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クリスマス

この家の玄関に








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イタリアバイオリン職人組みがこんな飾りを。

工房で仕事している彼らも撮ろうと思ったら、今日はもう店じまいで誰もいません。
昨年までピルミンがひっそり仕事していた工房には
セヴァスチャン、マティアス、ハナと共に30代の若者がにぎやかに仕事しています。

雪かき当番会議のとき
マティアスがベルリンで除雪作業員だったという話になり、みんな「使える!」と期待したら
「初日が朝4時の仕事で、寝坊してすぐ首になった」のだそうだ。「使えない・・・」

セヴァスチャンは、共同のごみバケツを道路沿いに引っ張り出すごみ当番だけど、正しいごみ収集日にやっているのを見たことがない。いつも彼がごみバケツを引きずる音を聞いて、私は飛び出し「今週じゃないよ」と忠告するか、後の祭りのバケツをまた引っ張り込まなければなりません。

ハナは韓国人とハーフの独逸人。モダンよりも新しい現代ダンスをスウェーデンで習ってきた人だが、恋人セヴァスチャンの工房で通信、会計、食当を担当している。彼女が居ないと・・・すでにパンクも食べられてしまったかもしれない・・

他の住人・・
2階のチェロ奏者カロ、20時から22時までが彼女の雪かき当番。目覚まし時計を20時にセットして、鳴ったら外を見る・・・という生まれて初めての習慣。朝7時から10時まで担当の私は、雪の中に飛行機の形に雪かきしたすばらしい跡を発見!目覚ましが鳴ったら彼女は何を考えているのだろう?

3階のマーティンは介護の仕事をしています。三交代シフトで働いているから、いつ帰ってきて、いつ出かけたのか、誰もわからない。家に居るときは多分寝ていると思うから、誰も訪ねていかない。1階の私は、夜中や早朝に時々、ひっそりとした足音を聞くことがあります。



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この家のもうひとりの住人パンク
23日!ついにまた風呂に入れられ、やっと乾いて気取っているところ。
2階への猫道はまだそのままだけど、ラフィーもロックも居ない2階には殆ど行かなくなった。その代わり下のバイオリン工房には頻繁にお邪魔して、時々怒られている様子が聞こえてきます。





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今年も余裕なくクリスマスイヴを迎えます。
仕事が忙しいということより、クリスマスに標準をあわせて時間をやりくりする気分には、相変わらずなれない異教徒。それでも23日の今日になって、クッキーを焼いたのは昨年と同じパターン。

まだカードはビニール袋から出してもいない・・・。

皆様、年末を楽しくお過ごしくださいますように。
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by kokouozumi | 2010-12-24 07:46 | 人々 | Comments(35)

桜の頃になったら









3月になって、語学校で一緒のクラスだったルーマニア人の女性から突然のメールが舞い込みました。ドイツ語を勉強した後すぐ国に帰り、大学を卒業して、結婚して娘が二人生まれて、今はアメリカに居ることがわかる簡潔な文面でした。最後に、私とフライブルクの中央墓地を散歩したこと、そのとき私が『日本ではみんな墓地へ桜を観に行く』と説明したと書いています。おいおいそんなこと言ったかな?上野の学生時代、桜の季節に谷中墓地へお花見に行くのが、学内の伝統的なデートコースでもあったみたいなことを、多分話したかもしれない。私も彼女も、当時のドイツ語能力が、それくらいの間違った情報を記憶する程度だった?

