キャベツと町と人々と







1週間、時間があればなんだかダンボール箱を開いて、中のものを収納することに快感を覚えていたのですが、全体の半分ぐらいの段ボール数をこなしたところで、ちょっと考えました。フライブルクから引っ越した2年間はこの開いてしまったダンボールに詰まっていた内容で事足りていたのではなかったか?すると残りの半分は、必要に迫られた段階で処理すればいいのでは・・・ということで引越しの際、急遽設定したダンボール部屋を当分そのまま残す、つまりダンボールの間を設けることにしました。引越しは完了しましたが、荷物整理は据え置き状態の現在です。





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引越し後始めての週末は、その町のキャベツ祭りでした。
引越しのお手伝いをしていただいた方々に集合していただき、キャベツといえば・・・

日曜日、特大のイケヤ買い物袋を担いでキャベツを買いに。家具屋の袋を用意するほど、この町のキャベツを甘く見なくてよかった!Spitzkohl(とんがりキャベツ)がこの地域特産のキャベツ種ですが、本当に重かったです。残念、重さを量っておくべきでした。
パンクより大きいこのキャベツは3,5ユーロ(現在のレートで500円弱)。住まいは離れた場所でも、毎日仕事していたこの町のキャベツ、Spitzkohlに関する経験の蓄積から・・・つまり外見にだまされてはいけない!きりっとしまった美しい形のキャベツは葉が硬くて食するのにどうか・・・などと予備知識はいつの間にかインプットされていて、出来るだけロッカーな感じに見えるキャベツを選ぶべきなのですが、最終判断は触覚です。これはいけるかもしれないと80%買いの視覚判断したキャベツの葉っぱをちょこっと折ってみて、パッキとすれば100%買いとなります。スーパーでは出来ない決定ですが、キャベツ祭りでは無礼講!!だよね。

そうして、キャベツといえばお好み焼きです。
しかし、この大きなキャベツ10人でお好み焼きをしても食べきれず、それから数日野菜炒めの日々を過ごした後、オランダとフランクフルトからのお客様が来て、またまたお好み焼きで、食べつくしました・・・

引っ越してから2回目のこの週末、アトリエにはまた別のお客様、そして日曜日は5人のポルシェデザイナーの一人として活躍している日本人デザイナーの方の講演。Stuttgartの町は人々との出会いの町ではないかな。それを満喫することがこの町のよさではないかなと、思い始めています。





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# by kokouozumi | 2013-10-28 07:27 | 人々 | Comments(2)

引越し完了 2013













新しい家での通信が可能になりました。
1ヶ月前テレコム(電話会社)に引越しの連絡をした際に、顧客番号、現住所、引越し先住所を伝えると、対応者はたちどころに双方の家の回線状態がわかってしまうらしい。「引っ越す先の回線はまだ解約されていません。しかも他の電話会社が入っています」やれやれ面倒なことだな・・とぼんやりしていると、電話の向こうでは「貴方のために特別チームを組織します。貴方は前の住人をご存知ですか?」前の住人・・ああシュテファンのことか、「え~と、名前は知っていますが、姓のほうはなんだったかな?」「xxさんです。」なんだ、他社と契約していた住人の名前まで判るんだ・・・。

結局シュテファンは引っ越す際にちゃんと解約をして、しかも外国に住むと伝えたにもかかわらず、契約期間がまだ数ヶ月残っているという理由で即時解約不可能だったという事情が、本人と直接連絡を取って判りました。

電話回線がつながるのは荷物を運び込んだ翌日。その日、特別チームとかの一団ではなく、たった一人の担当技師がやってきました。部屋の中の電話差込口と地下の配線盤になにやら計器を当て、それから10分ほど路上の箱(何の箱?)を調べに行って帰るなり「OK」の一言でルーターを接続。それだけで、スタンバイしていた私のパソコン上に接続マーク。今回はまったく私の出番が無い!というのは10年以上前初めてルーターなるものを装備した際には、テレコム職員(もちろん独逸人)が日本語バージョンのPCにルーターを認識させるために、彼がやりたい操作を代行しなければならず、2年前の引越しでは、電話で指示を聞きながら一人で操作することになりました。今回はもしもの場合のトラブルに対応する専門技師が派遣されたおかげで、楽な通信再開でした。





