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2017 年 晩夏









シュバルツバルトのほぼ中央に位置する町で、毎年このころに開催される陶芸祭を見学するため久々にフライブルクを拠点に何日か過ごしました。陶芸祭見学の後はこれもかなり久しぶりにバーセルまで足を延ばし、二つの美術館を訪れました。
かつてフライブルクに住んでいた頃、良く訪れた場所を巡り歩いたわけですが、バーセルからの戻り道、なんだかあんまり懐かしくも、満足もしていない自分に気づいてしまいます。
違う町で重ねてきた年月のせいなのか、陶芸祭でもバーセルの美術館でも、何か過去を探っているだけのような、今みている時点で楽しんでいないような感じです。何のためにわざわざやってきたのかなあ。
晩夏とはいえまだ陽は長く、夕方はフライブルクの街で知っている場所へと散歩に出てしまう事になります。それで最後は夕食のためにどこかのレストランに入ろうと思っていたのですが、フライブルク滞在を満喫しているとも言えない中途半端な気持ちで、さほど空腹でもなく、こんな時は超中途半端なもの、例えばポンフリ(フライドポテト)、中途半端な気持ちにポンフリといういい加減な言葉が良く似合うというわけで、ポンフリにワインという取り合わせが可能な場所と言ったら、やっぱりあそこです!!ハーモニーのレストラン。ハーモニーは映画館の事ですが、映画を観る前か後に立ち寄るレストランでは、軽くポンフリに一杯が許されるのでは、と勝手な解釈ですが。
・・というわけでハーモニーのレストランをどんどこ奥に入り込んでみたら、ちょうどサッカーの試合を大画面でやっていました。こんなのをぼんやり眺めていれば一人客の手持ち無沙汰がごまかせるな、ということで大画面スクリーンが良く見える場所に座りました。反対側には若い女性がやはり一人で熱心にサッカーを見ています。良し仲間がいるぞ!が、しかし数分後、彼女には仲間がぞろぞろ現れました。しかも席を移動してスクリーンのど真ん中、つまり私のすぐ横にその学生と思しき団体は陣取ったのです。何ですかこの団体は??映画研究会、これか何か話題の映画を観ようという魂胆ですか?手持無沙汰にそんな詮索をしていると、私の前に、僕の席はここです!という感じですたすたやってきた人が座る。とにかく暇だからそんな観察をしているうちにサッカーの試合は終わってしまって、お~~なんとタートオルト(Tatort)が始まりました。日本のテレビ番組の何に例えたらいいのかとっさにわかりませんがドイツでは40年以上続いている番組です。あれっ、団体若者たちもすたすたやってきた方も、なんだかスクリーンを見つめる感じが半端ではないぞ。素早くオーダーを済ませ、熱心にテレビを観る体制になっています。
「えっ、ここ映画館ですけど、テレビを観てていいのですか。いや私もタートオルトはこれまで正式に見たことが無かったので・・みてしまおうかな・・」

映画館レストランで、テレビを観る人々がそんな風に編成されてしまったわけです。
タートオルト=事件現場という番組なのですが、初めて熱心に見てしまったら、なかなかひねりあり複数事情が交差したりの一筋縄ではいかないストーリー展開でした。そして1時間の放映が終わると、学生グループも一人の観客も、私も、フ~~と言ってレストランを後にする具合で、ほんとにみんな、映画館でテレビを観た夕べになったのでした。

何かこの出来事で、私は久々のフライブルク滞在に満足することが出来たのでした。


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ハーモニー



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みんなでテレビ鑑賞





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フライブルク旧市街はなんと言っても市電の線路が・・






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そして・・












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by kokouozumi | 2017-09-11 06:11 | 人々 | Comments(0)

路上にて





土曜日には多くの大道芸人たちが並ぶこと、シュトゥットガルトの中央駅から王宮広場まで伸びるメインストリートでも例外ではなく、その中で最も多くの観客が取り囲み、それゆえ最も広い場所を確保して技を見せているのはTruCruチーム。

2007年にシュトゥットガルトで結成されたTruCruはブレイクダンスの5世代目ということ。現在のメンバーは、大学生、写真アーティスト、体育専門学校出身者、鋳物職人、バレーダンサーと本業は多岐にわたっている。次の映像から誰がどの職業人かを探ってみるのも一興かも。







