カントリーウェスタン調のジャマイカ・ボブがソチに登場






新聞のスポーツ欄にそろそろソチ冬季オリンピックの記事が並び始めると、まず飛び込んできたのが、緑と黒のユニホームでヘルメットを抱えた選手団の写真。お~~これはあの映画に登場したボブスレー選手のユニホームではないか?そう私は昨年冬マイナス15℃だった日の夜、電車乗り換えのホームに立ちながら、この映画のことを思い出して一人不気味に笑っていた。その時、ジャマイカだったか、アフリカのどこかの国だったかと曖昧な記憶だったのが今はっきりした。映画のタイトルが『クール・ランニング』(1993)といいことも。





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『クール・ランニング』のストーリーは・・・ジャマイカのオリンピック出場選手選抜大会の場で、有力候補だったスプリンターがアクシデントのため出場権を得られなかった。オリンピック事務所にごねたが決定は変わらない。事務所の壁には歴代オリンピック選手として、彼の父親が誰かと一緒の写真もあった。事務所長は、その一緒に写っている人は冬季オリンピックでメダルを取ったが、今もジャマイカに住んでいると説明する。スプリンター選手はその人物がボブスレー選手であり、ボブスレーとは何なのかも聞かないまま、2年後の冬季オリンピック出場に夢を託してしまう・・・と始まる。

ディズニーのこの映画は、ジャマイカのスポーツ事情をよく織り交ぜて、ストーリーを作り上げたと思う。ジャマイカにはスター・スプリンター、たとえばボルトがいる。映画は1988年カルガリーオリンピックにジャマイカ・ボブスレーチーム初出場がたたき台になっているが、その時まず陸上選手の中でボブスレー勧誘を行ったが、誰も反応せず、国防軍から3人が体力テストの結果選ばれ、もう一人は電気技師が名乗り出たということだ。その後のオリンピック出場選手は、足の速い選手が選ばれているというから、軍人からスプリンターに入れ替わっている可能性もある。ジャマイカではソープ・ボックス・レース(エンジンの無い箱車による子供の自動車レース)が盛んで、それはボブスレーと同じようにスピードに乗るまで、大人が箱車を押して走り、飛び乗るという競技で、映画でも重要なストーリー要素として登場している。始めはその箱車から車をはずして、練習を始めるという。

『クール・ランニング』は独逸でとてもヒットした映画で、冬季オリンピックの年になると、毎回この映画がテレビに登場し、そのたびに独逸人は、今回もジャマイカチームが出てくるだろうかと思うらしい。カルガリーでは映画同様、ソリの転倒という結果だったが、その後のチームは、世界の注目を集めてただ出場するだけに終わらず、成果も伸ばしてきた。1992年の4人乗りチームは、アメリカ、フランス、ロシアチームを差し置いて14位。2人乗りは10位。2002年のソルトレーク・シティでは2人乗りで参加し、順位は28位と振るわなかったが、ウィンストン・ワットとラッセル・ブラウンのチームはスタートレコードを作っている。ブラウン選手は2002年以降カナダチームに移籍して、2006年には銀メダルを取った。ワット選手は引退した。

その後、ジャマイカのボブスレーは選手不足とジャマイカオリンピック委員会の資金不足で2006年、2010年の2回は出場できなかった。今回のソチ出場は引退したはずのワット選手がカムバックし、インターネット上で出場資金を募って実現したという。韓国企業サムソンがスポンサーに名乗り出て、アメリカのワイオミングでのトレーニングを援助した。『氷の上の最も熱い奴ら』とモットーを掲げ、もはやボブ・マリーではなく、テンダー・バーでギター奏でるジョニー・キャッシュに乗り換えて、今回はやって来るらしい。

ワット、46歳。2月16日のボブスレー競技に、ワットとディクソンのジャマイカ2人乗りチームが登場。








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クール・ランニングのシーンから
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# by kokouozumi | 2014-02-07 07:23 | 人々 | Comments(0)

2月は覚悟していたものの















暖かな1月でしたが、末になってついに初雪。突然のように朝起きたら雪でした。天気予報では2月始めに最低気温・最高気温、共に氷点下の数値が現れ、そろそろ地下室も暖房する時期が近づいたようです。11月始め、家全体を暖めようと1週間ほど地下ストーブを試し焚き、その後2ヶ月は必要の無かった2箇所のストーブ焚き仕事が戻ってきます。11月には新しい家の生活習慣を身につけたいあまり緊張感のある仕事でしたが、その後の温かい冬にすっかり怠け者になっています。億劫になりながらも、地下のストーブの前に立つと、ここはひとつ陶芸家の意地で、最短時間で点火を完了してみようなどと、すっかり火遊び気分になってしまい、地下への階段上り下りも、冬場のアスレチックに最適!と浮かれてきます。