さて、引越し先ですが・・・初めてその家に案内された時、気になったのがこの地下室。


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正確には地下2階部分というべきか、地下室にある木製の扉を開けるとさらに数段降りた場所。すっかり地中にもぐった位置のはずなのに、なぜか小さな窓が付いている。巨大なワイン樽が二つ並んで置かれ、ドイツの古い家によく見られる、地下の自家製果実酒倉らしいが、今では大家さんのジャガイモが保存されている。小さな窓が気になった。単なる窪みとしての用途なら、壁に続いて塗りこめてしまえばいいものを、なぜわざわざガラスがはめ込まれているのだろう?その向こう側は土に埋もれているようだが、実は何かの際、叩き割ればこの空間に空気が流れこむようになっているのだろうか?猫ならともかく人間が抜け出すには小さすぎる。「ここは戦争中空襲があると、家族が避難所にも使っていた」と案内人の説明。

この家の建築は1922年。第一次大戦直後に一市民がいざとなったら避難部屋になるよう酒蔵を設備したのだろうか?調べてみると確かに第一次大戦後、防空連盟というような組織が出来、雑誌を発行して民間人へ防空に関する提案をしたり、民家が防空手段を設備する場合、公的な補助が受けられる・・・という情報も提供していたらしい。が、補助金制度が効力を持つのは1927年以降のこと。1922年建設の家に防空を考えた設備をするのは早すぎる?

大家さんとジャガイモの話をした。あそこの保存状態は完璧なのだそうだ。「昔、冷蔵庫が無かった時代だから、そのような地下に埋もれた部屋を食料保存に利用した。外気に影響されない常温食料保管室ということ。当時はパンも各家庭で焼き、そこに保存していた。」さらに大家さんの説明によると、第一次大戦中の大問題は食糧難だったから、戦争直後に建築されたこの家にとっても、食料の保存が第一条件だった、ということだ。

だがやっぱり、あの小さな窓がいったい何か疑問は残る。ガラス戸の向こう側がレンガなのか、なになのか良く見えず、ガラスを割ってみたいと、一瞬思ってしまうような。






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# by kokouozumi | 2013-10-18 07:00 | Comments(0)

さよなら・・・読書室













工房の隣家が空いて、これから2週間後、そこへ引っ越すことになりました。
これまで住んできた、どの住居とも違った生活感覚をもたらすだろうその家については、後日引っ越してからメモすることにして・・・

今は残り少なくなった電車通勤の日々をいとおしんでいます。
もうこの冬からは、寒風の吹き込むホームで乗り換えの電車を待つこともなくなるのですが、電車に乗り込んだ瞬間、あの車内の暖かさにほっとする気分もなくなるわけです。
1つの習慣、一日のリズムとして消費していた通勤時間のネガティブ要素を度外視して忘れがたいのは、やはり電車の中が読書室だったからでしょう。

しかし、電車の中で読書することは、結局家に帰り着いてからも続きを読みたくて、夜中の2時、3時まで読書は続く!現象をもたらしたことも白状しておきます。電車通勤のおかげでよく読書したこの2年間でした。既に報告したように、長い間書架で眠っていた本を引っ張り出したこともありましたが、電車の中でも楽に読めるものとして、手当たり次第に読んだのは、推理小説の類。これが曲者で家に帰ってからも尾を引いた原因はこれです。伊阪幸太郎や東野圭吾を推理小説として分類してよいのかどうかはともかく、夜中までの読書で目を真っ赤にさせた犯人は彼らの作品。さらに原作に留まらず、ユーチューブで映画化されたものを探し・・・という状況に至ったので。翻訳作品ではなんと言ってもジェフリー・アーチャー。Stuttgartでは日本人同士が本を交換し合う、古本バザーがよく開かれるので、昔読んだものでもジェフリー・アーチャーを見つければすかさず手に入れて、読み返しました。バザーにはなぜかケン・フォレットが登場せず、ドイツ語のものに手を出そうかと何度か書店で物色したのですが、日本の文庫本のように、上・中・下と分冊されることがなく、分厚い1冊を目にして恐れをなし、ケン・フォレット三昧は実現しませんでした。

電車の中で心地よく本が読める座席を確保する・・・というノウハウも次第に覚えたものです。単純ですが、本を読んでいる人のいるボックスに座るというものです。2人までが本を読んでいるボックスに、携帯で喋りまくる人が新たに加わる確立は少ない。4シートのボックスに一人座っていると、3人のおしゃべりさんたちに囲まれてしまったこともしばしばありました。

