2017 年 晩夏









シュバルツバルトのほぼ中央に位置する町で、毎年このころに開催される陶芸祭を見学するため久々にフライブルクを拠点に何日か過ごしました。陶芸祭見学の後はこれもかなり久しぶりにバーセルまで足を延ばし、二つの美術館を訪れました。
かつてフライブルクに住んでいた頃、良く訪れた場所を巡り歩いたわけですが、バーセルからの戻り道、なんだかあんまり懐かしくも、満足もしていない自分に気づいてしまいます。
違う町で重ねてきた年月のせいなのか、陶芸祭でもバーセルの美術館でも、何か過去を探っているだけのような、今みている時点で楽しんでいないような感じです。何のためにわざわざやってきたのかなあ。
晩夏とはいえまだ陽は長く、夕方はフライブルクの街で知っている場所へと散歩に出てしまう事になります。それで最後は夕食のためにどこかのレストランに入ろうと思っていたのですが、フライブルク滞在を満喫しているとも言えない中途半端な気持ちで、さほど空腹でもなく、こんな時は超中途半端なもの、例えばポンフリ(フライドポテト)、中途半端な気持ちにポンフリといういい加減な言葉が良く似合うというわけで、ポンフリにワインという取り合わせが可能な場所と言ったら、やっぱりあそこです!!ハーモニーのレストラン。ハーモニーは映画館の事ですが、映画を観る前か後に立ち寄るレストランでは、軽くポンフリに一杯が許されるのでは、と勝手な解釈ですが。
・・というわけでハーモニーのレストランをどんどこ奥に入り込んでみたら、ちょうどサッカーの試合を大画面でやっていました。こんなのをぼんやり眺めていれば一人客の手持ち無沙汰がごまかせるな、ということで大画面スクリーンが良く見える場所に座りました。反対側には若い女性がやはり一人で熱心にサッカーを見ています。良し仲間がいるぞ!が、しかし数分後、彼女には仲間がぞろぞろ現れました。しかも席を移動してスクリーンのど真ん中、つまり私のすぐ横にその学生と思しき団体は陣取ったのです。何ですかこの団体は??映画研究会、これか何か話題の映画を観ようという魂胆ですか?手持無沙汰にそんな詮索をしていると、私の前に、僕の席はここです!という感じですたすたやってきた人が座る。とにかく暇だからそんな観察をしているうちにサッカーの試合は終わってしまって、お~~なんとタートオルト(Tatort)が始まりました。日本のテレビ番組の何に例えたらいいのかとっさにわかりませんがドイツでは40年以上続いている番組です。あれっ、団体若者たちもすたすたやってきた方も、なんだかスクリーンを見つめる感じが半端ではないぞ。素早くオーダーを済ませ、熱心にテレビを観る体制になっています。
「えっ、ここ映画館ですけど、テレビを観てていいのですか。いや私もタートオルトはこれまで正式に見たことが無かったので・・みてしまおうかな・・」

映画館レストランで、テレビを観る人々がそんな風に編成されてしまったわけです。
タートオルト=事件現場という番組なのですが、初めて熱心に見てしまったら、なかなかひねりあり複数事情が交差したりの一筋縄ではいかないストーリー展開でした。そして1時間の放映が終わると、学生グループも一人の観客も、私も、フ~~と言ってレストランを後にする具合で、ほんとにみんな、映画館でテレビを観た夕べになったのでした。

何かこの出来事で、私は久々のフライブルク滞在に満足することが出来たのでした。


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ハーモニー



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みんなでテレビ鑑賞





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フライブルク旧市街はなんと言っても市電の線路が・・






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そして・・












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# by kokouozumi | 2017-09-11 06:11 | 人々 | Comments(2)

路上にて





土曜日には多くの大道芸人たちが並ぶこと、シュトゥットガルトの中央駅から王宮広場まで伸びるメインストリートでも例外ではなく、その中で最も多くの観客が取り囲み、それゆえ最も広い場所を確保して技を見せているのはTruCruチーム。

2007年にシュトゥットガルトで結成されたTruCruはブレイクダンスの5世代目ということ。現在のメンバーは、大学生、写真アーティスト、体育専門学校出身者、鋳物職人、バレーダンサーと本業は多岐にわたっている。次の映像から誰がどの職業人かを探ってみるのも一興かも。







TruCru 5世代目という数え方は、1970年代ニューヨークに発生したストリートダンサーたちを一世代目としているのだろう。
そのいわゆるヒップホップ初代のブームがアメリカで沈滞しつつある80年初頭、ドイツメディアにブレイクダンサーの映像が突如流れ込むことになった。1981年、レーガン政権が始まり自由主義経済政策の一環として、社会保障費削減がアメリカで実施されたことは、ドイツ内で非常に関心を持たれたメディアテーマで、連日のようにテレビ報道されていた。この政策によるアフロアメリカン(アフリカ黒人系アメリカ人)やヒスパニック系移民たちへの影響はいかに、というのが報道の要だったので、ニュースの背景には必然的にニューヨーク・ブロンクスの情景が映し出され、そこにあったのが三大ヒップホップシーン、落書き、ラップ、そしてブレイクダンスだった。(音楽性としてDJテクニックが4つ目の要素として組み込まれている。)ニューヨーク・ブロンクスの路上に出現した彼らの目指していたものは、ラップのようなリズムと言葉遊びを肉体で表現すること。体の形、足の上げ方、手の振り方にも記号的な意味があったそうだ。ニューヨークの初代ヒップホップはブラックな文化を根源にしながら、トゥシューズも劇場も、キャンバスもアトリエも、楽器もスタジオも、さらに武器もない人々が、自分の肉体や声、公共の壁を使ってぎりぎり勝負に出た結果だった。