TruCru 5世代目という数え方は、1970年代ニューヨークに発生したストリートダンサーたちを一世代目としているのだろう。
そのいわゆるヒップホップ初代のブームがアメリカで沈滞しつつある80年初頭、ドイツメディアにブレイクダンサーの映像が突如流れ込むことになった。1981年、レーガン政権が始まり自由主義経済政策の一環として、社会保障費削減がアメリカで実施されたことは、ドイツ内で非常に関心を持たれたメディアテーマで、連日のようにテレビ報道されていた。この政策によるアフロアメリカン(アフリカ黒人系アメリカ人)やヒスパニック系移民たちへの影響はいかに、というのが報道の要だったので、ニュースの背景には必然的にニューヨーク・ブロンクスの情景が映し出され、そこにあったのが三大ヒップホップシーン、落書き、ラップ、そしてブレイクダンスだった。(音楽性としてDJテクニックが4つ目の要素として組み込まれている。)ニューヨーク・ブロンクスの路上に出現した彼らの目指していたものは、ラップのようなリズムと言葉遊びを肉体で表現すること。体の形、足の上げ方、手の振り方にも記号的な意味があったそうだ。ニューヨークの初代ヒップホップはブラックな文化を根源にしながら、トゥシューズも劇場も、キャンバスもアトリエも、楽器もスタジオも、さらに武器もない人々が、自分の肉体や声、公共の壁を使ってぎりぎり勝負に出た結果だった。

この情景に目を奪われた世代がヨーロッパ・・多分世界中で生まれたヒップホップ2世という事になるらしい。

1990年代になると、ヒップホップは単なる各都市の風景的な装いにとどまらず、落書き、ラップ、ブレイクダンスのそれぞれの分野から傑出した存在がイコンのように浮かび上がってきた。特に落書きがすごいことになり、バンクシ―(イギリス)、キース・へリング、バスキア(イギリス)などの落書きを、多くの美術館が競って展示するようになった。芸術という事になってしまった彼らの作品は、現在でも画商たちにとって、時には億の単位を生み出す商品であり続けている。






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バンクシ―作品 




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キース・へリング作品



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バスキア作品





ブレイクダンスの世界でも世界大会、世界チャンピオン、世界セッションという催しが次々発生した。現在のブレイクダンス5世達から選ばれる世界チャンピオンクルー(Crew=チーム)はもはやニューヨークとは関係なく、(ブレイクダンスなら韓国と現在は言われているそうだ。それにも関わらず!)なんとドイツのあるクルーがここ数年トップの座に座り続けている。しかもファイナルで対抗したのは、地図帳で確かめないとどこにあるかわからない国、アゼルバイジャンのクルー。そのメンバーはソロセッションの上位から3位までを占めるという強敵だったのだが、この技で勝ってしまったの?というドイツクルーの調子も是非見てほしい。この変容ぶりはもはやヒップホップではない?いや都市の文化、その地のアイデンティティーにかかわるものとしてヒップホップの流れを立派に受け継いでいる?












おまけ 左側がDDCクルー




・・
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by kokouozumi | 2016-09-04 07:10 | 人々 | Comments(0)

クリスマスの屋根が気になる







コルチャック先生の続きが来るはずですが、ヤヌシュ・コルチャック著の児童書を読み始めてしまったため、ちょっと時間が必要です。

そうしているうちに、どんどんクリスマスが近づいてきて
家やアトリエの猫達シーンもなんとなく、それらしい風景になってきたかな。

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やっぱり・・ついに今年もクリスマスマルクトに行ってみました。
そして、今年は屋根が気になりました。

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このお店は羊毛の室内履きを売っています。
普段は山の中で羊飼いをしながら、夜なべ仕事に作っているのかな?と想像させる屋根の装飾。
隣に羊小屋が出現!