動く読書室での時間も残り少なくなって、さて記念の最後の1冊はと、思っていたら、やっぱり猫の本が飛び込んできました。日本でもかなり話題になっている、ロンドンのボブの本です。ジェームス・ボーウェンの『野良猫ボブ』がイギリスで出版されると
すぐ、ドイツでも英語版が書店のベストセラーコーナーに積まれましたが、そのうちドイツ語訳も出てくるさ!と気長に待っていたそのドイツ語版を、最近ついに発見。「私の人生を変えた」というボブ猫の話は面白すぎて、あっという間に読んでしまい、通勤日数がまだ残っている始末。英語版では既に続編も出ていますが、そのドイツ語版が出るまでは、少なくとも半年待つことになりそう。まもなく日本語版も出版されるらしいので、あまり本文内容に触れたくはないのですが、ストリートミュージシャンと一緒に、路上に座るボブは猫なのですが、信じられないくらいじっとその場に居続ける。つい人間はいろいろと疑り深い考えが浮かんでくる。「車の往来激しい路上の片隅に座り続けているなんて、耳が聞こえないとか・・何かの神経が欠落しているのではないか。」「いやエジプト猫という血統種は何事にも動じないらしい。」「ボブの振る舞いは、そのような高貴な血が表出してなのか?」などなど下世話な考えに対し、ジェームス・ボーウェン氏あるいは、彼の出版エージャントは最後に哲学的な解説を用意している。私の残された通勤読書時間は、この類まれなボブの話を読み返すことになるでしょう。






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S-バーンの車内風景、




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# by kokouozumi | 2013-10-03 05:58 | | Comments(6)

新作は・・







陶芸家のIka(イカ)さんのアトリエはフライブルク市旧市街地の、1460年に建築された集合住宅1階にある。通りに面している2つの窓からすっかり見通せるアトリエの、しかも窓際に轆轤場がある。彼女はそこで40年間、通行人の目の中で仕事をしてきた。正確には前半の20年間、アトリエは向かい側の建物にあった。そこも現在のアトリエと同じような2つの窓が通りに面していて、仕事ぶりを覗くことができた。

その辺一帯は戦火を逃れた場所なのか古い家が多く残り、1階部分はそのように大きな窓を持つ商家風の佇まいとして連なり、現在でもフライブルク観光のスポットになっている。






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イカさんの販売リストには購買者の住所として、ベルリンやハンブルクなど遠くの地名が載っていると、いつか聞いたことがある。昔からシュバルツバルト山岳地帯へ休養・保養でやってくる人々にとって、フライブルク市内の観光は格好のプログラムとなり、何か気に入った店や場所があれば滞在中に何度も山から下りてきて足を向けるようなことが起こっただろう。これは『シュバルツバルト』という郷土の歴史展・解説の中でも言及されたことで、絵葉書や地名入りマグカップといった小さな売り上げ以上に、町の工芸は観光客による大きな買い物によって支えられてきた、ということだ。

大きな窓から覗き見た内部で営まれている光景は、毎日その前を通りすがる誰かの人生をも動かす作用がある。私を最初にIkaさんのアトリエへ連れて行ったのは、Staufen陶芸美術館の管理人さんだった。その人はIkaさんのアトリエに近いギムナジウムに通っていたので、ティーンエージャーの数年間、毎日彼女の仕事を覗きながら通学していた。それは毎日の楽しみであり、次第に陶芸に魅せられたというほどの大きなものへと膨れ上がっていった。その管理人さんが美術館の休館日にIkaさんのアトリエへ案内してくれた。しかしその時間はIkaさんの昼休み時間だった。後から気がついたのだが、何年も毎日その場所を通りすがっていた人間が、昼休み時間を把握していなかったはずは無いだろう。つまり彼は、自分とIkaさんとの関係の中ではなく、私とIkaさんの出会いを作るべきだと、考えていたのではなかろうか。「ごめん、今は開いていないので、後でまた来てみたら」と、確かその時言ったのだった。

管理人さんはしかし、自ら陶芸家になるつもりは毛頭無かった。管理人として陶芸美術館に住むというすばらしい環境を返上して、一度挫折した大学の美術史の勉強に戻り、やっぱり陶芸をテーマに博士論文を仕上げた。その内容は美術館という場所も、美術史家という立場の人々も、ある時なぜか一気に陶芸に目を向け、持ち上げたが、その後は?という陶芸史(最後までまだ読んでいない)。



