が放し飼いにしている家畜だった。当時家畜に食べさせる餌などなかったので、家畜は森の中でどんぐりその他の食べ物を探すしかなかった。
枯葉の下で腐敗していく、そのような木の実がなくなってしまうことは、木の生育に影響した・・

と書かれていた。

家畜の次はガラス職人だった。ガラス職人は燃料となる樹の豊富な森の中を移動して、仕事場を築いた。

しかしだんだん、森の管理が行き届いてくると森の中の木の使い方も、取り決められるようになっただろう。ガラス職人に割り当てられる樹の量も、決められたのかな。やがて樹をいったん炭にしてから使うようになった。そのほうが高エネルギーを得られる。

森とガラスの話は面白そうだ。





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カバーに使ったステンドガラスの写真。
区切られたガラスに描きこまれた細部が美しい。



今日電車で帰ってきて気がついたのですが
引っ越してから、まだ明るいうちにこの街の駅に到着したのは、初めてではなかろうか・・・

つい嬉しくなってカメラを取り出し
初めてこの街を写してみました。



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by kokouozumi | 2011-11-09 08:50 | Comments(11)

この巨大な施設は


フライブルク市の総合ゴミ引き取り施設、リサイクルホフです。


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ちょうど日本の3・11が起こったころに前後して、私の引越し準備は本格的になったのでしたが、引越しにつき物のごみ一掃に関するメモがタイミングを逸して眠っていました。

今日、新しく住み始めた町のリサイクルホフに行きました。やっぱり思い出します。ボツにするには惜しい、さすが!環境都市フライブルクと思える施設を紹介したいな。今世界中が環境テーマの中でもエネルギー政策に集中しているようですが、フライブルクのごみ対策は、そのエネルギー問題の先を読んでいるかも知れません。






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ごみを積んだ車はコンテナの前に駐車し、ごみを仕分けしながら、素材ごとのコンテナに捨てていきます。



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危険物(オイル類)化学薬品などを持ち込む場所




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リサイクルホフを象徴するインテリアで飾られた一角





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紙類も段ボール箱、古紙など細かく仕分けして捨てる





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仕分けできない最終ごみはこの装置へ、どのような処理の仕組みか構造がわからない・・




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隣接するこちらから、市内へごみ収集車が発着




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番号の付いた小屋にはごみ収集車が業務する際、必要な機材が種類ごとに収納されているのか・・
ここには、冬道対策の塩、砂が保管されているような・・



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各家庭に設置されるごみ容器のストックも






ごみを捨てに行く・・という行為に関して、現代人はなにか社会に対して迷惑なことをしているような、だから有料で引き取っていただくのが当然という感覚が普通になってきてはいないでしょうか?

ここへ来ると「ごみ大歓迎」と横断幕で迎えられたような・・ごみを捨てることが善行であって・・未来社会に貢献しているような気持ちになってしまう。だからフライブルク市民を証明する必要もなく、他市ナンバーの車で乗りつけようと、どんな大きな車でごみを満載して乗りつけようと、一切チェックを受けることがなかった。(一応市のごみカレンダーには大型トラックでの持ち込みには料金が決められています)

私は引越し前に数回、最寄のリサイクルホフに行きましたが、はじめ道を間違えて周りをぐるり一回りしてわかったのが、ホフの周辺を各種素材の再生企業が見事に取り囲んでいることです。特に建築材料は多種豊富にこの地域で再利用されているようです。リサイクルホフに到着したごみは休むまもなく、どんどん再生されてしまうかのようです。ホフの目と鼻の先には、あのロマたちの居住区があります。私のごみを積んだ車も、一度彼らに止められたのですが「電化製品持ってる?」が合言葉です。持っていなければそのまま通過。持っていれば、彼らは交渉してくるでしょう。「僕たちに譲って!」ロマ居住区の中庭では、このような入手グループによって運び込まれた電化製品は、今度はその筋のベテラン工員によって丁寧に分解されているようです。伝統的ロマの仕事・・しかしなかなか社会への貢献度高くない?とおもってしまった。

そんな環境に取り囲まれたリサイクルホフの係員(公務員)たちは、ですから「ごみさんいらっしゃいませ」という感じで、明るく親切に、ごみ捨てに来た人々と接しています。将来はごみ出し人が料金を払うのではなく、逆にお金が戻ってくるという話も、ここでは信じられる。ごみは儲かる感がここにはあります。

リサイクルホフでは週に1回物品引取りの日が決められています。その日の開始時間には相当な長い列ができ、平均入場者130人だそうです。開場するなり人々は走って物品に向かうとか、ヘルメットをかぶっていかないと奪い合いの末怪我するとまで噂されるようになり、ごみ仕分け担当スタッフはこの日、喧嘩仲裁役のためスタンバイと・・。この引取り日には必要に迫られただ同然でそれを手に入れようという人々以上に、趣味で掘り出し物を目当てに通いつめるファンもいるようですが、彼らは蚤の市などでのんびり物色するのとは違う、急テンポのラジカルな臨場感好むタイプのようです。しかしその中にマナーの悪い人がいれば、4週間ホフ立ち入り禁止という彼らにとっては恐ろしい刑もあるそうだ!昔は無料で引き取り出来たのが、そんな騒ぎがエスカレートする内に競売価格のようなものが発生してきたということです。