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こんなのもある





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あんなのもある
というのは序の口で






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白熊がじゃれている






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白い世界・・・
だけど派手だ







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全体像はこうなっています





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この楽師さんも、Stuttgartマルクトの顔です。
今年は暖かいのに、なんだか元気なさそう
楽器の仕掛けの調子が悪いのか、ときどき音が止まってしまう
それで、困っているのかな




町の景色とともに
メリークリスマス
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by kokouozumi | 2014-12-23 08:41 | 独逸 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生










キンダーランド、こどもの国というプロジェクトは近年、子供達の社会教育を目的としてドイツ中多くの都市で展開されている。発祥を辿ればミュンヘン市のミニ・ミュンヘンに行き着くだろう。2003年頃から2年ごとにオリンピック競技場跡地という広いスペースで、学校の夏休み期間を含む2ヶ月間だけ発生する子供自治の町である。
この町を訪問することは一日でも可能だが、この町の自治体に参加するには、相当の日数と忍耐と経営手腕を要するらしい。この町で就職したいならまず職安を訪れなければならず、この町で自営業を営みたいのなら職業訓練所に通わなければならない。時には営業許可を正式に取らないで開業してしまう子供マフィアもいるらしいが、子供警察がめを光らせている。また営業許可を取得しても、規定の建築基準にそぐわない店作りをした場合は、裁判所行きともなる。そこでどのような判決が下されるかも、すべて子供達の手に委ねられている。この町では独自の通貨があり、商売がうまくいって巨額の富を築いたとしても、その財産はこの町で消費するしかない。首尾よくもうけた子供は家を建てることが出来る。家といってももちろん子供なら一度は試みるような庭先の樹の家に近いものだが、そのための大工もいる。施工主の希望をさらによく表現できる大工もいれば、駄目な大工もいる。駄目なら仕事が来ないから失業し、また職安を訪れて一からやり直し・・・

2ヶ月間に繰り広げられる巨大な構造を持つ子供の遊びかもしれない。しかし、このミニの町で失敗したり、破産したりする経験を持つ子供が、やがて大人になり本物のミュンヘンの町を闊歩するようになったら、と考えると、現在良好なミュンヘンの経済状態を維持する底力がどんどん増えるのかもしれないと想像してしまう。

地域通貨という概念がミニ・ミュンヘンの重要な要素になるのだが、自由経済主義の本来の意味を解き明かそうとした同じミュンヘン出身の作家、ミヒャエル・エンデがいる。彼の思想が日本で紹介された一時期、日本でも300もの地域通貨制度が生まれたらしい。ドイツでは、ギムナジウム学園祭システムにこの地域通貨が取り込まれた例を、私は実際にその場を訪問して確認したことがある。訪問者はまず学内銀行に行き、その場所の通貨に両替しなければならない。その学園祭で同僚の寛太氏の息子が焼き飯屋を経営することになした。必要な食材をあらかじめ市場(学内の)に届けていたところ、市場内の管理が最初から破綻をきたし、品不足が頻発した。子寛太は、即座に親寛太に連絡し、外部からの食材持込を手配して(特殊な食材や非常時には許可された)営業にこぎつけた。他の店はまごまごしているばかりで営業出来ず、焼き飯屋は大繁盛し大もうけした。この市場破綻の余波で早くも倒産した店の従業員を彼の店で雇うことにもなった。しかしもうけた地域通貨はその場でしか使えないから、忙しすぎて買い物にもいけない子寛太は、大統領の給料よりも多くの金を所有しながら、どうしようかと思ったそうだ。

ドイツでキンダーランドを言う時、このようにミュンヘン、ミヒャエル・エンデが連鎖反応的に思い出されるのだが、私はあるとき、キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、聞いた。

コルチャック先生といえば映画にもなったが、第二次大戦時代ユダヤ人の子供達と共にトレブリンカ強制収容所で生涯を終えたという、ホロコーストが語られる中で登場する人物である。そのダークな印象が強くて、とっさに、どのようにキンダーランドとコルチャック先生が結びつくのか聞き返すことを躊躇した。

今年11月日本人会の催しの中で、再びチャリティー企画を行った。タイトルはキンダーランド。支援の方向は昨年から続行している、石巻・渡波地区の『巻きっ子ドリプラ』。2011年津波から立ち直ろうとしている町の子供達が夢を語るプロジェクトの応援。昨年は参加者を子供に限定しないでチャリティーワークショップやバザーを行った。今回はさらに子供達の夢という部分で共通するように、こちらのチャリティーにも子供達が大いに楽しんで参加できるようにと、キンダーランドを雛形にしてプランしてみた。たった一日の催し、しかも始めての試みなので、さすがに地域通貨を取り入れることは出来なかったが、世話役を子供スタッフにお願いした。結果的に昨年のワークショップ参加者は多いときで5時間で30人前後だったが、今回のキンダーランドには4時間で60人以上の子供達がわんさかやって来て、大成功!

