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路上にて





土曜日には多くの大道芸人たちが並ぶこと、シュトゥットガルトの中央駅から王宮広場まで伸びるメインストリートでも例外ではなく、その中で最も多くの観客が取り囲み、それゆえ最も広い場所を確保して技を見せているのはTruCruチーム。

2007年にシュトゥットガルトで結成されたTruCruはブレイクダンスの5世代目ということ。現在のメンバーは、大学生、写真アーティスト、体育専門学校出身者、鋳物職人、バレーダンサーと本業は多岐にわたっている。次の映像から誰がどの職業人かを探ってみるのも一興かも。







TruCru 5世代目という数え方は、1970年代ニューヨークに発生したストリートダンサーたちを一世代目としているのだろう。
そのいわゆるヒップホップ初代のブームがアメリカで沈滞しつつある80年初頭、ドイツメディアにブレイクダンサーの映像が突如流れ込むことになった。1981年、レーガン政権が始まり自由主義経済政策の一環として、社会保障費削減がアメリカで実施されたことは、ドイツ内で非常に関心を持たれたメディアテーマで、連日のようにテレビ報道されていた。この政策によるアフロアメリカン(アフリカ黒人系アメリカ人)やヒスパニック系移民たちへの影響はいかに、というのが報道の要だったので、ニュースの背景には必然的にニューヨーク・ブロンクスの情景が映し出され、そこにあったのが三大ヒップホップシーン、落書き、ラップ、そしてブレイクダンスだった。(音楽性としてDJテクニックが4つ目の要素として組み込まれている。)ニューヨーク・ブロンクスの路上に出現した彼らの目指していたものは、ラップのようなリズムと言葉遊びを肉体で表現すること。体の形、足の上げ方、手の振り方にも記号的な意味があったそうだ。ニューヨークの初代ヒップホップはブラックな文化を根源にしながら、トゥシューズも劇場も、キャンバスもアトリエも、楽器もスタジオも、さらに武器もない人々が、自分の肉体や声、公共の壁を使ってぎりぎり勝負に出た結果だった。

この情景に目を奪われた世代がヨーロッパ・・多分世界中で生まれたヒップホップ2世という事になるらしい。

1990年代になると、ヒップホップは単なる各都市の風景的な装いにとどまらず、落書き、ラップ、ブレイクダンスのそれぞれの分野から傑出した存在がイコンのように浮かび上がってきた。特に落書きがすごいことになり、バンクシ―(イギリス)、キース・へリング、バスキア(イギリス)などの落書きを、多くの美術館が競って展示するようになった。芸術という事になってしまった彼らの作品は、現在でも画商たちにとって、時には億の単位を生み出す商品であり続けている。






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バンクシ―作品 




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キース・へリング作品



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バスキア作品





ブレイクダンスの世界でも世界大会、世界チャンピオン、世界セッションという催しが次々発生した。現在のブレイクダンス5世達から選ばれる世界チャンピオンクルー(Crew=チーム)はもはやニューヨークとは関係なく、(ブレイクダンスなら韓国と現在は言われているそうだ。それにも関わらず!)なんとドイツのあるクルーがここ数年トップの座に座り続けている。しかもファイナルで対抗したのは、地図帳で確かめないとどこにあるかわからない国、アゼルバイジャンのクルー。そのメンバーはソロセッションの上位から3位までを占めるという強敵だったのだが、この技で勝ってしまったの?というドイツクルーの調子も是非見てほしい。この変容ぶりはもはやヒップホップではない?いや都市の文化、その地のアイデンティティーにかかわるものとしてヒップホップの流れを立派に受け継いでいる?