この情景に目を奪われた世代がヨーロッパ・・多分世界中で生まれたヒップホップ2世という事になるらしい。

1990年代になると、ヒップホップは単なる各都市の風景的な装いにとどまらず、落書き、ラップ、ブレイクダンスのそれぞれの分野から傑出した存在がイコンのように浮かび上がってきた。特に落書きがすごいことになり、バンクシ―(イギリス)、キース・へリング、バスキア(イギリス)などの落書きを、多くの美術館が競って展示するようになった。芸術という事になってしまった彼らの作品は、現在でも画商たちにとって、時には億の単位を生み出す商品であり続けている。






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バンクシ―作品 




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キース・へリング作品



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バスキア作品





ブレイクダンスの世界でも世界大会、世界チャンピオン、世界セッションという催しが次々発生した。現在のブレイクダンス5世達から選ばれる世界チャンピオンクルー(Crew=チーム)はもはやニューヨークとは関係なく、(ブレイクダンスなら韓国と現在は言われているそうだ。それにも関わらず!)なんとドイツのあるクルーがここ数年トップの座に座り続けている。しかもファイナルで対抗したのは、地図帳で確かめないとどこにあるかわからない国、アゼルバイジャンのクルー。そのメンバーはソロセッションの上位から3位までを占めるという強敵だったのだが、この技で勝ってしまったの?というドイツクルーの調子も是非見てほしい。この変容ぶりはもはやヒップホップではない?いや都市の文化、その地のアイデンティティーにかかわるものとしてヒップホップの流れを立派に受け継いでいる?












おまけ 左側がDDCクルー




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# by kokouozumi | 2016-09-04 07:10 | 人々 | Comments(0)

2016 夏





暫く、このメモ帳から遠ざかっていたので、言葉がなかなか出てこなくなった。無理もない・・つまりちょっと気になることを探す習慣からも遠ざかってしまっていたから。関心事がなければ言葉も生まれず、毎日は無関心な-としか思えないのだが-ニュースの氾濫をただ受け身に聞いている。だけど、そのような状況をあまり心地よいと思っていない自分も傍にいる。

自分の周りという環境があまりにもグローバル化されてしまったために、はっきりとしたことを言えなくなってしまったために、次々起こるテロ事件、飛行機事故、自然災害、だから世界中のどこにいても安全という事はもうありえないのよ・・といったような会話で、
日々の言葉を消費するのは嫌だな、という感覚。

だったら自分のために?どんな言葉を集めたいの?と、考えていたら思い出したシーン。
映画『8マイル』、エミネムがバスの中でメモしているシーン。彼が何をメモしているのかよくわからないのだが、カメラはバスの窓外に流れていく文字をことさら捉えていく。工場の名前、壁のいたずら書き、道路の方向指示、看板の文字、、ああそうか彼は目に映るすべての文字からライム(韻)を集めているのか、と想像させるシーン。実際にアメリカのドキュメンタリー番組『60分』の中でエミネムは、ライムをメモした多量の紙が入っている箱を出してきた。

有名になるのと同じ比率で非難も浴び続けるエミネム。『60分』の中でも、アメリカ中の、いや世界中の子供たちがあなたのスラングをまねしていることをどう思うかと質問されて、「躾は家庭でするもの。自分も娘の前では絶対汚い言葉を使わない。そういう事じゃない」と、答えていた。エミネㇺの真似をしたら、ひょっとしたら、国語力がアップするかもしれないと、大人は考えないだろうか。少なくとも辞書を見る習慣が身につくかもしれないのに。

『8マイル』よりもずっとずっと前のことだが、北欧の国際学校なるところで英語だけの授業を受ける体験をしたことがある。私が参加できるぐらいだから授業の内容はちょろかったといえるが、音楽の時間はずっとラップでこれには参った。国際学校だから世界中から学生が来ているわけで、ラップならアフリカ系黒人の得意技という事になっているが、その時アフリカ圏から参加していた学生は必ずしもそのノリではなかった。綿摘みをした祖先をもたないとダメか・・と思ってしまった。ましてやロシア人やスイス人それに日本人に何ができる。ひたすらアメリカ学生の背景で、ごまかしていた。

『8マイル』の主題歌はアカデミー賞を勝ち取ったが、どんな言葉を伝える?つまりメッセージ性の優れた例かもしれない。丁寧な日本語訳をアップしているバージョンを見つけた。私的に好きな『スタン』は言葉的には怖いけれど、オリジナルのダイドではなくエルトン・ジョンバージョンを加えて、2016の夏祭り!



