キンダーランドというタイトルを拝借して、子供達のパワーを目の当たりにした時、ふとキンダーランドについて語った人が、帰り際、駅のホームで「その発端はコルチャック先生にある・・」と言い残したことを、今なら追いかけてもよいかな、と思った。

続く





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あのお客様、5歳以下の踏み切り場所は3つ前の青い線ですが・・・




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やっぱりそこから、いきますか?おっとそう振りかぶって・・・投げますか






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いけ~~~








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おや、的の中は空っぽ・・・あのお客様、もう営業は終了しているようですが・・・
えっ、もう一回挑戦されますか・・・










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by kokouozumi | 2014-12-07 06:00 | 人々 | Comments(0)

ノート






ノートやメモが、もはや紙の上のことではないようなのが、昨今の生活変化の1つと言える。スマホ1つあれば、ノートやメモが無くても自分のせつな的感覚を確認することが出来る・・・ともいえる。いまや陶芸教室にやって来る参加者たちは、スマホの画面を見せて、この写真がモチーフである、というような具合で制作会議が進行する。

しかし、記憶を辿る手段として紙の世界はまだ有効なようだ。デジタルモバイルにすっかり馴染んでいるような世代、当然電子書籍を利用している若者からも、何処に何が書かれていたかの記憶は、本のボリュームで(何ページぐらいに)書かれていた内容を覚えているが、電子書籍ではそのように記憶することが出来ないと、聞いたことがある。
確かに、今手元にある既に読んだ本の内容に関しては、曖昧な記憶でも、だいたいの検討で後追いすることができるから優れている。この優れているという言葉を、紙の本に関してなのか、人の記憶力に対して言うべきなのか、よく分からない。

10年前に読んだ本の内容を、何処に何がと、かすかに覚えているかもしれないのに、自分が書いたデジタルメモに関しては、五里霧中のごとく記憶は消え去ってしまう。このブログは2007年9月からこれまでの7年間、私のメモになっている。幾つのメモを残したか、はっきり数えたことは無いが、月平均3件として250前後と非常に少ない数なのに、すっかり忘れている内容が多く、偶然に昔のものを読んで、思いがけない記録を見つけることもある。 余談だが、かつて寛太工房のあったへーリンゲン村メモでは、猫の名前以外に人間の固有名詞は全く出てこないのに、牛舎のエミールという実名が、雪景色に埋もれるようにして書きこまれていた。そのエミールの元から現在の猫たち、メリーとジェーンはやって来た。その場所に生まれてからどれだけミルクを飲んで育ったのか知らないが、ミルクが大好きで、外で遊んでいようが、家の中の何処にいようが、ミルク!と一言叫ぶだけで脱兎のごとく台所に駆けつける彼女達である。

Dorf H�ringen     雪 :

取り留めの無い話になってきたが、デジタルメモ以前には、メモ用ノートを選ぶというのが楽しみでもあった。字が下手だから高価な有名万年筆を物色するなど、はなから無駄とあきらめていたものの、用も無いのに文具屋にふらふら入っては、並んでいるノートを端から端まで一応確認したものだ。これはドイツに来る前90年代のことで、バブル景気は文具類にも浸透していた。モレスキン(現在のイタリア製ではなく)のような革表紙を持つ高級品は万年筆と同じ理由で、選択外。それから背がコイルで閉じられているノートも左ページに書きづらい、大学ノートはあまりにもノスタルジックな感じがするばかりか、いかにも陰ながら勉学に励んでいるようで、いい加減なメモに使えない・・・さらに紙の色が白すぎるとか黄色すぎるとか、罫線の色が目立ちすぎるとか、棚の前を移動しながら自分勝手に文句を並べているのだが、あの楽しみってもしかしたら、とても日本的なことだったのではないか?と、ドイツに来てからしみじみ懐かしく思い出したものだ。こちらのノート文化は上下にくっきり分かれ、しかも上には堅物が並び、私のようにいい加減なところで選択すべきものの種類が極めて少ない。

