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彼女の工房 2013年










ストーブのことではなく、陶芸の話ですが・・・

薪ストーブ生活初心者の私は、彼女の工房にあるこの小さなストーブの威力に感歎。工房と一部の展示室、あわせて100平米ぐらいの空間には暖房設備としてこのストーブが1つだけ。12時前の訪問時には心なしひんやり感じられたその空間が、夜7時お暇する頃にはほっかり暖かな場所になっていた。

そうやって彼女は冬になると、時々ストーブに薪を一本放り込みながら仕事しているのね。しかし以前紹介したように彼女の工房
かつてFayence – Manufaktur だったから、家というより工場に近い構造のこの建物には、下の階全体が窯場、さらに下の階はリヒャルド・バムピ黒い森にひそむ 3
の記念博物館的な釉薬調合室や原料保管室が当時のまま残り(1920年-60年代)、さらに機械室(土を作る)、土置き場が続いているということになっていて、それらの地下2階部分には全く暖房が無い。彼女がこの家で仕事を続けていくには、年間仕事計画または季節別仕事場所プランのようなノウ・ハウが必要だよね。今回は残念ながら、その辺の事情を話し合う場面は無かった。





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今回の目的は、本の整理。わざわざ私が呼ばれたのは、その本というのが日本語のものだったから。独逸人陶芸家の家に、所有者が読めるとは思えない日本語の陶芸に関する書籍は雑誌類も含めて300冊ほどあった。

私の書架に日本語の陶芸書を数えたら30そこそこ。日本で持っていたもの全部をこちらに移動したわけではないにしても桁違いと、文字通り言える。数ばかりではなく、1974年に加藤唐九朗が自らサインして贈呈したらしい、原色陶芸図鑑初版がある。対抗する小山富士夫の著書も多い。興味深い本が次々目に付いたが、とにかくゆっくり読む暇はなかった。


はっきり言って私は大型図版の陶芸全集の類を、古代アメリカ、古代地中海とアフリカ陶芸の三冊以外に購入したことは無い。金額の問題以上に、それらを日々眺めて学べる目が無かった。この家には日本陶芸、日本現代陶芸、東洋陶芸の全集が、それぞれほぼ全巻積み重ねられている。

所有者は日本語を読めないと言ってしまい申し訳ないが、その本を収集した彼女の8年前に亡くなった夫、カースタンは日本の陶芸書をよく観ている。付箋が付いている箇所を開くと、かならず窯の構造に関する図があった。カースタン氏は1974年から10年間毎年のように日本や韓国へ出かけたらしいが、1977年に独逸で第一号といわれている穴窯を自ら築いた。それ以後、カースタンのあらゆる経歴や紹介文には、東洋陶芸に影響を受けたというような一文が、必ず書き加えられることになる。

師匠であり、この家をカースタン氏に譲ったバムピは釉薬研究に夢中だったが、弟子のカースタン氏は無釉の素地を穴窯の中で灰に任せることに夢中になった。以前書いたエピソード、師バムピの釉薬調合を盗んだといわれた事件が尾を引いているわけではないだろうが、カースタンのこの情熱は東洋からの影響とか、禅の思想何タラという表現では済まないだろうと、300冊の本を前にして、私はこの家に流れる、陶芸に対する鬼のような情熱を目の当たりにする思いだった。









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オイラーの本を1冊見つけて、ちょっとだけ休憩






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昼食に並んだ器は彼女がこの家に嫁ぐ時、工房の師匠・・つまり彼女の旦那様から課題を与えられた自家用器シリーズ。5種類をそれぞれ60個作って引き出物にもなった。





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これは旦那様が気に入っていたフランス人陶芸家の器






この家の広い空間に漂う情熱の亡霊、その中で彼女は仕事している。さらに仕事で使う設備は旧体制のものだから、彼女はそのための労働も受け入れなければならない。しかしそんなことはどうでもいいほど、彼女は陶芸の仕事が好きだ。この家の各所に、この家の雰囲気の中で生まれた彼女の作品が並び始めた。

彼女は薄い磁器土の素地が好き。使っている釉薬はぼってりと厚がけにして効果的なものだから、土と釉薬の組み合わせに無理があるのだろうか。狙っている課題、それがどのように抑えられていくのか、次の訪問の楽しみだ。












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by kokouozumi | 2013-12-26 06:49 | 人々 | Comments(0)