Eminem - Lose Yourself
上のスクリーン画面から、いずれ見れなくなった場合はこちらから


Eminem / Elton John - Stan










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# by kokouozumi | 2016-07-19 07:44 | Comments(2)

probe

probe













・・・
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# by kokouozumi | 2016-07-11 05:09 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生 最終メモ







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*子供にもお金が必要、大人と同じように子供にもお金が必要だが、でも違うことのために・・・*(*は本からの抜粋)


ジャックは2台の自転車を購入していた。一台では校内での練習用にしかならないが、2台なら、乗れるようになった子が2人一緒に、休日のサイクリングを楽しむことが出来るから。その思惑通り、早速遠乗りに出た二人は、駅の駐輪場に止めた自転車を2台ともそっくり盗まれてしまった。

警察に届けてから2週間がたっても、自転車は見つからない。
1台の自転車はまだ支払いが終わっていなかったので、ジャックの購買部は9ドルの負債を抱えてしまった。ジャックは恐ろしい夢を見た。ネリーのお母さんが悲しそうな顔でネリーに『今日は食べるものが無いのよ。お金が戻ってこないから』と言っている。自転車の分割払いの期限を守るために、ネリーのお母さんから50セント借りていた。それからタフト氏が寝たきりのお母さんに『ジャックが破産したからもうコーヒーは買えない』と言っている。自転車屋のフェイ氏がジャックの家にやってきて『ジャックの宝箱はどこにある。お金が払えなければそれを持っていく』と・・・。
ジャックは朝起きるとすぐ、鏡で自分の髪が白髪になっていないかチェックした。ある本に、船長は嵐の一晩を過ごすと髪が真っ白になっていたと、読んだから、自分も絶対白髪になるはずだと。

しかし実際のみんなは優しかった。
タフト氏は購買部の在庫品、スケート靴3足、サッカーボール2個、小刀、ノートなどを処分すれば、5ドル近くになると、見積もった。自転車屋のフェイ氏はこのような事件のために自分が損をすることは初めてではないといい、さらにネリーのお母さんにまず返しなさいと50セントを貸してくれた。ネリーは数ヶ月前に父親を亡くしていること、ネリーのお母さんは遺族年金から50セントを捻出したことをファイ氏は知っているからだ。ジャックはクラスのみんなと相談して、在庫処分セールをすることに決めた。真っ先にやって来たのは7年生購買部担当の子だった。『だから子供の遊びではないと言っただろう』と2ドルの買い物をした。しかし彼のその買い物に、7年生のみんなから非難が集中した。7年生の購買部はこの1年間クラスのために、何もこれといった活動をしていないのに、下級生の災難に乗じて買い込んだスケート靴やサッカーボールは使いたくない、というわけだ。

ジャックたちはお金が必要だから返品されても困る。妥協案として、7年生のサッカーに3年生の上手なプレイヤーも混ぜてもらうことにした。学期末最後の週のことである。何人かの男の子達が7年生とサッカーをしている姿を、他の3年生たちは運動場の片隅でぼんやり眺めながら、ついこの間まで、次の学年でやるべきことの相談で休み時間を使っていたのにと思う。ジャックはすばらしい計画を立てていたのに。3年生の担任は、みんなのしょんぼりした様子が気がかりで、学年末の遠足を提案する。町を川辺まで行進して、そこから船に乗り、さらに対岸の丘を登って古い城跡まで行こう、という行程だ。ジャックは、行かないと言い出した。心配事のある子供は勉強に身が入らない。ジャックも先生から国語と歴史の追試験を言い渡されていた。そこでクラスメート全員が先生に嘆願する。ジャックは1年間僕達のために苦労してきた。その苦労に免じて、追試なしで彼を進級させてください。先生は承諾した。

夏休みになると、クラスメートは何処かしらに行ってしまった。ジャックはタフト氏のところで店番のアルバイトをすることになった。学校が休みの間はこの類の店を訪ねる客足が大分少なくなるので、ジャック一人でも店番が出来る。それよりも大事なのはタフト氏の寝たきりのお母さんが、いつコーヒーを飲みたがるか良く知っていることだ。タフト氏は新学期に備えて仕入れの仕事に専念できる。本当は自転車屋のフェイ氏からもジャックにアルバイトの誘いが来ていた。クラスで冗談ばかり言って毎日怒られているフィルが、その使い走りを引き受けることになった。フィルの言い分では、早く借金を返さないと、新学期になっても教室で冗談を連発できない。ジョークのない学校生活なんて意味が無い、ということだ。フィルはタフト氏やタフト氏のお母さんのことを知らないので、二人のバイト先はそのように決まった。

日曜日にジャックとフィルはよく一緒に散歩した。銀行の前まで来ると、フェイ氏の用事で自分はこの中に入ったことがあると、フィルが言う。ジャックはまだ銀行に入ったことが無い。銀行には商業銀行とか産業銀行などいろいろあって、商人や工場経営者はそこからお金を借りることが出来ると以前タフト氏から教えてもらったことを思い出した。その時ジャックは共同購買部でも銀行を併設しようと思ったものだ。クラスメートは今度お金を持ってくるからと言って、サッカーボールで遊び、自転車の練習をするが、結局そのまま払わないことが良くある。これからお金の無い子は銀行で借りればいいのだ、と考えた。しかし今は自分が銀行からお金を借りたいと思っている。子供銀行があればいいのに・・。