と、いうことでドイツに来る直前の頃、気に入って何冊も買い込んだのがこのノート。

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三菱ペンシルがスコットランドのキンロック・アンダーソン社(タータンチェックの洋服を作っているらしい)と提携して生まれたノートということで、赤系、青系そしてこの白・緑系の三種があった。数年前日本へ帰国した際、問い合わせたらもうこのノートは製造していないと分かった。ドイツに暮らしていると10年前に購入した商品でも、まだ製造されていると思い込んでしまうのだが。



文具屋でノートを物色する楽しみが薄れたのなら、目的のみに焦点を合わせて、自分で作ってしまえ・・という時期があった。バック(多分当時持っていたもの)に入る大きさで、バックの中にその他の物が雑多に放り込まれていても、ぐしゃぐしゃにならないためと、手に持って書きやすいように、裏面表紙には厚手のボール紙を綴じこんだ。メモを取るより、いろいろなものを貼り付けていたノート。


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あの頃は、陶芸に関する情報をメモするだけが目的で数冊の粗末なノートはなんとなく完結性がある。その延長線上に現在の制作ノートがあり、陶芸に関すること、というおおらかな目的より、注文制作メモで、これがないと追加注文があったときパニックになる。仕事が終わると疲れ切って、書き込まないでしまうから、仕事途中に泥だらけの手で開く、汚れが一杯のノート。
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by kokouozumi | 2014-11-16 07:24 | 陶芸 | Comments(0)

10月3日 ドイツ統一の記念日

この日のテーマソングはこれしかない。
スコーピオンズのウィンド オブ チェンジ

クラウス・マイネの口笛で始まるこの詩は
毎年、特にこの日、さまざまなドキュメンタリー番組の背景に流れていた

一度、口笛を吹くマイネの姿をライブで見たいと思っていたら
今日はこの曲が出来てから25年ぶりのライブでの演奏がラジオから流れた。
口笛がちょっと調子はずれになっていたような・・・

もともとは、ベルリンの壁崩壊以前に、前年の1989年にスコーピオンズがモスクワ公演をした際に
目にした情景から作られた詩が、

東西冷戦終結、グラスノスチ(ロシア情報公開)に続いて、予言的にドイツ東西の壁崩壊をも歌っている
ことと捉えられ、ベルリンフィルとの競演で(ロックバンドが)マイネの口笛が消えてしまったりしながら、ヒットチャートを上り詰めた詩だが


忘れた頃に、ラジオからこの口笛が聞こえてくると、なぜか・・秋だなあとも、感じてしまう。

ライブ版と背景曲版を下記に
背景曲版が終わると、壁崩壊を伝える1989年当時のニュース番組も出てくる。












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by kokouozumi | 2014-10-04 07:11 | 独逸 | Comments(0)

たそがれ








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夕方、今日はもう見るべき試合が無いのだと、一抹の物足りなさを感じながら窓の外に目をやると、向かいの自動車修理工場の2階に相変わらずドイツ国旗がはためいている。WMが過ぎ去った今週は、毎日がそのように日暮れていく。

新聞にもWMの後に残る41の変化なる記事があった。

その1 試合中、冷蔵庫にビールを取りに行くのは不注意ということを知った。その間にドイツチームは何点も入れるだろう。

同感。サッカー観戦の第一ポイントはどちらかのチームがシュートを決めて得点表示の0-0が1-0に変わる瞬間を見ていることだと思う。だから私もブラジル対ドイツ戦で、クローゼが2点目を叩き込んだ時点で、ちょっと息抜きしてもいいだろうと、冷蔵庫にワインを取りにいき、ついでに猫のご飯を作ったりして、10分後戻ってみたら5-0になっていた。

こんな調子でさらに40続くのだが、抜書きすると
・共通の話題を持たない会社の同僚との会話は、『昨日の試合見た』ではなく再び、天気と車のことに限られる。

・子供達にとってテレビの前の冷凍ピザという夕食はもうなくなる。残念ながらまた毎日違うものを食べなければならない。

・18時に買い物に行くことは、また混んだ店内にうんざりすることになる。
(試合開始はドイツ時間で18時、22時、0時だったから、あの一ヶ月18時前に買い物を終えてしまわなければ、と生活していた人々が多かったらしい)

37番・これから2週間ぐらいは、自分が独逸人と感じても大丈夫。
38番・今晩何をするか、また自分で考え出さねばならない
39番・一方、一人でテレビの前に座っていることは、友達が一人もいないということではなくなった。
40番・私達は再び花に水をやり、猫に餌をやらねばと思う。そうだ猫がいたはず。
41番・ドイツチームが2016年のEMに向かうとき、誰も予選で消える・・なんていわないだろう。