先日、久しぶりにIkaさんと会った。その前に彼女と会ったのは3年前の私がフライブルクを離れる頃だったかな。「20年も住んでいれば友達が一杯出来たでしょう。何でその場所を離れるの?」と、彼女はその時言った。

1926年生まれ、今年87歳になるIkaさんの陶歴は60年。40年間、フライブルクの工房を維持してきた彼女の活動は、良い時代に制作してきましたね、と他人が簡単に言ってしまいたくなるのと違う、彼女本人にしか知りえない人生だったのだろう。
今思うと、3年前彼女が私に言った送別の言葉も、その人生からふと出てきたものに違いない。その時の彼女は元気に歩いていたが、今は何かにすがらないと歩けないし、アトリエに続く住居にも住めなくなって、ホームから通っている。最近は鳥を眺めているのが楽しいそうで、新作は鳥を作っている。





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# by kokouozumi | 2013-09-22 05:23 | 陶芸 | Comments(0)

器を作り続ける日々








Stuttgartに移って2年が過ぎるのだが、毎日毎日いろいろな器を作り続けてきた。陶芸家の一面として文句ない暮らしだが、一体どんなものを生み出してきたのか振り返る暇も無い多様な注文に埋没した日々とも言える。

最近ある注文主のレストランで、われら工房出身の器たちが並んでいるのを見つけた!
注文主のレストランオーナーはベトナムからのボートピープル2世。11年間チャイニーズレストランで働きながら、自分の店の資金を貯めた。彼の店はベトナム料理ということだが、シェフは日本で鮨を学んだベトナム人と、最近の流行のフランス料理に日本食材を取り入れた路線を実践する独逸人の二本立て。

オーナーは緑が嫌い・・・ということで、赤と黒が主旋律になった。間違えればキッチになるそのテーマを大小の器にバランスして配置する仕事はすごく苦労したが、すごく面白かった。

ここに集まる器は、黒・赤メインを固める脇役たち。黒・赤の周りに結局、白と赤と黒が配置されるのだが、白の釉薬に工夫した。

器の世界は、注文主と作り手のやり取りで、ある景色ができてくる。今この脇役たちにほっとしている作り手がいる。
 



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# by kokouozumi | 2013-09-10 06:00 | 陶芸 | Comments(14)

広告



いつものように、作業中に見つけた新聞広告は
こんな煙の中に人の手がわずかに見える奇妙なもの。
広告主はこの日刊紙発行元のFAZ(フランクフルター・アルゲマイン)だから
贅沢に見開き2面全面を使って、こんな煙にまくような広告を堂々と掲載している。


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左下の小さな囲いの中に、唯一広告的な文章がある。
『その背景には常に賢明な頭脳が隠されている』

その一文を頼りにFAZのサイトで調べたら、なんと
この青い煙はタバコの煙で、喫煙者Helmut Schmidt (ヘルムート・シュミット)ということだ。
三代前のドイツ首相が、右手しか写っていない写真を広告に使うなんてさすがに強気の新聞。
Schmidt氏、現在93歳は今なお健在な喫煙愛好家なそうだ。
撮影の合間にSchmidt氏がつぶやいた言葉として、
「政治家は彼の領域においてよい見本となるべきだが、人間生活のすべての領域に関してというわけには行かない・・・」


ああ、そういえば広告の右端にHelmut Schmidt の名前が入っている。

ちなみにSchmidt氏は毎日8紙の新聞に目を通しているそうで、FAZの記事では文芸欄がお気に入り。

FAZは1995年から、時の話題の人・場所・物事を自社の広告に反映させている。
たとえば、前の週はアメリカのコミック作品が使われていたから気が付かずにいたが、これまで80人の人物がこの新聞読者を募るキャンペーン広告に登場しているということだ。今回のように見開き全面の広告に目を留めた人は、Web上でその事柄の背景を知ることが出来る。その人物や事柄が最近のいつから(何年の何月何日からと明記されている)多くの新聞・雑誌メディアに登場しているかということまで、知らせていることから推測すると、この見開き広告を担当しているチームはモチーフとして、最近の記事として登場回数の多い人物や物事を選んでいるのだろう。

