Roma  ロマ










 ロマ?故国から出てさすらう人々を、ジプシーといったほうがわかりやすい。彼らの言語のなかに、今でもサンスクリット語起源のロマニ語が残されている。近年、彼らの言語を追及した説が有力となり、インドから移住してきたロマ民族と、ヨーロッパでは言い換えられるようになった。ジプシー「エジプトから来た人」ではないという民族意識より、ジプシーという名とともに蔑まれてきた過去を嫌って、ロマを名乗ることや、逆に自分達はインドから来た民族とは違うと主張する人々もあり、全てのジプシーがロマに言い換えられたというのでもなさそうだ。

 デンマーク生まれ、ヘルシンキで写真を学んだカメラマンJoahim Eskildsenとスウェーデン生まれ、ヨーロッパ数箇所の大学で哲学・歴史・言語学を学んだ女流作家Cia Rinneの二人組みが2000年から2006年までロマとの出会いを求めて、ヘルシンキからフィンランド国内さらにインド、ロシア、ルーマニア、ギリシャ、フランス、ハンガリーを旅した。その写真とエッセイが『ロマの旅』という本になり、現在ヨーロッパ各地を『ロマの旅』展が巡回している。

 1997年、ドイツの作家ギュンター・グラスは夫人と共にロマ財団を組織した。ロマの独自性を理解し、歴史の中だけでなく、現代の中で彼らの文化的、社会的状況を明らかにしようとの意図があった。
「この少数民族はヨーロッパ中の国々に暮らしているのだが、違う見方をすれば全く存在していないともいえる。彼らはヨーロッパ人の意識の盲点である。しかしさすらいの民である彼らは、この地に留まっているものを見ている。」とギュンター・グラスは発足の言葉に記し、ロマのルーマニアからポルトガルまでの滞在を保証するパスポートを要求したという。
グラス夫妻は25万マルクを財団の資金に提供した。財団はロマ救済活動やヨーロッパロマを多くの人に知ってもらう報道活動に、賞を与えることも役割として、1999年、2006年に各一組が選考された。今年2月に選ばれた2組のうち、『ロマの旅』は奨励賞を受けている。

 写真展の会場には、訪れた国ごとのエッセイ、ロマの歴史やエピソードからの抜粋が解説パネルになっていて、私は始めてロマに関するものを読んだ。ギリシャ、インド取材メモからジプシーとロマが混同された経緯を想像してしまう。

 ギリシャで最大の少数民族ロマは、ビザンティン時代からその地に生活していたそうだ。8世紀にはビザンティンの小アジアにいたと、いわれている。1347年コンスタンティノポリスにジプシー「エジプトから来た人」や奴隷を乗せた船がやって来た。彼らはペストから逃げてきたのだが、その後ヨーロッパでも黒死病が広がっていく。それ以前にロマはヨーロッパ領域のビザンティン帝国(東ローマ帝国)に到達していたらしい。統治者アンドロニコス王(1282-1328)時代の歴史家がNatという軽業師達を王が連れてきたと記録している。『ロマの旅』インド取材では、ビザンティン時代と同じようなアクロバットに遭遇している。Natはサンスクリット語でダンサーを意味し、インドの村人の楽しみと豊作祈願のために、命知らずのアクロバットをやってみせるプロフェッショナル階級だった。しかし14世紀の歴史家は彼らをジプシーの軽業師と記している。

 約35万人のギリシャロマの半数は、今一般市民と変わらない生活を送っている。しかし半数は社会の縁で、警察や官僚の無関心から全く保護されることなく生活している。

 バルカン半島から次第に広がっていったロマには行く先々で、自由な放浪を許されない状況が待っていたことを、ロシア、ルーマニア、ハンガリー取材に読んだ。

 フランス取材では現在を扱っている。1969年から、国の社会教育機関が、移動生活者の子供達のために移動学校を始めた。先生の朝一番の仕事は、「今どこ?」と電話し、椅子とテーブルそれに黒板や教材を積み込んだバスで彼らを追いかけることだ。移動生活者にとって、同じ場所に彼らのキャンピングカーを止めることが、年々難しくなっている。ロマを受け入れるという住民の署名運動が起こったりもしたが、不動産会社が多くの駐車場に車の高さ制限を書き加え、キャンピングカーが入れない。移動学校は毎日違う場所で、次第に町から遠く離れた場所で子供たちに授業する・・・。

 しかし、パリの傍にいるロマ、特に女の子達は、おしゃれな感じ。
取材先のどの国のロマにも、時々インド人の面影を見つけるのは、インドから来た人の末裔と、思ってみているからだろうか。そして彼らの目がどこか、その場ではないものを見ているように感じるのも、私の潜在意識からか。『ロマの旅』の写真とエッセイは人々の見てきたもの、見ているものを捉えていると思う。





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ハンガリー、1949年ロマたちに割り当てられた居住区に住むおばあちゃん。両親はこの土地を耕しながら森のコルホーズでも働いた。
写真出典Joakim Eskildsen



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ギリシャのロマ居住区はゴミで覆われた耕地に隣接する。
写真出典Joakim Eskildsen



