黒い森にひそむ 3


私はまだカンデルンに長居している。ここは黒い森の中で唯一窯業があった場所。そしてドイツ陶芸史を知っている人、何かしら陶芸に関わる人なら絶対その名を知っているだろう現代陶芸の曙、20世紀初めドイツ現代陶芸の三大巨匠の一人が住んでいたところ。しかしながら今回はその人物に纏わる余談の集積かも・・・。



d0132988_382038.jpg


この白衣の化学者としか見えない、この人がそのリヒャルド・バンピー。

余談1-ドイツ現代陶芸の先駆的三大巨匠の誰ひとり轆轤は出来なかった!と発言しても許されるだろう。リヒャルド・バンピー(1896-1965)とヤン・ボンティエス・ファン・ヴェック(1899-1969)に関しては、はっきりとそのことが本に書かれている。もう一人のフーベルト・グリィーメルト(1905-1990)がどうだったかは、その教え子(陶芸専門学校)から「代表作の殆どを学生がひいていたよ」と直接聞いた。それは民陶が分業でおこなわれていた時代からの移行期に起こった三人の共通点といえる。ちなみに轆轤師からオイラーになった人が多いが、オイラーは家内工房のディレクターで、轆轤師や絵付けの女工、日雇い労働者さらに窯焚き人などを仕切っていたわけだ。現代陶芸の巨匠達の仕事場にもその様な分業化の残存があったということだが、彼らの陶芸は民陶から発生し、それを発達させたものではない。

バンピーの経歴を大急ぎで覗くと
1896年 ブラジル生まれ。イタリア人の父は建築家、母はドイツ人
1902年 母方の故郷ドイツにて教育を受ける
1914年―1918年 第一次大戦従軍
1919年 バウハウス造形学校にてグロピウスに建築を学ぶ
1920年-1921年 スイス、イタリアで彫刻、ウィーンで彫金を手がける
1923年-1925年 リオ・デ・ジャネイロでバウハウスのような造形学校を目指し工房を作る。初めて陶土を扱う。
1927年から カンデルンの陶器工場に潜り込み、商品倉庫の一角で彫刻を始める

以来カンデルンに住み、居候的に仕事していた工場の責任者となり製品の品質向上を目指して本格的に陶芸の訓練を始めるのは1934年、バムピーは38歳。

19世紀末または20世紀初頭に生まれた人の経歴をみて、いつも感じてしまうのはその人生の節目に二つの戦争が割り込んでいること。やっと義務教育を終え少年から青年としてこれから世に出てという時に第一次大戦従軍。無事に帰ってきて、再スタートやっと仕事にも人生にも熟年の域に達した頃、今度は第二次大戦だ。

そんな時代の中で、どのように仕事を続けていたのかをバンピーの場合にもつい目を向けてしまう。現代陶芸の巨匠としての位置づけから、今回は遠ざかってしまうが。
バムピーがカンデルンに潜んで陶芸に専念し始めた頃、ドイツ社会はナチス党が台頭。
森の中に潜んでいるとはいえ、「仕事を邪魔されず、少しでも長く工房を維持するため普段の行動、言動を愛国主義者的に振る舞っていた。兵役に取られるまであまり時間がないという焦燥感があった・・」と記されているものがあった。その急ぐ仕事振りは1939年から1941年までの3年間に残された釉薬や杯土調合のリストがNr.2047まで
杯土の種類やそれを焼いた焼成温度(焼成状態の記載はない)などの窯焚きや仕事メモはNr.519まで、と多量のノート書き込みに伺われる。その中で面白いのは地元の耐火性、焼き締まりの弱い土に改良策の原料を配合していること。そうやって改良した土質は戦後自由に購入運送されるようになったライン地方の土に置き換えられた。一時は土にウランまで混ぜている。(釉薬にも混ぜている。さすがに周りから反対されたという。)

余談2 - 1944年45年と出兵し帰還。仕事場も無事。ベルリンのボンティエス(三大巨匠の一人)が仕事場を失ったと聞き、彼を共同研究へ招待する。喜んでやって来たボンティエスがしかし3ヶ月で出て行ったのはワインの事で喧嘩したとか!?


余談3-ナチス時代に手工芸者の公の仕事として、彼の陶芸工房でも義務付けられていた仕事がある。それはナチス党公共福祉事業団がおこなっていた募金活動のためのバッジ作りだった。私は巨匠バンピーの(本当は彼の工房の誰が作った)作品をたった一つ・・・そのバッジを持っている。

d0132988_39381.jpg

d0132988_323124.jpg




この福祉事業団の募金活動は1933年から1943年まで続くが全国で8000種のバッジが作られたという。かなりの収益を上げて失業者や戦傷者に配当されているが、皮肉なことにこの事業団は強制収容所に送られたユダヤ人の衣服なども管理し、再利用していたそうだ。


d0132988_3192110.jpgd0132988_3202510.jpgd0132988_3211232.jpg








余談4 - バムピーの研究ノートが仕事場に残された。その仕事場を受け継いだ陶芸家の父親は釉薬分野の化学者。(日本の釉薬の本にも出てくる)もちろん親子でバムピーの釉薬調合を試したが、どれ一つバンピー本人が制作したものと同じにならなかった!!