*Taft氏は笑わなかった。『子供のための銀行か。それはいいかもしれない。お金がまた戻ってくるまで、長い時間を待たなければならないから、そのような銀行は国が作るべきだ。』『誰が作ってもいいよ』『そうか、君にとってはどうでも良いが、一度税務署のことを話したのを覚えているか?大人は税金を払い、国は国民の面倒を見る。子供は国にとって購買者であると、多くの商店ではっきり証明できると思う。大抵の子供は振り向きざまに、後で来るからと言い、結局いつか欲しいものにお金を払ってくれる。』よし!とジャックは思った。『国が銀行を設立するには、何処が担当するの』『経済大臣に決まっている』

この会話は買い物客がやってきたので打ち切りになった。
大人は、子供が質問するまえにずいぶんそのことを考えている、ということを知らないし、大人の答えをそれからさらに検討することも知らない。*

ジャックの心は既に子供銀行設立のため、経済大臣へ手紙を書くことに向かっていた。

*経済大臣様
僕は国民学校4年生です。ジャック・フルトンという名前です。同級生は僕をクラスの共同購買部責任者に選びました。ここに監査委員会の議定書を同封します。それには僕がうまく経営したことが記されています。決算書も同封します。それによって私達の共同購買部が7学年とは違って、活動していることが伺えると思います。私は1年の間に多くの物を買い入れました。次の年には演劇とマンドリングループを立ち上げ、一台の幻灯機とカメラを購入したいです。僕はさらに自然科学の大会を催し、冬に使うソリを作るための木工所を設備したいのです。他にも遠足や娯楽の費用を考慮したいのです。サーカスや映画です。今年はネリーが一人だけ僕を手伝ってくれました。しかし次年度はバーナムがオーケストラを、フィルが演劇を、ハリーが博物館を、アダムが木工所を、というようにみんなが手伝ってくれます。

もし子供が銀行でお金を借りることが出来たら、それらのことが全部出来ます。しかし子供にはクレジットが適用されません。ですから、僕達は自転車を盗まれると破産しました。そのことで僕は殆ど白髪になりそうなほど、神経を痛めました。
それで僕はこの覚書を貴方に宛てて書いています。経済大臣様、貴方がそれによって子供銀行を設立してくださるようにと。子供は税金を払っていないのに、国は子供のために多くのお金を使っています。しかし僕達はいつか大人になって、小学生の時借りたお金を返すことが出来ます。それに僕達は税金を払うようになります。この子供銀行のクレジット無しでは、僕達の計画を実行することがとても難しいのです。なぜなら、親がいつ僕達にお金をくれるのか、全く予想できないからです。*



キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、いつか聞いた一言を追いかけて、偶然にこの本を知り、読んでみた。キンダーランド、たとえばミニ・ミュンヘンというタイトルから、大人社会を雛形にして、子供が社会勉強をする場所、と私は思っていたが、そうではなかった。むしろ大人が、その中で展開している子供達の意識に、耳をそばだてる必要がありそうだ。子供達が独自の経済力を持った時、やりたいことは何なのか、本の中には、かなり細かいお金の計算とともにエピソードが展開していく。ジャックの購買部に対抗するブラックマーケットも発生するのだが、7年生が警告するように、それらはすべて子供の遊びなのかもしれない。

この本が最近出版された際には、実在のポーランド経済大臣が序言を書いているし、教育学者だったら、どのようにこの本を捉えるのかなど、専門家の意見も興味深いのだが、コルチャック研究の類は読んだことが無いので、わからない。

私に想像しえることは、コルチャック先生が子供の世界を大人がのぞけるような覗き穴を、この本に作っていること。それによって、垣間見た世界の中で小さなジャックのやりたかったことが、今もキンダーランドの中に残されているらしいということ。





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一山の氷が落ちていたら・・・遊べる・・・
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# by kokouozumi | 2015-02-09 06:28 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生 その3





『小さなジャックの破産』
いやはや、とても面白い本、というよりすごい本を読んでしまった。

この物語では、ジャック・フルトンがアメリカに生まれ、そこで育ち、学校に行き、小学校3年生になってクラスの共同経営(購買部)の活動をはじめる、という経緯が語られている。この本が書かれたのは1924年、作者のコルチャックは資本主義の国では無いポーランドのワルシャワに住んでいたので、子供達の自由な発想を物語る舞台としてアメリカのことと、するしかなかったかもしれない。
1935年にドイツ語版が出版され、38年にはそのアメリカ的な内容ゆえに、禁止本のリストに載る。戦後1972年になってベルリンの出版社から、『みんなのために商うジャック』という違う名で再登場し、80年代後半に編集されたコルチャック全集の中では『小さなジャックの破産』のタイトルに戻っている。