黒い森にひそむ 3


私はまだカンデルンに長居している。ここは黒い森の中で唯一窯業があった場所。そしてドイツ陶芸史を知っている人、何かしら陶芸に関わる人なら絶対その名を知っているだろう現代陶芸の曙、20世紀初めドイツ現代陶芸の三大巨匠の一人が住んでいたところ。しかしながら今回はその人物に纏わる余談の集積かも・・・。



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この白衣の化学者としか見えない、この人がそのリヒャルド・バンピー。

余談1-ドイツ現代陶芸の先駆的三大巨匠の誰ひとり轆轤は出来なかった!と発言しても許されるだろう。リヒャルド・バンピー(1896-1965)とヤン・ボンティエス・ファン・ヴェック(1899-1969)に関しては、はっきりとそのことが本に書かれている。もう一人のフーベルト・グリィーメルト(1905-1990)がどうだったかは、その教え子(陶芸専門学校)から「代表作の殆どを学生がひいていたよ」と直接聞いた。それは民陶が分業でおこなわれていた時代からの移行期に起こった三人の共通点といえる。ちなみに轆轤師からオイラーになった人が多いが、オイラーは家内工房のディレクターで、轆轤師や絵付けの女工、日雇い労働者さらに窯焚き人などを仕切っていたわけだ。現代陶芸の巨匠達の仕事場にもその様な分業化の残存があったということだが、彼らの陶芸は民陶から発生し、それを発達させたものではない。

バンピーの経歴を大急ぎで覗くと
1896年 ブラジル生まれ。イタリア人の父は建築家、母はドイツ人
1902年 母方の故郷ドイツにて教育を受ける
1914年―1918年 第一次大戦従軍
1919年 バウハウス造形学校にてグロピウスに建築を学ぶ
1920年-1921年 スイス、イタリアで彫刻、ウィーンで彫金を手がける
1923年-1925年 リオ・デ・ジャネイロでバウハウスのような造形学校を目指し工房を作る。初めて陶土を扱う。
1927年から カンデルンの陶器工場に潜り込み、商品倉庫の一角で彫刻を始める

以来カンデルンに住み、居候的に仕事していた工場の責任者となり製品の品質向上を目指して本格的に陶芸の訓練を始めるのは1934年、バムピーは38歳。

19世紀末または20世紀初頭に生まれた人の経歴をみて、いつも感じてしまうのはその人生の節目に二つの戦争が割り込んでいること。やっと義務教育を終え少年から青年としてこれから世に出てという時に第一次大戦従軍。無事に帰ってきて、再スタートやっと仕事にも人生にも熟年の域に達した頃、今度は第二次大戦だ。

そんな時代の中で、どのように仕事を続けていたのかをバンピーの場合にもつい目を向けてしまう。現代陶芸の巨匠としての位置づけから、今回は遠ざかってしまうが。
バムピーがカンデルンに潜んで陶芸に専念し始めた頃、ドイツ社会はナチス党が台頭。
森の中に潜んでいるとはいえ、「仕事を邪魔されず、少しでも長く工房を維持するため普段の行動、言動を愛国主義者的に振る舞っていた。兵役に取られるまであまり時間がないという焦燥感があった・・」と記されているものがあった。その急ぐ仕事振りは1939年から1941年までの3年間に残された釉薬や杯土調合のリストがNr.2047まで
杯土の種類やそれを焼いた焼成温度(焼成状態の記載はない)などの窯焚きや仕事メモはNr.519まで、と多量のノート書き込みに伺われる。その中で面白いのは地元の耐火性、焼き締まりの弱い土に改良策の原料を配合していること。そうやって改良した土質は戦後自由に購入運送されるようになったライン地方の土に置き換えられた。一時は土にウランまで混ぜている。(釉薬にも混ぜている。さすがに周りから反対されたという。)

余談2 - 1944年45年と出兵し帰還。仕事場も無事。ベルリンのボンティエス(三大巨匠の一人)が仕事場を失ったと聞き、彼を共同研究へ招待する。喜んでやって来たボンティエスがしかし3ヶ月で出て行ったのはワインの事で喧嘩したとか!?


余談3-ナチス時代に手工芸者の公の仕事として、彼の陶芸工房でも義務付けられていた仕事がある。それはナチス党公共福祉事業団がおこなっていた募金活動のためのバッジ作りだった。私は巨匠バンピーの(本当は彼の工房の誰が作った)作品をたった一つ・・・そのバッジを持っている。

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この福祉事業団の募金活動は1933年から1943年まで続くが全国で8000種のバッジが作られたという。かなりの収益を上げて失業者や戦傷者に配当されているが、皮肉なことにこの事業団は強制収容所に送られたユダヤ人の衣服なども管理し、再利用していたそうだ。


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余談4 - バムピーの研究ノートが仕事場に残された。その仕事場を受け継いだ陶芸家の父親は釉薬分野の化学者。(日本の釉薬の本にも出てくる)もちろん親子でバムピーの釉薬調合を試したが、どれ一つバンピー本人が制作したものと同じにならなかった!!