私達が通ったドイツ語学校は、フライブルクのカトリック大司教管区が運営していたので、セーターの下にカラーのついた神父服を着込んでいるような学生が多く混じっていました。最初のクラメート15人のなかに日本、アフリカ、イタリアからの神父達が4,5名、それに15年前のその頃はユーゴスラヴィアから分裂した国々、コソヴォ、クロアチア、スロヴェニア、ボスニアからやって来て、フライブルクの難民居住区に住んでいる若者達も多かったのです。彼らは、子供には混乱の故国を離れ、将来のために学ぶ機会を与えたいと、願う親達によってドイツに送り込まれていました。そんな弁の立つ神父や逞しい難民青年たちに混じって、ルーマニアのその子は最年少だったし、授業中あまり発言することも無く、試験用紙は日本人にはとても読めないような字を書いているし、同様に発言できない私でさえ「大丈夫かなこの子」と思っていたのです。しかし先生が採点した答案を返すとき最高得点がその子だったのにはびっくり!「先生はあの字が解読できるんだ・・・」

そのラヴィニアと日曜日にばったり出くわしたことがありました。そして学校で習ったとおりに、「お元気ですか?」「はい元気です」「これから何処へ行くのですか?」などと会話したのでしょう。私の「これから墓地に行きます」という答えに、彼女はさらに、「何しに行くのですか?」「ただ観にいくだけです。」「何を?」「お墓を」「一緒に行っても良いですか」ということになりました。

フライブルク中央墓地を歩き廻り、目につく墓石に刻まれた名前や生年月日、死亡した時を意味も無く読む私の横で、彼女はルーマニアの話をしていました。チャウシェスク以後も国は貧しいこと。親に外国で学べと言われているが、自分にはその勇気が無いこと。ヨーグルトにジャムや砂糖を混ぜて食べるなんて信じられない。ヨーグルトはすっぱいから美味しいこと。最近彼女から来たメールには、そのとき私が話したことに感謝しているとありました。信じられない。私は何も覚えていない・・・。まず、日本人がお花見に墓地へ行くことは訂正しなければ。

先週、春の陽気が一変して雪になった日、私はまた墓地に行きました。ピルミンのお葬式でした。2008年の10月末、突然の脳腫瘍の手術。10日で退院して真っ直ぐ仕事場に帰ってきた彼が、自転車に乗れるようになった。医者から車に乗る許可が出たと報告する度に、周りの人々も信半疑の気持ちを次第に忘れそうになっていたのですが、約1年後の昨年11月、又突然に、もう仕事場に来ないことになってしまった。そして春を待てなかった。

特に宗教とはかかわりの無かったピルミンの葬式は、墓地に付随する建物の中で、神父や牧師ではなく、説教師という人物が彼の経歴を振り返り、この家の2階に住むチェロ奏者が演奏をした簡素なものでした。それから雪の中を彼のお墓の場所まで、行列を作り歩きました。私は最後から2番目。後ろにピルミンの後継者、イタリアでバイオリン作りを学んだ男性は、二日前にスケートで転び松葉杖をついて歩いています。クラインガルテンに来ているおじさんが私の横を歩いています。黙って歩きながら、無意識に通りすがる墓石の死亡年を読んでいるうち、「この墓地は新しいのですか」と隣に聞いていました。

カトリック教会の墓地がまずあったけど、そこに空きが少なくなって、カトリック信者のみが入れると制限せざるを得なくなり、市の墓地が各地域に増設された。それぞれの墓も昔は遺体の入る棺がそのまま埋められる大きさだったし、より大きい墓というのが家族の力の象徴でもあったが、現在では火葬した遺骨を壷に納めて埋葬するようになり、人々も小さな墓で十分と思うようになった。しかし小さいとはいえ、ある区画の地面を掘り、骨を埋めて土盛りしたら、1,2年待って墓石を設置することになる。そうしないと墓は傾いたりする。遺族、子供達にそのような仕事を残したくないので、樹の下の墓というのがある。墓地内の大きな樹の根元をぐるりと取り囲むように骨壷を埋めていく。その場所に小さな名前を刻んだ石を目印に置くだけ。

墓地をかなり奥まで歩いたピルミンの墓も樹の下にありました。行列がその前までたどり着く頃、墓の説明をしていたおじさんは、『おくりびと』を観た。良い映画だったと、ぽつり言いました。この家の住人も、そばのクラインガルテンの人々も、顔を合わせれば、ピルミンは?と訊ねあい、覚悟をしてきましたが。墓の話をしながらこのおじさんも、ピルミンとどのようにお別れしようか、ずっと考えていたのかもしれません。私もまだ彼がいないと思えない。