そうそう6月のWMが始まったばかりの頃、ラジオに寄せられた視聴者のご意見に、ドイツチームはブラジルに休暇に行っただけさ、というのがあって、笑ってしまった。

勝利ってすごいな、と思う。こんなたわいも無い冗談が、あるいは2週間の間しか通用しなくても、一抹の物足りなさを解消する材料になりそう。

向かいの自動車修理工場は日産の代理店でもあり、現社長は日産プリンス・フェアレディZを、息子は2000年ごろの日産フェアレディZを持っている親日家族だ。さらに先代の社長はシュレジエンからの移民で、ホンダのファンだったらしい。

『たそがれ』には誰そ彼という語源があると聞いた。暗くなって向こうからやってくる人が誰なのか見分けが付かないという意味らしい。そのように決勝の夜から1週間が過ぎて、ドイツ国旗も独逸人もドイツ意識も、WM気分も何もかも、次第に闇に溶けていくようだ。

記念切手が発行された。・・・これは2週間後にとても美しいデザインと思えるかもしれない。今は勝利の臨場感として、ちょっと物足りないかな。





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by kokouozumi | 2014-07-21 06:43 | 独逸 | Comments(0)

WMで始まるドイツの夏









蒸し暑い日が続いているドイツですが、
暑苦しいほどの熱気をなんといってもWMがもたらす・・・ドイツです。

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いつものように、仕事場の友、ラジオを聴きながら過ごしているのですが、
今、ドイツナショナルチームがフランクフルト空港から出発しました。
今、ドイツチームがブラジルに到着しました
今日、ドイツチームは・・・
といったニュースが次々伝えられ
その余りにも些細な事柄を伝える手段でWM熱を盛り上げる放送の努力に
おかしくなって、つい陽気な気分になるから不思議です。

WM陽気に忘れられていますが
今日は13日の金曜日でした。
そこで、いつも聞いている『人々』というインタビュー番組には
心理マジシャンなる人物が登場しました。
ラスベガスに出演するコパーフィールドのような大掛かりトリックを使わないのが
心理マジシャンということで
心理学+暗示+数学を駆使して、人の心を読んでしまうというのです。

2年前に、その心理魔術とかいう分野の世界チャンピオンになったというのですから
相当凄腕らしいのですが、話を聴いている限りでは、どれほどすごいのか良く分かりません。

最終的には、今回のWM優勝チームを予言せよと、迫られるわけで
それが、本当は彼を登場させた最大目的で番組の目玉だったと思えます。
しかし、ついにその魔術師さんはその場で発表することをせず
司会者に封筒に入った、彼の予言を渡したのみ・・・
約一ヵ月後、WMが終わる頃に、彼の予言を思い出す人が居るのだろうか??
私も忘れそうですが

気になるな・・・
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by kokouozumi | 2014-06-14 08:01 | Comments(0)

気付かれない存在










Stuttgartに住むようになり、頻繁に利用するSバーンの駅。ホームからエスカレーターを上って駅の連絡通路にたどり着いたところに、その販売人はたたずんでいた。

駅の地下連絡通路や地下エントランスという場所には、スタンドカフェのあるパン屋とかキオスク風のショップが点在していても、人々にとって通過するところでしかないし、出来れば早く地上に出て、この駅に降り立った本来の目的に向かいたいと思い、用事が終わって駅に戻っても、まっしぐらに切符自販機へむかう。その場所にたたずむ人、それはいろいろな人がいるだろうけれど、たとえある姿を目の端に捉えたとしても、いちいち気にしない、普通は。いちいち気にするほうが変かもしれない。そのように私は、切符自販機とホームに降りるエスカレーターの間で、新聞のようなものを持ってたたずむその人をいつも見かけていながら、多分何かのキャンペーン紙を配っているのか、StuttgartのことだからS21反対運動の小雑誌かな?と想像するぐらいで、気に留めなかった。