おまけ 左側がDDCクルー




・・
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by kokouozumi | 2016-09-04 07:10 | 人々 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生










キンダーランド、こどもの国というプロジェクトは近年、子供達の社会教育を目的としてドイツ中多くの都市で展開されている。発祥を辿ればミュンヘン市のミニ・ミュンヘンに行き着くだろう。2003年頃から2年ごとにオリンピック競技場跡地という広いスペースで、学校の夏休み期間を含む2ヶ月間だけ発生する子供自治の町である。
この町を訪問することは一日でも可能だが、この町の自治体に参加するには、相当の日数と忍耐と経営手腕を要するらしい。この町で就職したいならまず職安を訪れなければならず、この町で自営業を営みたいのなら職業訓練所に通わなければならない。時には営業許可を正式に取らないで開業してしまう子供マフィアもいるらしいが、子供警察がめを光らせている。また営業許可を取得しても、規定の建築基準にそぐわない店作りをした場合は、裁判所行きともなる。そこでどのような判決が下されるかも、すべて子供達の手に委ねられている。この町では独自の通貨があり、商売がうまくいって巨額の富を築いたとしても、その財産はこの町で消費するしかない。首尾よくもうけた子供は家を建てることが出来る。家といってももちろん子供なら一度は試みるような庭先の樹の家に近いものだが、そのための大工もいる。施工主の希望をさらによく表現できる大工もいれば、駄目な大工もいる。駄目なら仕事が来ないから失業し、また職安を訪れて一からやり直し・・・

2ヶ月間に繰り広げられる巨大な構造を持つ子供の遊びかもしれない。しかし、このミニの町で失敗したり、破産したりする経験を持つ子供が、やがて大人になり本物のミュンヘンの町を闊歩するようになったら、と考えると、現在良好なミュンヘンの経済状態を維持する底力がどんどん増えるのかもしれないと想像してしまう。

地域通貨という概念がミニ・ミュンヘンの重要な要素になるのだが、自由経済主義の本来の意味を解き明かそうとした同じミュンヘン出身の作家、ミヒャエル・エンデがいる。彼の思想が日本で紹介された一時期、日本でも300もの地域通貨制度が生まれたらしい。ドイツでは、ギムナジウム学園祭システムにこの地域通貨が取り込まれた例を、私は実際にその場を訪問して確認したことがある。訪問者はまず学内銀行に行き、その場所の通貨に両替しなければならない。その学園祭で同僚の寛太氏の息子が焼き飯屋を経営することになした。必要な食材をあらかじめ市場(学内の)に届けていたところ、市場内の管理が最初から破綻をきたし、品不足が頻発した。子寛太は、即座に親寛太に連絡し、外部からの食材持込を手配して(特殊な食材や非常時には許可された)営業にこぎつけた。他の店はまごまごしているばかりで営業出来ず、焼き飯屋は大繁盛し大もうけした。この市場破綻の余波で早くも倒産した店の従業員を彼の店で雇うことにもなった。しかしもうけた地域通貨はその場でしか使えないから、忙しすぎて買い物にもいけない子寛太は、大統領の給料よりも多くの金を所有しながら、どうしようかと思ったそうだ。

ドイツでキンダーランドを言う時、このようにミュンヘン、ミヒャエル・エンデが連鎖反応的に思い出されるのだが、私はあるとき、キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、聞いた。

コルチャック先生といえば映画にもなったが、第二次大戦時代ユダヤ人の子供達と共にトレブリンカ強制収容所で生涯を終えたという、ホロコーストが語られる中で登場する人物である。そのダークな印象が強くて、とっさに、どのようにキンダーランドとコルチャック先生が結びつくのか聞き返すことを躊躇した。

今年11月日本人会の催しの中で、再びチャリティー企画を行った。タイトルはキンダーランド。支援の方向は昨年から続行している、石巻・渡波地区の『巻きっ子ドリプラ』。2011年津波から立ち直ろうとしている町の子供達が夢を語るプロジェクトの応援。昨年は参加者を子供に限定しないでチャリティーワークショップやバザーを行った。今回はさらに子供達の夢という部分で共通するように、こちらのチャリティーにも子供達が大いに楽しんで参加できるようにと、キンダーランドを雛形にしてプランしてみた。たった一日の催し、しかも始めての試みなので、さすがに地域通貨を取り入れることは出来なかったが、世話役を子供スタッフにお願いした。結果的に昨年のワークショップ参加者は多いときで5時間で30人前後だったが、今回のキンダーランドには4時間で60人以上の子供達がわんさかやって来て、大成功!