220ページの中には、どのページにも興味深い話が詰まっていた。それをどのようにメモすればいいのか?実際に読んでいた時間より読後に悩んでいた時間のほうが長かった。

ジャックの両親は静かで誠実な人たちである。
ジャックの父は一年に一度彼の誕生日の日だけ、ワインを一瓶飲む。彼は、「月曜日から土曜日までは私の家族のためにあり、日曜日と祝日は神のためにあり、唯一私が生まれた日だけは、私のものである。」と考える。彼はさらに「私の財産の全ては私の手から生まれる。健康な手を持っている限り、家族はパンから石鹸にいたるすべてに恵まれ、空腹や不潔から遠ざかっていられるだろう。」思っている。しかし不況の時代のことで、父親もいつ失業するか分からない。ジャックはもうすぐ国民学校の3年生に進級する。3年生になったら必要な教材について先生がリストを発表している時、ジャックも他のクラスメート同様に、果たして親がそれらのすべてを購入できるだろうかと、ぼんやりしてしまう。



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タバコ代を節約して約束した小刀を買いに行く父親とジャック


ジャックには母方に商人の祖父がいる。その祖父から、学用品を買う足しにと1ドルが送られてきた。ジャックの父親は祖父に母との結婚を反対された男である。彼は、「学用品は自分が買うから、1ドルはジャックが好きなように使いなさい」と宣言する。その1ドルをどの様に使おうか?というところからこの物語は経営の話に展開する。まずみんながやりたがらない図書委員になって、クラスの図書に1ドルを投資し、面白い本を揃えることにした。今集まっているのは、みんなが読みたくないから学校に寄付するしかなかったような本ばかりだ、と指摘したのは授業中にいつも冗談を言って、毎日のように先生に怒られ、立たされている子。そのアドヴァイスから、クラスメートみんなに読みたい本のリサーチをして新しく買い揃えたのが効果を奏し、クラス中が急に本好きとなり、喜んだ先生はジャックの1ドルのことを知り、みんなに本代のカンパを促した。戻ってきたお金を元にジャックが次に考えたのが、クラスの共同購買部だった。それは7年生が既にやっていることでジャックはその担当者に会いに行くと、子供の遊びではないと、冷たくあしらわれてしまう。しかし担任の先生は校長先生と相談した結果、二人でやることと、帳簿をつけること、監査委員会を作ることを条件にその計画を許可した。さらにお金持ちの子の母親から2ドルの寄付があった。


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ジャックは入金と支出の記帳を始めた



共同購入がいよいよスタートするのだが、あらかじめ注文をとって、必要な品を纏め買いしてくる・・というスタイルではない。彼が選んで仕入れたものを売るのである。安い・良い・便利、の条件が揃っていなければ、各自が自分で直接買いに行って選ぶ自由さに勝てる購買部ではない、とジャックは意識するようになる。本を買いに行って知り合いになり、ジャックの相談役になった文具・書籍店主のタフト氏がダンボールに詰まったきれいな絵柄のカードを見せてくれた。こんなにきれいなのに誰も買わなかった。自分はもう若くない。子供達が何を必要としているか、ジャック君、君のほうが良く知っている・・・ということだ。しかし、クリスマスの前にジャックもクリスマス・新年のお祝いカードを買い揃えた。クラスのみんなは、まだ誰も一人でお祝いカードを出したことが無かったのだ。担任の先生が正しい祝意の書き方を指導して、用意したカードはクリスマスイヴの朝までジャックが保管することになった。みんな親をびっくりさせたかった。そしてクリスマス飾り福袋のような催しも実行した。本屋のタフト氏紹介でおもちゃ問屋に行ったら、そこの社長は黙って大きな箱をジャックに渡した。ただで貰うわけには行かないと、ジャックはクラスの全財産1ドル60セントを支払ったが、後からタフト氏の見積もりでは、その箱の中に15ドル相当の品物が入っていた。
クリスマス飾り福袋は他のクラスの生徒や先生、父兄も買いに来て、ジャックの手元に4ドルが残った。

共同購買がクリスマスという世の中の大きな行事を機会に、学校中さらに親達からも関心を集める成果を残せたことから、共同購買部=これまでやりたかったけど出来なかった事に手が届く、というような上昇志向を、クラスメート達にもたらした。共同のスケート靴やサッカーボール、サーカスを見に行きたい、クラス全員で写真館に行き記念撮影、と次々、ある子が思いついたアイデアを、ジャックが具体的な運営方法を考えて実現していく。たとえばスケート靴貸し料金を決めて、スケートで遊んだ子から集めて、次のサッカーボールを買う、というやり方。


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先生とクラスメート全員で記念撮影


もうみんなはジャックが何を買うといっても驚かなくなった。ジャックなら自動車だって買えるだろう、しかしまず自転車が欲しい!自転車に乗れるようになりたい!これは男の子たちにとって強烈に魅力的な買い物だった。しかし高い買い物だった。分割払いにしてもらい、自転車の練習料金を返済に充てるという方法がうまくいっていた矢先、日曜日に遠乗りに出た二人のクラスメートが自転車を盗まれてしまう。

この自転車盗難事件は、本の中では後半の200ページ目に発生するのだが、そこから最後までの20ページに、コルチャック先生とキンダーランドのつながりは、この部分ではないかと、考えさせられる展開があった。