そうやって、台所のストーブに薪を放り込み、次は地下に降りてストーブを覗き、燃え具合を観察します。現在のところ点火用の木っ端材が不足気味です。地下ストーブの場合はずっと傍にいるわけではないので、序々に火を大きくしていくのではなく、いきなりブリケットの一塊を点火させる方法を検討中なのです。わずかに燃え始めたブリケットの上に次のブリケットを重ねるタイミングが肝心です。早すぎると、わずかな炎が全滅!!地下のストーブ脇にはエコ点火剤なるものが何箱もストックされていました。

この家の前住人シュテファンから、どうだい?震えていないかい?とメールが来ました。彼はこの家に10年住み、現在はカナダに暮らしています。彼がエコ点火剤の山積みを残していったわけですが、実際にストーブ焚きを初めてみて、彼が私と同じように素早く点火し、炎を安定させたかったに違いないこと、その手段がこれだったのか、と理解できました。
さらに地下には木箱の山済みがありました。初めそれは木やブリケットを運ぶために集めたものと思っていました。春先や夏に果物をまとめ買いすると入ってくるような、足でつぶす、ちょっと圧力を加えるだけで粉々になる代物です。実はそのやわな木箱も炎安定のための助けだったのですね

10年この家に住んでいたら、極寒の年もあったでしょう。とっさの手段をシュテファンは残していったわけで、それに私がやっと気がつく余裕があるほど、この冬は穏やかです。1月末の雪で覚悟したにもかかわらず、2月の2週間予報では氷点下より下のポイントが1回ぐらい。このまま暖かくなるようだったら、果物籠を集めたり、端材を集め切り刻んで、来年の冬に備えなければと、思ってしまう。

そんな油断をしていてよいのだろうか?


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朝、台所の窓に差し込む光も心強くなってきた






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この家のいつの時代の住人が、台所の雰囲気をこんな風にしたのだろう。コーヒーカップ柄は帯状の壁紙を張り込んだもの。







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このごろ、パンクもすっかりこの家になれて、お気に入りの場所を増やしている。
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# by kokouozumi | 2014-02-02 07:50 | Comments(0)

暖かな今年の1月











今年1月6日の最高気温は確か12℃。1999年の1月6日は17℃だったと、その日のラジオでは冬の日の暖かさを比べていた。薪ストーブ生活初心者にとって、とても親切な今年の冬だが、雪が少なくてスキーには危険らしい。F1ランナーのシューマッハやメルケル首相のスキー事故は、例年に無く少ない雪が災いしたかと、巷では言われている。



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良い天気の朝、ストーブの準備が終わって、散歩に出た
何組ものワンコちゃんたちがやっぱり散歩








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昨夜は久々氷点下になったので、朝の光景はいたるところに霜








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12月から毎日のように天気予報のサイトを覗くようになったのは、自転車生活者としての心得として、いつから市電の定期券を買うべきか判断するためだった。毎日定時出勤の身だったので、始めは12月から2月までは電車利用と覚悟していたが、毎朝電車の窓から平行して走る自転車道を眺めていると、除雪されている箇所がかなり多いことに気がついた。自転車で怖いのは朝の雪道で、前夜に冷え込むとアイスバーン状態になっている。帰宅時、夕方の雪は怖くない。午後から降り始めた雪はふわふわだし、午後7時までは一旦溶けた雪が凍ってしまうことは無いフライブルクという暖かい場所の事情があった。そうなると大胆になって、天気予報で翌日の気温と雪の降る時間、さらに除雪されていない箇所はどこか覚えておけば、冬の間も自転車で動けると思うようになった。私の利用していた天気予報のページは、朝・昼・晩・夜の時間帯で天候が予想されているので、その数値を見ていると、いつも走る道の状態がシュミレーションされるようになった。危ない場所が事前にわかっていれば大丈夫。しかしそんな判断で雪道を甘く見て乗り廻し、自転車を一冬で錆び付かせてしまった。除雪のために撒く塩の影響だった。