最後まで読んでくださった方、ありがとう!
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by kokouozumi | 2008-10-23 03:23 | 陶芸 | Comments(8)

黒い森にひそむ 2

 黒い森の中にひそむ『宝箱』があります。宝石の詰まった箱ではありません。いわゆる民衆作家が民衆の話をその中に詰め込み(農民と子供に鍵を預けた←後世のある作家のこの表現が好きです)宝箱です。ですからその作者ヨハン・ペーター・へーベル(1760-1826)の名は同時代のゲーテやトルストイが絶賛したにも関わらず、長い間文芸作家の列に加わることがなかったのです。

 フライブルクにやって来て間もない頃、独日協会の例会というものに出かけたことがあります。その初めての参加で偶然隣に座って初めて話したドイツ人から「昔、木下さんという学者さんがいた」という話が出てきました。「はあ?」何でもこの地方の方言でどうのこうの「はあ?」最終的にはその方、次の会合にその木下さんが執筆された本(日本語)を持ってくるということになりました。その方は尊敬する木下先生からプレゼントされた本をご自分は読めないけれど、一人でも多くの人に紹介したかったのだと思います。それが私のへーベルを知る切っ掛けとなりました。




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カンデルンの博物館にあった19世紀の民陶






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これはもっと古そう



 ヨハン・ペーター・へーベルは幼い時に父親を、13歳には母親を亡くしています。優秀な子供だったので奨学金を受け母方の故郷、黒い森地域の中でギムナジウムまでの教育を受け、さらに神学を学び、卒業後は家庭教師や教員事務所の仕事を経て教師になります。教師および副助祭としてカールスルーへのギムナジウムへ招聘されるまで黒い森で生きた人です。彼は植物、自然史に興味があり、カールスルーへに移ってからも同僚の植物図鑑編集を手伝ったりしています。

 私が借りた本は『ドイツ炉辺ばなし集』木下康光編集・訳というもので、最近『暦物語』というタイトルで他の訳本もあるようです。19世紀初頭、『家の友』という郷土カレンダーの売れ行きが落ちたというので、改良委員会が組まれその中にへーベルも参加していました。最終的にへーベルがその委員会の音頭を取り、そして新しく登場したのがカレンダーの横に大きなスペースを作って、様々な物語が付け加えられたものです。以来『家の友』は売れ行きを伸ばすことになりました。へーベル自らこのカレンダーの付録のために毎年30篇ほどを創作していました。その物語が1811年に『ライン家の友の宝箱』として出版されました。その後2回の続編が出ています。特に代表作として『思いがけない再会』があります。嘗ていいなずけだった男女が50年後に再会するという話ですが、その50年の時の経過を表現する部分は、後世の多くの作家が取り上げて感心しています。ドイツ文学の歴史をまとめたある作家はこの宝箱に詰まっているへーベルの物語りは、それらの全てのドイツ文学に匹敵すると表現しています。当時グリム兄弟がへーベルに会いに行くなどしていますが、へーベルの物語は伝承された昔話や童話とは一味違ったものです。


 しかしへーベルの処女作、『アレマンの詩(うた)』はまさに黒い森の中にいまだに潜んでいると言えるでしょう。アレマン語という方言で書かれています。現在でも市場で野菜売りの農夫がこれで話してくると、一体ねぎ一本の値段が幾らなのか理解できません。この詩集のドイツ標準語訳を見たことがなく、研究者はいるのでしょうが日本語訳も出版されていないようです。へーベルが31歳まで暮らした黒い森地域での人々の生活、風景、製鉄所などの仕事風景を詩っているのですが、その中で最も名高い一遍は『無常(はかなさ)』という題の長い詩です。ある村から他の村へと移動する道々、手押し車の中で、目に映り過ぎていく城跡や、都市バーセルの栄華さらには世界を捉えて、死と消えていくもののるはかなさについて、男の子の問いにおじいちゃんが答えているものです。嘗てへーベル13歳の時、まさに同じ道を手押し車で移動中にへーベルの母親がなくなっています。そしてその場所から見上げたある古城から詩の中の会話は始まっています。

 せめて冒頭の部分だけでも知りたいとアレマン語の分かる方に読んでもらいにいきました。読んでいるうちにその人は「今日は何日?」というので、二人でカレンダーをみたらその日は10月16日、235年前のその日にその読んでもらっている詩の中の場所でへーベルの母親がなくなった日でした。