キンダーランドというタイトルを拝借して、子供達のパワーを目の当たりにした時、ふとキンダーランドについて語った人が、帰り際、駅のホームで「その発端はコルチャック先生にある・・」と言い残したことを、今なら追いかけてもよいかな、と思った。

続く





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あのお客様、5歳以下の踏み切り場所は3つ前の青い線ですが・・・




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やっぱりそこから、いきますか?おっとそう振りかぶって・・・投げますか






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いけ~~~








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おや、的の中は空っぽ・・・あのお客様、もう営業は終了しているようですが・・・
えっ、もう一回挑戦されますか・・・










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by kokouozumi | 2014-12-07 06:00 | 人々 | Comments(0)

物語はあるか








ホームセンターの駐車場で見つけた、あの車は物語で囲まれていました。描いたのは
何歳ぐらいの女性だったのだろう?物語を携えて、その物語を描写しながら生活している姿勢を、しばし考えてしまいました。車を目撃した同僚の寛太氏と、あのおばあちゃんを探してきて、お皿に絵付けしてもらったらどんなことになるだろうという話にまで発展しながら、ふと私達はあのおばあちゃんのように物語を携えているだろうか?と。

私達がそんな会話の中で、無言になり空虚を見つめた隙に、同居猫2匹はすかさずそのタイミングを捉えて、テーブルの上の皿に残るクリームとかバターとかパン屑の余韻に手を伸ばします。おっと待った!そう簡単に躾けを忘れる甘い飼い主ではないのよ。皿に延ばした手ごと抱きかかえられたメリーは、まるで瞑想にふけるブッタのような半眼の目で、「えっ、私は今何をしました?私はただ宙に手を伸ばしただけなのに、・・・」今ここに物語があるとしたら、ストーリーを次々生み出す彼女らの存在そのものに違いないと、爆笑。

そしてこの秋には、ケン・フォレットとジェフリー・アーチャーの物語を続けざまに文庫本で合わせて13冊読んでしまいました。両者とも20世紀を時代背景として物語を展開させています。ケン・フォレットの7冊は20世紀三部作のうち二部までのもので、先ごろ三部の完結編が出たばかりです。さすがに40人ものスタッフを抱えるフォレット事務所は英語版出版と同日にドイツ語版を出しています。(これはまだ読んでいない)
内容がドイツ東西の壁が築かれてから、壁崩壊までの年代ということで、早くもドイツでは、この三部目がベストセラーの1位になり、本屋さんでは英語版、ドイツ語版が山積みされています。一方ジェフリー・アーチャーの6冊もクリフトン年代記なる長編シリーズの三部までで、やはり先ごろ続きの第4部が世に出ましたが、こちらはまだ英語版のみです。

ストーリーテラーとかページテラーという、いかに読者の読む速度をアップさせる物語展開を創出しているかは、この両作家に言えることで、そうでなかったら私もこの10月の2週間に13冊(正確にはケン・フォレットの旧作3冊も読み返したので16冊)を読み下すことが無かったでしょう。

さてその後、それぞれの続編はどうなるのかと、両者のホームページを覗いてみると。
ケン・フォレットは16分のビデオインタビューの中で、20世紀三部作の核心をまじめに語っています。20世紀という時代が果たして読者の興味になりえるかと、疑問に思いながら構想していくうちに、20世紀にはそれ以前の時代にはなかったほど多くの人々が暴力の中で命を亡くしたこと。体制との戦い、女性の戦い、スペイン戦争そして二つの世界大戦。それらが過ぎ去ってさらに東西の冷戦。第三部の完結編は、彼らが何のために戦い続けたのかをタイトルにしているのですが、その物語を追い続けたケン・フォレットはビデオの最後で、嫌いだったニクソン大統領に対する認識を新たにした、と語っているところが隠し味かもしれません。

対決するジェフリー・アーチャーのページがまた傑作。彼のブログ記事というのがあるのですが、朝起きてすぐ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーランキングに目を通す、というような記載があります。クリフトン年代記の中でも、ベストセラー15位に入らない本の運命を説明している箇所もあり、そのような作中に実体験的ストーリーが紛れ込んでいるようなところに、同じイギリス作家としてケン・フォレットへの対抗意識が見えてくるようで、私は楽しめました。ケン・フォレットが教科書に出てくるような歴史上の出来事の中で、フィクションの人物像を自由に操り、今までに無い歴史を見せるプロフェッショナルなら、ジェフリー・アーチャーは自らの波乱万丈な人生から、幾つもの物語を語ってみせるという対決だろうか。アーチャーはこの長編シリーズを五部のサッチャー登場あたりで締めくくろうとしたが、どうしても主人公にあと30年活躍して欲しくなり最終的に七部まで続いてしまうらしい。