Stuttgartに引っ越してからも、冬の天気予報は欠かせない。電車通勤の時は乗換駅で待つ間に、その日どれだけ寒いか、そんな日がどれだけ続くか、予報を見ながらため息をついていた。通勤移動の必要がなくなった今はストーブ生活者として予報に気をつけている。マイナス気温が続く場合、家の水周りを守るため地下のストーブ焚きという作業が加わるのだが、今のところそれが必修という場面がまだ無い。日本の実家で冬を過ごす場合も水周り管理は冬の大事な留意点だった。寝る前に外の水道栓を閉めて、家の中ではどこかの蛇口を開け、家屋内の水道管に水が溜まっていない状態にするのが冬の、特に寒い時期の日課だった。大抵は宵っ張りの私の仕事だった。

Stuttgartで生活するようになって、雪の無いアイスバーン路面の怖さを体験するようになった。朝10時までの霜降り道に要注意。フライブルクでは雪のない道にこれほど危険性を感じなかったから、やはり暖かな土地だったのだと今思う。天気予報の読み取り方も細かくなって早朝のマイナス気温を見のがさないようにしなければ。

もう1つかなり信頼の置ける注意報は、家の前の融氷雪剤撒き状況を知ること。私の住まいの前と工房の前は、同じ大家さんが管理しているのだが、冬場の道路安全対策は、隣人のペンキ屋さんに依頼している。ペンキ屋という職業はもしかしたら温度にすごく敏感なのでは、と思うのだが、なんとなく気になる朝、表の道路を見て、彼が既にその類の塩撒きしているようだったら、その日の午前中は要注意!と、最近わかってきた。
しかしこの融氷雪剤、少なく見積もっても94%は塩・・・らしい。

毎年11月頃から、この融氷雪剤はスーパーでも山積みに売られているし、雪の多い年、玄関先の階段に撒いておこうかと買いに行ったら品切れという事態もあったから、大量に消費されているらしい。フライブルクの自転車道路でも、早朝から除雪されているように見受けられる道路は、実は頻繁にこの融氷雪剤が撒かれていたのではないかと思う。塩が自転車を錆びさせてしまうという出来事から10年の歳月が流れているが、この融氷雪剤は果たして環境に安全なまでに開発が進んでいるのだろうかと、疑問に思いつつも家の前の通りが滑らず歩けることはありがたい。公共道路の交差点など滑ったら危ない場所には、冬の間よく大粒の砂が撒かれている。つまり融氷雪剤の使用を極力控えようとしているようだ。

滑らない靴を履け!自転車をやたら乗り回すな!そういった自己防衛意識が薄れつつあるかもしれないと、暖かい1月に思ったこと。







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この道は農道。トラクターが通って当たり前、しかし私は手袋をはずしたり、自転車を脇によけたりしているうちに、トラクターは遠ざかってしまった。
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# by kokouozumi | 2014-01-16 06:47 | 独逸 | Comments(0)

2013→2014












クリスマスの頃にはプレゼントを用意して

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大晦日の前には年賀状も用意して

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12月31日、19時ごろには、お気に入りの本箱の上でのんびりしているパンク
台所ではささやかな雑煮と御節の準備。
でも食材が・・・
家から3分のところにアジアショップ(日本の食材が買える)があり
近いからつい油断していたら、今日は半日で閉店
そこで調達するはずのものが手に入らず
ありあわせの正月料理
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20時ごろから、普段聞きなれない不穏な音に、構えるパンク
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その後は例年通り、どこか見えないところに隠れてしまいました。
探しても無駄なので、私は日本時間から8時間遅れの紅白歌合戦をインターネット上で観ました。

矢澤が紅白に登場した時はピンホールTVというちいさな画面で、たしか同時中継をみていました。
今回は泉谷しげるが・・・ついにということで
海女ちゃん、キョンキョン、薬師丸の潮騒メドレーあたりの後半は
年賀状の宛名書きを忘れてみてしまいました。



現在午前3時半
こうして、また新しい年が始まっていました。


今年も宜しくお願いします。
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# by kokouozumi | 2014-01-01 11:35 | | Comments(0)

彼女の工房 2013年










ストーブのことではなく、陶芸の話ですが・・・

薪ストーブ生活初心者の私は、彼女の工房にあるこの小さなストーブの威力に感歎。工房と一部の展示室、あわせて100平米ぐらいの空間には暖房設備としてこのストーブが1つだけ。12時前の訪問時には心なしひんやり感じられたその空間が、夜7時お暇する頃にはほっかり暖かな場所になっていた。