続く
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# by kokouozumi | 2015-01-25 05:12 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生 その2

 








 1878年にワルシャワで生まれたヤヌシュ・コルチャック(ペンネーム、本名はヘンリック・ゴールドシュミット)が、青年になった頃の19世紀の終わりごろから、ヨーロッパでは新しい教育運動が開花している。鞭打って強制的に知識を詰め込もうとするこれまでの権威主義的教育から、子供達の自発性・興味・経験を重視して見守ることが大事という運動だった。ドイツの教育家の『田園教育舎』1898年に続いて、20世紀になると、ベルギーの医学者(精神生理学者)が『生活による、生活のための学校』を、イタリアの女医モンティソリがローマのスラムに『児童の家』を、さらにイギリスでは現存しているサマー・ヒル学園など次々にこの教育運動を推進する学校ができ始めた。

付け加えると、クラインガルテン(賃貸農園)の発祥とされるシュレーバーガルテンは、シュレーバーという医師であり、教育者だった人物の名を掲げ、始まりは子供達の健康のために造られたという。工場労働者が大都市に集まり、その家族である子供達は不健康な環境での生活を受け入れなければならなかった19世紀半ばのこと。
シュタイナーがStuttgartのタバコ工場主から従業員の子供達のための学校開設を依頼されて、自由ヴァルドルフ学校(ヴァルドルフはタバコ工場経営者の苗字)が出現したのも20世紀の始めである。

シュレーバーガルテンやシュタイナー学校は、上記の新教育運動の流れとは別のもだが、19世紀後半から20世紀の始めという時期は、どんな境遇の子供達も学校に行くことができるようにという制度が次第に整えられていく過程と重なって、さまざまな教育の場に関する試みが始まったと、捉えることもできる。

コルチャック先生に話を戻すと、(この人物に関する近藤二郎の本を参考にしたのだが)彼は二十歳で医学部に入学したが、慈善協会のメンバーとして社会の底辺に生きる子供達に接することを進んで行っていた。さらに子供達が衣食住の心配をしないで安心して暮らしながら勉強できるような、家庭と学校が一体化した『ホーム』の設立が彼の夢だったという。コルチャック34歳の時、ユダヤ人子弟のための『孤児達の家』(ドム・シェロット1912年~)とポーランド人の子供達の『僕達の家』(ナッシュ・ドム1919年~)という二つの『ホーム』の運営にかかわることになる。

Wikipediaに『子供共和国』という記事があった。その中で実践例の一つに、コルチャックのドム・シェロットが揚げられている。ドム・シェロットはいわゆる孤児院のように、親の保護を望めない子供達の施設だったが、その設立はまだ義務教育制度が確立する前のことだったので、裕福ではない子供達(ユダヤ人の)もそこで勉強することが出来た。

ドム・シェロットやナッシュ・ドムという二つのホームで子供達が暮らすのに、コルチャックが大事な原則として考えたのは、(近藤二郎の本によると)子供の議会・子供の裁判・子供の法典、だったという。親のいる家庭で育つ子供達は、親に叱られながら成長していく。ホームでは子供達同士が家族として、間違いに気付き、お互いに助け合うようにということだ。コルチャック自身が何度もこの子供裁判に訴えられ、子供法典の第何条に反した行為を行ったと、ホーム新聞で公表されたというエピソードが残されている。当時このホームの運営は多くの感心を集め、ヨーロッパ各国から視察者がやってきたという。

ヨーロッパの新教育運動の時代人としてコルチャックの目指したホーム・・子供の自治・・子供共和国・・手持ちの本やネットから拾い集めた読める限りの情報から
単純に結論することも出来る。しかし、その時代背景、ポーランドという国、さらにユダヤ人という彼の出生について読み漁りながら、現在のキンダーランドとの結びつきを探そうという気持ちはどんどん薄れてしまった。

彼の夢は実現したのだが、やがてファシズムの嵐が吹き荒れて、ユダヤ人だったコルチャックはナッシュ・ドムにかかわることを禁じられ、ドム・シェロットもゲットーの中に移転を余儀なくされ、最後は子供達と共にトレブリンカに移送されることになる。

トレブリンカ強制収容所に移送される際の記録として、彼のある著書に関するエピソードがあった。本のタイトルは

『小さなジャックの破産』


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続く
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# by kokouozumi | 2014-12-30 17:53 | Comments(0)

クリスマスの屋根が気になる







コルチャック先生の続きが来るはずですが、ヤヌシュ・コルチャック著の児童書を読み始めてしまったため、ちょっと時間が必要です。

そうしているうちに、どんどんクリスマスが近づいてきて
家やアトリエの猫達シーンもなんとなく、それらしい風景になってきたかな。

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やっぱり・・ついに今年もクリスマスマルクトに行ってみました。
そして、今年は屋根が気になりました。

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このお店は羊毛の室内履きを売っています。
普段は山の中で羊飼いをしながら、夜なべ仕事に作っているのかな?と想像させる屋根の装飾。
隣に羊小屋が出現!