ケン・フォレット、ジェフリー・アーチャー、そりに車に描いているおばあさん。10月は物語を生み出し続けている人々に圧倒されつづけて。



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我が家のストーリーテラーたち










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by kokouozumi | 2014-10-20 06:35 | 人々 | Comments(0)

19番 マリオゲッツェ











カナダの姪の息子がマリオゲッツェのユニホームを買っていた。
ライアン君有難う。君は心理マジシャンよりすごいぞ!

だけど、どうしてこのユニホームだったのかな?
11番や13番が売り切れでなかった?

決勝戦の後、ドイツチームの周りには家族が次々集まったね。
クローゼの息子2人。ボアテンの娘(か、どうか確認していないけど)・・お父さんがんばったね。

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by kokouozumi | 2014-07-14 16:57 | 人々 | Comments(0)

ななずまい














WMの夏ですが、今年も猫と飛行機雲を呉須(ごす)描きした風鈴を作っていました。昨年に引き続き第2回2015年の『巻きっ子ドリプラ』を応援するStuttgart日本人会、夏祭りチャリティーワークショップの準備です。郷里石巻・渡波出身の私は、チャリティーコーナーを仕切らせてもらいました。しかし夏祭りで、本当に大変だったのは私以外のお手伝いスタッフ。バザーの売り子さん、風鈴キットをビーズや糸で組み立てのフォロー、折り紙指導、昨年のワークショップで万華鏡にトライした親子3人、今回は指導役に。昨年同様夏の風物詩、ヨーヨー釣りを担当してくださったお母さんと傍でおとなしく待っていた幼子。総勢12人の応援部隊が一日中のお付き合いくださいました。

それからもう一組の応援団。この日、東北支援という共通点から、オイリュトミーの研修者達が東北の踊りを披露してくださると、事前に聞いていました。Stuttgartはシュタイナー学校が、確かいち早くできた場所柄、オイリュトミーを学んでいる外国からの留学生が多いはずです。東京の賢治シュタイナー学園出身者という若者の何人かに、私はこの町に来てから出会っていました。宮沢賢治の世界観・精神性がルドルフ・シュタイナーの提唱する精神と繋がっている、という教育理念の学校です。

そして夏祭りに彼らが登場したら、あれっ!袴の上は派手な女物の着物というこの装束・・なんだか知っているような・・いつ?どこで?と記憶を辿り、岩手県一関市千厩町でみたお神楽の衣装が、確かこのような着付けだったのではと思い当たりました。



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1997年。まだデジタルカメラを持たず、写真屋さんで焼いてもらった写真です。岩手県の藤沢町の野焼き祭りに何度もドイツの陶芸家を引き連れて参加していましたが、この年は近くの千厩町で野焼きスタッフの一人がお神楽を舞うというので、偵察に行ったときのものです。この写真から17年も経てしかもStuttgartで垣間見たのは、『七頭舞(ななずまい)』という・・やはり岩手の踊りでした。

『七頭舞』は7つの道具をそれぞれ2人が持って踊るということだが、7組の登場の仕方は儀礼的で、これは武官坂上田村麻呂の時代ではないですか?とまずイメージしてみました。しかし舞台に14人が揃い円舞になると、相撲力士の土俵入りのように膝を折ったまま、跳躍しながらそのリズムで手にした道具(大太刀や長い飾り棒)を動かす、さらに飛び跳ねながら回転する、といった動きは、足腰を常日頃鍛えている騎馬民族系のものではないですか?モンゴルに似たような民俗芸能ないですか?と思ってしまう。そうなると田村麻呂というよりはアテルイか・・。

勝手なイメージはそれくらいにして、七頭舞(正確には中野七頭舞)を調べてみると、江戸末期から明治に移行する頃、黒森神楽(岩手)の神楽太夫だった人が作りあげたということです。岩手県には神楽舞が400種以上も分類されるらしいが、黒森神楽は法印(山伏)が何ヶ月も巡業しながら舞っていた神楽が起源のようです。私が千厩で見た神楽も、その黒森神楽に含まれるということですから、衣装の類似になったのかな?それに足腰の強そうな踊りは、騎馬民族に限らず、山中で修行した山伏の技ということになるのでしょうか?そういえば歌舞伎の中で弁慶が似たような六法を踏んでいたし。