そうやって彼女は冬になると、時々ストーブに薪を一本放り込みながら仕事しているのね。しかし以前紹介したように彼女の工房
かつてFayence – Manufaktur だったから、家というより工場に近い構造のこの建物には、下の階全体が窯場、さらに下の階はリヒャルド・バムピ黒い森にひそむ 3
の記念博物館的な釉薬調合室や原料保管室が当時のまま残り(1920年-60年代)、さらに機械室(土を作る)、土置き場が続いているということになっていて、それらの地下2階部分には全く暖房が無い。彼女がこの家で仕事を続けていくには、年間仕事計画または季節別仕事場所プランのようなノウ・ハウが必要だよね。今回は残念ながら、その辺の事情を話し合う場面は無かった。





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今回の目的は、本の整理。わざわざ私が呼ばれたのは、その本というのが日本語のものだったから。独逸人陶芸家の家に、所有者が読めるとは思えない日本語の陶芸に関する書籍は雑誌類も含めて300冊ほどあった。

私の書架に日本語の陶芸書を数えたら30そこそこ。日本で持っていたもの全部をこちらに移動したわけではないにしても桁違いと、文字通り言える。数ばかりではなく、1974年に加藤唐九朗が自らサインして贈呈したらしい、原色陶芸図鑑初版がある。対抗する小山富士夫の著書も多い。興味深い本が次々目に付いたが、とにかくゆっくり読む暇はなかった。


はっきり言って私は大型図版の陶芸全集の類を、古代アメリカ、古代地中海とアフリカ陶芸の三冊以外に購入したことは無い。金額の問題以上に、それらを日々眺めて学べる目が無かった。この家には日本陶芸、日本現代陶芸、東洋陶芸の全集が、それぞれほぼ全巻積み重ねられている。

所有者は日本語を読めないと言ってしまい申し訳ないが、その本を収集した彼女の8年前に亡くなった夫、カースタンは日本の陶芸書をよく観ている。付箋が付いている箇所を開くと、かならず窯の構造に関する図があった。カースタン氏は1974年から10年間毎年のように日本や韓国へ出かけたらしいが、1977年に独逸で第一号といわれている穴窯を自ら築いた。それ以後、カースタンのあらゆる経歴や紹介文には、東洋陶芸に影響を受けたというような一文が、必ず書き加えられることになる。

師匠であり、この家をカースタン氏に譲ったバムピは釉薬研究に夢中だったが、弟子のカースタン氏は無釉の素地を穴窯の中で灰に任せることに夢中になった。以前書いたエピソード、師バムピの釉薬調合を盗んだといわれた事件が尾を引いているわけではないだろうが、カースタンのこの情熱は東洋からの影響とか、禅の思想何タラという表現では済まないだろうと、300冊の本を前にして、私はこの家に流れる、陶芸に対する鬼のような情熱を目の当たりにする思いだった。









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オイラーの本を1冊見つけて、ちょっとだけ休憩






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昼食に並んだ器は彼女がこの家に嫁ぐ時、工房の師匠・・つまり彼女の旦那様から課題を与えられた自家用器シリーズ。5種類をそれぞれ60個作って引き出物にもなった。





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これは旦那様が気に入っていたフランス人陶芸家の器






この家の広い空間に漂う情熱の亡霊、その中で彼女は仕事している。さらに仕事で使う設備は旧体制のものだから、彼女はそのための労働も受け入れなければならない。しかしそんなことはどうでもいいほど、彼女は陶芸の仕事が好きだ。この家の各所に、この家の雰囲気の中で生まれた彼女の作品が並び始めた。

彼女は薄い磁器土の素地が好き。使っている釉薬はぼってりと厚がけにして効果的なものだから、土と釉薬の組み合わせに無理があるのだろうか。狙っている課題、それがどのように抑えられていくのか、次の訪問の楽しみだ。












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# by kokouozumi | 2013-12-26 06:49 | 人々 | Comments(0)

はしっています










第三アドベントを過ぎても、まだ走り回っています。

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窯出しの日に配達へ走ることは、よくあって、届け先に到着して器が詰め込まれた段ボール箱を持ったら、ほかほか暖かい・・なんてこともしばしば。

今回は2箇所の窯だし、底をあたり(ヤスリをかけること) 荷造りして出発するころにはもう夕方でした。

12月にしては陽光が明るく、いつまでも暮れない日でした。







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搬入口に到着








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人々は階段を上って入り口に向かいますが
搬入者は台車が入るエレベーターで上に向かいます。

1件の搬入が終了すると、ほっとします。
窯場の中も、ものが無くなってすっきりです。









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今回の搬入先はマルクト広場に面しているので、今の時期はクリスマスマーケットで、にぎやかです。
独逸の人々は、この時期になると、やおら北方民族化して、マルクトを取り囲む飲食店では、外の席に座って食事する人のほうが多いくらい。








