呉須のにほひ

このタイトルはお借りしてきたものです。陶芸仲間には馴染みの、仕事中の出来事。顔料を摺っていて、上絵の赤が輝いてきたと、表現しますが、呉須がにおってきたとは、言わない。

言葉にしたのは、蒲原有明という詩人でした。東京生まれですが、父親は佐賀県出身、奥さんは有田郷から迎えたという人脈を知ると、やっぱり有田皿山ですか、と推測するとおりです。そこに磁器鉱が発見された頃(1615)、中国は戦乱の世となって、一時代を作り上げた景徳鎮の磁器の輸出はやがて不可能となり、東インド会社は、有田に目を向けます。様々な条件が深山幽谷にある、有田の町の歴史を変えました。有田物でおなじみの染付け、その絵を描くのに使われた顔料が呉須。最も単純な成分説明をすると、酸化コバルトに粘土や鉄、マンガンなどが混じったもの。

が、呉須(呉州)の作業経験者はこの言葉から、一人歩きします。
学生時代、助手のS先生がなにやら茶殻を集めて、ごとごと煮詰めているのを見つけて「何してるんですか?」「これで呉須を溶くんだよ。お茶のタンニンが呉須と素地の定着をよくするの」と会話したことが、私の呉須の記憶第一号です。職場や学校ってすごいですね。そうやって現場を押さえながら知らず知らずに、技を身に付けていく。呉須の匂は顔料そのものからではなく、この煮出した茶から発すると思います。乳鉢の中で茶汁で溶いて、擦るうちに匂がでてきます。

2番目の記憶は、呉須の三角座表。三角座表とは、釉薬とか顔料を作るのに三角形のそれぞれの頂点に3つの成分を100%として、その後じわじわと混ぜ合わせていく調合を図表にしたもの。三角形の真中あたりは、3種の成分が約30%づつ混じっていることになります。見せられたものが、一体どの発色材の3種だったか覚えていませんが、各座標に、調合した呉須で描き、焼いたテストピースが貼り付けてある完璧なものでした。作ったのは千葉大経済学部から、名古屋の窯業試験場に入った人で、「でもね、結論は、市販されている伊勢久ツバメ印のが、一番きれいな発色だってこと。」それなら、私が今使っているものでいいってことね、と美大生は安心したものです。

そして3番目の記憶は、卒業後、自分の仕事場で呉須を摺っている図。何かそれは一種の仕事に取り掛かる儀式のような、描く前の精神統一に向かうような作業でした。だから摺る必要がないのかも知れないけど、一応乳鉢を抱えて、ふっと呉須のにおいにが周りに立ち込める感覚が合図で、日常のことから、作業に没頭する体制になったのを知り、筆がうまく進めば、ますますこのにおいは強くなっていくように感じられたものです。手の運動機能や目の確認機能だけでなく、嗅覚までもやるべき作業に集中してくるのでしょうか。毎回そうやって、茶汁を足しては摺るので、古い茶の、かび臭いような鄙びた匂でした。

最後に、私自身、名古屋の窯業試験場を訪れ時のこと。「・・土にしても、顔料にしても、昔のものや中国のものを、検査分析してその成分どおりに、作り直してみても同じ物が出来ません。分析不可能な不純物が、どのように混じり込み、その原料が採集されるまでの経歴を携えて、本当はその時代の焼物のニュアンスを作っているのでしょう。」
・・・伊勢久ツバメ印の呉須は、学生でも購入できる安価なものだったから、きっと相当不純物が混じっていたに相違ない。

それから10年以上を経て、こちらで器販売を一緒にやっている同僚、寛太氏から、何かのおり「今、染付けをしようと、お茶を入れたところ」と、電話がありました。お茶?ああのんびりお茶を飲みながら仕事するのね…「えっ?呉須はお茶で溶くんでしょう?」呉須はお茶で溶くと、言葉だけで伝えてあったようです。お茶を入れたという表現は、記憶している茶殻を煮立てる図とは、違っていますが、私にとって、忘れてしまった儀式です。

蒲原有明は、「つばくらめ、 音もなくひるがえす 紫紺のつばさ。」と歌っています。青白きかんばせの工女の手元に、伊勢久、燕印の呉須の箱があったのではないかしら。
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by kokouozumi | 2007-10-26 02:21 | 陶芸 | Comments(5)
Commented by kantakozaki at 2007-10-26 21:30
ちゃんと教えといてよねー、先輩。茶殻煮るなんて聞いてねーぞー。
どうも発色が悪かったり だれたりすると思ったよ。でも、呉須の作品
薪窯でやってみたいよねー。
アーやりたいことはいっぱい、変な注文もいっぱい ヒーヒー フーフー ハーハー
Commented by kokouozumi at 2007-10-27 03:13
へーへー、でも入れたて新茶で溶いた呉須なんか、良い色になるかと、これはあくまでもイメージの問題ですね。それと私のは記憶の問題。一番初めに、茶殻を煮立てるのみちゃったから、そう思い込んでいるだけかも知れませんよ。

呉須染付けの薪窯焼成!夢ですねー。とりあえず、ツバメ印はあるから後は、早く窯を直しましょうね。
Commented by tarutaru at 2007-10-27 09:35 x
>伊勢久、燕印の呉須

僕はこのシリーズの伊万里呉須をずっと使っています。学生の頃から使っていたものです。瀬戸の絵の具屋を訪ねたとき30種以上もある呉須の見本を見せられて値段のいいのは必ずしも好みの色ではなく、ジ~と見ているうちに訳がわからなくなって何も買わず帰ってきた事がありました。

「呉須のにほひ」惹かれる話です。これだけ商品開発や流通が活発になった今ではひとつひとつの絵の具や釉薬の存在に感じ入ることが出来なくなってしまった、これは不幸といわざるをえないかもしれませんね。
そちらでは窯業原材料は手軽に入手できるのですか?絵の具の数は豊富でしょうね。
Commented by kokouozumi at 2007-10-28 04:38
旧呉須と古代呉須をドイツにもってきました。どちらもツバメ。発色は古代の方がずっとモダンな青です。おかしいね。
こちらに着たばかりの頃は、マイセンやドレスデン王宮にある、いわゆる、中国、日本写しの、染付け、赤絵など見ましたが、日本人の目には、顔料の青が鮮やか過ぎる。純粋コバルトにちかいのでしょう。それから図柄も、日本のは侍が居るべき柳の下に、マントを着た西洋人が立っていたり、面白かったです。でも、その柄はよくよく考えると、日本の陶工が、輸出物の為に、一生懸命工夫した、又その写しかも知れず。追いかけたらきりがないテーマです。

大正時代、中国で天然呉須を探した日本の学者さんが遭遇したのは、なんと日本経由で入ってきた、ドイツ産のコバルト顔料だったのですって。

窯業原料は、寛太兄のお世話によって、簡単!に手に入ります。絵の具は、日本から持ってきたツバメや上絵の顔料以外、手を出していません。不思議なことに、こちらに居ると、日本人の選択眼が強力に働いて、あまり触手が動かないのです。まだ研究不足でもあります。
Commented by tarutaru at 2007-10-28 09:44 x
そうそう中国でも採れないで中東から持ってきてたみたい。日本では瀬戸でも少し採れるらしいけどやっぱり質が悪いのかもしれないです。


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