桜の頃、またあそこに行ってみるかもしれない。私は始めて桜の頃、墓地に行こうと思っています。





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以前のピルミンに関するもの
身近にもいた! マイスター
身近にもいたマイスター ! その2
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by kokouozumi | 2010-03-18 03:51 | Comments(16)

身近にもいたマイスター ! その2

日常の中で、いつも居る空間の中で、長い間動かずにあるものが、わりあい多くないですか。食卓の果物皿、テレビの上の拾ってきた石とか。時々それらをふわっと持ち上げて、又元に戻すと空気が変わるような感じがすると、独逸人の御婦人が言いました。「そんな恐ろしいこと、私はしたくない。埃が舞って、いよいよ掃除するしかない覚悟に持ち込まれるもの。」掃除好きの独逸人女性とは室内環境が違う。。。
ピルミンは、私が工房に闖入し、写真など取ったりしたら、空気が動いたといいます。ピルミンがブログに登場した翌週、彼の最後の作だったチェロが売れたという。最後の?

そして今日、日本から20年ぶりのお客様がやって来た。ピルミンと彼はロンドンのオークションで出会い、一緒に東欧やイタリア、それに日本も旅したことがあったのだそうです。その人とピルミンの会話でミッテンヴァルダー学校のことがさらによくわかりました。同級は5人ぐらい、3年から3年半の教育期間だから、全学年で15人という規模だったそうです。当時東側、ドレスデンのそばに2校、シェンバッハとアルテン・キルヒハイムという町にもバイオリン職人学校がありましたが、ミッテンヴァルダーがドイツ西側では唯一の学校だったということ。東西で、こっちのほうが腕が良いと、職人に付物の競争心があったということなど。

M氏の持ってきたトランクはずっしり重い。ブダペストやドレスデンを回って、既に木材部品を調達したらしいです。肩にかけているショルダーバックにはバイオリンが一丁入っていました。トランクに入れると、飛行機の中で湿気を吸うので、日本までこのまま持っていくのだそうです。散歩がてら、近くのホテルまで案内する時、彼は脚を引きずっていました。バイオリンに関わる場所は不便なところが多かった?重い荷物を持って、相当歩き廻ったようです。

道すがら「ピルミンは良い木を持っている。」と、「・・・」
ホテルにつくと、首をかしげている私に、フロント横の戸棚の板を示して、「ほら、ここの黒くなっている部分、これは木が死んでいる..病気の部分ですよ。」と、「ストラディバリウスがすごいのは使っている木が生きていて、音を響かせるのです。」と、いきなり専門的なことを話し始めました。
ストラディバリが住んでいた、南イタリアの町は、南の暖かい気候にくわえて、北からの良い風で育った健康な樹があったそうです。「それに美味しい食べ物もありました。」美味しい食べ物がバイオリンとなぜ関係するのか?健康な樹が育つには「土壌」も影響するから、多分そうに違いないと、納得することにしました。アントニオ・ストラディバリは、その土地で育った300年も古い木を使ったそうです。二人の息子の時代には、その良い木がもうなくなる事を知っていた彼は、息子達に木を斜めに切って使うことを、教えておいたそうです。「そうすると木が柔らかくなるのです。」「・・・?」
現代の伝統的なバイオリン工房、アメリカのウリッツァー、ドイツのハマーも200年ぐらいの古い木を使っていたそうです。ピルミンは卒業後、そのハマーに勤め、其処が製造を止めてしまったとき、その良い木を買い取ったのだそうです。その木は私も見たことがありましたが、知らなかった~。

ピルミンが作った最後のチェロが売れたということは、(・・私はもう作らないの?と、聞けなかったのですが、)もう作りたい木がないということかと、
最後のチェロという意味がわかったような気がしました。