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次は大晦日の特別メニューに使う器が待たれているので
まだ  はしります
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# by kokouozumi | 2013-12-19 07:35 | 陶芸 | Comments(0)

薪を買って迎えた第2アドベント












1922年建設当時の基本システムがそのまま残るこの家には、独逸に来てから当然と思っていたセントラルヒーティングではありません。頼りは薪ストーブ、それに補足のガスストーブです。

住み始めたのは10月中旬。普通の家では暖房をつけるのにまだちょっとはやい時期でしたが、外のほうが暖かく感じるほどこの家は冷え切っていました。薪、ブリケット(練炭)、豆炭・・・まるでこの家に付随する家具調度のように、とりあえずの燃料が残っていたので、早速家を暖めることにしました。

それからというもの毎朝の始まりは、コーヒー豆を挽くことに始まるという優雅な朝から一変して、ストーブの灰掃除。起きるなり作業着に軍手着用という姿に抵抗を感じないですむのは、陶芸家の利点かもしれない・・・。台所のストーブから灰の溜まった箱を取り出し、その上に空になった薪とブリケットの箱を重ね持ち、地下に降りる。地下から中庭に出て、灰を捨てる。今日分のブリケットを箱につめる。薪の束から焚きつけ用の細い薪と、本焚きの太い薪を選ぶ。そんなことをしているとあっという間に30分は経過。これじゃ何のために電車通勤を返上して、この家に住んだの?という嘆きを、いや時間の問題ではない、自分の空間を動きまわれることのほうが大事!と、打ち消す。

12月になって、そんな生活にもだいぶ慣れてきました。慣れないとこなせない課題が増えたから・・・。地下のストーブも焚かなきゃ。家が冷え切っていた原因は地下部分の冷たさにもある・・というので、住居部分では全く無い場所でせっせと薪焚き。
今度春が来たら、これまでの人生で最大に嬉しい季節になりそう。

約1ヶ月半のストーブ焚きで、冬の間に必要な焼成燃料の量や、種類の割合が読めてきました。薪を買わなければ。日本のホームセンターに相当する建築資材屋では、各種の暖房用燃料材を売っています。が、暖房燃料専門店つまり昔の炭屋さんや薪屋さんを探してみることにしました。驚いたことに、重いブリケットの束を担いで配達するような炭屋さんはもう存在しない。代わりにホームセンターで配達まで請け負っています。薪屋さんはありました。が、専業ではなく自分の家でも薪ストーブを使っている人が、いわばホビーで他人の薪を用意している。私がコンタクトした薪屋さんは、親の代から薪ストーブのある家に住み、薪調達はもっとも安価で手に入る、市の木材競りに参加するのだそうです。市の広報誌を注意していると、5月ごろ競り情報が載り、そこで自分の家で使う以上の木材を競り落とし、薪にする手間賃を加算して販売しているのです。私が電話した時、即座に『ストーブの大きさは?』と聞かれ、一瞬戸惑いましたが、ストーブの焼成室の深さ、焚き口の縦横寸法を知っておくことが、薪割りに大事なのだと気が付きました。そこで私のストーブの各寸法を伝え、適したサイズの薪を注文することが出来ました。ちなみにその薪のサイズはホームセンターで売っている標準規格品の寸法です。昔、薪ストーブが暖房の主流だった頃には、薪割り人、薪屋さんが商売しやすい規格サイズが必要だったと思います。

昔、薪、とくればどうしてもオイラーの世界を思い出します。オイラーたちも春先に、今年営林署が競売にかける樹を見つけるために、森へ散歩します。彼らは切り倒される前のその樹が何処に育ったものかを重視します。南斜面か、北斜面か。それによって同じ量を買い込んでも、窯焚きの際のエネルギー量が全然違うのです。春先の日曜日、山の中で何人ものオイラー達がうろうろし、時に同僚として、ある樹の根元で評価を交換し合う。競り落とした樹は、山から直接窯場に運ばれるのではなく、それぞれのオイラーが確保している材木置き場に一旦保管されます・・・。

話は尽きないですが、昔の窯業地には窯屋の煙突ばかりではなく、独特の光景が四季を演出していたようだ。日本の田園地帯、秋の稲掛け風景などのように。


さて、薪が庭に積み重なり、ブリケットはホームセンターに注文し、遅まきながら越冬の準備が整ってきたところです。毎朝のストーブ準備も、オイラーの話を思い出しながらという余裕が出てきました。