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こんなのもある





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あんなのもある
というのは序の口で






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白熊がじゃれている






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白い世界・・・
だけど派手だ







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全体像はこうなっています





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この楽師さんも、Stuttgartマルクトの顔です。
今年は暖かいのに、なんだか元気なさそう
楽器の仕掛けの調子が悪いのか、ときどき音が止まってしまう
それで、困っているのかな




町の景色とともに
メリークリスマス
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# by kokouozumi | 2014-12-23 08:41 | 独逸 | Comments(0)

キンダーランドとコルチャック先生










キンダーランド、こどもの国というプロジェクトは近年、子供達の社会教育を目的としてドイツ中多くの都市で展開されている。発祥を辿ればミュンヘン市のミニ・ミュンヘンに行き着くだろう。2003年頃から2年ごとにオリンピック競技場跡地という広いスペースで、学校の夏休み期間を含む2ヶ月間だけ発生する子供自治の町である。
この町を訪問することは一日でも可能だが、この町の自治体に参加するには、相当の日数と忍耐と経営手腕を要するらしい。この町で就職したいならまず職安を訪れなければならず、この町で自営業を営みたいのなら職業訓練所に通わなければならない。時には営業許可を正式に取らないで開業してしまう子供マフィアもいるらしいが、子供警察がめを光らせている。また営業許可を取得しても、規定の建築基準にそぐわない店作りをした場合は、裁判所行きともなる。そこでどのような判決が下されるかも、すべて子供達の手に委ねられている。この町では独自の通貨があり、商売がうまくいって巨額の富を築いたとしても、その財産はこの町で消費するしかない。首尾よくもうけた子供は家を建てることが出来る。家といってももちろん子供なら一度は試みるような庭先の樹の家に近いものだが、そのための大工もいる。施工主の希望をさらによく表現できる大工もいれば、駄目な大工もいる。駄目なら仕事が来ないから失業し、また職安を訪れて一からやり直し・・・

2ヶ月間に繰り広げられる巨大な構造を持つ子供の遊びかもしれない。しかし、このミニの町で失敗したり、破産したりする経験を持つ子供が、やがて大人になり本物のミュンヘンの町を闊歩するようになったら、と考えると、現在良好なミュンヘンの経済状態を維持する底力がどんどん増えるのかもしれないと想像してしまう。

地域通貨という概念がミニ・ミュンヘンの重要な要素になるのだが、自由経済主義の本来の意味を解き明かそうとした同じミュンヘン出身の作家、ミヒャエル・エンデがいる。彼の思想が日本で紹介された一時期、日本でも300もの地域通貨制度が生まれたらしい。ドイツでは、ギムナジウム学園祭システムにこの地域通貨が取り込まれた例を、私は実際にその場を訪問して確認したことがある。訪問者はまず学内銀行に行き、その場所の通貨に両替しなければならない。その学園祭で同僚の寛太氏の息子が焼き飯屋を経営することになした。必要な食材をあらかじめ市場(学内の)に届けていたところ、市場内の管理が最初から破綻をきたし、品不足が頻発した。子寛太は、即座に親寛太に連絡し、外部からの食材持込を手配して(特殊な食材や非常時には許可された)営業にこぎつけた。他の店はまごまごしているばかりで営業出来ず、焼き飯屋は大繁盛し大もうけした。この市場破綻の余波で早くも倒産した店の従業員を彼の店で雇うことにもなった。しかしもうけた地域通貨はその場でしか使えないから、忙しすぎて買い物にもいけない子寛太は、大統領の給料よりも多くの金を所有しながら、どうしようかと思ったそうだ。

ドイツでキンダーランドを言う時、このようにミュンヘン、ミヒャエル・エンデが連鎖反応的に思い出されるのだが、私はあるとき、キンダーランドの始まりはコルチャック先生にあると、聞いた。

コルチャック先生といえば映画にもなったが、第二次大戦時代ユダヤ人の子供達と共にトレブリンカ強制収容所で生涯を終えたという、ホロコーストが語られる中で登場する人物である。そのダークな印象が強くて、とっさに、どのようにキンダーランドとコルチャック先生が結びつくのか聞き返すことを躊躇した。

今年11月日本人会の催しの中で、再びチャリティー企画を行った。タイトルはキンダーランド。支援の方向は昨年から続行している、石巻・渡波地区の『巻きっ子ドリプラ』。2011年津波から立ち直ろうとしている町の子供達が夢を語るプロジェクトの応援。昨年は参加者を子供に限定しないでチャリティーワークショップやバザーを行った。今回はさらに子供達の夢という部分で共通するように、こちらのチャリティーにも子供達が大いに楽しんで参加できるようにと、キンダーランドを雛形にしてプランしてみた。たった一日の催し、しかも始めての試みなので、さすがに地域通貨を取り入れることは出来なかったが、世話役を子供スタッフにお願いした。結果的に昨年のワークショップ参加者は多いときで5時間で30人前後だったが、今回のキンダーランドには4時間で60人以上の子供達がわんさかやって来て、大成功!