なんだかよくわからない紙面上の広告を見て、Web上でその意味を知り、さらに関連する記事を過去に遡って読むことが、興味を持てば出来るわけで、新聞を読むということを促す、面白い戦略だと思う。最近紙面をなくしWeb上のみに切り替えた新聞もあるが、FAZは逆にこのような広告や前面カラー写真、さらにイラストを効果的に使って視覚的にも面白い紙面へと、どんどん変化させている。




この広告紙面撮影に関するフィルムがある。
過去に取り上げた80人の人物の中で、好評だった場面の撮影風景がドキュメントされている。


下記のサイトを開いたら、写真が並んでいる左下のStartenをクリックすると映像が出ます(または真ん中の→を)
Making of Film: Die Klugen K�pfe hinter der Zeitung - Kluge K�pfe - FAZ











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しかし、私の周りで新聞といえば・・・パンク
新聞紙を開くと当然のように乗ってくる





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・・・
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# by kokouozumi | 2013-08-25 06:31 | Comments(4)

夏の夜の夢




『夏の夜の夢』といえば、シェークスピアだが、そのシェークスピアの『十二夜』を歌舞伎座で観劇したのはある夏の夜のこと。歌舞伎に3次元を持ち込んだと、話題になった蜷川幸雄演出は鏡張りの舞台背景を使ったもので、幕が開いた一瞬、背景全面に舞台を見つめる客席全体が映し出されて、どよめいた。何百本もの帯状ハーフミラーを使う演出は蜷川の得意とするものらしいが、その夜は観劇中に地震があり、背景がきらきら揺れ動くというハプニングも加わった。



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歌舞伎を見に行くのは日ごろの憂さ晴らし、人々は楽しい夢のひと時を求めてそこにいるのだと思う。その昔々は一日中の興行だったというから、ひと時の夢どころか、観客は根性入れて座り続けていたのか、と想像するとおかしくなる。しかし私が歌舞伎に足を運んだきっかけは、ある人の夢が終わる時だった。とんぼを切りたくて歌舞伎界に入ったというその男性はまだ20代だったが、義経千本桜でとんぼを切る鼠の役を最後に引退することになった。家筋が問われる梨園の世界ゆえ、他所から入った人間はよっぽどのことが無い限り、潮時を考えるしかない。その男性は自分の花道として何人かの友人たちに、千秋楽のチケットを配り、公演後の食事会を用意した。若者の付き合いだったので、あきらめとか挫折感はなく、みんなで新しい門出を祝うように集い、日頃テレビの歌舞伎中継を退屈そうだと思っていた私などは、彼の最後の日に初めて実際の舞台を目にして、すっかり魅せられてしまった。

トンボを切るようなアクロバット芸もある歌舞伎は、そのようにけれんみ(当て字では外連味)が大衆をひきつけてきただろう。けれんは宙吊りや早変わりなどの奇抜な演出のことで、舞台における邪道な表現という意味があるようだが、私のようにそれが見たくて行く人も多いはず。学生時代に始めて足を運んだ時から、なぜか観劇の機会はいつも夏。その時期かかる納涼歌舞伎は怪談物が多く、まったくのところ、けれんみたっぷりの演出で、玉三郎が怖くなったり、美しくなったり、猿之助(三代目)が狐になって空を飛びはじめたり、舞台がはねて外に出ると、周りの都会風景がむしろ奇怪に見える中、家路につくことになる。夏の出し物は素人受けするものが用意されているようで、演劇にもシェークスピアにも心得が無くても、NINAGAWA十二夜が歌舞伎座にかかれば、びっくりしながら夢を見るしかないというもの。

けれんみの一役として、歌舞伎からはずせないものにツケ(附け)がある。歌舞伎役者独特の表現、飛び六方や大見得などの動作に附ける音だから、ツケという。拍子木とは別もので、舞台の袖に置かれた木板の上を2本の木切れを持った附け打ち人が叩き、音を出すらしい。役者の動作だけではなく、舞台上では役者や裏方へ場面変化を知らせる合図ともなるらしい。居眠りをしている観客に見所の始まりを知らせるかもしれないし。

今の流行り役者、成田屋海老蔵が在命中の父、 團十郎とパリ・オペラ座公演の際、出し物の勧進帳では父と子が交代で弁慶役を演じた。この芝居は弁慶が六方(ろっぽう)を踏んで花道を去るのが最後の見せ場だが、もとより花道なぞないオペラザ舞台には、客席へ向かって降りる急斜面の花道が仮設され、息子海老蔵の弁慶はそこを駆け降りた。その時の附け打ち人は、どれだけ冷や汗ものだったろう、と想像する。舞台の袖に去ることを選択した團十郎には附けが追いかけ、花道を降りる海老蔵のときは・・・
その違いを見たい方は