 男の子が「あの古城のように僕達の家も朽ち果てるのか」という問いに
おじいちゃんは「すべては若く新しいものとして生まれ、しかし留まることなく老いへ向い続ける・・・その音を聞くと川の水は流れている・・空の星は?全ては動かないようでいつも動いている・・」と言い聞かせているのはまるで「いろは歌」と方丈記の有名な冒頭の部分を再現するようです。

読んでくださったドイツ女性は「私が学校で先生から毎日を大切に暮らしなさいと教わったのは・・・」と思い出していました。
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by kokouozumi | 2008-10-19 04:36 | 人々 | Comments(4)

黒い森の中にひそむ

海辺育ちの私・・といっても海鳴り、潮の香り、秋刀魚、鰹、一体どれだけが体内に染み付いているものなのか怪しいものです。それが今は黒い森山岳地帯にいます。
・・といっても町の中にいる限りぼんやりしていれば、山岳地帯の盆地に開けた町での生活という意識は特にありません。いつか雨の日、街中を縦断する運河が急流となって、ここは山の麓から斜面となっている土地なんだと思い出したものです。。


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さすがに漁師の話は聞きません。残念ながら樵とお友達になる機会もこれまでありませんでしたが、環境都市フライブルクということで、環境を守る立場の人、森の管理人とお話したことがありました。彼らは森林レンジャーと呼ばれています。しかし森の中には仕事の掟があるらしく彼らが実際に木を切り倒したり作業をすることはありません。じゃあ何をするのかと聞いたら「森の中の光と影を見る」という返事がかっこよかった。森の中に差し込む光の具合から伐採すべき場所を判断したり、酸性雨での木の被害を調べたりする国家試験を受けた公務員です。西ドイツは約70%が国有および公有林なので、レンジャー隊の管理地域はかなり広がっているようです。それにこの町にきてまず驚かされたのは克明な山脈の地図があったことです。森から森へと整備された林道が通り、道路わきに積み上げられた伐採された木材の番号など、注意するといたるところに森林管理人の印が見られます。レンジャーの制服は緑の上下に緑の長靴、緑の帽子、冬のコートも長い深緑。階級によって肩章にどんぐりが一つ、三つと付くらしい。催しがあるとヤークトホルンが登場する。

レンジャーの話を聞いていると、いつの間にかグリム童話の世界に入ってしまう。

山の中にいってみよう。


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出発



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座る場所もあります。「乗車券ください。おいくら」 「どんぐり3個でございます。」
これじゃ宮沢賢治だ!




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私がヘンゼルとグレーテルの話が好きだったのは挿絵のため。毎月届くキンダーブックの挿絵は様々なタイプがあり、この物語の時はとても克明な描写の挿絵でしたから、一ヶ月飽きずに眺めてはいろいろな発見をしました。挿絵の情景を子供の心は信じきっていました。紫赤の大粒のさくらんぼに心から驚いたりしたものです。「山形産とは違うぞ」アメリカンサクランボが出まわるようになったのはそれからずっとずっと後のことです。今フライブルクの街中から10分も行くといつの間にか山の林道を歩いていることになるのですが、ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだような暗い世界の印象はありません。グリム以前にはガラス職人達が秘密の技法とともに隠れ住んだ黒い森でしたが、そんなガラス製品も博物館で僅かに見るだけです。博物館には一番目の写真のようなガラス工房の絵もあります。『黒い森の南16世紀中頃』ガラス製造に詳しい人はこの絵の中に色々発見して楽しいと思います。職人はそのころ裸足で働いていたのですね。




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ここはカンデルンという南シュバルツヴァルト(黒い森)にひそむ町。昔の農家をギャラリーにしています。この壁よく残っていたものです。これは壁紙ではなく、壁に直接塗られた模様です。型紙を使ったのでしょうか。





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訪れたときの展覧会は騙し絵の作品でした。若い画家のようですが、デュラーのような精密描写から大胆な荒いタッチに作風が変化して、その荒いタッチの中に色々の形が隠されていました。








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『黒い森』の名は緻密に生い茂る針葉樹林の黒々とした色を想像させますが、この名前がついた昔は木の種類が違っていたそうです。黒はむしろ人外境、暗黒大陸の意味を含んでいるとか。「中世ヨーロッパの森は緑の海だった」(堀米庸三)という表現もあります。
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by kokouozumi | 2008-10-12 06:18 | 美術 | Comments(6)


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