山伏の巡業、つまり門付けということになると、獅子舞にも関係してきます。中国獅子舞の動作と渡波獅子舞のそれが同じ展開をしていたと、前にも書きましたが、民俗芸能あるいは郷土芸能というものは、思いがけず広い範囲にわたる情報を含んでいるようです。岩手・黒森にも宮城・渡波にもその情報が集まるなにかしらのポイントがいつの時にかあったのかもしれません。

そして、今回オイリュトミーという要素も加わって、東北の復興を願う舞い方たちに出会えたことを喜びながら、Stuttgartでの支援活動をさらに展開していきたいものです。

WMはそろそろ決勝戦です。ドイツが勝ち残ってくると、6月13日、あの心理マジシャンが書き残したWM勝者予想が気になります。発表されるのかな?


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ななずまいを舞った人々
Stuttgart日本人会広報 出口撮影



 

シュタイナー施設、スイス・ドルナッハでの賢治シュタイナー学園公演『中野七頭舞』
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by kokouozumi | 2014-07-12 07:10 | 人々 | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ 2 応援され続けて









私が巻きっ子ドリプラのコメンター役を務めることになったのは、Stuttgart日本人会の代理人として。

海外在住日本人の多くの方々が、個人としてまたは団体として、そのように何かしらの支援活動を継続されているのではないかと想像します。Stuttgart日本人会は3・11から1年、2年が過ぎて、支援活動は一過性のことなのか?さらにどのように続けるべきか、という岐路に立っていたとき、被災地の子供達が自らの夢を語るという、巻きっ子ドリプラ応援を決定しました。

それから1年の間、そのドリームプラン・プレゼンテーション計画が進行していく様子を関連FBサイトで傍観していた・・ということは、支援活動を続けようという決定によってもたらされた役得だったと思います。プレゼンターの募集、応募が少なく枠を広げて再募集。5人の子供達が決まってくる。その辺までは大丈夫かな?とはらはらしていたのですが、そこからの後半戦展開が鮮やかでした。他の町でのドリプラを子供達や実行委員会メンバーが一緒に見学。プロ野球選手になりたい子はバッティングセンターに行く。モデルになりたい子は浜辺で波を背景にポーズを取ってみる。漁師になりたい子は実際の漁師さんと刺し網体験。ピアニストになりたい子のお母さんがバックミュージックの伴奏を。大工になりたい子は設計図を描いたり、建築家の事務所を訪問。これって・・・それぞれのプレゼンテーションに必要なシーンかもしれませんが、同時に子供達は夢に向かって第一歩を踏み出しているではないですか。あるお母さんは、「こんなに子どもの夢を真剣に考えたことって今まで無かったかもしれないわ」と思い。あるお父さんはモデルさんの歩く練習のため、地面に竹で矩形を作ってしまう。子供達が夢を語る場面を設定したことで、次第に周りの大人が熱くなっていく・・・そんな様子を傍観していた遠くStuttgartの私たちも距離を忘れて熱くなり、もう誰が応援されているのか、応援しているのか、わからなくなってきました。




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1年後、5人の小学生がいよいよ発表する会場に向かって、渡波小学校の校庭を横切っていました。連なる教室はきれいに修復が完了しています。1年前に見つけた、破壊された校舎前面を覆う花とメッセージが描きこまれた板パネルは取り外され、代わってそれぞれの教室前に花壇ができており、クリサンセマムという名の花が咲き始めています。
花の壁画パネルがなければ荒涼として寒々しかった、昨年の校庭を思い出すと、何処にでも咲いているようなこの花がなぜかとても貴重な彩りとして、印象的です。



5人の発表は立派でした。PC操作を支援するスタッフによってまとめられた映像は、5人が夢に向かって動き出した様子を伝えます。コメンターの一人として隣に座っていた声楽家の女性は、青空応援団の演舞に、このまじめさが良いとつぶやき、思わず彼女の横顔をみつめてしまうと、近頃はなんでもおちゃらけで流してしまう傾向があるから・・・とささやきました。

