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黒い森にひそむ 2

 黒い森の中にひそむ『宝箱』があります。宝石の詰まった箱ではありません。いわゆる民衆作家が民衆の話をその中に詰め込み(農民と子供に鍵を預けた←後世のある作家のこの表現が好きです)宝箱です。ですからその作者ヨハン・ペーター・へーベル(1760-1826)の名は同時代のゲーテやトルストイが絶賛したにも関わらず、長い間文芸作家の列に加わることがなかったのです。

 フライブルクにやって来て間もない頃、独日協会の例会というものに出かけたことがあります。その初めての参加で偶然隣に座って初めて話したドイツ人から「昔、木下さんという学者さんがいた」という話が出てきました。「はあ?」何でもこの地方の方言でどうのこうの「はあ?」最終的にはその方、次の会合にその木下さんが執筆された本(日本語)を持ってくるということになりました。その方は尊敬する木下先生からプレゼントされた本をご自分は読めないけれど、一人でも多くの人に紹介したかったのだと思います。それが私のへーベルを知る切っ掛けとなりました。




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カンデルンの博物館にあった19世紀の民陶






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これはもっと古そう



 ヨハン・ペーター・へーベルは幼い時に父親を、13歳には母親を亡くしています。優秀な子供だったので奨学金を受け母方の故郷、黒い森地域の中でギムナジウムまでの教育を受け、さらに神学を学び、卒業後は家庭教師や教員事務所の仕事を経て教師になります。教師および副助祭としてカールスルーへのギムナジウムへ招聘されるまで黒い森で生きた人です。彼は植物、自然史に興味があり、カールスルーへに移ってからも同僚の植物図鑑編集を手伝ったりしています。

 私が借りた本は『ドイツ炉辺ばなし集』木下康光編集・訳というもので、最近『暦物語』というタイトルで他の訳本もあるようです。19世紀初頭、『家の友』という郷土カレンダーの売れ行きが落ちたというので、改良委員会が組まれその中にへーベルも参加していました。最終的にへーベルがその委員会の音頭を取り、そして新しく登場したのがカレンダーの横に大きなスペースを作って、様々な物語が付け加えられたものです。以来『家の友』は売れ行きを伸ばすことになりました。へーベル自らこのカレンダーの付録のために毎年30篇ほどを創作していました。その物語が1811年に『ライン家の友の宝箱』として出版されました。その後2回の続編が出ています。特に代表作として『思いがけない再会』があります。嘗ていいなずけだった男女が50年後に再会するという話ですが、その50年の時の経過を表現する部分は、後世の多くの作家が取り上げて感心しています。ドイツ文学の歴史をまとめたある作家はこの宝箱に詰まっているへーベルの物語りは、それらの全てのドイツ文学に匹敵すると表現しています。当時グリム兄弟がへーベルに会いに行くなどしていますが、へーベルの物語は伝承された昔話や童話とは一味違ったものです。


 しかしへーベルの処女作、『アレマンの詩(うた)』はまさに黒い森の中にいまだに潜んでいると言えるでしょう。アレマン語という方言で書かれています。現在でも市場で野菜売りの農夫がこれで話してくると、一体ねぎ一本の値段が幾らなのか理解できません。この詩集のドイツ標準語訳を見たことがなく、研究者はいるのでしょうが日本語訳も出版されていないようです。へーベルが31歳まで暮らした黒い森地域での人々の生活、風景、製鉄所などの仕事風景を詩っているのですが、その中で最も名高い一遍は『無常(はかなさ)』という題の長い詩です。ある村から他の村へと移動する道々、手押し車の中で、目に映り過ぎていく城跡や、都市バーセルの栄華さらには世界を捉えて、死と消えていくもののるはかなさについて、男の子の問いにおじいちゃんが答えているものです。嘗てへーベル13歳の時、まさに同じ道を手押し車で移動中にへーベルの母親がなくなっています。そしてその場所から見上げたある古城から詩の中の会話は始まっています。

 せめて冒頭の部分だけでも知りたいとアレマン語の分かる方に読んでもらいにいきました。読んでいるうちにその人は「今日は何日?」というので、二人でカレンダーをみたらその日は10月16日、235年前のその日にその読んでもらっている詩の中の場所でへーベルの母親がなくなった日でした。

 男の子が「あの古城のように僕達の家も朽ち果てるのか」という問いに
おじいちゃんは「すべては若く新しいものとして生まれ、しかし留まることなく老いへ向い続ける・・・その音を聞くと川の水は流れている・・空の星は?全ては動かないようでいつも動いている・・」と言い聞かせているのはまるで「いろは歌」と方丈記の有名な冒頭の部分を再現するようです。

読んでくださったドイツ女性は「私が学校で先生から毎日を大切に暮らしなさいと教わったのは・・・」と思い出していました。
Commented by tomato at 2008-10-19 11:08 x
へえ~、いいお話ですね。
老人と子供の会話を語る物語は
いつも強く心に残るものが多いですが、
このアレマンの詩、読んでみたいですね・・・・

黒い森に潜む「宝箱」
面白い表現ですね。
自分が成し遂げてきたことの評価は
棺を覆ってから下されるものとよくいわれますね。

思いがけない再会
そろそろそんな年頃です・・・・
Commented by うお at 2008-10-20 04:07 x
Tomatoさん
私も黒い森での生活が描かれているというこの「アレマンの詩」じっくり読んでみたいと思います。ここに10年以上住んでやっとそんなことを思うようになりました。木下先生のことを教えてくださった方ももういません。今だったら、聞いてみたいことが次々出てくるのに。

その様に何かある人の中に残るものを伝えていただき、それをさらに発信することで、また誰かが違う形で受け止めるかも知れませんね。

その様に好き嫌いや、ことの大小は自分の解釈どうりに伝わるものではないので、自分自身は・・・楽しむしかないですね。

日本語訳がある暦物語、宝箱も面白いですよ。
Commented by tarutaru at 2008-10-22 23:44 x
人間のものの見方感じ方って
やっぱり国境がないのかなと
思ってきましたね。

黒い森の宝箱とはヨーロッパの
海のない国の発想かもしれませんが
一枚一枚ベールを剥がしていくと
見たこともない民の暮らしぶりが
笑い声や息づかいまでもが
きっと伝わってくるのではないでしょうか。
日本の民話全巻、我が家でも暗い部屋の奥に
眠っています。
Commented by うお at 2008-10-23 08:01 x
Taruさん
ドイツとはとか日本とはと、大義名分で伝わるものより個人的なもの(へーベルに関しても一人のドイツ人との会話から接したことですが)から発する中に面白い接点があるのかな。国単位に考えるのがベールになっているのかも知れません。私の田舎で、隣に住んでいたおばあちゃんなんか、自分の行ったことのある場所以外はみんな外国だと思っていたもの。
アレマンという方言を日本語にするのは不可能だと思うけど、きっとその中にあることは、Taruさんの感じるように民として理解できるものかもしれません。
by kokouozumi | 2008-10-19 04:36 | 人々 | Comments(4)

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