私はその競売の実際を残念ながら体験しませんでした。引越しのため何度も通っていた時、多分明日がその引き取り日という状況を目にしていますが、確かにちょっと欲しいものが並んでいました。私は壊れた回転椅子を捨てたのですが、引き換えに持って帰りたい事務用椅子などメーカー品の立派なものが並んでいたなあ。

何か明るく楽しいごみ捨て、ごみ拾いというキャッチフレーズが似合いそうなリサイクルホフですが、フライブルク環境都市はそれにドイツで初めての、という言葉を加えてしまう。80年代、まだドイツ中でソーラーエネルギー利用があまり知られていなかった時、いち早く屋根の上に設備し始めたのがフライブルクなら、それから30年後、昨年10月からモジュールや集熱器をリサイクルホフが無料で引き取ることにしたのも一番乗りでした。PV Cycle団体と市のごみ清掃局が共同しての無料引き取り業務です。PV Cycleはヨーロッパ中のソーラー施設引き取りと再利用を請け負う団体で、30年も使い古され出力の衰えたソーラー設備から再利用価値の高い素材を集めています。現在フライブルクでは16万平米分のソーラー設備が(サッカーフィールド21箇所分の広さ)、市需要の1,2%分の電力を供給していますから、そのリサイクルもきちんとシステム化していかないと、未来の再生可能エネルギー時代はやってこないということでしょう。
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by kokouozumi | 2011-05-21 07:31 | 人々 | Comments(36)

通過地点から視察出発

今日もこの橋を通過しました。

帰り道なので余裕でカメラを取り出そうとしたら・・・忘れた!

実は前回、カメラの電池切れで2枚しか写せなかったので
今日は張り切っていたのに

あんまり天気の良い日曜日なので、一仕事終えた夕方また橋まで

4時半に出発、途中でどんどん陽が傾いてくる、間に合うかな







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前回のモニュメントの反対側。両者とも町の中心に近いほうの橋の袂です。






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裏側








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それで牛さんと男








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牛さんと女
これで4つの彫像が出揃いました







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橋の下のドライザムは今日も速い流れです。
向こうにも橋が見えます







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牛の橋から下に降りてみました

絵葉書と同じ位置から








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頭上に鉄道が走る二つの橋を通り過ぎ

次は大学に通じる橋

そこも通過




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次は町の中央どうりに通じる橋

そこから上に戻る頃には

街灯が灯り始め







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橋の上はすっかり夕暮れ









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さらに町の中心に達する頃には

すっかり夜の色です

橋の袂に到着したのが5時10分前

この地点で5時45分です。
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by kokouozumi | 2011-01-17 06:21 | Comments(16)

通過途中で

よくこの橋の上を通過します。
通過しながら、

カメラ持っていればよかった



この彫像は何を意味しているのだろう

の二つのことを毎回思い出します。







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この橋はオクセンブリュッケ『牛の橋』と地図にも書き込まれていますが
市民がこの橋をそう呼んでいたのが、そのまま公にも使われるようになったのかな。

本当はエッシュホルツ(通りの名)ブリュッケという正式な名前があります。

昔、城壁で囲まれていたフライブルクの旧市街をちょっと外れたところ
現在では十分に町の真ん中といえるあたりを、黒い森の山間から流れ出した
山水が貫通しています。この流れの名『ドライザム』はケルト語の『速い流れ』から来ているのだそうで・・
なぜ、ここでケルト語かは・・・聞き流してください。

町の中心部からこのドライザムを渡るための橋が、大小いくつも、いくつもかけられています。

『牛の橋』はドライザムの外側の農業地帯がフライブルク市に合併されたことを記念して
1912年に、その両方の土地を結ぶ橋として建造されたそうです。

この橋の欄干で大変そうに?仕事している人々は農民の代表なのか?
反対側の欄干には本当に牛の彫刻もあります。
今度反対方向から通過する際、写せるかな?




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Foto aus Alt Freiburg (絵葉書)

人間が歩いて渡るだけ・・・馬車ぐらいは通るかな・・とのどかな通行路だったのですね。
多分ドライザムにかけられたどの橋からも、分厚い橋げたがなくなったので、ドライザム流の両サイドは自転車道路として町の東西を結びます。

私の住まいはほとんど町の西はずれ。このドライザム自転車道路に降りると、さえぎるもののない、直線コースで東の町外れまで約45分から50分。コンパクトな町です。帰りは微妙な下り道で10分早く到着します。

ドライザムの水は確かに急流です。特に冬の雪解け水が流れるころは自転車道路が見えなくなるくらい水量を増した大きな流れとなります。私はよく『牛の橋』からその濁流を横目にして通過します。
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by kokouozumi | 2011-01-09 16:31 | 人々 | Comments(20)

たまにはフライブルクの街角を

急に寒くなった日々にときどき穏やかさが戻ります。
人々の服装から、夏なのか・・秋なのか・・冬なのか判断できなくなります。

明日も最高気温22度になるとの予報!楽しみ







フライブルク、旧市街の一角、お花屋さんの前で



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by kokouozumi | 2010-10-03 04:47 | Comments(72)


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