あの本を読まなかったら、ストリートペパーを販売する人という存在に、気がつかないままだったと思う。

『ボブという名の野良猫』にはThe Big Issue(ビッグイシュー)というロンドンで発行されているストリートペーパーのこと、その販売システムについて、作者ジェームズ・ボーウェン自身の体験として詳しく述べられている。ホームレスたちが路上で新聞を販売することで、彼らに仕事を提供し自立を支援する目的と、ホームレスの問題に世間の注意を向けよう、という狙いがあるストリートペーパーのヨーロッパ第一号は1991年にロンドンで生まれた。(雛形はUSAにあったらしい)そのビジネスモデルはたちまちヨーロッパ各国に波及して、ドイツでは1993年にミュンヘンやハンブルクに、さらにベルリン、デュッセルドルフ、ドルトムンと続き、今ではドイツ主要都市に拠点を置く30紙のストリートペーパーが数えられ、月ごとの発行部数総計は25万部になるという。

そんな訳で、野良猫ボブの本を読みながら、そういえばあの駅にたたずんでいたあの人も・・・と気付かされたのだが、その後も切符自販機の前に立つと、次の電車は何分発、急げー、という行動パターンになってしまう。ボブの本は日本語版も出たので、あまり内容に触れたくないがボーウェンも、人々が新聞に興味を持つ余裕が無い、地下鉄駅の入り口で販売することは難しいと書いている。だから販売許可証のための顔写真をボブと一緒に写してもらい、ボブの存在が販売力としておおいに貢献することになる。
全くのところ新聞の束を抱え黙って立っている人は、駅構内の壁に溶け込んでいくように、地味で気がつかない存在である。もしかしたらベストセラーになったボブの本は、いや一匹の野良猫ボブが、世界中のストリートペーパー販売人をスポットライトの中に立たせる役割を果たしたのではないだろうか。

うちのパンクにも何かそれくらいの力がないものだろうか、と顔を覗きこんでいると、パンクはすっかり勘違いして『もうご飯の時間ですか?』と擦り寄って来る。駄目だ・・・。しかし悲壮感漂うプロパガンダによって無理やり突きつけられるのではなく、猫によって社会の一面が浮かび上がってくるのは面白い・・と猫好きはポジティブに受け止める。

そしてついに、次の電車に乗らなくても、次の次の電車に乗ればいいということにして、
2,10ユーロのTrottwar紙を買った。そのうち1,05ユーロが販売人の収入になる。つまり販売人は新聞を半額で仕入れ、倍の値段で売ることで、仕入れた数を完売すれば、いくらかの収入とさらに仕入れる元金が手に入る、という仕組み。ストリートペーパーは、路上で彼ら販売人から購入できる新聞であり、StuttgartのTrottwarというタイトルは、この土地の方言シュベービッシュとさらに南の方言アレマン語にも共通する『歩道』という意味があるらしい。バーデン・ヴュルテンベルグ州全域の読者を対象にしたTrottwar紙は毎月の発行部数2万7千部。リストを見ると最も発行部数が多いのはハンブルクのHinz&Kunz紙で6万8千部(最新の数字)販売者数500人。1993年の創刊号は10日で3万部を完売したという実績を持つ。最近ニュースダイジェストという日本語新聞でストリートペーパーに関する特集記事が掲載されていた。ミュンヘンのBISS、ドルトムントのBODO、ベルリンのStrassenfeger、デュッセルドルフのfiftyfifty、そしてハンブルグのHinz&Kunzなど、サイトを覗いてみるとその土地でストリートペーパーが生まれた理由、難民問題、地場産業の低迷、など背景を知ることが出来る。

私が買ったTrottwarは2013年に出版された本に関する特別号で、方言シュベービッシュ語源学について、本を読むという人間の脳の特性についてとか、ホームレス人生を書いた本のこととか(その作者はStuttgartの町でホームレスが大事にしている場所のガイドツアーも企画した)、なかなか興味深い内容が紹介されている。




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by kokouozumi | 2014-03-02 09:16 | | Comments(0)

暖かな今年の1月











今年1月6日の最高気温は確か12℃。1999年の1月6日は17℃だったと、その日のラジオでは冬の日の暖かさを比べていた。薪ストーブ生活初心者にとって、とても親切な今年の冬だが、雪が少なくてスキーには危険らしい。F1ランナーのシューマッハやメルケル首相のスキー事故は、例年に無く少ない雪が災いしたかと、巷では言われている。