最後まで読んでくださった方、ありがとう!
[PR]
by kokouozumi | 2008-10-23 03:23 | 陶芸 | Comments(8)
Commented by onoman at 2008-10-26 11:18 x
んー、すばらしかった・・・。
ドイツでの陶芸世界にはじめて触れました。
こんな風に調べて読ませてくれなければ、なかなか出会うことはなかったように思います。
黒い森の中で静かに研究していた人たち、戦争さえなかったらすばらしい人生だったでしょうね。
最後のところで、「釉薬調合を試したが、どれ一つバンピー本人が制作したものと同じにならなかった!!」というくだりが面白かった・・・。
焼き物、なんでも自分でやってみなくっちゃね。
愛読してますので、また読ませてください。
Commented by うお at 2008-10-27 06:20 x
Onomanさま
ドイ陶芸のエピソードを自分の興味で記憶していますが、時代感覚につい関心が向いてしまうのは、外国人ゆえの自国と比較する材料を探す癖からかも知れません。

陶芸のメカニズムって面白いですね。一人の人間が把握するのは無理じゃないかと思えるほど複雑な多様性があるかと思えば、個人の偉業とは違うエピソードからなにか全体感が見えてきたり・・・

読んでいただきありがとう。

Commented by tarutaru at 2008-10-27 07:07 x
長かった~。読みました。しかし、彼らを巨匠と言わしめたのはなんだったのでしょう?僕はゼーゲルしか知らないですが彼はもっと前の時代の人でしたし…
Commented by M野 at 2008-10-27 15:40 x
 釉薬再現のことですが、当時の試薬の精度が低かったため、再現出来ないのかなと思いました。
 日本にいると、ドイツは単一民族と思いがちですが、バンビーの経歴を見ると、それは違うと思い知らされます。
 ウラン釉薬ですが、私の古い教科書になぜか載っておりまして、鮮やかな黄色になるらしいです。たぶん一時期流行したんでしょうか。近い所で希土類を使ったガラスが戦前流行したようで、工芸品で残っているそうです。その希土類も精製が低かったようで、微量なウランを含んでいるそうです。紫外線を当てるとボーっと光るそうで、これまたコレクターがいるそうです。写真用のレンズでは1950年頃まで使っていたものがあるようです。
Commented by うお at 2008-10-29 06:47 x
Taruさん
長かった~のにTaruさんの探すポイントがなくて申し訳ない。私自身は陶芸に対してなにか冷めた目でみていて、陶芸を通してむしろその時代性を見るのが面白いので、つい巨匠の周りに穴ぼこを掘り返してしまいます。

しかしながら巨匠といわれるのは第二次大戦後、即活動を再開し周辺の陶芸家が続く機動力になったことや、陶芸蒐集家のブームがその時代に起こったことの相乗効果が挙げられると思います。
Commented by うお at 2008-10-29 07:44 x
M野さん
>当時の試薬の精度が低かったため

ああ、そうだ!と思い当たります。学生時代、陶芸科として各陶芸原料はかなり頻繁に購入していていましたが、その度に粉の色がちょっと違ったりしてました。30年も違うと精度は相当違ってくるでしょうね。これはどう調整の仕様もない変化ですね。ありがとう。

現在は日本にしても民族で文化を語れなくなりましたが、ヨーロッパは歴史を何世紀か見るだけで何がドイツなのかわからなくなります。人の名前も色々です。

ウラン鉱石が昔は知らずに混じっていた。それをバムピーが分析したのかと思いましたが、ちゃんと利用されている工藝があったのですね。これも貴重な情報です。ウランガラスを調べたらチェコでも製造していたのですね。私はエジプトのお土産で夜ボーと光るものを見たことがありますが、あれは何だったのかな。

Commented by M野 at 2008-10-29 20:48 x
 今回バムビーの周囲が、ウランを使うのに周囲が反対した、と言う所が気にかかりました。当時すでに放射性物質は危険だと一般的に考えられていたと言う事です。しかしアメリカ・イギリス・ドイツ・なぜか日本も原子力爆弾を研究していたのも事実です。
 ウランの魔力でしょうか。バムビーも一時魅了されたのでしょうか。という私も一度見てみたいものに、本当のケシの花の赤と、ウランイエローの黄色があるのですから。
 エジプトのガラスは、きっとイシスの神が降臨していたのでしょう。だからそれを煮たり、口に入れたりしないほうがいいでしょうね。
Commented by うお at 2008-10-30 06:56 x
M野さん
バムピーのウラン釉薬調合が出ていた本で、その陶器の写真を探したのですが、わかりませんでした。クリームイエローだったということです。土への配合は磁器土を使っています。そうなってくると年代が・・・!

本当のケシの花?鬼ケシのことですか。子供の頃見たことがありますよ。夜でも赤く光るような色でした。こちらではケシの実をパンにばら撒いたり、アンパンのように中に詰めたり、ケーキにも使われたりふんだんに使っています。大規模なケシ畑を目にしたことは無いですが。

バムピーもイシス神に近づきすぎたのでしょう。


メモ


by kokouozumi

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
陶芸
美術
オイラー
人々

独逸

未分類

タグ

Blog & HP

以前の記事

2016年 09月
2016年 07月
2015年 02月
more...

検索

ファン

記事ランキング

画像一覧