5人の子供達はドリプラに応募した日から、それぞれの中にある何かの芽を少しづつ伸ばし続けてきたのかも知れません。そして直接、間接に応援してきた大人たちの中にも、
何かが芽生えていった1年間でした。実行委員長の菊地さんは、これだけ多くの有難うを言い続けたことはなかった、と表現していました。わたしたちはみんな、あの何処にでも咲いているようなクリサンセマムのように、どこかの土地に平凡な生活を送りながら、心に何かが芽生えることを喜んでいる。生物学上それは当然のまじめな喜びなのかな。






最後に渡波に伝わる伝統芸能、獅子風流塾(ししまいと読む)の様子をよろしかったら御覧ください。
塾長の近藤さんと保存会の5名が現在3歳から高校生までの30人に技能を指導しています。






前奏のあと、獅子の登場を告げる口上をのべるのが近藤塾長かな。その後のリズムとメロディは、子供の頃獅子舞の追っかけをしていた私にとって、とても懐かしい。近藤さんは震災前20もの獅子頭を集めていたとのことです。ドリプラ会場には、このビデオと同じように3頭の獅子が登場しました。
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by kokouozumi | 2014-04-25 03:58 | 人々 | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ その1 応援団








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2011年震災直後の渡波小学校です
海から3Km(5~600mでした)ぐらい離れたこの校舎1階は波が貫通
この学校の裏手に立っていた私の実家も床上2m弱の浸水

小学校はその後間閉校して補修のみで再び利用できるのかまたは取り壊しになるか、市の調査を待つことになりました。その間子供達は他の学校に間借りして勉強していました。




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他の学校に通いながら、地元の小学校が気になる子供達
彼らの気持ちを察した学習塾の先生が
子供達と一緒に、学校の1階部分をふさいでいる板塀に花の絵を次々描いていきました。

私は昨年の帰郷時にこの絵を見つけたことから
巻きっ子ドリプラの計画も知ることになりました。





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2014年3月29日。ドリプラ開催日に訪れた渡波小学校は美しくよみがえっていました。
幸い1階部分の修復だけでしたが、3年後の今年3月末に再開校です。





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私がこの学校に通っていた時、校門の脇、松ノ木の下には
あの勤勉な子供を代表する二ノ宮金次郎の像があったはず・・・

ありました!今も校門脇の松の木下に








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子供達と一緒に、花の壁画を描いた学習塾の先生
彼が今回の巻きっ子ドリプラを企画・演出・実行した菊地さんです
当日の朝、最後のリハーサル中のプレゼンターの子供達と菊地さん









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そして舞台の下には、この一団が控えていました。


ドリプラの開幕は石巻市長の祝辞
そして実行委員長、菊地さんの挨拶があったはずです

しかしコメンターとして参加することになった私は
会場に入って初めて、5分というコメント時間を知り
えっ!プレゼンター10分に対して5分も話すの!!
と、うろたえる余り、祝辞も挨拶もろくに耳にはいらない
5分のしゃべりの構成をどうしようかと
もちろんプレゼンを聞かなければどうにもならないのに
展開を予想しまくっていました。


そこに突然始まったのが、青空応援団
宮城県のさまざまな応援団OBが集まる一団です。



いや~~
これで、すっきりしました
プレゼンターよりもコメンターのほうが応援されたかもしれません。


巻きっ子ドリプラのお話は
私のブログでは良くあることですが
さまざまな映像を拝借しながら
続けていくことにします

















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by kokouozumi | 2014-04-13 06:23 | 人々 | Comments(0)

巻きっ子ドリプラ 3月29日








郷里 石巻市渡波の小学校が3年を経て再び開校されます
そのことを祝して巻きっ子ドリームプラン プレゼンテーション が行われます。


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ポスターの中にいる5人のプレゼンテーターは・・・

津田晃太郎くん 渡波小学校6年生

晃太郎くんは漁師になりたいと夢を語ってくれました。
晃太郎くんは「カツオ」が大好きだそうです。
特に「戻りカツオ」は格別だと語ってくれました。
美味しい魚をたくさん捕って、多くの人に食べてもらいたい。
そのために、高校で勉強して航海士の資格を習得するそうです。
そんな彼は先日、地元漁師さんの計らいで刺し網漁に行ってきました。
私も同船したのですが、とても楽しかったですよ。