▶ 勧進帳 -團十郎弁慶 



▶ 「勧進帳」海老蔵弁慶 





人々が憂さを晴らし、一夜の夢を見る。そのことを作り出す役者とその周りで支える人々の、熟練の職人技がまた夢見心地にさせる。




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附けの音とともに、なにやら飛び出してきそうな納屋





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# by kokouozumi | 2013-08-10 07:06 | オイラー | Comments(0)

夏の夜









暑い日でした。

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そんな日の夜、集まるのは外がいい







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家の中にはだれも残っていないようで・・・











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窓1つ横に移動したら
あらあら、トイレに集まっているのは誰?
水遊びをたくらむ、女の子たち
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# by kokouozumi | 2013-08-01 07:46 | 人々 | Comments(2)

ダリヤを見る夏 2013




早春のころ、アトリエの窓下で大家さんがなにやら庭仕事をしていた。
「それは何?」
「ダリヤの根よ」
「ダリヤ?この庭では見ないね。山のほうに?」

この大家さんも家の庭以外に近所の丘陵に畑を持ち
さまざまな果樹のほかに花を咲かせているらしい

「そうね、コンポストに植えておきましょう」
その場で二株ほどのダリヤの根を
窓の向かいのコンポストに無造作に配置した。

だから、今年のコンポストには次第に緑が茂り始め
夏らしい暑い日が続く今週、赤い花が咲いた。

ドイツに来てから、さまざまな夏を過ごしたが
今年はダリヤを見る夏・・・

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コンポストの横には中庭から表の家、表の道路に続く木戸がある。
猫ドアが付いている
もちろん今ではパンクが通行しているが

かつて、この家にはどんな猫がいたのだろう・・・







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さくらんぼの実が付き始めた。


いつも、中庭を捉えたアングルは、窓からカメラを向けている視線と
気が付かれているかもしれない。
アトリエから中庭に出るドアが無いので
窓から眺めていることが多かった。


最近、表側の壁は、ペンキ塗り替えがあって、
これまで、無造作に壁へ立てかけていた自転車を、中庭に置くようになった

それだけの変化で
中庭の存在がぐんと近くなった。

フライブルク時代の家のコンポストは
住人が野菜ごみを捨てていたので
鼠がちょろまかし
パンクやロックの恰好の狩場だった。
パンクの後ろに控えていたロックが待ちきれずに、前へ飛び出し
パンクから「さがってろ!」と、よく頭を叩かれていた。

ここのコンポストには食べ物が入らないので
鼠もいない
パンクは植木の世話をする大家さんの手元を見ながら、寝そべっている。
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# by kokouozumi | 2013-07-18 07:32 | 人々 | Comments(4)

フランクフルト中央駅



車で西に500kmのデュッセルドルフ市へ仕事のために移動。帰り道はフランクフルトから電車に乗り換え、パンクの留守番する工房へその日のうちに帰ります。





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電車が40分遅れたので、ドーム屋根の下に広がる駅の様子をゆっくり眺めていると、日本からはじめてフランクフルト空港に降り立ち、初めの印象的な光景がこの駅だったことを思い出します。端頭駅独特の広がりに、ドイツの駅は巨大なのだと、その印象を写し取るには何処を捉えればいいのかと思いつつ、シャッターを押し続けたはずですが、デジタルカメラの普及していなかった時代のことで、何本もの当時のフィルムは現像されないままうやむやに消滅。その後まもなくフランクフルト空港に空港駅が開通して、中央駅を通過することなく自分の目指す都市へ移動できるようになりました。
 
かつて、私が利用していた東京の駅にも端頭駅がありました。小田急線・新宿駅と昔々の上野駅です。「故郷の訛りなつかし停車場の、人ごみの中にそを聴きにゆく」石川啄木が上野駅でこの詩を作ったと学校で習い、いつの間にか「故郷の訛りなつかし上野駅」と勝手に作り変えて覚えてしまった詩です。上野駅は東北人にとっての中央駅でした。
上野駅構内で訛る限りは、詩に歌われる情緒となりますが、そのエリアを越え山手線の中で訛ってしまった私から、姉は知らぬ人間のように離れていったものです。