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パリ
写真出典Joakim Eskildsen



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ヘルシンキ、キャンピングカーの中の食事
写真出典Joakim Eskildsen
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by kokouozumi | 2009-08-16 07:56 | 人々 | Comments(8)
Commented by 河西文彦 at 2009-08-17 23:59 x
ごみために囲まれた住居! あの阪神淡路大震災で復興が一番遅れた「永田地区」今でも ある 部落民問題 ロマ は サンカ と言うより 穢多 非人 に近い存在なのかも?
Commented by M野 at 2009-08-18 12:36 x
ロマって以外と新しい民族なのですね。今でもキャンピングカーで移動する西側のロマと、強制的に定住させられた東側のロマの生活の対象が面白いですね。どちらが幸せかは解りませんが。
ただ、どうして放浪の生活を選んだんでしょうね。まあ、ペストから逃れてきた上に、逃れた土地で差別され、歌や踊りに秀でていたので、そのまま放浪し続けたのでしょうか。もしかすると宗教が違うのでしょうか。
近年だと、ナチスに虐殺されたなど、凄まじい差別を受け続けている理由はなんなんでしょうね。
なお制度的な日本の被差別民と、ロマは明らかに違いますね。
Commented by tomato at 2009-08-18 20:27 x
欧州を旅したとき、いくつかの場所でロマと思われる民に遭遇しました。
愚かしいことに、人は必ず自分よりも劣っていると思われる存在を造り出します。
ロマの放浪は、自らのものなのか、或いは人々が差別し造り出したものなのか。
その歴史は詳細には知りません。
もう一つ言えば、M野さんが仰られているように、
何が幸せなのか分かりませんね。
虐げられても自由に歌い踊り生きていく。
精神や心の自由って何なんだろうなあ・・・・
Commented by うお at 2009-08-19 07:41 x
河西さん
「永田地区」や 穢多 非人のこと、私はヨーロッパの事情と比較できるようなことを、何も知りません。私が写真につけた文章がとても唐突なもので、申し訳ないです。ロマの収入源として、廃品回収とくに鉄くずを集めるというのもあり、ロシアではサモワールを製造する町の近くに住んでいたロマ集団もあったようです。ギリシャの場合も、ゴミでうずもれた耕地の傍に住んでいるロマ集落もあるということにとどまるのです。繰り返し安易な説明で申し訳ないです。
Commented by うお at 2009-08-19 08:03 x
M野さん
ジプシー、近年になってロマといわれる人々の発生は10世紀前後と新しいようですね。言われるように、バルカン半島にたどり着いたロマは、農奴として、強制的な定住や労働を強いられ、むしろその地の底辺を形作ったような印象もあります。19世紀になって強制労働かtら解放されたロマがさらに旅を続けたらしいです。そもそもなぜ故国を出なければならなかったか?それがインドならどの階級だったかは、わからないようです。

ナチスの迫害は、ユダヤ人、ロマ、さらに身体障害者、政治犯にも及んでいたようで、これも私の表面的な知る限りでは、何がなんだかわかりません。

さすらう民が、様々な土地に留まるものを見たがゆえに、放浪を続けたとしたら…と今回ちょっと思いました。
Commented by うお at 2009-08-19 08:20 x
Tomatoさん
フライブルクにもジプシー(彼らはそうなのだと人から聞いただけですが)の店が並んでいます。長いことある広場に陣取り、そこが都市計画的な変更のため、追い出されてからは、彼らのために代替地を市が提供したのか、今も彼らの場所が街中にあります。フライブルクの場合、彼らは町の風景になっていて、それ以上の何事も起こらないのですが、ジプシー=犯罪のような見方もあります。

今回の取材者の言葉に、彼らの豊かさを知っている人があまりいないのが残念だ・・というのがありました。何が幸せか、なにが豊か、それぞれの中で考え続けられるテーマなんですね。
Commented by 河西文彦 at 2009-08-22 05:32 x
幸せって? 自分が 感じる時が幸せなのであって、幸せ度は計れないと思います(痛みもですけど)欲の無い人 別にメルツエデス二載らなくても この小さな車で十分!という人に 「俺はメルツエデス二乗ってるんだぞ!」と言っても 別に羨ましくも無いでしょう。 食べ物だって 自分の好きなものを腹八分に食べていたら  ぶくぶく 太ったグルメ 人間より けんこうです。青い鳥ってやはり みじかの鳥かごに居ますよ。 昔山谷の住人に政府が  清潔な住居を与えたところ、
1週間もしないうちに 汚れ放題だったそうです。 きれい(清潔)汚い(不潔)も 結構 人によって主観が違うのじゃないですか。
人は人、  自分らしさの杖をついて歩いていきたい 人生を。
Commented by うお at 2009-08-25 07:15 x
河西さん
何度もありがとうございます。
ロマの話をするのは難しい・・・。というのは現代の社会性の中にある、一般的な所有とか、自由に対する暗黙の理解できる幅に、ロマの(個人ではなく大きな歴史的流れとして)どの部分のストーリーを切り取っても、当てはめることができないように感じるからです。それに規模の大きさも。ユダヤ人や架橋とは別のやり方で世界中に広がっていることも不思議です。


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