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台所のストーブ



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上のダフト部分から熱は台所と背中合わせの部屋に流れます





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太い薪、細い薪、ブリケットが場所をとる、台所入り口









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隣の部屋はこうなっています







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地下のストーブ
奥の丸いストーブは、かつての風呂沸かし用






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ガスストーブも年代モノ
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# by kokouozumi | 2013-12-10 07:51 | 人々 | Comments(0)

立体万華鏡







昨日の日曜日はついに第一アドベントの日を迎え、大事な日曜礼拝なので、ご近所の教会でもさまざまな音楽家がアクセントを形作ったようです。これは工房や最近私が引越しした家の大家さん家族から聞いた話しで、工房の大家さんはクラシック音楽、私の大家さん(工房の大家さんの娘さん)はポップ系ですが、昨日は両者とも違う教会で演奏していました。

ワンテンポはずしてしまいましたが、第一アドベントに相応しい映像はこれでしょう。
立方体万華鏡の内部をカメラが覗いたものです。


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美大同級生の作品(本人山崎氏の映像より)






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(園田氏 写真)
ワークショップでは自作の箱にタイトルも考えるのですが・・・
『ハレルヤ』
どうして!!こんなタイトルが思い浮かぶの!!すごっ







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(園田氏 写真)

で、その『ハレルヤ』作品。お友達同士男の子二人の共作








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(園田氏 写真)
こちらはモダンな赤と白・・・しかし・・・
この赤と白、鮪の乗っかった鮨ではと、限りなく思えてくる。
タイトルは『大晦日』
ご両親様、大晦日には彼に鮪鮨を万華鏡内に見えるだけ、振舞ってください!
とつぜん、近眼の親にならないでくださいよ。






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(園田氏 写真)

こちらは、そのお姉さん作
タイトルは『クリスマスの森』
一見、兄弟の感性は似ているようで、意図は全く違う・・・







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(園田氏 写真)

そのお母さん作
朝・昼・晩を描いている
にぎやかだけど、こんなに静かな時間は、この箱の中にしかないのよね?





この立方体万華鏡、最近では3D万華鏡ともネーミングされましたが、1970年代後半に、私の美大時代の同級生が1年次の課題制作に提出した作品が起源となっています。
その課題は『増殖する形』というものでした・・・確か。現在も過去においても怠け者だった私は、自分がどんな作品を提出したか全然覚えていないのですが、記憶に残っているのは、電球をいくつかぶら下げて遅れて講評会にやって来た一人が、この電球を部屋に吊るしてモーツアルトの音楽を聞いていると、音が部屋中に増殖するといって、みんなを煙に巻いたことと、この鏡ボックスの中に形を増殖させた作品です。後者は当時の教授の絶賛を得て、同級生一同その箱を覗いて、彼の頭の構造が我々よりも数段優れていることに、素直に感嘆したものです。裏面塗装を点または線で剥がした6面の鏡で構築された立方体の内部には、その塗装を剥がされた部分から光が差し込み、線や点の形が鏡張りの内部に何処までも増殖していくという考えです。

その作品は雑誌に取り上げられたり、販売もされるようになって、多くの人の目に触れることとなりましたが、この作品を目にしたある化学物理学者が、この作品を考えたのは誰だ!と追求したお陰で、独逸のぼんくら同級生も、かつての課題優秀作品が今、ユニバーサルアートとして、世界中で紹介されている経緯を知ることとなりました。

その科学物理学者の園田氏はリチウム電池の研究では世界で何本かの指に入る方で、世界中を駆け回っている。その分野のすごさは私にとって計り知れないものですが、もっとすごいのは立体万華鏡作りをそのいく先々、つまり世界中でワークショップしていることです。ワークショップの展開はホスピスの子供達にも・・ということになり、彼らに許された制作時間や扱うことの可能な軽さを求めて、素材キットの開発に着手されたのです。ガラス版は紙のように薄い樹脂ミラーが探し出され、裏面塗料を削る作業も小型ルーターを利用することになりました。

その素材研究によって、とても扱いが簡単になったキットを利用して、Stuttgart日本人会行事の一環としてチャリティーワークショップを行い、生まれたのが上記の作品です。チャリティーの目的は、郷里渡波の子供達が対象でした。その辺の背景や園田氏の活動を、このように駆け足の説明で今回は省略してしまい、申し訳ない限りですが、また機会を捉えて話しを続行させていきたく、お許しを。
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# by kokouozumi | 2013-12-03 08:23 | 美術 | Comments(0)