今、漁業離れが続いている港町で、若い子が漁業を目指してくれることは、とてもうれしいことです。
ここ石巻は古くからの漁師町。
復興と漁業は切っても切っても離せるものではありません。
彼らのような子どもたちによって、また素晴らしい石巻に生まれ変わることを楽しみにしています。


阿部莉子ちゃん 万石浦小学校5年生

莉子ちゃんの夢はモデルになること。
ファッション雑誌をみてモデルになる夢を持ったそうです。
「どんなモデルになりたいの?」
って聞いてみました。すると
「世界を代表するモデルではなく、身近なモデル。
読者に夢を与えられるようなモデルさんになりたい」
と話していました。
実は莉子ちゃん、モデルを目指すようになってからは
ウォーキングやポージングの練習をしています。
家では、姿勢をものすごく注意しながら生活をしています。
そうそう、頭に本を乗せて歩いたりと。
努力しているんですね。


澁谷伊吹くん 鹿妻小学校4年生

伊吹くんの夢は大工さんになること
震災による津波で、大好きだったおばあちゃんの家が流されてしまいました。
伊吹くんは、そのおばあちゃんに新しい家を建ててあげたい。と話してくれました。
大きくて、家族みんなが集まれるようなおうちだそうです。
次はお母さんに家を建ててあげるそうです。
ちなみに、私の家も建ててくれるそうです(^_^)
最後は、世界中で家がなくて困っている人に家を建てに行くそうです。
昨年、フィリピンが大災害に見舞われました。
自分たちと同じく家を失った人のところへ行くそうです。
凄いですね。

今、伊吹くんは家の設計などにも興味を持ち
PCを操って、家の設計を行っています。
当日は、彼の設計した図面を見るのが楽しみですね。




勝又瑞羚(みれい)くん 万石浦小学校3年生
今回の巻っ子ドリプラでは最年少のプレゼンターです。

私たちからは「みーくん」と呼ばれています。

みーくんは、3年前少年野球のチームに入団することを楽しみにしていました。
しかしその直前、東日本大震災が起こったのです。
津波により、多くの野球道具を失いましたが、全国の皆さんから届けられたボールやバットで何とか練習を始めたそうです。
とは言え当時は練習場としていたグラウンドには仮設住宅が建ち、練習会場も満足に確保できない毎日だったそうです。
そんな中、災害支援にきてくれた多くのプロ野球選手に勇気と希望をもらったそうです。
「プロ野球選手になって全国の子どもたちに野球道具を贈りたい。野球を通じて夢と勇気を与えたい」と語っていました。



勝又梨乃ちゃん 万石浦小学校5年生
ピアニストになりたい

梨乃ちゃんの夢はピアニストになること。
お母さんがピアノを弾いていたことで興味をもちピアノを弾き始めたそうです。
一生懸命練習して出場したコンクールでは、結果を出せずに挫折しかけたこともあったそうです。
しかし、あるピアニストとの出会いから、
「音楽は人を楽しませてくれる」と気が付いたそうです。
自分も人を楽しませるようなピアニストになりたい。
そう思うようになった梨乃ちゃんは、これまで以上に練習をして夢の実現に向かってがんばっています。
当日は梨乃ちゃんの生演奏が聞けるかも(^_^)








上記のプレゼンテーターを紹介するのは実行委員長の菊地康宏 さん
菊地さんが語る『巻きっ子ドリプラ』計画の発端




私は明日、渡波に向けて飛びます。
今、トランクのパッキング中
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by kokouozumi | 2014-03-25 06:34 | 人々 | Comments(0)

あれから三年





今日一日、ラジオを聴いていて、何度も耳にしたフレーズが
あれから三年・・・






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あれから、三年
それは私の仕事にも言えることです。

18年も住んでいたフライブルクから引っ越したのが2011年4月
今となっては、その後どんな状況で現在につながってきたのか
いちいちを言ってみても、仕方が無いものです。