キンダーランドというタイトルを拝借して、子供達のパワーを目の当たりにした時、ふとキンダーランドについて語った人が、帰り際、駅のホームで「その発端はコルチャック先生にある・・」と言い残したことを、今なら追いかけてもよいかな、と思った。

続く





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あのお客様、5歳以下の踏み切り場所は3つ前の青い線ですが・・・




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やっぱりそこから、いきますか?おっとそう振りかぶって・・・投げますか






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いけ~~~








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おや、的の中は空っぽ・・・あのお客様、もう営業は終了しているようですが・・・
えっ、もう一回挑戦されますか・・・










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# by kokouozumi | 2014-12-07 06:00 | 人々 | Comments(0)

ノート






ノートやメモが、もはや紙の上のことではないようなのが、昨今の生活変化の1つと言える。スマホ1つあれば、ノートやメモが無くても自分のせつな的感覚を確認することが出来る・・・ともいえる。いまや陶芸教室にやって来る参加者たちは、スマホの画面を見せて、この写真がモチーフである、というような具合で制作会議が進行する。

しかし、記憶を辿る手段として紙の世界はまだ有効なようだ。デジタルモバイルにすっかり馴染んでいるような世代、当然電子書籍を利用している若者からも、何処に何が書かれていたかの記憶は、本のボリュームで(何ページぐらいに)書かれていた内容を覚えているが、電子書籍ではそのように記憶することが出来ないと、聞いたことがある。
確かに、今手元にある既に読んだ本の内容に関しては、曖昧な記憶でも、だいたいの検討で後追いすることができるから優れている。この優れているという言葉を、紙の本に関してなのか、人の記憶力に対して言うべきなのか、よく分からない。

10年前に読んだ本の内容を、何処に何がと、かすかに覚えているかもしれないのに、自分が書いたデジタルメモに関しては、五里霧中のごとく記憶は消え去ってしまう。このブログは2007年9月からこれまでの7年間、私のメモになっている。幾つのメモを残したか、はっきり数えたことは無いが、月平均3件として250前後と非常に少ない数なのに、すっかり忘れている内容が多く、偶然に昔のものを読んで、思いがけない記録を見つけることもある。 余談だが、かつて寛太工房のあったへーリンゲン村メモでは、猫の名前以外に人間の固有名詞は全く出てこないのに、牛舎のエミールという実名が、雪景色に埋もれるようにして書きこまれていた。そのエミールの元から現在の猫たち、メリーとジェーンはやって来た。その場所に生まれてからどれだけミルクを飲んで育ったのか知らないが、ミルクが大好きで、外で遊んでいようが、家の中の何処にいようが、ミルク!と一言叫ぶだけで脱兎のごとく台所に駆けつける彼女達である。

Dorf H�ringen     雪 :

取り留めの無い話になってきたが、デジタルメモ以前には、メモ用ノートを選ぶというのが楽しみでもあった。字が下手だから高価な有名万年筆を物色するなど、はなから無駄とあきらめていたものの、用も無いのに文具屋にふらふら入っては、並んでいるノートを端から端まで一応確認したものだ。これはドイツに来る前90年代のことで、バブル景気は文具類にも浸透していた。モレスキン(現在のイタリア製ではなく)のような革表紙を持つ高級品は万年筆と同じ理由で、選択外。それから背がコイルで閉じられているノートも左ページに書きづらい、大学ノートはあまりにもノスタルジックな感じがするばかりか、いかにも陰ながら勉学に励んでいるようで、いい加減なメモに使えない・・・さらに紙の色が白すぎるとか黄色すぎるとか、罫線の色が目立ちすぎるとか、棚の前を移動しながら自分勝手に文句を並べているのだが、あの楽しみってもしかしたら、とても日本的なことだったのではないか?と、ドイツに来てからしみじみ懐かしく思い出したものだ。こちらのノート文化は上下にくっきり分かれ、しかも上には堅物が並び、私のようにいい加減なところで選択すべきものの種類が極めて少ない。

と、いうことでドイツに来る直前の頃、気に入って何冊も買い込んだのがこのノート。

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三菱ペンシルがスコットランドのキンロック・アンダーソン社(タータンチェックの洋服を作っているらしい)と提携して生まれたノートということで、赤系、青系そしてこの白・緑系の三種があった。数年前日本へ帰国した際、問い合わせたらもうこのノートは製造していないと分かった。ドイツに暮らしていると10年前に購入した商品でも、まだ製造されていると思い込んでしまうのだが。



文具屋でノートを物色する楽しみが薄れたのなら、目的のみに焦点を合わせて、自分で作ってしまえ・・という時期があった。バック(多分当時持っていたもの)に入る大きさで、バックの中にその他の物が雑多に放り込まれていても、ぐしゃぐしゃにならないためと、手に持って書きやすいように、裏面表紙には厚手のボール紙を綴じこんだ。メモを取るより、いろいろなものを貼り付けていたノート。


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あの頃は、陶芸に関する情報をメモするだけが目的で数冊の粗末なノートはなんとなく完結性がある。その延長線上に現在の制作ノートがあり、陶芸に関すること、というおおらかな目的より、注文制作メモで、これがないと追加注文があったときパニックになる。仕事が終わると疲れ切って、書き込まないでしまうから、仕事途中に泥だらけの手で開く、汚れが一杯のノート。
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# by kokouozumi | 2014-11-16 07:24 | 陶芸 | Comments(0)


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