デューラーを観るには










2010年日本、2011年合衆国、そして昨年はデューラーの故郷、ニュールンベルク。先週からフランクフルトでの展覧会が始まり、同時にロンドンで初期作品のみの展覧会。デューラーの作品は世界中を駆け回っているようです。


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行列でした。外に入場券売り場が特設されていました






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2010年、日本の西洋美術館が用意したタイトルは『宗教・肖像・自然』でした。看板となった作品はデューラー1500年の肖像画。これってキリストと同じ髪型よね、と連想させる美しい衣装の両肩に広がる長髪カールの自画像は「神が作り給もうたこの世界を、自然を、私は捉えようとしているのだよ!」と言いたげな自身に満ちたまなざしを、まっすぐに鑑賞者へ向けています。なるほど『宗教・肖像・自然』は、このデューラーのまなざしにぴったりな、テーマ。

今回訪れたFrankfurt Städel Museum (1815年、銀行家だったStädel氏の遺言によって、氏の収集品【14世紀-19世紀】をもとに生まれた私立美術館) でのデューラー展テーマは『芸術・芸術家・コンテクスト』。そしてテーマに付随して選ばれた作品は1497年作の「Fürlegerin」というタイトルがついている若い女性の肖像画。

「Fürlegerin」って何?とWeb検索した人はやっぱり他にもいて、
*中世にFürlegerin(フュアレーゲリン)という職業があったの?もし個人の苗字だったら、デューラーのタイトルはeiner Fürlegerinではなく、der Fürlegerinとなるでしょう。
の、質問に対するベスト回答として(独逸Yahoo)
*中世の君主のところにFürlegerという役所があって、そこから派遣された女性が、君主の食卓を準備して、主人を食卓に着かせていた。(この回答は40%の支持率だが信憑性はいまいち薄いような)それ以外にも、いややっぱり個人の苗字であるとか、Wikiにも出てこない言葉で謎であるとか、少数の意見が並んでいるだけで、結局良くわからない。テーマに掲げられた『コンテクスト』は脈略、文脈や背景の意味があるけれど、この展覧会に赴く人々は、デューラー作品を目にする前から、彼の時代背景を探ることになるのだろうか?デューラー代表作の1つ、銅版画『メランコリーⅠ』は世界中で謎解きが試みられているから、その作品を所有するStädel Museumとしては・・そうさせたいのかもしれない。

とにかく観るしかないのである。

そして観た後、彼の時代の背景どころか、一つ一つの作品にどんな場面が描かれていたのかもはっきり記憶していない・・・。デューラーの線描が美しすぎる。木版、銅版、鉄版、それぞれの素材による微妙な線の違いも興味深いが、巧みすぎる技巧に目を見張り、その線に目が張り付いてしまう状況だった。史上最高の版画家という彼のタイトルは本当だとうなずいた。時代背景としてわかったと言えることは、美術史的にしろ、この美しい線で構成された版画に接しながら聖書の物語を目にし、楽しんだ人々が多くいたに違いない時代をデューラーが作り出した、ということ。

会場では、携帯電話のようなトーク機を耳に当て、ある女優が吹き込んだという解説を聞きながら歩いている人々が多かった。解説が無ければ、展覧会の目玉作品を見のがすかもしれない。3枚折の祭壇画を、これはいいやと通り過ぎてしまったが、後からその大作はデューラーとグリューネワルトの共作であることがわかった。しかしさらに後から判ったことは、中心の画面は火事で失われており17世紀の画家がコピーしていたというので、通り過ぎた感覚にも一理あったかもしれない。

ところで例の『Fürlegerin』だが、会場にはなんと2枚の若い女性の肖像画『Fürlegerin』があった。そこで熱心に解説を読んでみたのだが、両者の絵はどちらも1497年、デューラーがイタリア旅行から帰った直後に描かれていて、どちらの背景にも後から付けたしたような紋章がある。その紋章はニュールンベルクの豪商Fürlegerin家のものだというので、『Fürlegerin』の謎にひとまず苗字という答えが出たわけだが、
次の謎々が始まった。一枚の『Fürlegerin』は質素な服を身につけ、髪を下ろし、胸の前で手を合わせ、祈りをささげているのに対し、もう一枚の『Fürlegerin』は当時ニュールンベルグのダンス服と名づけられた胸の開いた華やかな服、髪は頭上高く結い上げられて、視線はまっすぐこちらを見ている。この対照的なモチーフとなっている二人の女性は同一人物だったのではないか?と。