学生時代に利用した小田急線・新宿駅は、そのような端頭駅の情緒や旅情とは違うものとして思い出されます。何しろ学生時代はいつも慌てていました。それは20代の年頃なら・・いえ、それは東京の生活だったら普通の行動だったのかもしれません。改札を通過する際、頭上にある電光掲示板から、番線と電車の種類(急行とか普通とか)と出発時間を瞬時に検討し、どのホームに走りこめば最も早く、自分の住む町に到着できるかの問題が優先でした。

ところで訛りに関して、東西南北の路線が交差するフランクフルト中央駅では、各地の訛りが聞こえるのかというと(それを聞き分けたら外国人としてすごいと思うのですが)
以前フライブルクから乗り込んだ電車の中である証言に出くわしました。乗り込んだICE(特急)の車両は既に一人の乗客が座るコンパートメントでした。そこにフライブルクから私ともう一人が乗り込みました。3人は別に会話をすることも無く、それぞれの過ごし方で座っていたのですが、次の駅カールスルーエを前にフランクフルト到着時間が遅れるというアナウンスが入った時、フライブルクの前から乗り込んでいた一人が「またか!私はいつもこの電車を利用するが、フランクフルトで乗り換える電車に、3回に一度は乗り遅れる」と、嘆いています。それをなだめるようにもう一人が嘆いている彼と会話を始めたのですが、そのうち「貴方はスイス人ですか?標準ドイツ語ですね。」と聞きました。返事は「スイス人ですが、フライブルクから標準ドイツ語に切り替えます」でした。私はしばらく、この二人の会話の意味を考え込んでしまいました。特急ICEのフライブルクより前に停車するのは、チューリッヒまたはバーセルとスイスの駅。先客はそのどちらかから乗り込んでいたはず。彼が列車の遅れを嘆いた言葉は、私にも理解できたから標準ドイツ語。確かにスイス・ドイツ語だったら、私には全く理解できないほどの訛りがあったはず。このスイス人のように、いつもドイツを駆け抜けて仕事していると、ドイツに入ったら標準ドイツ語にするということか。







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遅れた電車を待つ間、ホームをビアホールに仮想してしまう達人たち






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大きな駅には必ずある、本屋さんの前に来ました。
時間つぶしのつもりで中をぶらぶらしていると、ベストセラーコーナーに昨年10月に地上39Kmからジャンプしたフェリックス・バウムガルトナーの本を見つけ、帰りの電車の中では、早朝からの移動の疲れを忘れて楽しませてもらいました。

レッドブル・ストラトスミッションは5年の準備期間を要したのですが、3年目にバウムガルトナーは一度このミッションを投げ出そうとしたことがあります。原因はあの宇宙服のような圧力服と顔を覆ってしまうヘルメット。それを着装して10kmからのテストジャンプを目前に逃げ出してしまうのです。58年前にこの装備で31kmからジャンプしているキティンガーはエア・ホースの戦闘機パイロットでしたから、息ができない状態で、体の動きをコントロールすることなんか当たり前。しかしベース・ジャンプのバウムガルトナーはTシャツにジーンズ、時にはウェットスーツぐらいの全く自由な格好で経歴を積んできましたから、圧力服の中にいたら何も出来ないという恐怖感を持ってしまうのです。それをどうやって克服したかの話から、この本は始まるのですが、
スポーツ心理学者のサポートということになります。恐怖によるパニックが起こるのは、実際の肉体的制約からではなく、頭で作り出されたものだ、ということを本人が納得するに至る、心理学者との会話をしながらの訓練が始まります。

ストラトスは自由落下の最長距離記録ですが、バウムガルトナーはベース・ジャンプの最短距離記録も持っています。リオ・デ・ジャネイロのキリスト像からの落下です。これは海抜700mのところに立つ像ということで、ベースジャンパーにとっては難関ではないと思われたのですが、現場に乗り込んでみると像の足元、27m下には展望台が張り出していました。27mを人間が落下する速度は2,5秒。その前にパラシュートが開かなければ展望台に激突です。これ以上はこれからこの本を読む人の楽しみを奪うことになるので、伏せておきましょう。007の映画ぐらい面白い本ですよ。
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# by kokouozumi | 2013-07-05 06:50 | 人々 | Comments(0)


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