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良い天気の朝、ストーブの準備が終わって、散歩に出た
何組ものワンコちゃんたちがやっぱり散歩








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昨夜は久々氷点下になったので、朝の光景はいたるところに霜








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12月から毎日のように天気予報のサイトを覗くようになったのは、自転車生活者としての心得として、いつから市電の定期券を買うべきか判断するためだった。毎日定時出勤の身だったので、始めは12月から2月までは電車利用と覚悟していたが、毎朝電車の窓から平行して走る自転車道を眺めていると、除雪されている箇所がかなり多いことに気がついた。自転車で怖いのは朝の雪道で、前夜に冷え込むとアイスバーン状態になっている。帰宅時、夕方の雪は怖くない。午後から降り始めた雪はふわふわだし、午後7時までは一旦溶けた雪が凍ってしまうことは無いフライブルクという暖かい場所の事情があった。そうなると大胆になって、天気予報で翌日の気温と雪の降る時間、さらに除雪されていない箇所はどこか覚えておけば、冬の間も自転車で動けると思うようになった。私の利用していた天気予報のページは、朝・昼・晩・夜の時間帯で天候が予想されているので、その数値を見ていると、いつも走る道の状態がシュミレーションされるようになった。危ない場所が事前にわかっていれば大丈夫。しかしそんな判断で雪道を甘く見て乗り廻し、自転車を一冬で錆び付かせてしまった。除雪のために撒く塩の影響だった。

Stuttgartに引っ越してからも、冬の天気予報は欠かせない。電車通勤の時は乗換駅で待つ間に、その日どれだけ寒いか、そんな日がどれだけ続くか、予報を見ながらため息をついていた。通勤移動の必要がなくなった今はストーブ生活者として予報に気をつけている。マイナス気温が続く場合、家の水周りを守るため地下のストーブ焚きという作業が加わるのだが、今のところそれが必修という場面がまだ無い。日本の実家で冬を過ごす場合も水周り管理は冬の大事な留意点だった。寝る前に外の水道栓を閉めて、家の中ではどこかの蛇口を開け、家屋内の水道管に水が溜まっていない状態にするのが冬の、特に寒い時期の日課だった。大抵は宵っ張りの私の仕事だった。

Stuttgartで生活するようになって、雪の無いアイスバーン路面の怖さを体験するようになった。朝10時までの霜降り道に要注意。フライブルクでは雪のない道にこれほど危険性を感じなかったから、やはり暖かな土地だったのだと今思う。天気予報の読み取り方も細かくなって早朝のマイナス気温を見のがさないようにしなければ。

もう1つかなり信頼の置ける注意報は、家の前の融氷雪剤撒き状況を知ること。私の住まいの前と工房の前は、同じ大家さんが管理しているのだが、冬場の道路安全対策は、隣人のペンキ屋さんに依頼している。ペンキ屋という職業はもしかしたら温度にすごく敏感なのでは、と思うのだが、なんとなく気になる朝、表の道路を見て、彼が既にその類の塩撒きしているようだったら、その日の午前中は要注意!と、最近わかってきた。
しかしこの融氷雪剤、少なく見積もっても94%は塩・・・らしい。

毎年11月頃から、この融氷雪剤はスーパーでも山積みに売られているし、雪の多い年、玄関先の階段に撒いておこうかと買いに行ったら品切れという事態もあったから、大量に消費されているらしい。フライブルクの自転車道路でも、早朝から除雪されているように見受けられる道路は、実は頻繁にこの融氷雪剤が撒かれていたのではないかと思う。塩が自転車を錆びさせてしまうという出来事から10年の歳月が流れているが、この融氷雪剤は果たして環境に安全なまでに開発が進んでいるのだろうかと、疑問に思いつつも家の前の通りが滑らず歩けることはありがたい。公共道路の交差点など滑ったら危ない場所には、冬の間よく大粒の砂が撒かれている。つまり融氷雪剤の使用を極力控えようとしているようだ。

滑らない靴を履け!自転車をやたら乗り回すな!そういった自己防衛意識が薄れつつあるかもしれないと、暖かい1月に思ったこと。







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この道は農道。トラクターが通って当たり前、しかし私は手袋をはずしたり、自転車を脇によけたりしているうちに、トラクターは遠ざかってしまった。
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by kokouozumi | 2014-01-16 06:47 | 独逸 | Comments(0)


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