イタリアでルネッサンスの気運に触れてきたデューラーが、この2枚の肖像画の間で何を試みたのか?という部分に今回の展覧会テーマ『コンテクスト』の意味がありそう。独逸の1497年。いまだに中世的な観点に縛られている流れと、イタリアから起こったルネッサンスの影響によるヒューマニズム、人間性、個性を尊重しようとする二つの流れが重なり合っているような時代のこと。現代人はそのように観念的な言葉で簡単に言ってしまえるが、そのような当時に同一の若い女性を、二つの流れとして絵の中に表現したとしたら、イタリアから帰ったばかりのデューラーの自意識そのものが、かなり高揚していたのではないか。それ以降、人間を描くというテーマにデューラーがどれだけ思考と試行を重ねてきたかを捉えて、西洋美術館では『肖像画』を前面に出し、Städel Museumでは『コンテクスト』としてデューラーの年代から彼の制作意識を謎解きする。ちなみに『メランコリーⅠ』の画面右上には4×4魔方陣の中で、デューラーは15と14を並べて、その作品の制作年代1514年を暗示して、彼自身が年代で遊んでいる。

展覧会を観るのに、美術館側が一生懸命準備しただろうテーマを追いかけてみるのも面白いが、会場の中では、勝手なささやきもさまざま聞こえてくる。独逸で初めての裸体画であるらしい『アダムとイヴ』を見ながら、イタリアからもっと素敵なプロポーションを研究してきて欲しかったと、つぶやいている人もいた。デューラーは漫画家だったのか・・という人も。工房に戻って作業をしていると、あの線を描いているデューラーはいったいどんな顔をしていたのか?と思ってしまう。

これまで、デューラーの名とその作品しか知らなかったが、彼の作品が世界中を駆け巡り、鑑賞した人々の頭の中におぼろげなデューラーという人間像が百人百様で浮かんでいるとしたら、3Dコピーマシーンも太刀打ちできない・・・だろうね。















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デューラーの母 肖像画、左は1490年、右は1499年







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# by kokouozumi | 2013-11-07 07:50 | 美術 | Comments(4)

キャベツと町と人々と







1週間、時間があればなんだかダンボール箱を開いて、中のものを収納することに快感を覚えていたのですが、全体の半分ぐらいの段ボール数をこなしたところで、ちょっと考えました。フライブルクから引っ越した2年間はこの開いてしまったダンボールに詰まっていた内容で事足りていたのではなかったか?すると残りの半分は、必要に迫られた段階で処理すればいいのでは・・・ということで引越しの際、急遽設定したダンボール部屋を当分そのまま残す、つまりダンボールの間を設けることにしました。引越しは完了しましたが、荷物整理は据え置き状態の現在です。





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引越し後始めての週末は、その町のキャベツ祭りでした。
引越しのお手伝いをしていただいた方々に集合していただき、キャベツといえば・・・

日曜日、特大のイケヤ買い物袋を担いでキャベツを買いに。家具屋の袋を用意するほど、この町のキャベツを甘く見なくてよかった!Spitzkohl(とんがりキャベツ)がこの地域特産のキャベツ種ですが、本当に重かったです。残念、重さを量っておくべきでした。
パンクより大きいこのキャベツは3,5ユーロ(現在のレートで500円弱)。住まいは離れた場所でも、毎日仕事していたこの町のキャベツ、Spitzkohlに関する経験の蓄積から・・・つまり外見にだまされてはいけない!きりっとしまった美しい形のキャベツは葉が硬くて食するのにどうか・・・などと予備知識はいつの間にかインプットされていて、出来るだけロッカーな感じに見えるキャベツを選ぶべきなのですが、最終判断は触覚です。これはいけるかもしれないと80%買いの視覚判断したキャベツの葉っぱをちょこっと折ってみて、パッキとすれば100%買いとなります。スーパーでは出来ない決定ですが、キャベツ祭りでは無礼講!!だよね。

そうして、キャベツといえばお好み焼きです。
しかし、この大きなキャベツ10人でお好み焼きをしても食べきれず、それから数日野菜炒めの日々を過ごした後、オランダとフランクフルトからのお客様が来て、またまたお好み焼きで、食べつくしました・・・

引っ越してから2回目のこの週末、アトリエにはまた別のお客様、そして日曜日は5人のポルシェデザイナーの一人として活躍している日本人デザイナーの方の講演。Stuttgartの町は人々との出会いの町ではないかな。それを満喫することがこの町のよさではないかなと、思い始めています。





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# by kokouozumi | 2013-10-28 07:27 | 人々 | Comments(2)


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