とりあえず、写真のような仕事が新作です。
角鉢を伏せて、乾かしているのではありません。
四角のお皿です。
思いっきり遊ばせてもらいました。

この上に何かを盛りたい料理人がいるのです。
その事に3年の時間の経過が いえるかもしれません。

Stuttgartでは器つくりに専念しようとおもい
それは、器を作り続ける日々のタイトルで紹介したとおりですが
そうやっているうちに、こんな仕事も舞い込んできました。
写真はまだ柔らかいうちに、壁を組み立てながら表面のニュアンスをつけたところです。

1日おいて、土の固さが増したところで、しっかり接着します。
接着といっても基本は水と土です。

今日3月11日に
この器に使う釉薬を作ったり、試しがけをしたり
同僚が風邪でダウンしたので
一人、仕事場の友、ラジオを聴きながら作業していました。

そこで耳にしたのが
あれから3年のフレーズ。
ラジオの面白さは、毎時のニュースで同じ言葉が繰り返されつつ
徐々に内容が添加されていくことです。

福島の事故から3年
ドイツでは2020年までに原発全停止を
しかし、その後原発廃棄物をどうする?
セラフィールドでは50年代に閉鎖されてから、いまだに廃墟として施設は残されたまま
廃棄物処理場が世界中の何処になるのか決まらないうちから
テロリストから狙われたら怖い・・・ので
その施設の構造研究だけは進められている・・

廃棄物処理のコストを考えたら
世界中で新しい原子力発電所をあきらめて
再生エネルギー施設に投資したほうが経済的であると

4年目のころには、しっかり計算されたデータが出てくるかもしれない

そして、私の仕事はどんなことになっているかな・・・
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by kokouozumi | 2014-03-12 07:47 | 人々 | Comments(1)

鳥人












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2013年12月撮影 von Kastin Joensson
スキー板よりも身体が前に来るような深い前屈姿勢。スキー板を平行にそろえるクラシックスタイルから、V字スタイルに変えるとき、この前屈姿勢が難しくなったというが、どのように克服したのだろう








葛西紀明の銀メダルは嬉しかったですね。
その前、今年1月14日オーストリア、バートミッテンドルフでのワールドカップ個人13戦、フライング・ヒルジャンプで196m、197mを飛び優勝している。ラージ・ヒルより高いジャンプ台からの飛翔は、周りの観客にとって圧倒的に見ごたえのあるジャンプ競技ということだが、このジャンプ台を持っているのは、スロベニア、ノルウェー、ドイツ、チェコ、オーストリアの5カ国だけ。なのでオリンピック競技種目には入っていない。より高いジャンプ台ということは競技者にとって危険度も高くなる。バートミッテンドルフで葛西が優勝した陰に、悲惨な話もあった。オリンピック金メダリストで今回のソチでも優勝候補だったオーストリアのトーマス・モルゲンシュタインが練習中、空中でバランスを崩して背中と頭を叩きつけるように落下。そんな事故の後も果敢に飛び続ける、鳥人たちのすごさを思い知らされる。

葛西紀明はずっと、ヨーロッパのスポーツジャーナリストたちから注目され続けてきた。ワールドカップで船木が好成績を出している時にも、葛西の周りに記者たちの輪が出来ると、そのことが記事になっていたのを何年か前に読んだ。今年のバートミッテンドルフでも彼のジャンプの後、一緒に競技に臨んだ彼より20歳も若いようなライバルたちが、素早く彼の好成績を察知して、結果アナウンスの前に次々葛西を取り囲んで祝福の挨拶をしていた。葛西のすごさを最もよく知っているのが彼ら若きライバルたちで、その光景はとても自然だった。船木もマルティン・シュミットも、もう誰も居ないけど、葛西はまだ飛んでいる。葛西はジャンプ競技の伝説を作った、脅威という言葉は葛西のためにある・・・いろいろな形容で賛美の報道が飛び交っているが、『葛西はジャンプ競技の現象(特異なできごとの意味を含めて)』といわれ続けて欲しい。



今回の冬季オリンピックはメダルの数よりも、ビックな勝利のニュースが嬉しい。









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              バートミッテンドルフで、若いライバルたちから祝福の挨拶を受ける葛西
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by kokouozumi | 2014-02-17 07:24 | 人々 | Comments(0)


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