M氏はさらに講義を続けています。東欧にもバイオリン作りの伝統があるのは、良い樹の生育地が、南イタリアから、其処まで帯状に延びているからなのだそうです。「それって、磁器土の鉱脈が中国から韓国、日本・九州に延びているのと似てる。美味しい食べ物!良い窯元のそばには、松茸が取れた!」(赤松に関わるのですが)家に戻りながら、やっぱり自分の土俵に比較検討する私でした。

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ピルミンの展示室
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by kokouozumi | 2007-10-19 03:39 | 人々 | Comments(4)

身近にもいた! マイスター

オイラーの存在に関心を示してくださった方が、このページ内のコメントばかりではなく、私のメールにもお便りをくださいました。下記のような日本の大変興味深い事情もありました。

* オイラー、興味あります。日本でも土管や水道管を作る陶工やレンガやタイルを作る陶工がいました。数は少なくなりましたがまだいるかも知れません。特殊なのでは光学ガラスを溶かするつぼを作る職人がいた様です。風呂桶サイズの巨大なるつぼです。もちろん陶器です。また溶鉱炉のレンガなど近代産業を支えた人たちでした。
 興味深い職人の世界なのですが、あまり語り継がれる事なく今日に到っているのが残念でした。(岩手県 M野氏 写真家)

オイラー 陶工 職人と言葉が続いてきましたが、ここで忘れてはいけない!
私の住んでいる家のマイスターを紹介しなければ。
ピルミン・アンダーナッハ(Pirmin Andernach)氏 1951年生まれ。大家さんの息子さん。(大家さんも幅広い職人芸の人なので、いつか登場します)父親が趣味に、古典楽器を自己流で作るのを見て育ち、アビテュア(大学入学資格)を取得後、69年から73年までミッテンヴルダー(Mittenwalder バイエルン州)のバイオリン職人学校で学んだそうです。少人数(約15人前後)の同級生のうち、現在も職人として仕事を続けている方は少ないようです。同級生の中に日本人もいて、その人は日本と主にイタリアを行き来しながら、バイオリンの買い付けをしていたとか。彼との縁で、ピルミンさんも数回日本に行ったことがありました。当時、経済成長期の日本では、バイオリンを求めるいわゆるハイソサエティーな世界を垣間見たそうです。「どの家、どの会社を訪問しても、美しい和食のテーブルを囲むことになって・・・」と、そのとき覚えた魚の味が忘れられず、いまだに贅沢は魚にあり、ということで、休暇は必ず海のそばに行きます。しかし普段神経を張り詰めた仕事をしているので、休暇のプランなんか面倒。それでネッカーマン旅行社です。戸口にタクシーが迎えにきて、滞在先のホテルに、三食の食事込みという、休暇に突入した瞬間から、何もしなくていいというパッケージ旅行です。

77年にマイスター資格を取得、78年一年だけ、バイオリン製造会社に勤めた後、実家に開業し今年で30年になります。仕事に集中するために、ピルミンの仕事場は薄暗い。半地下にある仕事場には窓からの明かりが入ってくるだけで、他には電灯 がついていないのです。この暗い空間に関しては、私も同感できます。明るいうちはなんとなくそわそわして、夕方5時過ぎから、やっと轆轤の前に落ち着く覚悟ができるというものです。しかしピルミンは外が明るい昼間も、暗い部屋の中で、黙々と仕事します。朝7時から夜中の1時まで続けていることがあります。疲れないの?と聞いたら、昼間はお客の出入りがあって、制作はやっぱり早朝か、夜に集中するのだそうです。高い買い物のバイオリンやチェロを物色に来るお客様は、じっくり時間をかけて選びますから、接客も相当疲れるようです。

ここ数年、中国の安い、でも質のいいバイオリンがどんどん入ってきて商売は難しくなったそうです。一時はロンドンのオークションで古い楽器を見つけたり、ついでに家具の買い付けをしたり、そのようなことを頼むお客も少なくなったそうです。

マイスターの仕事場風景を写してみました。窓の外には奥さんが美しい花壇を作っています。
子供はいなくて、アルプス犬がいます。


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by kokouozumi | 2007-10-06 02:33 | 人々 | Comments(2)


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